10 手がかりかもしれない
入学して一ヶ月。
愛奈は学校生活にもだいぶ慣れた。
半年間必死で文字の読み書きをしたおかげで、教科書を読むことも問題なくできた。
授業についていけてると言ったら微妙なラインだが、その度にコウやノエルに教えてもらっているので、なんとかやっていけるという感じだ。
ノートにペンを走らせ、隣で居眠りをするコウをチラ見する。
これだけ授業中寝ているのに、未だに教師に見つからないどころか当てられたらキチンと答えれるのだから、器用だなぁと愛奈は呆れている。
相変わらず混み具合が半端ない学食で昼食を済ませ、眠気と戦いながら授業を受ける。
これが錬金術や体育ならまだいいのだが、魔法史だと地獄である。
教師の声が子守唄にしか聞こえない。何か魔法を使っているんじゃないかと思えてくる。
現に、魔法史での生徒の居眠り率は高い。
そのたびに教師からチョークが飛んでくるのだから、恐ろしい言ったらありゃしない。
ちなみにチョークは魔法で操作しているので、確実に当たる。怖い。
幸い愛奈は今のところチョーク被害には遭っていないが、そろそろヤバいような気もする。
慣れてきた頃が一番油断するというものだ。
ふわぁ、とあくびを手で隠しながらぼんやりと考える。
必死で勉強して、これが元の世界で役に立つだろうか。
そう考えてしまうと、どうにも身が入らない。
居眠りしているコウとは正反対に、ノエルは真剣な眼差しで授業に取り組んでいる。
えらいなぁ、と他人事のように考える。
愛奈はこちらの世界で生きていくつもりなど、毛頭ない。
だからこそ図書館に通い調べているわけだが、一向に見つからないのもまた事実。
歴史本や魔法書を主に読み漁っているが、異世界という単語は中々出てこないのだ。
元の世界で想像していた教室とは違う形なのも落ち着かない。
机と椅子があり、それぞれが一脚ずつ間隔を開けて置いてある。
そういう教室をイメージしていたら、こちらでは違うらしい。
横長の机は階段のように並び、生徒は横に並んで座る。
どちらかというと大学に近いかもしれない。
「どうしたもんかなぁ」
「授業中に考え事とは余裕だな。マナ、教科書七十九ページを読むように」
「へ、は、はい!」
慌てて起立をして背筋を伸ばす。
クスクスのあちこちから漏れる忍び笑いに顔を赤くしながら、愛奈は教科書をめくり読み上げる。
内容はこちらの世界では有名なおとぎ噺。
剣は知らないけど、魔法が存在するこの世界でおとぎ噺とはこれいかに、と愛奈は思ってしまうのだが。
「悪しきドラゴンにより、世界は大きな危機を迎えます。そこで王様は考えました。悪しきドラゴンを倒す、聖女を喚ぼう、と。――、い、異世界、から……」
ドクン。
愛奈の心臓が大きく跳ねた。
こんなところで異世界という単語が出てくるとは予想しておらず、教科書を握る手に力が入る。
シワになりそうなほど強く握り、かすかに唇が震える。
愛奈が異世界人だと知らない教師は、動揺に気づかない。
いつの間にか起きていたコウと、ノエルから視線を感じた。
ゴクリ、唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえた。
「異世界より、喚ばれし聖女。その浄化の力を持って、悪しきドラゴンは封印されました。そして、世界に平和が訪れたのです……」
「よろしい。座りなさい」
放心状態で腰を下ろした愛奈は、思考を巡らせる。
異世界から喚ばれた、聖女?
聖女がドラゴンを倒すという話自体はありふれたおとぎ噺のものだ。しかし、愛奈には重要な話だった。
聖女は異世界から喚ばれた。つまり、ママや愛奈と同じ。
……いや、でも。これはあくまでフィクションなのだ。そこを忘れてはいけない。
元の世界にだって「異世界転移」や「異世界転生」なんて言葉はあったのだから、こちらの世界にあったっておかしくない。
あくまでフィクション。あまり真面目に受け取らない方がいいかもしれない。
そうだ、帰りにまた図書館に行こう。このおとぎ噺について何か書かれているかもしれない。
そう考えながら、まだ小刻みに震える手で教科書をめくる。
次のページの書かれた文字を見て、愛奈は今度こそ心臓が止まるかと思った。
そこに書かれていたのは、聖女の見た目――聖女の髪と目は、この世界では珍しい黒色だったのだ。
「マナ、大丈夫か?」
「顔色が悪いです。保健室へ行きますか?」
教科書を読み上げたあとから様子がおかしい愛奈を心配したコウとノエルが、授業が終わってから声をかけてくる。しかし、愛奈は二人の声に応える余裕はなかった。
異世界から喚ばれた聖女は自分と同じ黒髪黒目だった。それは、偶然にしては出来すぎていた。
カラカラに乾いた喉がヒリつく。手が震えていた。心臓も鼓動が早い。
ーー調べなければ。
放課後、図書館へ行くことを決めた。
「ごめん、わたし図書館寄ってから帰るから、二人は先帰ってて」
「俺も行くよ」
「そうです。私もついて行きます。マナが心配です」
「……一人で調べたいの。ごめん」
ショックを受けたようなコウとノエルに背を向け、愛奈は図書館へ向かう。
図書館は相変わらず人が少ない。
ビルのようにそびえ立つ大きな街の図書館は、調べものに最適だ。
歴史書のコーナーを通り過ぎ、魔法書のコーナーを通り過ぎ、児童書コーナーにたどり着く。
職員に声をかけ、教科書で読んだ話の内容を伝えると、すぐに絵本を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「いえ。それにしても、あなたとってもキレイな黒髪なのね。目も夜の空みたいですごくキレイだわ。伝説の聖女様とそっくりね」
「伝説の聖女様って、この絵本のですよね」
「ええ、そうよ。聖女様は黒髪黒目だって、絵本にも書いてある。このお話はリファーララだけじゃなく、西の大陸アステルカ。南の大陸シール。北の大陸オーロラ。すべての大陸に伝わるお話なのよ」
「へぇ……この聖女様について詳しく書かれた本とかって、ないんですか?」
「あるわよ? 歴史書コーナーの、二列目の棚に入っているわ。案内しましょうか?」
「あ、ありがとございます!」
手渡された本を見て、早くも泣きそうになる。
ようやく見つかった手がかり。元の世界に帰るための方法が、この本に書かれているかもしれないのだ。
椅子に腰かけ、ページをめくっていく。
冒頭には教科書で読んだ内容と同じものが書かれていた。そこからさらに進む。
聖女について、詳しく書かれていた。
聖女の名前は「サト エミコ」。
流れるように長い黒髪と、黒真珠のような目を持った異世界人だった。
王宮に仕える魔法士が発動させた魔法によりこの世界に喚ばれたエミコは、悪しきドラゴン、黒竜を討伐する旅へ出た。
黒竜は死を司る忌まわしきドラゴンであり、全身が漆黒の色をしている。
その体から生物を死に至らしめる瘴気を放ち、世界を滅ぼす存在。
エミコは長き旅の最後に黒竜と対峙し、その体を封印することに成功した。
黒竜が封印された世界は平和が戻ったが、死んでいった人たちへの弔いはとても大規模なものだった。
瘴気によって枯れた作物や植物への被害も甚大であり、人々が元の暮らしを手にするにはかなりの時間を要した。
エミコは黒竜を封印した後、王が用意した家でひっそりと暮らした。
王はエミコに褒美をあてがったが、どれも興味を示さず、独り身で死を迎えた。
「そんな……」
本の内容に、愛奈は言葉を失う。
聖女エミコは、元の世界に帰れなかったのだ。
一人、この世界で死を迎えた。
王はエミコに褒美を与えた。その褒美の中に「元の世界へ帰る」というものはなかったということだ。
ぎゅう、とページをきつく握るが、本にシワがつくと思いすぐに力を抜く。
今すぐ崩れ落ちてしまいそうだった。
崖っぷちに立たされたような、足元が不安定で今にも落ちていきそうな気分になる。
元の世界に帰れる方法はない。
自分で調べて、それでも帰る方法が見つからなければ諦めがつく。
この世界にきたばかりの頃、そう思っていた。
諦めがつく、そう思っていたのだ。
しかし、現実はそうは思えなかった。
諦めたくない。元の世界に帰りたい。
家に帰って、お母さんのご飯を食べたい。入学式の日はわたしの大好きなオムライスを作ってくれると言っていた。
それなのに。わたし、まだやりたいことがたくさんあった。
ロイドに食われそうになったとき、わたしは確かにそう叫んだ。
それは心からの本心だった。
中学に上がって、全部頑張る。
置いてかれそうでやる気がなかった勉強も、ハブられて諦めてしまった友達も、自分には無理だと思っていた恋愛も。
全部、全部、頑張ると決めていたのに。
「帰りたいよぉ……」
あふれでる涙が、抑えられなかった。