大焦熱
帝国歴391年10の月9日
イリア遠征軍本隊はリューベックラインの建設の為、イリア橋と名付けられた橋を渡って行った。帝国要塞とロンダ砦がこの地の防衛拠点となった。ロンダ砦には爆薬が持ち込まれ、いざという時は瞬時に橋ごと爆破・破壊する手はずになっているようだ。が、それを望む者はいない。
ロンダ砦は、建設当初はどちらかと言うと堅牢と言うだけの施設であったが魔獣到来に備えて現状では中規模の要塞として拡充が行われている。建設途中、カトー卿の依頼によりほぼすべての魔法使いがヴォメロの塔に派遣されたが、魔獣発見の3日前には工事の遅れを取り戻していた。その大きさは、帝都ヴェーダの第三城壁と同じ、高さ21メートル幅5メートルとされた。また、リニミ防衛戦以来、帝国の防衛施設として欠かせなくなった堡塁3カ所が建設されていた。
「お前さんは弓兵じゃないのかね?」
「分かるんだな」
「そりゃそうよ」
「まず、左胸が大きいからね。筋肉が左右対称じゃないし、指先の形がね。左右の手の長さも違うしな」
「そう言われれば随分と長くロングボウを扱ってきたからな。親父が猟師だったから、子供の時から弓を使っていたからな。俺の分隊では、10年というのも珍しくないよ」
新たな兵器が開発されても、戦場での実戦使用を経なければ、兵器としての信頼性と完成度は不十分だ。実際に、使えるようになるのにも時間がかかる。兵達も帝国における火器の力を見てなるほどと思っているが、自分の命を託すにはまだ時間がかかるかも知れない。しかし、イリア王国にも新しい波が確実に押し寄せてきている。弓は、ほどなく小銃に変わって行くだろう。
大型や中型と言われる魔獣の場合、弓の強さ、鏃の硬さと鋭さ、射手の連射能力も関係する。魔獣の防御力も中々の物である。よって30から40メートルでは直射でねらう。当たり所が悪くなければ、魔獣を射抜きダメージをあたえる事が出来た。
中型や小型では、狙えるのは直射で50から60メートルまで、まぐれでも当たれば傷つけられるのは80メートルまでであった。曲射の場合は、威力が無くなり当たり所が良くないと80メートルの距離では、中型魔獣には効果が無いと思われている。
比べてみると、弓で魔獣を射抜くのは鉄砲に比べると確実性が低い。射手の技量や矢の角度によって、射程内でも貫通しない場合もある。魔獣が突撃して来るまで、約100メートル移動するのに7から8秒である。有効距離の間に、2矢は放ちたい。その間に必ず仕留めないとやられてしまう。仲間と協力しなければ、連続して命中させるのは難しい。
連射は、訓練すれば1分間に、10射出来る。弓は使用する環境や、操作する兵士の練度によって得られる成果に違いが生まれる。その為、長い訓練期間、すなわち維持費がかかる兵科でもある。
迫る魔獣にしっかり狙う、これはかなりの緊張を生む。射手が動揺すると、威力の落ちる弓は不利となる。一方、銃は、適切な手順で発射すれば弓より安定している。小型の魔獣なら1発で倒す事も出来る。現在、ケドニア要塞の銃は、集団運用されるボトルアクションの単発銃と試験運用中のごくわずかな後装填式歩兵銃の併用である。
魔法使いの中級火魔法より劣るが、銃は訓練すれば一般の兵でも扱える。弓兵の様に長期の訓練は不要で、数が揃えられれば、魔法使いの攻撃と遜色ない。ただ、今の所、装填時間がかかるので、この弱点を補う為に弓や槍等の武器と組み合わせる事は必然であった。だがこれは、後装填式連発歩兵銃に改良する事によって装填時間が短くなっていく。事実、三十八式小銃の配備も始まっているので、一時的なものであると思われた。
今、武器輸送隊の火器は届いてないが、火器の進歩には目をみはるものが有る。大砲などはその典型で、王国の戦法であるテルシオ方陣にも都合が良いだろう。やがて、武器輸送隊が持ち込んだ、この武器援助をきっかけに王国の戦術は色々と変更されていくだろう。その中の一つ、動く要塞と言われた方陣に、魔法使いの火魔法だけでなく、ボルトアクション式単発小銃は3個連隊分、3600丁、1個砲兵中隊分のカノン砲6門、曲射砲2門の火器を加えた戦術の考察であった。
だが、大砲の運用はやはり専門の技量を持った砲兵の育成から始めなければならない。一朝一夕に出来る物では無く、訓練も出来ない為かなり難易度が高い。幸い今回の遠征軍は魔法使いも多く火魔法の方が信頼がおける。よって小銃以外はイリアの考える方陣には馴染まず継続して研究される事となった。
※ ※ ※ ※ ※
前哨観測基地ヴォメロの塔、指揮官アロイス大尉の話
広大な平野部に一つポツンと置かれたような岩山は、絶海の孤島とも思えるヴォメロの塔である。この有名な観光施設は、魔獣が侵攻して来て役割が変わった。塔の頂上まで150メートル。そそり立つ岩山の中心部には、今では魔石で動く垂直のシャフトがある。塔の入り口が有る平野部から、シャフトまでを繋ぐ通路が水平に掘られ階段室まで続いている。この岩山の基部では、さらに深く水源まで掘られた井戸と貯水槽も有る。
守備兵は、かつて自分達が登った500段の螺旋階段を横目で見て、笑いながら上りと書かれたボタンを押す。この間までの、自分たちの姿でも思い出しているのだろう。昇降装置が、素晴らしい展望の頂上まで僅か3分で運んでくれる。暫く前までは展望と水族館を楽しむ施設だったヴォメロの塔は、今では帝国要塞前哨観測基地となっていた。
「イヤー、ここもすっかり変わりましたね」
「写真屋さん、その言い様だとここに来た事が有るのかい?」
「エエ、まだ写真屋の修行に帝都に行く前なんですが。ハッハッハ、時間が止まったような地下の売店に居たんですよ。懐かしいなー」
「そうなのか。ヘー、じゃ今は写真撮影班と言う最新の職業になったんだな」
「そうです、軍の記録係ですよ。私の様な年じゃ、軍務に就くのは難しかったんでね。何か、お役に立ちたいと思っていたんで」
「イヤ。中々、見上げた心意気ですね」
「お恥ずかしい、でも魔獣が来るのは、確実だそうじゃないですか? 皆さんも大変でしょう。今度、1枚撮りましょう」
「250人いますよ」
「いいですよ。分隊ごとに撮りましょう。是非させてくださいな。なに写真乾板は、ありますから。楽しみにして下さい」
「済みませんなー。皆、写真なんて初めてです。喜びますよ。何か、思い出が残ると、自分達がいたと思えるので。ここに居るのは、全員志願者です。おそらく、命令が実行されれば、幾人も残らないでしょうし」
「……」
「そうですな。話が、湿っぽくなりましたな。精々、色男に写してやって下さい」
「アハハ、それなりになら撮れますよ。マ、私も、撮るのが楽しいんですよ。それに、この搭からなら、気球に乗らなくても良いんです。結構、凄い風景が撮れると思うんですよ」
「気球は、まだ軍用ですからな。難しいでしょう」
「いつかは、乗って写真を撮りたいものです」
「なんなら、話に聞くドラゴンなら、どうですか?」
「それも良いですなー。しかし夢の様な話ですな。機会が有れば是非そうしましょう」
ケドニア帝国要塞防衛軍は、要塞の南25キロ地点にあるヴォメロの塔を、予定より少し遅れたが前哨観測基地に作り変えた。帝国要塞に侵攻してくる魔獣を、観察し偵察する為である。自分は、250名からなる1個中隊を率いている。搭に移動して暫くすると、イリア王国遠征軍の魔法使いである、2人の若い男女がやって来た。
少年の様なカトー卿と、当時は中尉だったエミリー少佐の指揮下に入り、驚くほどの魔法を見る事が出来た。彼らは、自分達が諦めて作業を変更した岩盤? をカトー男爵が簡単に打ち破ってしまった。巨大な穴を掘って、エミリー少佐が持っていたアーティファクトを、操作して何やら確認すると、輜重隊がやって来て見たからに不思議な機器を大事そうに要塞に持ち帰って行った。
直ぐ箝口令が出されだが、1ト月もしない内に解除され制限も無くなった。後から知らされたのだが、不思議な機器は転送設備だったそうだ。箝口令が出されたのも無理はない。巨大な穴の跡は埋め戻され、塔には興味が引かれないよう、廻りは以前と同じ様にして、入口からは侵入防止用に大量の罠を仕掛けた。防御設備と方法は、可能な限り工夫したつもりだ。
自分たちの目的は、観察や偵察だけでは無い。不可能とも思われる目的が有る。それは魔獣の群れが要塞に向かい、大型魔獣や重魔獣が通過した後にある。後方に位置するだろうと思われる指揮する者、魔獣を操ると噂されている者を観察し、可能なら位置を捕捉し排除する事に有る。
全員志願者ではあるが、指揮する者を襲えば生還の見込みは極めて低いと思っている。今、自分たちのいる、このヴォメロの塔は前哨基地となり、その役目を果たそうとしている。
そのつもりで任務に当たっていたが、イリア王国の魔法使いが1500名、護衛も入れると3000人が来て、直径が30キロは有るような穴を掘って行った。窪地なのか、よく分から無い皿形の穴の真ん中に、ヴォメロの塔がある事になった。何だったんだろうと思っていると、カトー卿が大きな罠なんですと説明してくれた。
※ ※ ※ ※ ※
ステファノ陥落して20日、魔獣の先遣隊と思われる集団が姿を現した。発見したオリヴエ・アメデ・エヴラール・ジェリコー少尉は遠視の魔法が使える。姿を現した魔獣は平原を埋め尽くすかのようにやって来た。
「オリヴエ少尉。良く見えませんが、何か変なのが居ますぜ」
「あの、ウロコの生えた猿のような奴か?」
「良く見えますね。本当に居るんですか? おっかないな」
「お前が、怖がる珠かよ」
「何言ってるんですか? 怖いものは怖いですからね」
「新兵じゃあるまいし、年期の入った古参兵が何を言ってんだか。鬼が笑うぞ」
「エへへ、やっぱし」
「どうやら当たりらしいぞ。大尉に報告しに行く。それと冗談と分かるが、二人ともちゃんと見張を続けろよ」
近づいた魔獣の群れは大波が割れるかのようにヴォメロの塔を避けて二つに分かれていく。静かに潜伏が続けられた。魔獣が通過し、指揮個体と一メートルも無い箱を守るかの様に一群が通過していく。やはり居た。帝国歴391年10の月18日、指揮個体を見つけた!
「今なら、近づけます。狙撃するチャンスです。大尉、攻撃させて下さい」
「慌てるな。意気込みは分かるが、落ち着け。指揮個体が複数いる場合もある。我々は作戦通り、指揮個体の観測と確認に徹し、要塞に連絡するのが任務だ」
岩山のような前哨基地は、垂直に120メートルもあるので、流石に魔獣も手が届かなかった。空飛ぶカラス型魔獣と、ワイバーンに発見された後には、繰り返し攻撃を受けた。これには、無理やり持ち込んだバリスタ3台と小銃が迎撃に役立った。
不思議な事に、ワイバーンの中には二回りほど大きな2匹がいて、搭の攻撃に加わらず羽を休めている様だ。この2匹の動きは、4日前から展望観測所で確認されている。普通ワイバーンは200メートル位までの高さを飛ぶが、この2匹は500メートルの上空を要塞に向かって行く。おそらく偵察と思われるが、その1匹が石を抱えて飛び上がったと、報告が有ったが石を持つ理由が分から無かった。
搭の頂上にある観測所から見渡せば、凡そ40キロ四方を見渡すことが出き、はるか北には薄らと帝国要塞の威容が伺える。晴天の闇夜でないと無理だが、篝火による通信も可能である。運にも味方されたのか、その夜は雲一つ無く空にはリングを従えた月が煌々と浮かんでいた。ヴォメロの塔からの緊急報告で、帝国要塞司令部は指揮個体の存在を確認した。
その夜更け、イリア王国の魔術師がやって来た。以前、指揮も執られたイリア王国の若い魔法使いカトー卿と、これも若い女性の士官エミリー少佐だ。
「アロイス大尉、お久しぶりです。発行信号を受けたので参りました」
「ご苦労様です、カトー卿。ワイバーンは、どうでしたか? バリスタでは、夜になるとほとんど当てられないので」
「ハイ。ワイバーンも、夜は苦手の様なので何とか無事に来られました」
「そうそう、指揮個体の発見ご苦労様です。要塞の皆も驚いていました」
「ハイ、あれは観測員達の手柄です。でも、お気遣い有難うございます。報告では、魔獣は20万としましたが、それ以上の可能性もあります。20万という数には驚きますが、籠城中の巨大要塞相手には物足りない数字にも思えます」
「そうですね。そんな気もしますが、指揮個体もいる様ですし、本隊だと言うのは間違いないでしょう」
「では、さっそくですが、こちらへどうぞ」
「エェ、時刻も良い頃合いですね」
「作戦開始なのですか?」
「ハイ、今夜は風は動きません。始めましょう」
彼らは天候も分かるのだろうか? 断言するようにカトー卿は天候を予測し、何やら準備し始めた。
カトー卿とエミリー少佐は、用意された真冬用の毛皮を着て展望台に立っていた。篝火も消され、月が地上を見下ろしている。風も無く20万の魔獣の息づかいだけが、聞こえるような気がした。カトー卿が、これから外は急激に冷えますから、兵員は皆、中へどうぞと声を掛けてくれた。作戦開始後、本当に搭の中まで真冬の様な寒さがやって来た。暫くすると、カトー卿達が入って来た。明け方までこの寒さが続くそうなので、お茶を薦めて暖まってもらう。
朝、初秋の太陽が雲の間から顔を出した。我々はこの時まで、イリア王国の魔法使いの本当の怖さを知らなかった。オリヴィエ少尉が青ざめた顔でうなずいている。この世の中には、逆らう術も無い様な力を持つ魔法使いが居るのだと知った。
※ ※ ※ ※ ※
それは、初秋の風の吹いていない、穏やかな日だった。まだまだ残暑が厳しい日は有るだろうが、うろこ雲やすじ雲等も見えず、雨が降る事は無さそうだった。夕方の風が治まった後には、ロマーヌさんの言う通り、風が止んでいる。今夜もそんな夜になりそうだ。夜、ヴォメロの塔から発行信号があった。予定通り、エミリーと空飛ぶ絨毯で出かける。
月明かりの中、ヴォメロの塔に近づいて行く。濃い灰色の魔獣の群れが、地面に広がり大波の様にゆっくりとうねっている。不快な匂いと、魔獣の低いうなり声が聞こえてくる。今や、ヴォメロの塔は魔獣の海に浮かぶ孤島である。空飛ぶ魔獣以外は、塔に手が出せないと見える。魔獣達は、幾重にも取り巻いており苛ついている様にも見える。
狙い通り、塔をほっておけないのだろう。あちこちに出来ている小山は、ワイバーンの死骸なのだろうか? 月明りなのではっきりとは見えないが、おそらく強化されたバリスタや小銃によって昼間の間に射たれたのだろう。仲間の死骸に魔獣が群がっている。その答えは容易に分かりそうだが知りたくはない。
ワイバーンが数匹飛んでいる様だが、夜の為、受けた攻撃はおざなりのものだった。空飛ぶ魔獣も、僕らと同じ様に暗闇を飛ぶのは苦手のようだ。搭の屋上の監視台では、かがり火が焚いてある。近づく魔獣は、灯りで眼が眩んだ所にバリスタの対空用の細身の矢や小銃で撃たれている。見た処、良い的になっているらしい。
僕らと同時に要塞から11機の、ゴーレムが出撃している。1時間もしない内に、7~9メートルの皿状に掘られた大地から、離れた処で監視する手はずだ。要塞から25キロ。魔獣の足なら、ゴーレム同様、直ぐに着いてしまうだろう。およそ20万の魔獣の中には、群れを離れて動こうとする、はぐれ物もいるだろう。その窪地の縁に立って、静かに魔獣の行く手を遮るのが任務である。
確かに、皿の縁から抜け出ようとする魔獣もいた。しかし、ゴーレムとの戦闘によって、足を止められたと言う訳では無さそうだ。搭の為だけだとも言えないようだ。むしろ、何かを待っていて、そこに留まったと言う感じだ。中には、命令されたかのように動かないで待機をしているような魔獣もいる。
いずれにせよ、僕はこれを見て狙い通り上手く行くのではないかと思った。エミリーと相談し、魔石を手にして張り出した見張り台の上に出た。エミリーも風が吹いていないし、夜空を見上げて今ならうまくいくんじゃないかと相槌をうっている。
日本に居た頃の話だ。前世紀となるが、アフリカのニオス湖でのトリビアをテレビで見た事が有る。そこでは、1700人以上の人に加えて7000頭以上の牛などの家畜が、窒息や二酸化炭素中毒によって死亡したと言う悲劇的な話だ。
二酸化炭素造りは、王都の店で散々している。もう、すっかりガス製造名人である。今では二酸化炭素を集めて130気圧前後で圧縮し、液状にしたのち、一瞬だけ空気に触れさせて、固形のドライアイスを作り出すという芸も出来る。もっとも、マイナス78・5度なので素手で持つ訳にはいかなかったが。
ケーキの保存の為に、思い出したドライアイスがこんな所で利用できるとは思わなかった。今回は念の為に仮設のプールを屋上に造り、中にドライアイスを作りだして置いておく。周りも随分と冷えて来た。作戦と言うのは半径30キロの圏内を二酸化炭素で満たすと言う計画だ。一時に、大量の二酸化炭素を空気中から取り出すのは、無理かもしれないと、造り置いたのだが、どうやら造ったかいが有ったようだ。
魔獣たちの、頭上に注ぎ込んだ無色透明の二酸化炭素。今、魔獣たちの上に、静かに死の天使が舞い降りて行く。目に見えないガスはゆっくりと拡散し、空気より重いのでより低い方へ流れていく。魔法発動時には、気体の二酸化炭素だけでなく、ドライアイスも出来ていた様だ。見る見るうちに気温が下がって行く。しばらくすると下界では物音がしなくなった。
異変に気付いたのか縁を登ろうとしていた魔獣の動きがしだいに鈍くなり静かになっていく。聞こえて来るのは、静寂と言う音のない音だった。塔の下にはすっかり静かになった世界ひろがっている。作られたガスが、風魔法で吹き飛ばされると、おびただしい魔獣の亡骸があった。
「エミリー、その手すりにも気を付けてね。素手だと、くっ付いて取れなくなるんだ。こんなに低い温度の中だと、皮膚が一気に冷やされてを凍傷を引き起こすんだ」
「怖いものだな。お店で見た時は、保冷剤と白い雲が出る演出用だと思っていたぞ」
「症状は、やけどの症状と似ているんだ。軽度の場合は、触れた部分が赤くなって痛みがある。中度になると水泡ができて、重度では皮下組織まで損傷して壊死するよ」
「たとえば少しの、3~400グラムかな? これぐらいのドライアイスでも、小さな部屋で気化すれば、炭酸ガス濃度は意識障害を起こすに十分な濃度になるよ。今回は、二酸化炭素中毒を狙っているからね。高濃度の二酸化炭素を吸い込むと、呼吸中枢に影響を与え、呼吸がうまくできなくなって、窒息するんだ」
「カトー、魔獣の息づかいが聞こえないぞ」
「そうか。もう良いと思うから、中に入って暖まろう。確かめるのは朝で良いだろうし」
塔からは見渡す限り、昨夜までは生きていた魔獣というグレーの布が広がっていた。朝になり、2人は空飛ぶ絨毯で死んだ魔獣の上を飛ぶ。魔獣から、水魔法で水分のみを取り出し、擁壁の外に流し出す。すっかり乾燥して、ミイラ状になった魔獣の躯の上に、火魔法で炎のスクリーンを作る。魔獣の躯をこのまま捨てて置く事など出来ない。これはもちろん防疫の為ではあるが、たちまちの内に火柱があちこちで立ち上がり魔獣が火達磨になる。
空飛ぶ絨毯は、塔を中心にして時計回りに飛行している。すると、まだ息のあるのか、魔獣が立ち上がろうとする。そこ目がけて、エミリーと2人で、地獄の悪鬼羅刹のように炎を投げかけながら飛行を続ける。
そして、二酸化炭素で窒息死しなかった魔獣も、炎を喉に吸い込んで呼吸が出来なくなっていく。窪地から逃げ出そうとした魔獣達も、酸素不足で力が出ないのか縁を上れず黒焦げになる。それでも浅い所に居たのか、縁に居たのか、まだ動ける魔獣が、炎に追われて逃げようとする。ゴーレムが魔獣を窪地に引き戻し、地獄の邏卒である如く投げ入れる。
やがて窪地の中は、すさまじいまでの熱によりすべての物が白い灰になっていく。僕らは知らないうちに、大焦熱地獄を作り出してしまった。搭の上にいる守備兵達さえ息苦しくなるほどの火炎が随所に起きている。動く物は唯一つ、火炎旋風を造らないようカトー達が、空飛ぶ絨毯で飛び回っている。
炎により酸素が消費され暖められた空気が上昇する。これにより火炎に向かって周囲からさらに風が吹き込み、炎の旋風となる。これを防止するために、エミリーと2人して風魔法で向きを変えているのだ。だが、進む先を焼き尽くしながら拡大していくようにも見える。魔法使いの2人を見ながらヴォメロの塔の兵達は、一言も発する事も出来ず、地上に出来た地獄の業火を見下ろしていた。




