盗作とは何か。著作権を知ってから作品をWebにあげよう。
また、感想欄も見てくださると嬉しいです。創作活動にするに至って様々なケースバイケースがありますので参考にしてくださいね。良き執筆ライフを!
せっかく、感想をくださったのに、返信が遅れて消されてしまいました。ごめんなさい。(´・ω・`)盗作関係については調べたりするから感想返信に非常に時間がかかるんです。
相手にも申し訳ないので、この作品においては感想は以降は返信しません。それでも宜しければ書き込んで下さったら嬉しいです。返せなかった方に申し訳ないので、今後は、その人だけに返さなかったという事実は辛いので返信しません。
一率、かえしません!!それなら、消してしまった方も少しは心が晴れてくれるといいのですが。その人が嫌だから返さなかった訳ではありません。返信するにあたりこちらもそのケースを調べてから返信するのでいつでも、すぐに返信するのは難しいです。ごめんなさい。
最近、活動報告にて、「盗作を訴えて無視された京アニの殺人者の気持ちがわかる。」というのを見かけました。
未だに獄中にいても、人の命を何十人と奪っていようと彼の主張は何一つかわらない。
盗作されたから。
彼はまさしく、訴え続けたのでしょう。
精神が病むほどに、自己の世界にのみこまれてしまうほどに、ボーダーラインが不明確になるほどに。
私が見た活動報告の作者様もまさしく、訴え続けていました。
何ヶ月にもわたる活動報告で盗作をされたという主張と、掲示板にかかれた本人を貶す内容を公表し続けていました。
盗作をしたとされる相手は多岐にわたり、なろうで活動している作家さんから、書籍化デビューした方、シナリオゲーム会社。
ここまでくると、もはや、全ての作家が自分の作品を盗んだ相手であり作者様が誰と戦っているのか読み手もわからず困惑するばかり。
盗作を訴えている作者様の作品は、他者から見たらありふれた内容でした。だが、作者様から見たら唯一の世界観なのでしょう。譲れない世界観であり、独自性をもったものだと大切にした作品だったのでしょう。
きっと、なろう小説になれている人から見たら、ありふれた物語のひとつと残酷に切り捨てたでしょう。
私は盗作を訴える作者様の作品も、盗作したとされる作者様の作品も両方、拝読させていただきました。
けれども、私からしてみれば、何処が盗作にあたいするのかわからず他の読み手も同じで誰も作者の立場にたてず何処が盗作なのか、わからなかった。その事実もまた作者様を孤立させ追い込む要因となったことでしょう。
では、盗作とは何か?
軽い実例から見てみましょう。
時は2006年に遡ります。
銀河鉄道999で有名な漫画家の松本零士さんが自作の「銀河鉄道999」を盗作したとして、
歌手の槙原敬之さんが作詞・作曲し、人気デュオCHEMISTRYが歌っている「約束の場所」の歌詞の一部について、抗議しました。最初は出典元をしっかりと明記して欲しいというものでした。そこから、泥沼裁判に発展していくのですが……。
銀河鉄道999の「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」
盗作をしたとされる歌詞の「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」
皆様はこれを見て盗作だと思いますか?
よくある表現のひとつであると思いますか?
槇原敬之さんは「盗作をしたというなら、盗作したという証拠をだしてほしい」と、訴えました。
そして、槇原敬之さんの所属事務所は謝罪を要求する松本さんに
「そこまで盗作呼ばわりされたら、先生の“銀河鉄道”というタイトル自体、先人が作った言葉ではないのかと言いたくなる」と、発言しました。
銀河鉄道という言葉が宮澤賢治先生の銀河鉄道の夜のパクリではないかということです。
作者が影響を認めリスペクトしており、元ネタを知って欲しいと願うのがオマージュです。
松本零士氏は「銀河鉄道の夜」から影響を受けたことを明言しています。
なので、こちらはオマージュになります。出典元が分かっているのでオマージュとなります。それに、そもそも銀河鉄道は著作権がきれてます。
松本さんの名誉の為に付け加えるなら、宮澤賢治さんの遺族である弟・宮沢清六さんの許可も得ているそうです。
そもそも、盗作は必ずしも著作権法違反ではありません。
著作権には
「自分が独自に創作したならば結果として他人の作品と同じものになっても「複製」にはあたらない」
という文章があります。
ひとつ、その作品を作者は『知っていたのか』『知らないのか』
知らない場合、盗作になりませんよね。知らないのだから。
ふたつ、類似点はいくつ見つかるのか。
知らないとしても、類似点がかさなれば、さすがに『知らない』で、通すことは難しいですよ。
きちんと引用元を載せましょう。
参考文献として明示しましょう。
それだけでも、自分の身を守りやすいです。
みっつ、表現の仕方が一緒か。
しかし表現の違いがあるなら、それは盗作にはなりません。
表現には著作権はあります。
ですが、
アイディア、作風、手法は著作物には当たらず、アイディアがいかに独創的なものであったとしても、著作権の侵害には当たりません。
難しいところなのですが、相手の作品を知っている上での類似点は問題になります。ですので、作家は必ず参考文献参照し、引用元をのせます。
悪役令嬢、ざまあ、俺TUEEEE、最初の作者さんのアイデアは著作権侵害になりません。
でなければ、なろう小説のテンプレートはすべて盗作になってしまいますよね。
槇原敬之さんの場合は銀河鉄道999などしらない。と、言いました。しらないものをどうやって盗作したと証明する事が可能でしょうか。不可能です。
槇原敬之さんは盗作呼ばわりされたことを名誉毀損として、逆に松本さんを訴えました。
なろう作者さんでも、「私の作品を盗作するのは、やめてください。」と、言うのを見たことがありますが、相手は「貴方の作品を拝読した事はありません。ご理解くださいませ。」とありました。
この場合、しらないと主張する作者様にそれ以上、レッドカードをだすことはできません。
本当にしらない場合、それを罪とすることは出来ないからです。
また、著作権でいうなら、アイデアは著作権保護になりません。
どんなに、周りが盗作と騒いでも、盗作と認められることは、滅多にありません。
ベストセラーとなった「永遠の0」のストーリー構成も浅田次郎さんの「壬生義士伝」の盗作と騒がれましたが、仮に影響を受けていてもこの場合はオマージュとなるでしょう。
類似性がどんなにあっても、それはアイデアであり、参考文献や引用元が明確になっていれば、問題ありません。
ディズニーで有名な「ライオンキング」が話題になったとき「ジャングル大帝レオ」に似すぎていると世間で騒がれました。
皆さんしらないですよね。わたしもわかりません。
ですが当の「ジャングル大帝レオ」の関係者は、逆に光栄だと言いました。
著作権を知っているのなら、まことに上手な切返しだなと思います。
私の大好きな小説でも、Amazonレビューを見ると30年くらい前の作品の盗作だと書き込む人がいます。
凄い記憶力を持っているなと、驚くと共に、もちろん著作権にアイデアは含まれないので盗作というのは、正しくありません。
作家というものは、非常に難しい立ち位置にあります。
どんなに秀逸な物語展開を見せても手法は、保護にあたりません。
まあ、その手法も文学を学んだ人達にとっては研究されて当たり前にそのような表現方法もさらりと活用されます。
盗作だと、どんなに騒いでもほぼ認められない現実がまっています。
文学はオマージュがあり、インスパイアがあり、引用元が明示されている限り、ひとりの作家が盗作と騒いでも認められることは稀です。
ちなみに、シンガーソングライターの宇多田ヒカルさんが自身の歌詞をTwitterにのせたとします、これは著作権侵害にあたります。えっ?!と、なりますが、歌詞はJASRACが著作権を守るために管理しているので、宇多田さん本人でも著作権侵害行為になります。
Twitterに歌詞を載せたらJASRACは使用料をとると、はっきり明言しています。
歌詞となると、JASRACがでてくるので、また違った問題になります。また、サイトによっては、あらかじめJASRACにお金を払っているので歌詞を好きにのせても問題のないところもあります。
週刊少年ジャンプで連載されていた銀魂も、よく歌詞をのせていたのでいくらJASRACに金を払ってるんだネタをよくつかってましたね。
JASRACの凄いところは、とれるところからはガンガンとるというところです。JASRACからしたら、自分たちは著作権を守っているにすぎないとなります。
今度はYAMAHAなど音樂教室からも使用料を請求するそうです。
学校は法律により使用料は、イラストの模写だろうが歌詞だろうが使用料は発生しません。YAMAHAなどのサブカルチャー音楽教室は使用料を払いなさい!と、いうことですね。
音楽教室はビジネスモデルだからです。ビジネスで運営している以上、金をJASRACに払うのが筋だろうということです。
JASRAC都市伝説では、ワンフレーズならOKというものがありましたが、ワンフレーズでも使用料を請求したことがあるのでワンフレーズでも使用料を請求されます。
自分は著作権によって守られすぎると、言葉の情緒は低下すると思っています。
また、若者の音楽離れが進んでいるのも、JASRACが歌詞を守りすぎているゆえ、若者が気軽に音楽の話題に触れなくなったと思います。
アーティストの何処がいいのか表現しようとしても著作権に守られて歌詞を賞賛することもできない。結局、何がいいのか、曖昧にしか主張できない。音楽の話題は一般人からは遠ざかりべつの話題を呟く若者たち。
JASRACが無双する前は、個人ブログは歌詞に溢れ、人々は気軽に歌詞に慣れしたしんでアーティストとの距離は近かったように思います。それがいい宣伝にもなってましたね。
守られすぎたものは、すたるのかな。
著作権って難しいですよね。
盗作を推奨するつもりはありませんが、ひとりの作者さんから派生するなろう界隈の遊びは見ていて微笑ましかったです。
だだ、自分の作品を愛する作者さんの気持ちもわかります。自分のアイデアを真似されるのが不愉快になるのは当然です。それは作者さんが大切に育てたものだから。
だからこそ、どのような作者様にたいしても、リスペクトの姿勢をもつことは大切だと強く思います。
また、本当に知らないで内容が被ることはあるでしょう。
当事者が盗作だとしても、私たち第三者から見ても、何処が盗作とされる部分なのかわからないこともあります。
本当に何処を盗作と主張されているのかわからないのです。
もし、自分が盗作されたと主張したい時、まわりの読者さんが何一つ反応していない場合、自分の思い込みがすぎた可能性もあります。自己作品を愛するあまり、周りがすべて敵に見えてしまっている可能性です。
そして、悲しいことにほとんどは法律でいうなら盗作に該当しません。一言一句、貴方の小説がコピペされている場合は盗作になります。貴方の作品は一言一句相手の作品と同じですか?出版社やゲーム会社のシナリオライターに自分の作品の盗作だと訴えたところで相手にされないのは、そんなことはおきないからです。
文学の著作権の地位は驚くほどありません。写真や絵画、歌詞、漫画は著作権侵害として、世間を賑わせることもありますが、小説で著作権侵害となったニュースを見たことがありますか?私はありません。
脚本家が訴えたことはありますが、どれも類似性が認められただけです。
出版社VS出版社の戦いはありました。
『美しい顔』がそうです。こちらは、難しい問題でした。
盗作されたという書籍を作者様が知っていたからです。それを資料として作者様は読みました。
類似点がありましたが、表現の仕方が違いました。(表現は著作権にあたります。でも、違うならあたりません。)
とてもナイーブな、問題である震災をあつかっているだけに、最初から参考文献を載せていればふせげた可能性がありました。
判定は、盗作にはあたらないとされましたが、ギリギリのラインです。せっかく賞の候補にあがったのに、ここまで炎上してしまうと賞をとりさげるしかありません。
せっかくの良作なのに、非常に悲しいことです。
盗作と主張する時間に心を費し、消耗することは、作者にとって孤独な戦いです。その主張は裁判で認められることがほぼないからです。
小説では滅多にないと思いますがパロディは、敗訴します。
特に漫画とか、イラストとかにおおいですね。訴えられたらほぼ敗訴です。
また、掲示板に作者様の悪口を書き込むことは、名誉毀損になります。この場合は掲示板の管理者が対応しない場合、罪にとわれることになります。個人としても掲示板を運営する方のモラルが問われる時代になりました。
気軽に悪口の足跡を残すことは自身のクビをしめることになります。言葉の使い方を間違えると自分にかえってきます。使い所を間違えてなりません。Twitterにしても、掲示板にしても、負の記録を残すことは、自分にとって有益なことでしょうか?
多分、愉快犯でない限り、純粋なる正論を武器にする悪なのでしょう。この場合は、そもそも悪がなにかわからない純粋なる悪の場合です。
低年齢ゆえの無知さからくる発言。
正論だから、許されると思い込み。
劣等感や妄執からくるはけ口の場所。
ネットははけ口ではなく、あなたの負を記録する媒体になりつつあります。だから、何を発言しても許される場所ではなくなっているということです。
自分が残した負の記録を遡って足元をすくう人達がいることも忘れないでくださいね。
貴方の負の記録を暴いて楽しむ人もいるんです。
盗作について、悩んでいる作者様がいたので自分がわかる範囲のことを書かせていただきましたが、主張する作者様を貶す意図はありません。
今一度、盗作とはなにか、それを理解してから作品を発表する場にしても宜しいかと思います。
残酷なようですが、アイデアは著作権保護にあたりません。Webの世界に発表した時点で貴方はアイデアを多くの人に与えたことになります。インスピレーションを与えたことになります。
それが困る場合は公募するしかありません。人に見られて困る作品は不特定多数が見るWebに気軽にだしてはなりません。それは、貴方のためにならないからです。貴方がつねに疑惑と戦うのは辛いと思います。
2000年初期頃までは、Webに発表された作品は公募不可だったそうです。なので作者様は大切な小説はWebにあげませんでした。貴方の作品はWebにさらしても問題ありませんか?
もしも、アイデアが盗まれたとしても、それを許容できますか?出来ないのなら大切に懐にしまって守らなければなりません。誰も貴方の作品を守ってくれないからです。
ここから、駄文です。
暇つぶしにどうぞ。⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎
そもそも、推理小説は既に種明かしのルーティンが世に出尽くしてしまったため、種明かしはどこかの小説元にたどりつくかと思います。盗作騒ぎになったことはありますか?
多分、推理小説作家さんたちは暗黙の了解がお互いに出来ている気がします。互いの知識の共有です。そして、互いが作家生命の延命をしている。推理小説を買う読者もそれを理解している気がします。その上で書籍を購入している。そもそも、推理小説の種明かしがひとつしか著作権として守られないなら、推理小説はとっくに絶命しているでしょうね。
結構30年間40年くらい前の作品を読むと現代とかわらない思考をしていることに驚くかと思います。
もう、この時代で小説が成熟し完結しているんです!!それはSFなんかはもう素晴らしいものしかないです。それを知らないで今のSF最高だと思っている方が昔の作品を読むと、この時代ですでにこのネタがあったのかと度肝を抜かすかと。そして、昔の未来予想図に今の技術が追いついてきたんだなと、むかしのSF作家さん頭良すぎだなと、そもそも頭が良い人しかSF作家になれないですよね。
なろう界隈だけで、盗作とするならば、過去に遡ると既にアイデアはあったことなどザラです。それを知っているかどうかは別問題として、読書に精通している方からみると、昔のあの作品の面影があるなと、懐かしくなる作品がニューフェイスによって生み出されてつい、ほころぶこともあるのではないでしょうか?
個人的に昔の作品でリスペクトするのは
1980年代の作品
時をかける少女
復活の日
なんかは、もう何も言えないです。
復活の日なんて、Amazonプライムでアニメだと勘違いして、視聴したら、うわっ、昭和な映像じゃないか( • ̀ω•́ )
ブラウザバックしようと思ったらレビューがめちゃくちゃ良かったんですよね。そんなに評価される昔の作品なの?と、いやいや、見ていたら感服しました。
調べたらKADOKAWA映画の黄金期なんですね。スケールが日本映画じゃないんです。南極行くわアメリカ行くわ、人間哲学が凄いし、どんどん、人間が死んでいく人類滅亡カウントダウンが既に1980年であるんですね。
人為的に中国からコロナウイルスが出現し、猛威をふるっていますが、1980年この時点で細菌兵器による人類滅亡が構想されているんですよね。細菌兵器の猛威と核戦争の報復措置が各国にあってどこか、ひとつの国が核兵器ボタンをおすと、他国の核兵器報復措置が発動して皆死んじゃうパターンなんですが、細菌兵器と核兵器のコラボで既にもう地獄絵図。良ければ皆さん見てみてください。最初は昭和な映像に戸惑うかと思いますがパンデミックが既に予想されてます。人類の生き残りをかけたあがきが胸をうちます。各国の政治情勢とか、わかります。アメリカVSロシアは有名ですが。核兵器をアメリカがポチると、勝手にロシアさんとか他の国が核兵器報復措置するしくみになっているのはオドロキましたね。もう、世界が終わるしかない。
コロナウイルスが中国からの細菌兵器とされるなら、ウイルスと一緒にワクチンがセットで世にでるはずなんですが、なんでコロナウイルスが人為的に操作された細菌なら、ワクチンを中国が所有していないのか不思議でしたが、不思議なままですね。
ワクチンないなら、世の中にでないはずなんですが。
ワクチンないと自分たちも死んじゃうので、かならず細菌ウイルスが世に出る時はワクチンがセットが基本なんですが。
去年の10月の時点でコロナウイルスの存在を日本は既に知っていたそうなんですが、秘密にされてましたね。
日本政府??
なんで、去年の時点でわかっていたのに、対策してないんだろ?
パンデミック予想できてたのに、なんで対策してないんだろ?
パンデミックおきてから、なんで慌ててるの?
地震対策はしていてコロナウイルス対策は事前に知っていたのに何故していないのだろう?
(´・ω・`)
謎ですね。
꙳★*゜꙳★*゜꙳★*゜
個人的には、宮澤賢治先生が好きなので銀河鉄道の夜は外せません。自分の小説の台詞の後に『 。』がつくのは、宮澤賢治先生を含むリスペクトする作家様を自分がリスペクトしているからです。
なので、台詞のあとに『 。』が不必要なことは知っていますがつけてます!!
あと、井伏鱒二先生の『山椒魚 』も好きですね。なんか、読むと頭が良くなった気がして好きです。考察が好きなので山椒魚が考察好きの性癖にささったんです。
走れメロスより、山椒魚派です。山椒魚とはなんぞや?の人はAmazonレビューを見てください。考察好きの頭がいい人が書いたレビューがズラっと並んでます。レビューを見てるだけで知識欲が満たされるのが
井伏鱒二先生のすごいところ。本を買わなくてもいい。レビューだけでも楽しめるところー。
最近は毒の歴史の本を買いました。
そういや、毒殺は何世紀に渡って当然のようにされてきたのに、毒にたいしての知識が医療現場で浸透してないのって、ある意味で凄いなとおもい、買いました。
やはり、毒の歴史は凄いですね。
毒殺魔の淡々とした実験記録が、感情型の作風の私には新鮮で、あっちのなろうで好きにかかせてもらってます。
負の歴史とされる虐殺とカニバリズムと毒殺と、狂ってる人達の哲学と、民族たちを書いてたら精神をやられました!
ぎゃーー〜!自分の小説に自分のメンタルがやられるなんて!!
なので、盗作されたと、追い込まれる作者様の気持ちもよくわかります。自分の場合は自分の作品に勝手に追い詰められているだけなんですが、極端に視野が狭くなってしまうんですよね。
勝手に自分で自分を被害者にしてしまう。
一種の自己虐待ですよ。
盗作したと訴える方も、書籍化が上手くいかない最後の絶望に飲み込まれてしまったんだと思います。
何故、出版社が自分をリスペクトしないのか本当にわからなかった。同じような作品をかく人は書籍化して、なぜ同じような作品をかく自分は書籍化できないのか。
その悲鳴みたいな活動報告は見ていてなんとも悲しい気持ちになりました。
もう、自分でKindleから、デビューしちゃいなよ!
そんなデビューもありですよ。
と、思うのですが、セルフプロデュースじゃ駄目なのかな?
出版社を通すことに意味があるのかな?
自分はやりたい放題に書いているので、文法からしてアウトです。Kindle化する価値の無いものを書いているので、セルフプロデュースもできないわけなのですが、しっかりと自己プロデュースができている方は書籍化をことわってKindle化して利益は全部自分のモノ!ということをしてますが。
皆様、利益については、どうでもいいのかな?
('ω')?
Kindleするので、マル月に削除しまーす!というのを最近はよく見るので、あらあらー、キンドル化了解でーす。読み放題をポチっとして、作者様のキンドル化したものを読んでます。
やはり、書籍化されるとイラストが楽しみの一部ですが、キンドル化作品は表紙しかイラストがないので、イラストの偉大さを実感しますね。これは、贅沢な悩みですね。セルフプロデュースする作者さん、絵師さんも自分で依頼するからイメージ通りなんでしょうね、素敵な表紙が多いので、白黒画像もみたかった!というワガママがでてしまいますね。
皆様の素敵な執筆ライフを応援してます。
宇多田ヒカルさんを例にだしたのは、Twitterで宇多田ヒカルさんが自分の歌詞をのせたと、誰かのTwitterであがっていたので真偽はともかく「もし学校の授業で私の曲を使いたいっていう先生や生徒がいたら、著作権料なんか気にしないで無料で使って欲しいな」とTwitterでご本人様がつぶやいていたので、あげました。
勿論、そんなことはJASRACは許しません!
※教育機関である学校ならば法律で守られているので好きに学習できます。