泉
昔に交わしたあの約束・・・君は覚えていますか?
一花はいつもの場所に来ていた。
質素な家からしばらく歩くと広い原っぱに出れる。
そこは人間の手がまだ届いていない場所で自然がいきいきと生きていて、周りは歌うような木々がこの場所を守るように囲む。
足元には青々とした草が生い茂りあちらこちらに小さな花が顔を覗かせている。
一花は裸足で草の感触を楽しむのが好きだ。
優しい風が一花の柔らかな髪をなびかせる。
「はあ……」
一花は一息つくと草の上に寝転がる。
頬を草がくすぐる。
空は真っ黒で星がたくさん散りばめられていて一花が手を伸ばしてみてもかすりもしない。
そして目を閉じてみるといつもは気付かない小さな音が聞こえてくる。
森の畔の泉の水が風に揺れる音が耳に心地よく滑りこむ。
誰にも言っていない場所……誰も知らない場所……唯一、心を無にできる場所。
毎日毎日、高校生活で疲れが溜まると一花は決まってここに来た。
それに何か嫌なことがあったり、悩み事があったり、喧嘩したりするとこっそりこの場所に来る。
ここ以外の世界では周りの人たちに合わせて生きていかないといけない……。
面白くもないことに愛想笑いをしたり、興味のないことに関心したように頷く。
他の人たちと同じことをしないと浮いてしまう、それ故に周りに合わせなければいけない。
まるで水のない世界に放り出された魚のように息苦しく自由に泳ぐことができないではないか。
この場所は水がたっぷり入っている水槽で一花もスイスイと自由に泳げるし息苦しくもない。
ここに来るといつも周りで起きている色々な出来事が何とも小さなことに思えて、今、ここに存在できるだけでどんなに素晴らしいことなのかを不思議と思い出させてくれる。
そして、なによりどこか懐かしい気持ちになれるのだ。
「一花はよくここに来るんだね」
一花がもうそろそろ起き上がって帰ろうかと思っているとどこからともなく澄んだ声が聞こえてきた。
一花が目を開けると、もちろんそこには誰もないない。
ただ木々のざわめきが聞こえただけであろうこんな時間にこんな場所に誰かがいるわけない……。
そう思い一花は立ち上がって靴を両手に歩き出した。
「ちょっと待って」
後ろから声が近付いてくる。
一花もさすがに驚くと後ろを振り向いた。
そこには星のように輝く金髪をした綺麗な顔立ちの一花と同じくらいの年齢の少年が一花を見つめて立っていた。
「え……」
「一花」
少年は涼しげな笑顔で言う。
「どうして私の名前……知ってるの?」
一花は両手を後ろで組みながらどこかあどけない表情をしている少年に驚いて目を丸くさせる。
「さあね」
いたずらに微笑みながら少年は言う。
その顔にはどこか悲しげな影がうつったのは気のせいであろうか。
「あなたは?」
一花は自分と同じ裸足の少年の足元を見ながら聞く。
「僕はね、ここを守ってるんだよ。君のこともいつも見てたよ 知らなかったでしょ」
少年は愛らしい笑みを作り見かけのわりに幼い喋り方をする
「ここを守ってるって? もしかして地主さんなの?」
少年はゆっくりと首を横に振る。
「じゃあ、誰なの?名前は何て言うの?」 一花は不思議な少年に尋ねる。
「僕はルオン……この先に泉があるでしょ?そこに住んでるんだ」
ルオンは原っぱの先を指差して言う。
「何言ってるの?泉のまわりには家も小屋もないはずよ」
一花はルオンを怪しいと言わんばかりの目で見る。
そんな一花の様子にルオンはクスッと笑いをもらす。
「まわりにはないよね。僕は中に住んでるんだもん」
少年は意味の分からないことを何の躊躇いもなく口にする。
「あなた、頭大丈夫なの?何かの病気でもあるの?」
一花は本気で心配しているように少年の白すぎる肌を見ながら聞く。
ルオンは大声で笑うと一花の腕をつかんだ。
「な、なに?」
一花は戸惑ったような顔でルオンを見る。
「来て、見たら信じてくれるでしょ?」
「何言ってんの? えっ、ちょっ・・・・」
一花が言い終わらないうちにルオンは一花の手を握り走り出した。
一花はこけないように気をつけながら走る。
「ねえ、あなた……本当に誰なの?何がしたいの?」
一花は息を切らしながらルオンに尋ねる。
「来れば分かるよ……心配しないで」 不安そうな一花の顔を覗き込むとルオンは優しい声で言う。
一花は不覚にもドキッとしてしまった。
「わあ……綺麗だね」
泉は月の光と風で水面がキラキラと輝いている。
一花が泉の畔で素足を水につけてルオンのことも忘れて泉に見入っていると、ルオンがそんな一花を眺めて嬉しそうに笑う。
そして、一花の両腕をとり。
ルオンと一花は面と向かうとルオンは柔らかな月の光に照らされ輝く艶やかな黒髪をした一花を見つめる。
「ねえ、一花。僕のさっき話したこと……信じてくれる?」
一花は自分より少し背の高いルオンを見上げる。
「え……泉の中に住んでるってこと?」
ルオンは黙って頷く。
「あれ、冗談じゃなかったの?」
一花がそう言うとルオンは悲しそうな顔をする。
「じゃあ、見せてあげる」
ルオンはそう言い一花の手を引いて泉に進んでいく。
「えっ、ちょっ……やめっ……」
一花もさすがに焦り手を振りほどこうとするがルオンの手の力はだんだんと強くなっていく。
一花の胸まで水がくるとこまで来たときルオンが泉の水をすくい上げフウッと息を吹きかけた。
すると突然、泉の中心から噴水のように水が吹き出し水の中から古びた扉が現れた。
「さあ、一花 おいで……怖くないから」
ルオンは驚いている一花に優しく手を差し伸べる。
一花は呆気にとられながらもルオンに手を差し出す。
ルオンは一花の手をふんわりと握りながら扉を開ける……2人が入っていくと扉はゆっくりと閉じ2人の姿は泉から見えなくなった。
「……これって夢?」
一花がそう思うのも不思議ではないであろう。
いきなり泉の中から噴水が飛び出し、扉が出てきて開けるとそこは立派な屋敷の中であった
大きな部屋で今までテレビでしか見たことのなかったような豪華な部屋が目の前に広がっていた。
ルオンは一花の手を離すと頭を下げ部屋の方に手を向け。
「ようこそ我が屋敷へ……一花」
一花は頬をほんのりとピンク色に染める。
「ねえ……。ルオン 私、頭おかしくなっちゃうよ。これ何、夢……だよね?」
「残念ながら、これは全部現実だよ」
ルオンは顔を上げると一花の頬をぎゅっとつねる。
「ねえ、痛いでしょ?」
一花はつねられた頬をさすりながら頷く。
「じゃあ、あなたは誰なのか説明して」
一花はソファに腰掛けるとルオンの方を向いた。
「僕は、この泉と森を守っているんだ……人間たちがいう妖精かな」
ルオンが言い終わった後も一花はじっとルオンの顔を見つめていた。
「それじゃあ、どうして私をここへ?」 ルオンは一花の前に座ると壁に掛っている一枚の絵を指差した。
一花はその絵を見ると目を丸くした。
その絵は一人の愛らしい笑顔をしている少女が描かれている。
「これ、私に似てる……」
「似てるんじゃないよ。『君』なんだよ」
「え……この絵、もしかして」
一花は絵に駆け寄ると小さく書かれているサインに目をやる。
「やっぱり、これ・・・おじいちゃんが描いた絵よ」
一花は興奮した様子でルオンを振り返る。
「そうだよ、僕ね小さい時に君のおじいさんに会って、それから彼が絵を描くのを隣でずっと見ていたんだよ。そして何十年もが過ぎ、彼に孫ができた。僕はその子が小さい時によく一緒に遊んでたんだ。それは、とても仲が良くてね……」
黙っていた一花の頭の中には昔よく遊んでいた少年の姿が浮かんでくる。
その少年の髪の色をいつも珍しく思っていて、よく触っていたではないか。
今、目の前にいるルオンによくよく似ているがほんの少し幼いくらいの少年であった。
「ルオンー」
白いワンピースを着た小さな女の子が金色の髪をした少年の元へ駆けていく。
その女の子は少年に抱きつくと少年は優しく笑いその愛らしい女の子の黒髪の上に白い花の冠をのせてやる。
「わあっ ありがとう」
女の子は嬉しそうに大きな笑顔を少年に向ける。
少年はその場に座り込むと女の子も座り、その膝の上に頭をのせるように手を膝の上でぽんぽん叩く。
少年は微笑むと言われる通りにその膝に頭を預ける。
女の子は猫でも撫でるように優しく少年の美しい髪を撫でてやる。
少し離れたとこで筆を持った老人が2人の様子をにこやかに見ていた。
「ルオンと一花は本当に仲が良いのう……」
「ルオン……」
一花は声に出す。
「なあに?一花」
ルオンは一花に近寄ると後ろ髪を優しく撫でてやる。
「どうして忘れてたんだろう、私……思い出した」
一花はそう言うとルオンを見つめなおす。
「本当に?嬉しいよ」
ルオンはそう言うとどこからともなく幼い頃、よく作っていた白い花の冠・・・シロツメ草の冠を一花の頭にのせる。
一花は頭にのせられたものに触れ、それが何かを感じ取るとルオンに勢いよく抱きついた。
「一花は変わっていないね……安心したよ」
ルオンは微笑むと一花をきつく抱きしめる。
「ねえ、でも・・・どうしてあなたはまだ私と同じくらいの年齢なの?」
一花はルオンの腕から抜け出すとルオンの顔をまじまじと見つめ言う。
「さっきも言ったけど僕は人間じゃないんだよ。年齢はとっていても人間のようにすぐには容姿に現れないんだ。ある一定の歳になると体の老化が緩やかになっていくんだよ」
それを聞くと一花は少し悲しそうな顔をした。
「じゃあ、私がおばあちゃんになってもルオンは若いままなのね……」
「一花……ひとつだけ方法があるんだ」
ルオンは今にも泣き出しそうな一花をなだめるように言う。
「なあに?」
「君が望むのなら、君も僕と同じ時間を過ごすことができるんだ」
「えっ、どうやって?」
「君が、僕と誓いを交わすことだよ」
「誓い?」
一花は聞き返す。
「うん、君が僕と時を一生共にするという約束さ」
ルオンは愛おしそうに一花を見つめながら言う
「それって……」
一花の頬は再びほんのりとピンク色に染まる。
「結婚・・・だよ」
ルオンはその桜色をした頬にそっと触れる。
「結婚」
「嫌?だよね。やっぱり一花だって普通の人間と結婚したいよね」
ルオンは悲しそうに微笑むと一花の頬から手を離す。
その手を一花が慌てて掴む。
「どうして?覚えてないの?」
一花は大きな声でルオンに言う。
「え……?」 ルオンは驚いたように一花に握りしめられている手と一花の顔を交互に見る。
「約束なら、とっくの昔にしたよっ」
一花は下を向きながら声を震わせてルオンに訴えかけるように必死に言う。
幼い一花とルオンは泉で水遊びをしていた。
「一花は泉が好きなんだね」
ルオンは夢中で泉の水をできるだけ零さないように両手ですくい上げ空に向かって水をなげている一花を見ながら言った。
空中に投げ出された水は丸く小さな宝石のように舞う。
「うんっ。私、泉が大好き。ルオンは?」
「僕もだよ」
「本当に?じゃあ大きくなったら一緒に泉に住みたいなあ」
一花は屈託のない無邪気な笑顔でルオンに言う。
ルオンは赤くなり顔を一花から背ける。
「分かった……じゃあ一花が大きくなるまでに一花と僕の立派なお屋敷を作っておくよ。ただし……僕とずっと一緒にいてくれると約束してくれたらね」
「えっ。ルオンとずっと一緒にいていいの?やったあ。じゃあ一花はルオンのお嫁さんねっ」
一花はよほど嬉しいのかその場で飛び跳ねると周りの水がパシャッと音をたてて飛ぶ。
「うん。約束だよ」
ルオンはそう言うと小指を差し出した。
一花も笑顔で小指を出す。
「大きくなったら結婚しようね」
2人は笑い合ってそう言った。
「一花……」
ルオンは繋がれている手を引き寄せると抱きしめた。
「ルオン?」
一花の肩に頭をのせて黙ったままでいるルオンに一花は戸惑い始める。
すると、ぽたっと肩に何か冷たいものがこぼれおちた。
「ない……てるの?」
「ごめん……一花が覚えてくれてたのが嬉しくて」
ルオンの瞳からは次々と涙が落ち一花の肩を濡らしていく。
「ルオン」
一花はそう呟くとルオンの頭を撫でてやった。
ルオンは身を離すと少し赤くなった目をこすり真剣な表情になると。
2人は見つめ合いゆっくりと優しい口づけをほどこした。
「ルオンっ」
真っ黒な長く美しい黒髪をなびかせながら愛らしい少女は金髪をした綺麗な顔立ちの少年に向かって駆けていく。
「一花 またそんなに走って……こけてしまうよ」
少年は月の光に星色をした髪を明るく照らされながら優しい微笑みを少女に送り、両手を広げ笑顔いっぱいの少女を受け止めた。
読んでくださってありがとうございます、春日と申します
これは短編小説にと思い書いたのですが、リクエストが御座いましたら長編として書こうと思っておりますので
気に入られた方がいらっしゃいましたらお気軽におっしゃって下さい