12 ヤな奴!
愛奈は図書館に来ていた。
目的はもちろん、【伝説の聖女】について、だ。
棚に並んだ本を注意深く目で追いながら、気になった本を手に取りページをめくる。
文字がびっしりと並んだページに視線を滑らせ、時おり眉間のシワをもみほぐす。
読み書きを習ったとはいえ、こういった本に書かれている内容は小難しく、読むのも一苦労である。
一ページ、二ページ、三ページ……。紙のこすれる音だけが耳に届き、静かな空間だった。
「ねぇ」
「ひっ、へ、え?」
後ろから声をかけられ、愛奈はその場で軽く飛び上がる。
恐る恐る振り返ると、透き通るようなプラチナブロンドの少年が立っていた。
瞳の色は空のように澄み切った青色で、ノエルの海のような深い青とはまた違った碧眼だった。
制服を着ており、愛奈の通う学園の生徒だとわかる。
学園の制服は白シャツにネクタイ、女子は赤チェックのスカートで男子は紺のズボンと決まっている。
シャツはイン、ボタンは上までキチンと留める、ネクタイは緩めない。
見本みたいな制服の着方をしている。
入学早々に遅刻した愛奈とは真逆の真面目な生徒なんだろう。
プラチナブロンドの髪がサラリと揺れ、少年は首をかしげる。
いわゆる「あざと可愛い」ポーズだが、美少年がやるだけでこうも破壊力があるのかと震えた。自分がやったら確実に事故だろうと思う。
「君、【伝説の聖女】様について調べてるの?」
「え……あ、はい」
「ふふ、君も黒髪黒目、聖女様と同じだ。もしかして――君が、そうなのかな」
「え?」
「いや、実はね」
少年は人好きのいいやわらかい笑顔を浮かべながら、ゆっくりと話し始めた。
話の内容は、簡単にまとめると「聖女を探している」ということだった。
どうも、この少年はいいとこのお坊っちゃんのようだった。まだ出てない話なんだけど、と前置きをしてきた辺り、そんな大切なことを初対面の相手に言っていいんだろうかと他人事ながら心配になる。
少年が言うには、この世界に危機が迫っているので異世界から聖女を喚んだのだが、召喚の陣に現れるはずの聖女が別の場所に飛ばされてしまったらしく、探しているんだと。
異世界から喚んだ、という言葉に愛奈の肩が小さく跳ねた。
その反応を見て、少年は愛奈に気づかれないぐらい小さく口端を上げた。
さらに、聖女を喚んだのはなんと今から十五年ほど前のことで、探しても一向に見つかる気配がなく、仕方なく新たな聖女を喚んだ。
しかし、今回喚んだ聖女もどこか別の場所に飛ばされてしまった。
と、そこまで言って少年は少しだけ顔をしかめた。
「ホント、仕事が雑だよね。喚ばれた方にとってはたまったもんじゃない」
「……そう、ですね」
全力で首を縦に振りたいぐらいだ。
少なくとも、この少年は異世界からポンポン人を気軽に喚び出すような人間とは、違う気がした。
それにしても、そんなに頻繁に異世界から人を召喚することなんてできるのだろうか。
少年の言うことが本当だとしたら、十五年前に喚ばれたのはおそらくママのことで、最近喚ばれたのは愛奈のことだろう。
しかし、愛奈は自分が喚ばれたとは言い出せなかった。
少年が口にしていた「聖女を探している」という言葉と、世界の危機という面倒事としか考えられない話の内容が、愛奈の警戒心を引き上げる。
「で、僕は君を迎えにきたんだ」
「へ……いや、わたしが、聖女だと?」
「うん。聖女はね、決まってるんだよ……黒髪黒目と。【伝説の聖女】がそうだったからね。どうにもうちは決まった場所からしか人を喚べないみたいでね。でも、引き寄せる力は抜群なんだ」
黒髪黒目は聖女と決まっている、だなんて。
だが、それならば納得できることも多い。
なにせ、愛奈は異世界にきて早々にドラゴンであるロイドをぶっ倒している。
そういえば彼は本当にドラゴンなんだろうか。もしかしてからかわれているだけなのかもしれない。
しかし、この世界で愛奈の体に変化があったのは事実だ。
ドラゴンをワンパンで倒す腕力。
動いても一向に疲れを感じない体。
尋常じゃない量を食べる胃袋。
どう考えてもおかしいとしか思えなかった。
そして、それらすべてが「聖女」として喚ばれたことが原因なら、説明がついてしまうのだ。
「まぁ、嫌がっても連れて行くよ。僕はそういう役目だからね」
「いや……ち、違うかもしれませんよ? わたし、聖女なんて大層なものじゃ――」
「アル、連れてって」
「わかりました」
棚の後ろから現れたのは、燃えるような赤髪が特徴的な少年だった。
愛奈よりも少し年上のようだ。
なぜか殺意のこもった目でひと睨みされ、愛奈がすくんでいると大股で近づいてくる。
手を伸ばされ、反射的に身を引くが、赤髪の少年の手が触れるほうが早かった。
触れた瞬間、電流のようなものが体を突き抜け、力が抜ける。
ガクガクと震える足は言うことを聞かず、逃げようにも悲鳴ひとつ出せそうにない。
薄れゆく意識の中で、赤髪の少年の強い憎悪のこもった目が焼き付いた。
◇
「き……ろ……、お……、起きろ!」
怒鳴り声と、顔にかけられた水しぶきで急激に意識が覚醒する。
愛奈は飛び起きて周りを見渡すと、すぐに赤髪の少年とプラチナブロンドの少年が視界に入った。
水をかけたのは赤髪の少年の方だ。手に水の入った器を持っている。
混乱する頭は状況を飲み込むことができず、視界に光の粒が舞う。
かすかにしびれの残る指先が震えているのを見て、意識を失う前の出来事を思い出した。
どうやら、愛奈はベッドに寝かされていたようだ。
「なん、何なんですか……」
「身支度を整えろ」
「アル、そんな乱暴にしてはダメだよ。彼女は【聖女】様だ」
「……チッ」
心底気に入らない、という視線を受け、愛奈は震えた。
その目には、ギラギラと燃えたぎる憎しみがこもっていた。
なぜ自分が見ず知らずの相手にそんな風に見られなくてはいけないのか、わけがわからず愛奈の目に涙の膜が張る。
ふちに溜まった涙を震える指先でなんとか拭う。
ここで泣いてしまっては、なんだか悔しかった。
少年二人が出ていったあと、メイド服を着た女たちが素早く愛奈を取り囲み、有無を言わせぬ勢いでどこかへ連れて行かれ、悲鳴を上げる間もなく服を剥かれた。
ひ、ひ、と酸素を求めることしかできず、声が出ない。
そのまま風呂場のようなところへ連れて行かれたが、あまりの広さに目を回しそうになる。
なすがまま、抵抗することもできず髪を洗われ体を洗われ頭のてっぺんから足先までピカピカに磨かれる。
愛奈の脳裏には宇宙が広がっており、風呂から出たあたりでようやく意識が戻る。
流れるように髪を乾かされ、その時も何やらいい匂いのするクリームのようなものを塗りたくられたが、「え」とか「あ」とか意味のなさない言葉しか出てこない。
気がついたときにはメイクまで済まされており、別人が鏡の前に座っていた。
目を白黒させている間に役目を終えたのか、すっかりキレイになった愛奈を置いてそのまま出ていってしまう。
取り残された愛奈はただ唖然とするしかない。
入れ替わりのタイミングで少年二人がもどってきた。
愛奈を見るなり、赤髪の少年は盛大な舌打ちをする。
苛立ちを隠そうともしない態度に、流石に愛奈もこめかみに青筋を立てる。
無言でにらみ合う二人の間にプラチナブロンドの少年が割って入り、赤髪の少年に向かって「アル」と少し低い声で注意をする。
視線が外れ、理不尽な状況に愛奈の腹の中はグツグツと煮えたぎっている。
「あの、どういうことなんですか、これ」
「ああ、ごめんね。お父様の前に出るにはちょっと……ふさわしくなかったから」
「だっ、だからって、いきなり服を脱がされたり……ッ。おかしいでしょ!?」
愛奈が声を荒げることは珍しいことだった。
普段温厚で、大人しい愛奈は自分の意見をあまり言わない。静かに、気配を消すように過ごすのが常だった。
それは、クラス内で居場所がなかったときの癖だった。
だから、ここまで大きな声を出すということは、かなり苛立っているというわけで。
火に油を大量に注いだのは、初対面からやけに愛奈を目の敵にしている赤髪の少年だった。
「お前の身なりが小汚いから、キレイにしてやっただけだろう」
「〜ッ。ふっ、ふっざけんな! 意味わかんない! 早くわたしを帰してよ! あなた達がわたしを喚んだって言うなら、早く家に帰して!」
一気にまくし立て、愛奈は肩を上下させる。
赤髪の少年から突っかかられるのも、まったく見に覚えなどない。
ロイドから「お前を殺して自由になる」と言われたときとか訳が違う。一度も会ったこともなければ、姿を見たこともない。
まったくの初対面の相手にここまで嫌われるようなことをした記憶などなかった。
愛奈が睨みつけると、プラチナブロンドの少年が困ったように笑う。
「ごめん。お父様が呼んでいるから、その話はあとにしてくれるかな」
「……お父様、って」
「ここ、リエール国の国王さ」