14 なんでこんな人と
「できなくてもやるんだよ。あんた以外いないんだ。本当は、俺が――ッ」
「聖女様。君しかいないんだ。世界を救えば元の世界に帰れるんだよ? 元の世界に帰りたくないの?」
「それ、は……でも、わたし、本当に何もできないです。世界を救うとか、そんな……すごい力、持ってない。瘴気とか、よくわかんないけど……死んじゃうん、ですよね。できません。ほかを当たってください」
「……旅支度はする。すぐにだよ、できないなんて言ってる時間はないんだ。アル」
ぞわり、と嫌な空気に愛奈はとっさに逃げようと足を動かした。
しかし、慣れないヒールにその場で派手に転んでしまう。
ジンジンと痛む膝に気を取られているうちに、アルベルトとの距離は縮まっている。
伸びてくる手が恐ろしくて、涙でにじむ視界の中抵抗するように手を振り回す。
「触らないでッ」
「ッ、な――ッ!?」
アルベルトの手をはじき飛ばした。そう、愛奈は振り払っただけだった。
だが、予想外にアルベルトの体は大きく飛ばされ、壁に叩きつけられた。
背中を強く打ち咳き込む相手に、愛奈はサァッと血の気が引く。
突然の出来事に呆然としているシエルをよそに、愛奈は痛む足に構わずアルベルトに駆け寄る。
「ご、ごめ、ごめんなさい! わたし、ふ、振り払った、だけ……で……っ」
「ぐ……なんて……馬鹿力……」
苦しそうにうめくアルベルトのそばでオロオロしていると、不意に後ろから笑い声が聞こえた。
振り返ると、シエルが腹を抱えて大笑いしていた。
ヒィヒィと苦しそうに体を曲げて笑い転げている。
涙まで出てきたのか、指先で拭う仕草を見せた。
「あっ、ははは! く、くく……アル、お前が受け身とれずに……ふっ、吹っ飛ばされるなんて……あははは!」
「う、うるさいぞ……クソ」
「ごめんなさい……まさかあんな簡単に飛ばされるなんて思ってなくて、その、強く振り払ったつもりはなくて……」
「つよっ、強く振り払った、わけじゃない……、く、くく……、はー、笑った笑った。いいもん見た」
「あとで覚えとけよ……」
人を殺しそうな目でシエルを睨みつけるアルベルトは愛奈に視線を移し、眼光を光らせる。
ひっ、と愛奈の肩が跳ねる。
アルベルトを吹っ飛ばしてしまったことに罪悪感は一応あるので、睨まれても仕方ないとは思うがそんなに睨まなくてもいいじゃないかとも思えてくる。
涙目になる愛奈をギロリと睨みつけ、舌打ちをして視線を外した。
あまりの態度の悪さに、実は騎士じゃないのかもしれないと疑いが出てくる。
「これでわかっただろう。君には力がある」
「いや、なんか違うと思うんですけど……。聖女っていうんだから、もっと癒やし系の力じゃないんですか?」
「聖女は、浄化の力を持っているんだよ。【伝説の聖女】様はその浄化の力を持って黒竜を封印したのさ。君の持つ浄化の力ってのは、今見せたばか……んん。怪力じゃないかな?」
「今馬鹿力って言いかけましたね……。怪力が浄化と関係あるんですか?」
「さぁ。そこらへんは僕も知らないな。【伝説の聖女】様はそれこそ君の言うように癒やし系みたいだったからね」
「ならその拳で黒竜をぶん殴ったらいいんじゃないか? ハッ、お前にそんな度胸があるとは思えんが」
いちいち嫌味を言わないと話が進まない人種なのかもしれない。
ロイドと似たものを感じ取った愛奈の顔が自然としかめ面になる。
黒竜の前にお前をぶん殴ってやろうか、と愛奈は握り拳を震えさせる。
睨み合っている二人の間に割って入るのがもはやクセのようになっているシエルが「まぁまぁ」となだめた。
「やれやれ」みたいな顔をしているが、そもそも愛奈を巻き込んだのはシエルである。
王様と言いシエルと言い、王族とは傲慢で自分勝手な人間しか務まらないのかもしれない。
いきなり気絶させて起きたら服を脱がされ風呂に突っ込まれ……世が世なら犯罪だ。
いや、こちらの世界でも普通に犯罪だとは思うが。
アルベルトのことは確かにぶん殴りたい。しかシエルのことも結構殴りたい気分なのだ。
アルベルトは顔でシエルは腹かな……と愛奈が物騒なことを考えていると、シエルがパンッと手を叩く。
「さ、君とアルにはすぐに北の大陸、オーロラに向かってもらう。黒竜がいるからね。じゃ、よろしく!」
くるりとシエルが背を向けたのを合図に、愛奈の服をひっぺがした恐ろしいメイドたちが再登場する。
ひぃ、と固まっているうちにシエルの姿は見えなくなっていた。
まだやるなんて一言も言っていないのに、すでに確定事項のようだ。
しかし、元の世界に帰れるかもしれない可能性が出てきたことを無視するわけにもいかない。
ここで逃したら自力で探すの一択しかないのだ。
「荷物はまとめてあります。移動陣の発動準備もできております」
「ああ、助かる。……行くぞ、聖女サマ」
「え、わたし一回孤児院帰って挨拶とか……」
「そんな時間はない。行くぞ」
「へ、え、え、ええ!?」
手を伸ばされ、咄嗟に腕を引く。
振り回さなかっただけ成長したと思う。アルベルトは先程の出来事を思い出したのか、一瞬ためらうような仕草を見せた。
しかし、すぐに愛奈の腕をつかみ強引に引っ張っていく。
アルベルトから逃げようとしたときに愛奈のヒールは脱げているので、今は裸足だ。
立派な革靴を履いているアルベルトはそんな足事情など気にする素振りも見せない。
コウの爪の垢でも飲んだほうがいいと思う。
愛奈は毛虫を見るような目で前を歩く背中を見る。
連れてこられた部屋はきらびやかに彩られており、キョロキョロと見渡していたら引っ張られ、前のめりによろける。
少しはこちらの足事情も気にかけてほしい。さっきから床が冷たいんですけど。
ずんずんと部屋の奥まで進んでいく。
レースカーテンで仕切られた向こう側にぼんやりとし光が見える。
アルベルトがカーテンを開けると、そこにはいかにもな魔法陣が床に描かれていた。
「うわぁ……」
「初めてだと酔うかもな。まぁ慣れるだろ」
「え」
一歩。
魔法陣の光の中に踏み入れた瞬間、視界がぐるんと回った。
ジェットコースターに乗って振り回されているような、延々と回転している感覚に吐きそうになる。
圧がかかり、ぐっと体全体を押されているようだ。
回転にプラス浮遊感。突然体が浮き上がり、かと思えば急降下する。
ガクガクと全身を上下に激しく揺さぶられる。
体がちぎれるんじゃないかと思うほど揺れ、その間も回転はとまらない。
ぎゅっと目をつむり吐き気に耐え、回転が収まったのを感じそろそろと目を開けた。
見えたのは、夜空に浮かぶ本物のオーロラだった。
カーテンのようにゆらゆらと揺れる虹色は、写真や映像なんかで見るよりもずっと大きい。
キレイだ、と思うより前に、愛奈はその場にうずくまる。
「うええぇ」
胃液がせり上がってくる感覚に耐えきれず、その場で嘔吐する。
ビシャビシャと地面に落ちた昼食だったものを見て、さらに吐き気がこみあげてくる。
生理的な涙と鼻水と胃液で顔はぐちゃぐちゃだ。人に見せられたものではない。
ひとしきり吐き、えずくことしかできなくなった頃にようやく収まる。
まだ体が揺れる感覚にぐるぐると目が回る。
ポケットに入っていたハンカチでなんとか顔を拭う。
あまりにも汚いので、一度顔を洗って口をゆすぎたい。
口の中に残った胃液の酸っぱい味になんともいえず眉間のシワが寄る。
ふらつく愛奈の姿に、アルベルトがため息をついた。
「聖女サマともあろうお方が情けない。最初からこんな調子でどうする」
「ふっ、うう……ぎぼちわるい……。おまえ、ぜったいぶんなぐるぅ……おえぇ」
しばらくその場でうすくまり、揺れる感覚が収まってきてようやく立ち上がる。
胃がひっくり返ったような気分だ。
体が浮き上がったとき、本気で心臓が浮いたかと思った。
幸いなことに周囲に人気はなく、愛奈の嘔吐現場を目撃したのはアルベルト一人のようだ。
汚いものを見るような目で少し離されたところに立っているアルベルトを見て、愛奈はずんずんと近づく。
いきなり距離をつめてきたことに警戒するアルベルトの服めがけて顔を突っ込んだ。
「おわっ、な、何しやがる!?」
「キレイに着飾っていいご身分ですね! わたしまだ裸足なんですけどね!」
「なっ、き、きたねえ……」
「ザマーミロ! 殴られないだけマシなんじゃないですか? わたしが殴ったらアルベルトさん、また吹っ飛んじゃいますもんね」
イライラと嘔吐したことにより、愛奈はかなり振り切れてしまっている。
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を、遠くからロイドが見つめていた。