⑦本マグロの脊柱椎間板(軟骨)
旨いかどうかは、判りませんよ?
仕事柄、余りお目にかかれない物体に遭遇する。
本マグロといえば、つい先日もどこぞの会社が一番競りで落札した物が、二億近い値段で取り引きされていた。
……そんなものはどうでも良い。
誰も食わないモノを、食おうじゃないか。
と、言う訳で、その昔、稲村某は本マグロ解体に関わった。
派手に鳴らされる鐘に合わせて、六十キロの巨体がまな板を占拠する。
誰もが知る、本マグロである。こう見えてサバやアジの仲間である。アジ特有の【ゼイゴ】と呼ばれる鱗の名残が尻尾の付け根に有る事は意外と知られていない、シャイで内気な奴だ。
彼(もしかしたら彼女かも知れないが)の身体に牛刀が入り、頭を外され背骨に沿って四分割にされていく。ぎちぎちと刃が中骨を分かちながら滑り、鮮やかな朱色に染まる切断面を露呈するのだが……
「……あー、赤身強ぇえな。こりゃ脂無ぇや」
包丁を入れていた店長は、やや落胆しながら解体を続ける。マグロは当たり外れが有る。脂の乗りは尻尾の付け根を切断しておおよその当たりを付けるのだが、これがなかなか難しい。解体して初めて判る物も、多々ある。
しかし、卸してしまえば売るしか無い。微量な脂を含んだトロの部分を大切にしながら、その日の商売は始まった。
……次の日、中骨があら汁の具材として残された。見るからに巨大。その太さは子供の足首より太く、一節一節はしっかりとして切り分けるのにも難儀したのだが、
ふと見ると、関節の間にレンズ状の軟骨が露出している。所謂【椎間板】と言う物だろう。半透明のそれは、手に取るとふよふよと柔らかく、水分を十分に含んだ柔軟性に富んだ物だった。
柔らかく、しっとりとしたそれが、稲村某に語り掛けて来る。
食 べ て み た ら ?
よし、判った。そこまで言うならば、食してみよう。
手に取った椎間板を口に含み、噛み締めてみる。
さくっ、とした歯応えと共に、じわりと滲み出る味で最初に感じたのは、意外にも塩味だった。
不思議なものである。椎間板には塩味がつくような物は近付けていないにも関わらず、塩味がするのだ。舌触りはざらりとし、妙な粒々が舌に絡む。果たしてそれが切り分けた際に混入した細かく砕けた骨の欠片なのか、それとも又違う物質なのかは判らない。だが、確かに粒が混じっている食感なのである。
暫く口の中で咀嚼していたが、それ以上の味は感じられない。マグロの風味も皆無であるし、滋養強壮の効果も現れない。もしかしたら泳ぐのが速くなっているのかもしれないが、生憎と仕事中である。泳いで確かめる事は出来ない。
本マグロの椎間板、完食である。しかし、誰も知らない。稲村某だけの秘密である。
古今東西、マグロは様々な調理法で日本人の舌を楽しませてきた。頭を焼いた兜焼きや目玉を蒸し焼きにしたグロテスクな物、そして刺身やステーキ等、実に多彩な料理で人々の食欲を満たしてきたのだが、椎間板を食ったと言う文献は存在しない。きっと誰も見向きもしなかったのだろう。
しかし、日本人を始めたとした海洋民族は、多種多様な生物を食材として胃の腑に納めて来たのだ。困窮する食糧事情を解消する為、又は純粋な好奇心により、有毒性の生物以外は食べられてきたのだ。
魚類図鑑には【食べられるが美味しくない】といった表記が随所に在る。なかなか素晴らしい事である。人は馴染んだ食材に類する物は、すべからく口に含み、味わい評価するのだ。
そこで、稲村某もここに宣言する。
【本マグロの椎間板は食べられる。しかし、美味ではない】、と。
まー、買ってみたら試してみるのも一興であろう。せいぜい十何万円で買える代物なのだから。
次回もお楽しみに!