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1 夢だと思いたい

 ぞろりと揃った牙が、今にも食いつかんと迫ってくる。

 全力で走る愛奈は今、恐竜みたいなバケモノと命がけの鬼ごっこをしている。

 そもそもこの時代に恐竜なんて存在するのか、羽があるのにどうして走って追いかけてくるのか、どれくらいの時間走っているのかわからないけど、なぜ一向に疲れがないのか。

 疑問がぶくぶくと泡のように浮かんでくる。

 しかし、なにひとつ解決することがないまま、地獄のような時間が終わりを告げる。


「ぶえっ」


 コケた。それはもう見事に、野球だったら歓声が上がるほどのきれいなスライディングだった。

 顔面から地面に突っ込んだ愛奈は、死を覚悟する。

 恐怖で歯が鳴り、開いた口から間抜けにヨダレが一筋落ちた。顔は涙と鼻水ですでにグチャグチャだ。ぼやけた視界の中で、迫ってくる恐竜もどきの輪郭が見えた。

 ああ、死ぬのか。こんな訳のわからない状況で、こんなにもあっけなく死ぬのか。

 

 起きたら異世界だった。

 そんなバカな、と思ったけどやっぱり現実だった。

 いつもと同じ時間に寝たはずだ。いや、ちょっと夜ふかししたかもしれないけど、ほんの一時間ほどだ。

 十二時前にはしっかり寝た。翌日に入学式を控えていたから、興奮して寝れないんじゃないかと心配していたら普通に寝れた。で、起きたら緑の中にいた。

 

 山の中か、森の中か。

 わからないけど、とにかく緑が生い茂る場所に愛奈は突っ立っていた。

 寝るときに着ていたパジャマのまま、アホみたいな間抜け面をして。

 しばらく呆然と立っていて、夢かと納得してなんとなく歩きだした。こんなにリアルな夢を見るのは初めてだったので、若干ワクワクしていたのだ。

 春を感じさせる心地よいそよ風で、空は見渡す限り澄み切った青空。

 気持ちのいい夢だ、入学式前に見るということは、これから始まる学校生活はきっと素晴らしいものになるんだろう。そう確信した。


 パジャマなので当然のように裸足なわけで、草で足を切ったときに感じた痛みで違和感を覚えた。

 夢なのにこんなにリアルでいいものだろうか。もしかしたら痛みを感じる系の夢かもしれないと思ったけど、その場で跳ねても軽く走っても一向に疲れを感じない。

 何か変だ。そう気づいてからは怖くなった。

 早く起きなきゃ。念じてみた。起きない。頬をつねってみた。普通に痛かった。

 どうしよう、どうしよう。

 混乱がピークを迎えたとき、それは現れた。


 恐竜だ。いや、もしかしたら恐竜によく似た別の生き物かもしれない。羽あるし。

 しかし、骨まで噛み砕きそうな鋭い牙と、人を2人ぐらい余裕で飲み込みそうな大きな口と、爬虫類を思わせる縦に裂けた瞳孔がマナの姿を捉えた瞬間、夢じゃないと理解した。

 ここで可愛らしく「キャー!」とか叫べてたら、ワンチャン王子様が助けに来てくれるという展開があったかもしれない。しかし、マナの喉から出たのは悲鳴ではなく空気で、王子様どころか人っ子一人出てこなかった。

 震える足を叱咤して走り出し、ぐるぐると回る思考の中で一つの可能性が浮上した。

 ここ、もしかして異世界なんじゃない?


 よく耳にした「異世界転生」「異世界転移」という言葉が頭に浮かんだ。

 クラスで大人しめの子たちが楽しそうにしゃべっているのを聞いたことがある。

 自分たちでしか理解できない言葉を飛び交わしながら笑っていて、クラスのリーダー格の子たちが嫌そうな顔をしていたのを覚えている。

 楽しそうでいいな、と思ったことも、愛奈はよく覚えている。

 気持ち悪い、そう誰かが呟いたのを引き金に、次々とバカにし始めた。

 

『異世界とか子供すぎ』

『現実で望みないからって夢見すぎでしょ』


 クスクス、ヒソヒソ、悪意が伝染していく。

 嫌な空気だ、そう感じたときにはもう遅かった。

 火が消えたように静かになった子たちを見て、リーダー格の女子の目が愛奈を捉えた。

 ヘビに睨まれたカエルの気分だ。


『愛奈もそう思うよね?』


 否定することは許されない。そんな空気だった。

 握った手のひらにじっとりと汗がにじみ、ドクドクと早まる鼓動がやけに大きく聞こえた。

 あの子たちをバカにしていたわけじゃない。

 どちらかといえば、楽しそうで羨ましいと思っていたぐらいだ。

 自分も仲間に入れてもらえるだろうか。少し流行りのアニメを見ただけだけど、話についていけるかな。

 そんなふうに考えたこともある。


『ぁ……、あはは……』


 バカにするのも、しないのも。

 選べなかった。きっと賢いやり方ではなかったのだろう。彼女らにとっての正解ではなかったのかもしれない。

 笑っていた女子たちからの鋭い視線を受け、背中に冷や汗が流れる。

 「そうだよね」と乗っかっていれば。

 一緒にバカにすることができたら。

 何か違っていたのかもしれない。

 そう、今でも思う。


「嫌だ……嫌だ、死にたくない! わたしはまだ、何もできていない。やりたいことがたくあんある、死にたくない!」


 迫ってくる牙が視界いっぱいに広がり、拳を作り、思い切り振り回した。払えるわけでもないのに、無駄な抵抗なのに。

 それでも、死にたくなかった。

 中学に行けば、新しい場所に変われば。自分の中の何かも変化するんじゃないかって、そう期待していたんだ。

 勉強も、恋愛も、友達づくりも、新しい環境なら頑張れる。頑張る。そう決めた。

 

「うわぁあ!」


 ゴツン。

 鈍い音がして、拳に硬いものがあたったことが伝わってきた。じんじんと鈍い痛みが手に広がる。頑張るって決めたんだ。こんな訳のわからない状況で、死ぬなんて嫌だ! 

 そのまま、力いっぱい。

 ぶん殴った。牙を。恐竜もどきを。


 確かな手応えが伝わってきて、閉じていた目をうっすら開ける。瞬間、ものすごい強風が吹いた。すぐに目を開けていられなくなり、ぎゅっと閉じる。

 とっさに両腕で顔を守り、風が収まってからそろそろと目を開ける。

 木はへし折れ、地面はえぐれ、枝からちぎれた葉っぱが花吹雪のように空から降ってくる。

 あんぐりと、開いた口からヨダレが一筋落ちた。あわてて袖で拭い、まばたきを繰り返す。目が乾燥してカピカピになりそうなほど見開いて、何度も確かめる。

 そこには、さっきまで元気よく愛奈を追いかけ回していた恐竜もどきが、仰向けにひっくり返っていた。


 ドクドクと、心臓が早鐘を打つ。

 走っても走っても上がらなかった息が乱れ、体が震える。

 目元が熱が集まり、涙でうるむ。


「うそ……倒しちゃった……」


 嘘であってほしかった。

 残念ながらこれは夢ではなく現実で、悪夢のような状況から抜け出したのは、愛奈のワンパンだった。

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