②ヒラメの骨酒
高いから食えない、では無くて、発想したモン勝ち。
君はどんなモノを食した事があるか。
必要以上に身分不相応な山海の珍味を食したか。
或いはまだ見ぬ未経験の味に驚愕したか。
人はモノを食い生きる。
ただそれだけの為に生きて何時か死ぬ。
ただそれだけの為に食べるのだ。
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ヒラメである。
超高級魚ではない。但し一人で買って捌いて食べる魚ではない。
宴会等で一匹を丸ごと卸して大皿に盛り付けた物を見た事はあるかもしれないが、半透明の透き通るような白身である。
……味は平凡な白身なので、透き通るような味である。
骨酒。
魚類を丸のまま、或いは中骨を焼き枯らして水分を飛ばし、熱くした日本酒へと入れた物なのだが、大抵は川魚等で作るのが一般的である。稲村某は青森県の青荷温泉(ランプの宿)で、イワナの骨酒廻し飲みってのをやった事がある。これは500円払えば廻されてくる骨酒(かなり大きめの土鍋入り)を飲み放題……隣のオヤジとかのが来るのが嫌じゃなければ、飲み放題。グループ旅行のOLが隣だったらラッキーだな。今もやってるのか?
稲村某、こう見えても調理師である。免許なんて食中毒が出た際の責任者として保健所から怒られる為に存在しているようなモノだが、それでも国家資格なのだ。
それはさておき、諸兄よりも魚に触れる機会は多い。だからこそ、なかなか出会えない食材等に巡り会う事も有る。
ヒラメは一般的に高級魚である。買えば一匹数千円。大きくて立派な物なら更に高い。但し、味は高級かと問われれば……果たしてどうなのか。
例えば、有名なのはアラ。よく九州場所に訪れた力士に地元有志が振る舞う定番食材として有名だが、これは確かに高い。一匹何万円以上するが、致し方無いのだ。
アラはキロ数千円。そこまでは普通なのだが……アラは【頭が大きい】魚なのだ。つまり、刺身や鍋の具として一般的に食される箇所は半分。身アラも使える鍋ならば問題無いのだが、刺身となると……使えて半分。高級魚は得てしてそんな物だから、仕方無いのだろう。
さて、今回はヒラメである。
遡る事、今から数年前。職場にてヒラメを捌いた稲村某。
身は売り捌くとして、中骨その他はアラ汁の具にでもするしかなかったのだが、当時の職場は【ヒレと身の少ない骨は使わない】ルールであった。つまり、ペラペラなヒラメの中骨なぞ、捨てるしか無い。
……ペラペラで、ヒレが沢山……
……これ、ヒレ酒でも骨酒でもイケるんではないか?
思いついた瞬間、紙にくるんでラップで包み、【稲村某家行き】と書いて冷蔵庫に放り込んだ。業務上横領? そうかもしれない。
深夜帰宅した稲村某。我が家のコンロ(魚焼きグリル付き)を温めて、早速ヒラメの骨を白焼きにしてみる。
ぼわり、と青い焔がグリルを支配し、次第に天板を真っ赤に染めていく。そして十分に加熱された頃合いを見計らい、レンジで数分温めた中骨を油を塗った焼き網の上に載せ、じっくりと焼き干していく。
じ、じじじ。軽やかな脂の滲む音、そして、焼けた骨が奏でる香ばしい薫りがキッチンに漂う。
仕上がった中骨をグリルから取り出して、土鍋に張った安い日本酒を軽く沸かし、そこにヒラメの中骨を入れる。
ぶわぁ、と黄金色のエキスが滲み出て、あっと言う間に骨酒となった。
やや黄色みがかった骨と焦げた肉の茶色、そしてパリパリに焼けたヒレの黒のコントラストが、只者では無い風格を滲ませる。いや、そもそも只者処では無い。元手は捨てるしかない骨だからタダだが、買って作れば軽く一万円近くする素材である。
お玉で掬い、湯飲みに注ぐ。
ふわり、と香る焼き魚特有の薫りが胃の腑を揺らし、脳に早よ早よと促すのだ。腕を動かし口に運べ、と。
堪らず、ぐび、と口に含むと強烈な旨味。フグのヒレ酒なぞ比べ物にならない程の濃厚な旨味、そして脂が適度に落ちた白身の焼き魚を口に含んだような滋味を纏いながら、舌の上を跳ね回る。
暫し味わいを堪能し、嚥下すると鼻腔を突き抜ける風味は生臭さなど微塵も無く、自らの見立てが間違いでは無い事を改めて感じたのだ。
ヒラメの旨い食し方は、骨酒に限る……と。
結果。後始末のゴミがかなり凄い量になります。