⑧昔の外食
すまん、コイツは正真正銘の《誰も食えない》メシなんだが、どうしても書きたくなったんだ。
君はどんなモノを食した事があるか。
必要以上に身分不相応な山海の珍味を食したか。
或いはまだ見ぬ未経験の味に驚愕したか。
人はモノを食い生きる。
ただそれだけの為に生きて何時か死ぬ。
ただそれだけの為に食べるのだ。
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思い起こせば稲村某、小さい頃は大した物も食べた事が無かった。
大トロ? 見た事は無かった。霜降り牛? 空から降ってくるのか? って具合である。
決して貧乏だった訳では無い。ただ、外食に対する決定的な出会いが無かったのだ。親は余り外食を好まなかったし、兄も自分も特に不満は無かった。
ただ、時折外に出て食事をした時は……そうさ。
正直言って、美味い物に出会わなかったのだ。
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人は幼少期に培った味覚で一生の嗜好が定まる、かは知らないが、少なくとも稲村某は極めて普通の家庭で育った。母親が安価な野菜を買えば、時には虫に喰われて泣く泣く捨てる時も有るには有ったが、昭和の時代はそんなものである。クレーマーなど居やしない、平和な時代だったのだ。
そんな普通の家庭であったが、時には外食もした。
珍しく父親が幼い稲村某を連れて、近所のラーメン屋に行く事もあった。
今では信じられないが、店の中に既製品のラーメンスープ一斗缶が積まれていて、誰が見てもそれを伸ばして作っているのだと丸判り、手の内を晒すのを何とも思わないようなざっかけな店でも、当時は当たり前に商売が出来たのだ。
「味噌ラーメン、コーン入りで二つ」
席に着くと父親がさらりと店主に告げ、彼は無言で頷きながら黄色い麺を湯の中に落とす。
麺に練り込まれたかん水が発する独特の匂いに店内が包まれる中、茹で上がるまでの手持ち無沙汰を忘れる為、お冷やをちびちびと飲みながら店内を眺める。
真っ赤なテーブルにはコショウと醤油、ラー油や酢の入った容器が並び、ラジオからは野球中継のアナウンスが静かに流れている。
子供向けでは無い月刊漫画雑誌を手に取るか迷い出す頃、渦巻き模様で縁取られた赤いドンブリが二つ、揃って突き出される。茶色い味噌仕立てのスープに浮かぶ麺はやっぱり黄色く、半切りの茹で卵とナルト、そしてチャーシュー一枚にメンマそして海苔……今思い起こせば醤油ラーメンと具が全く同じなのだ。まあ、無駄が無くて洗練されていると言えば、聞こえはよかろう。
テーブルに置かれた割り箸をパチンと割き、レンゲをお冷やのコップに入れて、父親と目を合わせてから、幼い稲村某は呟いた。
「……いただきます」
さあ、食しようか。
昨今の縮れ麺とは程遠い、真っ直ぐな丸い麺を持ち上げて、しっかりと芯のある濃い目の味噌スープに浸された麺を箸で手繰り、口へと運ぶ。
今だから言える事だが、きっとグルタミン酸をしこたま入れた化学調味料由来のしつこい味だったのだろうが、そんな事は関係無い。
隣の席に座ったおっさんの灰皿から立ち昇るタバコの煙をも引き裂くような、強いニンニクの匂いと共に口一杯に広がる味噌の香り。そして歯応えの強い麺を噛み締める度に、小麦の風味が自己主張しながら喉を抜けて鼻腔へと広がっていく。
バターの柔らかな脂の風味、そしてコーンの甘味がしゃきしゃきと噛む度に感じられ、幼い稲村某は夢中になってスープと麺を交互に啜り込む。
だが、繰り返される至福の時はやがて終わり、ドンブリの底に店名が書かれているのだと気付いた時には、父親は会計を済ませていた。
熱い物を平らげて、額に汗を浮かべながら店を出る。涼やかな風が身体を撫で、くるりと舞って消えていく。
店から自宅までたった二駅の距離だが、律儀な父親は駅の券売機に近付いて、小人と大人の切符を二枚買った。切符を手渡された幼い稲村某は、ちちちん、ちちちんと軽やかに切符ハサミを鳴らす駅員に恭しく差し出すと、音の切れ目が訪れると同時に切符の端が三角に切り取られ、駅員が独特のダミ声で次の到着時間を知らせながら突き出してくる自分の切符を受け取り、軽くお辞儀をしてからプラットホームへと歩き出した。
そう、こんな店は何処を探しても見つからないだろう。幼い頃に歩いた、あの駅前の商店街は区画整理で塗り替えられ、馴染みの無い無個性な街へと変わっている筈だ。
だが、稲村某は懐古主義者では無い。変わるべきモノはすべからく変わって当然なのだ。
けれど、あの店の主人、そして今の自分よりも若かった父親に、稲村某は言いたい。
「普通の味だったけれど、俺は一生忘れないし、こうして小説として扱える事を感謝している」と。
人は食う為に生き、やがて死ぬ。それまでにどれだけ旨い飯を食えるのか、俺は判らない。だが、こうして思い出に残る味があるだけ、幸せなのだろう。
軽い飯テロになったでしょうかね? ではまた次回!!