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 外でカラスが鳴いている。

 しぱしぱする目をこすり、握りしめていた万年筆ペンを投げ出す。ふぅっと息をついて椅子から立ち上がった。


「やった……終わった。終わったわ。書き切ってやったわ」


拳を握り、両手を天に突き上げる私に、うすい壁の向こうから呆れたような声がかかった。

「うるさいわよリアナ。静かになさい。眠れないわ」


「ごめんなさい、アリシア」


 小さくなる私に、隣室者はため息でもついたらしい。

「あなたみたいな奇行に走るのが隣なんて、全くついていないわ」


 私、リアナ=ラトットは魔術師の中でも浮いている自覚がある。若葉色の前髪は長すぎて金色の瞳が見えないし、いつもぶつぶつと独り言を言っていると噂になっているらしかった。18になるのに、当然恋人のひとりもなく、しかし、両親が咎めないのは、魔法の素質がそれなりにあり、弟がいることもあって、跡取りには困らなかったからだろう。


 でも、言い訳をするなら、そもそもの原因はこの世界にある、と思う。私には、異世界の夢を覗く力があった。特に、チキュウのニホンジンの夢が好きだった。ニホンは本に恵まれているらしく、厚いものから薄いもの、絵の描かれたものから動くものまで存在しているらしい。私は本が好きだった。


 ニホンジンの、空想する世界に、この今生きている世界は似すぎている。

魔法があり、遥か遠くには魔物が住んでいるという。その中で妄想をしないなんて、できるだろうか? 私にはできなかった。


 私は、小説を書いた。ニホンジンの見る夢に出てきた想像上の魔物をモチーフにした恋の物語だ。

 小さな出版社にリアという名で持ち込んだところ、これがなぜか連載を許可されてしまったのだ。先ほど書き終えた3本目は、炎操る石の悪魔、ガーゴイルと美しい妖鳥、ハーピーをモデルにした異種族間の恋。


 魔物の国はよほど遠くにあるらしくて、実際の魔物を見たことはない。でも、それで良かったのだと思う。遠くにある見知らぬ国、遠すぎて想像しかできないからこそ、小説は地味に売れていた。


ランプを消してベッドに潜り込む。明日はお休みだ。出版社にこれを投げ込みに行けばいい。



 翌朝、丸めた原稿を鞄に押し込み、手に下げて、出版社への道を歩く。初夏の日差しに緑が眩しい。強い風がさっと抜けて、前髪を吹き上げていく。


 出版社まであともうひとつ角を曲がればというときに、とんとんと肩を叩かれた。

「落し物ですよ」

振り返れば背の高い男性が微笑んでいる。現実離れした整った容姿、赤い瞳はどこか光を放つようでそこから目が離せなくなる。


しばらく呆然としていると、また風が吹いた。


「落し物ですよ」

 手袋をした彼の手には一本の万年筆ペン、手渡されて、私は慌てて腕に下げていた鞄の中身を確認する。1、2と数えて、原稿だけは落としていないみたいだ。ふぅとため息をついて、そこで私は男性を放置してしまったことに気づいて慌ててしまう。


「あの、ありがとうございます」

 彼はじっとこちらを観察しているようだった。どうしたらいいのかわからず、こちらも不躾に見つめ返してしまう。


 深い藍色の髪に印象的な赤い瞳、通った鼻筋に陶器のような肌、なるほど、とんでもない美男子であるらしい。


 彼は一通りこちらを観察し終えると言った。

「いえ、こちらこそありがとうございます」


「小説のラストを楽しみにしています、リア」


 思わず目を見開いて硬直してしまう。喉が変な音を立てた。

「あ、あの」

 いつから、とか、なんで、とか色々なものが駆け巡っているうちに、彼はスタスタと歩き去ってしまった。


 とりあえず、出版社に原稿を持ち込み、これでいきましょう、完結おめでとうございます。と言われたものの、どこでどう間違ったのか、自分の正体を知られてしまったショックで適当に返事を返していた。

 帰り道はどう帰ったかも覚えていなかった。


 あの男に正体を話されたら困る。困ってしまう。でも——どこの誰だかもわからない。翌日仕事をしながら、ああでもない、こうでもないとぐるぐると思考が巡る。

 今日は付与魔術の調子が悪い。町の西よりにある店先でガラス玉に青白い炎を吹き付けながら考える。


「ちょっとリアナ、ぼーっとしすぎよ。東の店が閉まってこれから書き入れ時なのに」

アリシアの声に一瞬引き戻されたけれども、どうしたらとか、ぶつぶつ小声が漏れてしまう。


「いらっしゃいませ」

アリシアが愛想よく声をかける。お客さんが来たらしい。

「こんにちは」


低く通る声が聞こえる。

「ここは何を扱っているのですか? この街には来たばかりで」

どこかで聞いたような声だ。

「ここは付与魔術のお店です。石やガラスに魔力を込めて、売っています。今パワーストーンと言って贈り物に人気なんですよ」


「パワーストーンという名前はうちのお店がつけたんです」

「外で付与するところを公開しているので、ぜひ見ていってくださいね」


アリシアの少し上ずったような声が気になる。

ゆらめく炎を見つめつつぼうっとしているとこんにちは、と斜め前で人の止まる気配がした。


「きれいですね。見ていてもいいですか?」

どうぞ、と気の無い返事をして顔を上げ、固まった。


 そこには昨日のあの男がいた。

「あなたっ」

 思わず声を上げかけるけれども、人の少ないとはいえない通りでできる話ではない。


「大丈夫ですよ」

彼は困ったように眉を下げて微笑んだ。せっかくの口止めをする機会なのに仕事中とは、恨めしげに店と手もとのガラス玉を交互に見てしまう。


目の前の男は微笑ましそうに笑みを深くしたようだった。

「夕方また来ますよ。仕事が終わったら話しましょう」


 ご迷惑でなければと小声で続けた彼の真意はどこにあるのか、全くわからない、しかし頷くしかない。ではまた、と言い残して彼は去っていった。


「今日の彼、かっこいいお客さんだったわぁ。常連さんになってくれるといいのだけど」

仕事終わり、弾んだようなアリシアの声を背に裏口から店を出る。


さて、どうしたものだろうか。彼はまた来ると言っていたけれども、どこにいたらいいのだろうか。店にいた方がいいのか、でもあまり長居するとアリシアに怪しまれるし、と考えたのは一瞬だった。


「お待たせしました」

現れた彼は、私の隣に並ぶ。

「少し歩きませんか?」

さてどうしたものか。

「この場所にあなたのような人といるのは、いろいろまずいの」


 人は噂好きだ。大通りより人は少ないとはいえ、この美しい男と歩いていると視線が痛すぎる。

 明日からの仕事を守るために離れなくては。


「少しこの場所から、遠くに行きたいのですが」

 彼は体を小さくするリアナを見て頷き、手袋の手を向ける。

「お手をどうぞ」

 少し迷ったが、男に逃げられても困るのでその手を取る。

彼は私を伴ったまま、すいすいと道を行き、ある角を曲がった。


 ん? ここって確か行き止まりでは。

流石に何かおかしいと口を開きかけると、彼は片手で振り仰いだ私の目を塞いだ。


 とたんに、ぐにょんだか、ぐわんだかの衝撃が来る。

「すこし我慢して」

 いつのまにかしっかり手は繋がれていて、申し訳なさそうな声が遠くで聞こえる。

「もう目を開けていいですよ」


 彼は握ったままの私の手を引いてしっかりと立たせてくれる。

辺りを見回すとそこは見知った町の東だった。

「さっきのは転移魔法?」

「まあそんな所です。あまり物騒なところで話すのもよくないし、東の道ならもう少しあなたのことを知る人も少ないのではと思って」


 確かに。中央の通りを越えなくて済んだのは幸いだ。あそこは一番人が多い。この街は町の中央に伸びる賑やかな大通りを挟んで、東側の店と西側の店で営業時間を分けている。東は少し朝早く始まり、西は少し遅く終わる。閉店してしばらく経った東の通りは人もまばらだった。


「お気遣いどうも。それで、その」

私が小説を書いていることを黙っていてほしいと、言いかけて止まる。生まれてこのかた、駆け引きなんてしたことがない。店でもアリシアに接客は任せきりだし、こういう時、どうしたらいいのだろう。

彼にとって有益なことを出さないといけないのよね?


考え込んでしまうと口が思うように開かない。

「僕がリアのことを言いふらすと思っているんですか?」

代わりに口を開いたのは彼だった。

思わずうっと言葉に詰まる。


「だってこのネタは売れるのよ。売らないと考える方がおかしいわ」

巷で売っているちょっとおかしな系統の本の作者が、これまたおかしな魔術師であるというのは立派なゴシップである。


「あなたは、僕があなたのファンであるとは考えなかったのですか?」

「え?」


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