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11 ひとりぼっちだ

「マナ、なんだか元気がないわね」

「平気だよ、ママ。気にしないで」

「でも」

「大丈夫だから。……ちょっと、部屋に戻るね」


 図書館から帰ってきた愛奈の様子を見てママが心配そうに声をかけてくるが、今の愛奈に応える気力はなかった。

 ふらふらとおぼつかない足取りで自室にもどる。

 部屋で机に向かっていたノエルは、愛奈に気づくとすぐに駆け寄る。

 あきらかに様子のおかしい友人を見て、ノエルは声をかけようとした。

 図書館で何かあったのだ。きっと元の世界に関すること。

 授業中、おとぎ噺の内容にひどく動揺していたのを思い出す。


「マナ、だいじょ――」

「ごめんノエル。放っておいてくれるかな」

「――ッ」


 いつもの穏やかな物言いではなく、冷たく刺すような言葉にノエルは震えた。

 言った本人のほうが自分の言葉に傷ついた顔をしたので、何も言えなくなってしまった。

 愛奈はノエルに小さく「ごめん」と謝り、布団の中にもぐりこんだ。

 泣きたかった。大声で、この絶望を声に出して叫びたかった。

 しかし、愛奈はできなかった。


 ここは孤児院。ほかの子どもたちもいるのだ。

 大声で泣きじゃくるなんて、とてもじゃないができるわけがない。

 愛奈は目をつむる。暗い布団の中で目をつむると、暗闇しかない。

 自分が闇の中に溶けてしまったような、そんな感覚になる。

 溶けてしまいたかった。ぜんぶ、なくなってしまえばいいのに。

 そしてもう一度目を開けた時、そこが元の世界だったらいい。


「マナの様子は?」

「……かなり、落ち込んでます。やはり図書館で何かあったんです。授業中のことも、きっと関係がある」


 愛奈のことを気にかけるコウは、愛奈を助けた相手だ。

 怪しい男に連れ込まれそうになったところを、間一髪助けた。

 そのことは彼の中で特別な出来事となっており、自分がマナを気にかけるのは助けた小動物が弱っているからだ。

 これは決して、好意なんてものではない。

 そんなに甘く優しいものなんかでは、なかった。


 ノエルはくやしそうに唇を噛む。

 マナはそばにいてくれた。悪夢を見るばかりだった怖い夜が、マナの言葉で変わった。

 ノエルの気持ちは自分には理解できないと、気弱そうな少女はハッキリと言った。

 意外だった。

 自分の前世と同じ黒髪黒目が気になって、ついじっと見てしまった。

 つり目が怖がられることぐらい、知っていたのに。

 

 マナは予想通り怖がっていた。

 なのに、あの夜声をかけてくれた。

 異世界から来たのだと言った少女は、泣きそうな顔をして笑った。

 その時、ノエルはこう思ったのだ。

 「自分じゃなくてよかった」、と。


 なんて醜いのだろう。

 自分だって前世の記憶のことで苦しんだのに。

 マナの同じ状況に自分が置かれたら、正気を保つ自信などノエルにはなかった。

 あの後、マナは何度か元の世界のことについて話してくれた。


 マナの故郷は、なんとノエルの前世と同じ日本だった。

 両親の話を聞いて、ノエルも前世の親を思い出し一緒になって泣いたこともある。

 こちらの世界にきたばかりのころ、言葉が通じなかったのだとマナは笑って言った。

 悲しそうに、寂しそうに、困ったように笑うマナが、とても痛々しかった。


「元の世界のことだろ。マナは帰りたがってた。【伝説の聖女】は異世界からきたんだ、マナが図書館でその手の本を読んでいてもおかしくない」

「! そうか、【伝説の聖女】は元の世界には……」

「そう、帰れなかった。……いいじゃん、このままここにいれば」

「――、ダメ、です。マナには帰る場所がある、帰らなくてはいけない」


 待っている両親がいる。

 友達はいないと言っていた。こちらの世界でコウやノエルと友達になれて嬉しいとも言っていた。

 でも、マナは元の世界に帰りたいのだ。

 こちらの世界ではなく、元の世界で友達を作りたいんだ。

 ノエルは、マナの願いを叶えてやりたかった。

 自分に帰る場所はもうない。だからこそ、帰れる場所にマナを帰してあげたいと思ったのだ。


「なんで。帰る方法がないんだぜ、どうしようもねーじゃん」

「でも、そんな、簡単に諦めるなんて……できるわけないです」

「はぁ? じゃあどうすんのよ。お前がマナを元の世界に帰してやれるのかよ」

「それは……」

「できないなら言うなよ、無責任だろ。マナならこっちの世界でだって暮らしていける。元の世界なんか忘れるよ」


 ――なぜ、この人はわからないのだろう。

 ノエルは苛立ちを抑えられなかった。

 マナの気持ちを一切無視した目の前の男の言葉に吐き気すら覚える。

 前世の記憶ですら忘れられないのに、マナが忘れられるわけがない。

 元の世界がどれだけ恋しいか、見知らぬ世界がどれだけ恐ろしいか。

 ノエルも想像することしかできないが、それでもその苦しさは伝わってくる。


「……話していても無駄ですので、私はこれで」


 踵を返してその場を足早に去る。顔を見ていると、どんでもない言葉を投げつけてしまいそうだった。

 いつの間にか荒くなっていた呼吸を整える。

 スゥ、ハァ。ゆっくりと深呼吸を繰り返し、気分を落ち着かせる。

 夜風にでも当たろうか。熱くなった頭を冷やしてくれるかもしれない。

 自分はそばにいてもらったのに、マナのそばにいられないことがなによりくやしかった。


 ◇


 仕事へ向かうお父さんの背中を見送り、お母さんが用意してくれたトーストにジャムを塗ってかじる。

 テレビは天気予報を流していて、後ろから「傘持っていきなさいよ」とお母さんの声が聞こえた。

 牛乳でトーストを流し込み、「はぁい」と応えた。

 制服に着替える。セーラー服だ。

 リボンを結ぶ。なんだか結びづらい、そうだ、いつもはネクタイだから……。

 あれ? なんでネクタイなんだっけ。


 ……しばらく考えたけど、答えは見つかりそうにないので諦めて苦戦しながらリボンを結んだ。

 曲がったリボンをつけていったらお母さんに怒られた。結局結び直してもらった。

 カバンを持つ。教科書、ノート、筆箱、忘れ物はない。

 靴を履き、玄関を出る。

 行ってらっしゃい、手を振るお母さんに手を振り返す。


「行ってきます」



 暗闇だった。暑くて肌に服が張り付いて気持ち悪い。

 体をいきおいよく起こすと、布団がベッドからずり降りた、

 汗で髪が顔にまとわりつく。うっとうしさに顔をしかめた。

 今はまだ十月半ば、布団を頭からかぶって過ごすには早かったらしい。


「げ、二時かぁ」


 消灯時間はとっくに過ぎており、中途半端な時間に起きてしまった愛奈は、とりあえず水でも飲もうと布団を蹴っ飛ばしてベッドから降りる。

 布団をかぶって目をつむっているうちに寝てしまったらしい。

 夢を見たような気がする。でも、暑さで起きたので覚えていなかった。

 スリッパを鳴らさないようすり足で歩き、キッチンまで向かう。

 孤児院の中は暗く静まり返っている。


 夜中の二時なのだから、起きている者もいない。静かで当然である。

 キッチンで水を一杯飲むと、そのままベッドにもどる気にはなれず外へ出る。

 ギィ、と扉を開ける音ですら心臓に悪い。みんなを起こすわけにはいかないので、忍者のように静かに移動する。

 忍者と言うか、これではコソ泥かもしれない。


「……星、たくさん」


 夜空は星が散りばめられ、キラキラと光っていた。

 宝石箱のような眩しいきらめきはないけど、愛奈はこっちのほうが好きだった。

 静かで、世界に自分一人だけになったような気分になる。

 それが心地よかった。


 愛奈にとって、ここは異世界であり、帰る場所ではなかった。

 その世界に、ひとりぼっちで放り出されたような、そんな絶望が愛奈の心を包んでいた。

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