表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

⑤パン粥と自らの肉片

閲覧注意!!苦手な方はスルーしてください!



 君はどんなモノを食した事があるか。


 必要以上に身分不相応な山海の珍味を食したか。


 或いはまだ見ぬ未経験の味に驚愕したか。



 人はモノを食い生きる。


 ただそれだけの為に生きて何時か死ぬ。


 ただそれだけの為に食べるのだ。



✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳




 その昔、稲村某は親知らずを抜いたのだが、施された抜歯は正に【手術】そのモノだった。


 歯茎(はぐき)に四本も麻酔を打ち、手術用のノミとノコギリで奥歯に刻み目を入れ、最後はごきごきと骨に食い込んだ歯を砕きながら取り除いたのだ。特に下顎の歯は真横に向かって生えていたので、その抜歯は一時間を超えた。



 さて、それからがまた大変で、傷口を縫った後、丸一日は麻酔が解けても物は噛めない。医者からは「お粥程度なら飲み込めるだろうが、噛む食事は暫く控えて欲しい」と言われていた。お陰で朝から歯医者に居た稲村某は夕方まで何も食べられなかったのだが、生涯初の【パン粥】なる珍しいモノを食する機会に恵まれたのだ。




 当時、実家で暮らしていたヤング稲村某は、傷口を縫ったばかりでろくに口も利けない中、何とか母親に事情を説明し、とにかく柔らかくて顎に負担を与えない食物は無いかと相談したのだが、返ってきた答えは耳馴染みの無い料理だった。


 【パン粥】


 正直言って、それまで稲村某は母親がそのような物を作る事が無かった為、名称を聞いても思い浮かぶモノは一切無い。くどいようだが一度も見た事すら無かった。



 そんなヤング稲村某の心情はさておき、母親が取り出した材料のパンは、在り来たりな普通の食パンである。それを牛乳でとことん煮込むだけ。仕上げにほんの少しの塩とコンソメで、さっと味を整えて出来上がりである。


 見た目はやや茶色がかったどろどろの液体だが、基本的に素材の味わいを生かした料理である。それ以上でもそれ以下でも無い。勿論材料がパンと牛乳だけだから、当然と言えば当然である。



 食してみる。



 ぴゅーっ、と口の端からパン粥が飛び出す。そりゃそうだ、まだ麻酔は抜け切っていないのだ。食い方変えねばまたプチマーライオンだ。



 ……改めて、食してみる。



 口の端に手を当て漏らさぬよう気を遣い、ゆっくりと舌と上顎で押し潰す。


 じわ、じわわ、とパンに滲みた牛乳は、食パンに含まれるバターの豊かなコクと仕上げに入れられた塩のシンプルな味を伴い、更にコンソメの香味を忍ばせつつ、心地良い豊かな味わいを与えてくれる。


 朝から一切食事をしていなかった胃袋に、パン粥がそっと優しく降りていくのが、まるで手に取るように判るのだ。


 一口啜る度に、麗しのパン粥が胃の腑のヒダをなぞらえゆっくりと広がり、やがて静かに霧散していく。




 ああ、これは美味い。空腹は最大の味付け、つまり最良のソースなのだと言ったのは、アリストテレスかキケロだったか。誰が(のこ)した言葉かは忘れたが、歴史に名を残す偉人が言った事には、時代も世界も関係ないのだ。



 そうして一口一口を大切に食べながら、しかし瞬く間に無くなってしまった。正直言って、旨かった……だが、これは今回の主役では無い。





 一先ず、久々にまともなモノを食って腹が満たされた稲村某だったが、食事中、ずーっと気になって気になって仕方が無い事があった。


 親知らずの手術は終わったが傷口を縫った際、()()()()()()()()()()()()()()()()()していたのだ。それが食事中、ずーっと歯に当たり、千切れそうになりながら張り付いて不快だったのである。


 手で触ってみると、カサブタとは違い、純粋に肉そのもの。大きさは3ミリ程度なのだが、小さくとも我が身を構成していた物体には違い無いのだが、邪魔でしかない。




 結局、手で掴んで引き千切る事にした。



 ……ぷち。


 あら、簡単。稲穂から米粒をぐ程度の力で取れた、我が身から分離した物体を観察してみる。


 指先で摘むと、ぐに、と弾力は有る。見た目は肌色よりも半透明に近く、手荒に千切った直後なので未だ血まみれの肉片である。




 まぁ、話のタネになるか、と思い付き、



 食してみる。



 ぐち、と噛み締めると、何の抵抗も無く潰れるのだが、味らしい味は無い。いや、口中は今しがたの荒っぽい切除の結果、血塗れで血の味しか感じられないのだ。


 ……血の味を抜いたとしても、皮膚と同じ噛み心地である。手の皮でも何でも良い、それと同じ感触だ。だが、味は……強いて言えば、口の中を噛んでしまった際の、あの鉄っぽい味と同じ。それはそうだ、さっき迄其処に付いていたご近所さんなのだから。


 口の中を噛み千切って痛い思いをした経験のある諸兄なら、きっと判るあの味だ。それが、自らの味である。所詮筋肉とは違い、口の中の粘膜に覆われた部位なぞ美味い筈も無いのだ。


 好奇心で食したが、たかだか3ミリの肉片である。残念ながら超能力を得るようなイベントも起きる筈もなく、呆気なく幕は閉ざされた。





 因みにこの話はずーっと昔の話なのだが、看護士さんが若い女性ばかりだったので、稲村某はウッキウキで通っていた、とだけ告白しておこう。今の嫁と出会う、ずーっと前の事なのだが。


 無論、ロマンスは一切なかった。



次回はちゃんと食べ物系ですよ? ご安心くださいませ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
[一言] 大分前になりますが、私、ハンバーグを作る為に玉ねぎを(ぼーっとしながら)微塵切りにしていて、自分の指の皮膚を結構厚めに削ぎ切りにしてしまいました。 切り落とした皮膚は、色も形も微塵にした玉ね…
[一言] そろそろ親知らず抜くのだが、それも横向きの…… 怖い……
[一言] セルフカニバリズムとは、なかなかですねw 私も半年ほど前に生まれて初めて親知らずを抜いたのですが、既に生えきっていたので、手術は思いのほか一瞬で終わりましたw 先生の腕がよかったからかもしれ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ