3話 臆病者が逃亡劇
わけわかめ
森の中を駆けながら、誰にもこの脅威を伝えないことへの罪悪感を考えないように意識した。
それでもまっさらな思考を得るというのは難しく、編みの中をくぐり抜けて来るかのように余計な考えが浮かび上がってくるものだ。
人間戦ってみれば案外どんな猛獣にだって打ち勝ってみせるもんだ。
少なくとも、俺にとって言わせれば勝負に立てば相手に勝てる可能性は0よりはあるのさ。逃げるが勝ちなんてよく言うが、あれは戦いの舞台にすら立っていないのさ。
脳裏に誰かが言っていた言葉が反響した。声も思い出せない。その言葉だけが強く残る。
これを言われたのがいつのことかも覚えていない。いや、木こりになりたての頃だっただろうか。どうにも、思い出せない。
木こりは森に潜る以上は命懸けの職業だ。
頻繁に獣に出くわすし、襲われたりする。
だからこそ腕っぷしの弱いやつはすぐ食われるし、そも木こりになんてならない。
そこらにいる狩人なんかよりもよっぽど強いのが木こりだ。
お前は木こりになるには臆病すぎるからやめといたほうがいいな。
臆病者か。たしかに、俺は臆病者だ。
だから今魔人から必死で離れようとしている。
いつも獣から逃げているときと何も変わらない。
違いなんて言えば逃げる相手が獣なんか比べ物にならないほど厄介な魔人ということだけだ。
対して変わりもしないだろう。
兎に角逃げなければ。逃げさえすればどうにかなる。
「どうにもならなかったら?」
誰かの声がした。振り返ろうとして地面からはみ出している木の根に躓いた。
「うっ、ぐぅ…」
地面は湿っており、枯れ葉などもあったため対して痛みはなかった。
しかし、何故か立ち上がる気にはなれなかった。
「どうにもならなかったら、どうするんだ?」
やはり幻聴ではない明確さを伴った声だ。
「誰だ!どこから俺に話しかけている!」
首を別の方向に何度も動かしながら周囲の状況を伺った。
その声は背後からも隣からも聞こえるような気がした。
返答はないが、うっすらと近くにいるということがわかる。
魔人の威圧的な気配ではない。ただこちらを向いているだけの観察者のようだ。
無機質な気配。きっとそんなふうな気配だ。
「私が誰かって?そんなこと私が知るわけないじゃないか。」
奇妙なことに、どこからも聞こえるその声は、男声と女声が混じったような聞いたこともない声質をしている。
なぜ知らないのかと疑問だったが、だからといって事情を聞く気にもならなかった。
不気味だったが気配の性質も敵対的なものは感じられなく、脅威ではないと判断して、立ち止まった足を再び前へと動かし始めた。
「おやおや、質問に答えてくれないのかい?」
まるで頭の中に直接話しかけられているようだった。
洞窟の中で大声を出した時の四方から聞こえる反響音をよりはっきりと明瞭にしたようにも感じられる。
こんなことができるのは凡そ人間ではないだろう。
けれど、魔人かといえばそうではなかった。
これが魔人ならば首元を刃物で突きつけられているかのように体が強張っていたはずだ。
何故かは知らないが、人は魔人を見ればその存在のおどろおどろしさを全身で理解できる。ああ、こいつは魔人であるのだと。
だから、この声の主は魔人ではない。では一体なんなのか。
「言っておくけど、私は何者でもないよ。私は世界の声。ゆえに私の声はあらゆる人のものであり、君の声でもある。強いて言うなら、私は世界への問い、あるいは世界からの問いかけ。だからこそ私の声はどこまでも君に届いた。たったそれだけのことさ。」
世界の声?君の声?全く持って意味不明だ。はっきり言って何が言いたいのか理解できない。
「理解する必要はないさ。君への問いは逃げてどうにかなるのか、それだけだからね。」
再び俺は立ち止まった。
「どうにもならないから逃げてるんだ。どうだ、これで満足か?」
「そうじゃないだろう?言ったはずだよ。これは君自身の問いかけでもあると。君の中にあった強い疑問が私に問を運ばせた。君は答えを出すことを先送りにしているんだ。」
事実だけを述べるように淡々と言っていた。
文章に違和感しかない