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食べる権利

作者: かいせい

1、自己嫌悪

 

 「この飯、俺が食う権利あるんやろうか……」


 夕食を食べる前にいつもそう思ってしまう。

飯田家の夕食は、他の一般的な家族と比べるとおそらく豪華である。

母が専業主婦というのもあって、夕食は、母の手料理が多く、品数も多い。

何より、料理一つ一つに母の愛がこめられていると感じる。

母は、とても料理が上手いというわけではないが、母の料理を食べると落ち着き、なんだか安心することができる。さらに、夕食のとき、俺の食べ終わるのが早いと

「お母さんの分残ってるから食べるか?」と聞いてくる。

優しい…… いつも俺がそんな母に対して抱く感情である。

 

 しかし、大学生になった頃から、夕食の贅沢さや母の優しさを素直に受け入れることができなくなった。

今日の夕食も、父が働いて稼いだお金で、母が食材を買い、料理を作り、飯田家の食卓に並ぶ。

そして、最後にその料理を俺が食べる。

父と母に感謝しなければならないが、感謝というより、俺の心には、

俺なんかのためにこんな夕食は申し訳ないという後ろめたさが残る。


 俺は、現在、堕落した生活を送っている。

きちんと大学に行っているのは行っているが、サークルも入らず、勉強もそれなり、友達もほとんどいないし、バイトもすぐにやめてしまった。

そして、授業はなんとなく受け、休みの日はベットで一日中スマホをいじるという怠惰な暮らしをしている。

このままいくと、大学を卒業した後はどうなるのか、そんな思いが湧いてくる。

しかし、俺は、自分で何をしたいのか、自分に何が向いているのか、よく分からない。

何もせずにこのままで大丈夫なのかという不安を感じるが、何か行動を起こす勇気もない。

俺は、そんな自分が嫌いになり、こんな自分のために、一生懸命働く父と

毎日、手の込んだ夕食を作る母のことを思うと申し訳なくなる。


 さらに、夕食を食べるとき、世の中には、お腹いっぱいにご飯を食べれない人がいるということを考えるとこんな夕食を食べることができる俺は幸せなんだと思うが、自分の心の底から俺は幸せだとは思えない。

幸せとは、出来事に関係なく、幸せだと思える心を持っていないとどんな出来事でも幸せとは感じることができないらしい。


俺の心の中は、不安と絶望と焦りでいっぱいで、幸せを感じる心の余裕がない。


2、幸せを感じる心 


 昔は幸せを感じる心を持っていた……


 よく小学校の給食を思い出す。

小学校一年生の頃の先生は厳しく、給食のお残しを禁止していた。

俺は野菜が大嫌いだったので野菜を食べるのに苦戦した。

そして、野菜を食べる方法として、出てきた野菜をすべて汁物に入れて食べるという意味不明な食べ方を編み出した。

周りの子は「何してるの?絶対美味しくないやん」

と言ったが俺は、「野菜の触感が無くなって食べやすい」と言い返していた。

そこから、小学校の6年間、苦手な野菜はすべて汁物に入れて食べた。


 ある日、キムチが出たときに、キムチも味噌汁に入れると、味噌汁が真っ赤になり、すごい見た目の味噌汁になってしまった。

さすがにそれは、周りから「気持ち悪い」と言われた。

今考えると恥ずかしい。

だが、当時の俺は、そんなキムチ入りの真っ赤な味噌汁でさえ食べていて幸せだった。

お腹いっぱい食べること、それを幸せだと感じる心をまだ持っていた。

母の優しさを素直に受け取り、喜ぶことができる純粋さもあった。


しかし、将来に対する不安や焦り、劣等感、世間体を気にするプライドなど

小学校のときには考えもしなかった感情が今の俺には存在している。


3、大学生

 

 現在、大学二回生である俺は、友達が少ないため、大学で一緒に昼食を食べる人がいない。

そのため、大学一回生の頃は、昼食を取らずに、昼の時間もずっと図書館で勉強していた。

ぼっちやと思われてしまうのが怖いし、そう思われるのが嫌というプライドがあった。

昼食を取っていなくても、運動もしていないうえに、元から小食というのもあり、特にお腹は空かなかった。

大学二回生になり、大学で一人で昼食を取っても、大丈夫な場所を見つけてそこで昼食を取った。

一人ぼっちでご飯を食べる。

悲しいように思われるが、俺は、人とのコミュニケーションが苦手だから、

他の人と一緒に食べるより、一人で食べるほうが良い。

この俺のネガティブな感情は、食事だけでなく、人付き合い、趣味、生き方など様々なことに影響を及ぼす。


 大人になるとできることが増えるとなどと言われるが、俺は、大学生になって、小学生のときはできていた「人とのコミュニケーション」が苦手になった。


どうやら、大人になるとできなくなることもあるらしい……


4、生きる……


 「この飯を食べる権利が俺にあるのか……」

この考えも俺のネガティブな感情から出てきたものだ。

そして、そんなことを考え出すと、さらにネガティブな感情が出てくる。

俺に生きる価値があるのか……

分からない。

俺にこの先ちゃんとした未来が待っているのか……

分からない。

俺は将来の姿は真っ当な人間になっているのか……

分からない。

考えても意味がないし、この夕食を食べる権利がどうかなんて普通の人はきっと考えない。

どうでもいいことだ。

しかし、俺はそんなどうでもいいことを考えてしまう。

心の中が不安に支配されて自分ではコントロールできなくなる。

――今を一生懸命に生きろ

分かっている。

――諦めるな 

分かっている。

――余計なことに悩むより行動しろ 

分かっている。

そんなこと知っている。

分かっていてもできない。俺には、できない。


 しかし、俺は、今を一生懸命に生きれなかったとしても、何か物事を途中で諦めたとしても、不安でなかなか行動に移せなかったとしても、


――今日も、母の作った夕食を食べている。


自分の未来が分からないまま、正体不明の不安を抱えて、自分を嫌いになり、もう死にたいと思っても、俺は、愛のこもった母の夕食を食べている。


「おいしい」と子どもの頃のような純粋な笑顔では言えなくなり、不安が募り、絶望を感じても、

今日も夕食を食べよう。


明日も夕食を食べよう。


絶対に食べる。


これからもずっとずっと夕食を食べ続ける。


夕食を食べる権利が無くても食べてやる。


いつか、母の手作りの夕食でなくなっても、俺は夕食を食べ続ける。


必ず食べ続ける。


自分にそう言い聞かせた。


今日の夕食は、

鮭の塩焼き、卵焼き、豚汁、焼き鳥、サラダ、ブロッコリー、ご飯……



食べる権利なんて関係ない。




いただきます……










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