リューベック川。渡河される
帝国歴391年10の月1日
リューベック川の河畔、フルダ地区は川から街道を北上する事、2キロ程で河川敷、湿地、丘陵地となり、5キロを越えると急峻な崖のある台地となる。その台地の中央を、帝都ヴェーダから南部に至る主要街道である一本道が貫いていた。回廊は狭くおよそ250から400メートル。両袖は4、50メートルの崖となっている。
この2キロに渡る谷間が、風光明媚なフルダ渓谷である。渓谷と名が付くが、谷底はさほど険しくなく長年帝都との主要街道として整備されていたので、狭くはあるが平坦な道が続いている。街道には時折、小川に架けられた頑丈そうな小橋があるにはあるが、これと言って障害になる物も無い。
季節は10の月、暑かった夏もあと少しで終わるだろう。河畔の朝靄が晴れると、ここリューベック川沿いの平地では、ものうげな晩夏の1日が始まる。青々と茂る草花の中、信心ぶかい農家の人々が、聖秘跡教会のミサからの家路につく処だ。彼らは、魔獣の侵攻に会い壊滅した南部の人々の冥福を祈る為に月2回、1日と13日に教会で祈りを捧げるのだ。
昼前にはミサも終わる。近況を確かめ合い、次回のミサまでと、しばし別れの挨拶を行う。後は、家に帰って芋ばかりで肉のない、安息日の食卓に着くだけだ。
川沿いに部分完成した、城壁に立つケドニア兵達も、夏のけだるい暑さを凌ごうと塔の影を求めて移動する。見張りを交代した兵が、城壁内の休息所に向かう。日陰で三々五々語らう者や、エールを求めて歩みを酒保に向ける者もいる。ケドニア軍の指揮官達の多くも、兵と同様にくつろいでいた。
魔獣のメストレ上陸のあとに続いた、リミニやステファノの悲劇的な大敗退も、ここでは感じられなかった。リューベック川が、天然の防衛線となって人々に安らぎを与えていた。それに加えて今では、帝国北部を守ろうと帝国南部を切り離すような長大なリューベックラインの建設が始まっている。
渓谷の出口から、12キロ離れたレストランでのんびりと昼食をとろうと、フルダ地区防衛軍指揮官である一将官が、女性の司令部要員をつれて外出していた。同地区の司令部要員達は、友人と久しぶりの休日を過ごすために、朝早く司令部をたって帝都ヴェーダへ向かっていた。
また、ある旅団長は、どんな理由があろうとも邪魔してくれるなと部下に言って副官と釣りに出かけた。彼らは、自然の中で、まる2日に渡り釣りをして、過ごそうと考えていたのだった。
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魔獣は、オリビエート遅滞防御陣地を数の力で破壊した。やはり、その渡河不能と思われていたオリビエート橋の近くに集まり出した。橋は多くの要因で、川に架けられる場所が特定される。政治的、経済的要因もあるだろうが。それでも、自然の摂理として流れが穏やかであり、さほど深く無かったり、浅瀬が有ったりする所に架けられるものである。
魔獣は川沿いに集結し始めた。どうやら、アマゾンのアリと同じ方法で川を渡る事にしたようだ。これに、ケドニア帝国軍は虚を突かれる事になる。無理もないこのムンデゥスで知る者は誰もいないのだから。伝え聞くアマゾンに生息するヒアリ達は、河が増水し暴風雨に見舞われた時、自らの体を使って球形のボール状の筏を作り群れを救うと言う。魔獣はもともと本能ゆえか、泳ぐ事が出来る。しかし泳ぐ事が出来る魔獣 でも、長時間ともなれば疲れて溺れてしまうと考えるべきだろう。
泳ぎが得意なのか、次々と川に入って行く魔獣がいる。暫くすると、魔獣の群れは互いの体に噛みつき筏の形を作り出した。ヒアリの群れと形は違うが、そのまま水の流れに乗り浮かび続ける事が出来た。驚いた事に、魔獣の群れは筏の形を拡げ始めた。その大きな筏は、巧みにバランスを取って他の魔獣を乗せても、水面に浮かび続ける事が出来た。
メストレに上陸した魔獣は如何に海峡を乗り越えたのか? 風や海流が味方したとは思われていたが、群れ、それも大群が押し寄せる事が出来たのはどうしてなのか? 6の月には、リミニ防衛戦に重魔獣が姿を現している。どうやって、あの大きく重い重魔獣を運べたのか? 今、その答えが目の前で行われている。
筏に変化した、最下層にいる魔獣達はおそらく死ぬのだろう。しかし、群れとしては安定した底面を形成して、その上に残りの魔獣が乗れる格好になった。魔獣には、互いにつながり合う習性があるのか? 指示なのか? 集団知なのか? いずれにせよ群れは、ほぼ完璧な巨大な筏となっていった。川の流れに逆らわず、その筏が流れ着く地点は、オリビエート橋の有った場所から、かなり下流になった。だが、対岸に着く事になる。
一度に、5000から8000匹の魔獣が、その筏を使い対岸にたどり着く。1個だった筏が2個、3個と増え5個を超えた時、重魔獣達が現れた。筏が水に沈むかと思うと、筏の底面の形に合わせて、伸縮する布のように筏が変形して浮かび続けた。
アマゾンのヒアリの様に、何週間も浮かび続ける事は出来無くとも、魔獣達がリューベック川を渡るには十分だった。幾多の群れが北岸にたどり着く。何万、イヤ、何十万とも数知れない魔獣が対岸に姿を現した。そして、川には、自らの体を筏に変えて溺れ死んだ無数の魔獣を残していた。神ならぬ身、魔獣がこのような形で、渡河をするとは思いも出来なかっただろう。
リューベックラインの建設は、魔獣との兵力差を埋め、侵攻をくい止める唯一の手段と思われている。帝国上層部で多少揉めたが、当初の計画通り強固な要塞線として作られ、防衛の要として建設しており部分完成した場所も有る。リミニやステファノでの遅滞防御戦闘という人々の犠牲で時を作る。それ程、絶対防衛線を作る事が重要視されていた。
しかし、魔獣から見れば、むざむざと完成したリューベックラインに立ち向かう必要は無い。むしろ回避して侵攻出来れば良いはずだ。知性が無い魔獣ならとても考える事は出来ないだろうが、リニミ防衛線では指揮個体の存在が懸念されている。街道上には、一部とはいえ防衛施設がある事が、魔獣に知られているのだろうか?
地球でも多くの事例が、アリやハチの様な群れには集団知のある事を教えている。魔獣も、何十万匹といる。もしも、指揮個体と集団知の2つの要因が合わさった時、迎撃戦での人間の優位は保てるのだろうか? 川の流れによって、魔獣の筏が流されて行く。筏が、防御線の無い対岸に着くのは偶然なのだろうか?
ステファノ陥落後は要塞に向かうものと、帝都に北上しようとリューベック川南岸に集結中の魔獣本隊が居た。群れの規模は大きくても、要塞に向かうものは本体の数分の一だ。確かに数分の一の魔獣でも、大群である。だが、堅牢な要塞が落とせるものだろうか? 別れれば、数の脅威も幾分かは減る。一団となって要塞に向かい、要塞を陥落させれば帝国の南部防衛は崩壊した事になるのだが。
要塞を失えば、幾十年わたり帝国南部の上陸は不可能になり、場合によっては取り返す事が出来なくなるかもしれない。魔獣は豊かな大地を支配する事になるだろう。なぜ、北上する本隊と、要塞に向かう一部との、二手に分かれて進軍しているのだろう? 何か途方もない事が、起きようとしているのだろうか?
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魔獣の副次的攻撃は、オリビエートの対岸にある部分完成した城壁にも、カラス型の魔獣や小型のワイバーンによって嫌がらせの様に行われていた。特に、観測員が狙われていた。襲撃と同時に退避するので、いきおい、対岸の監視も十分とは言えなかった。リューベック川の川幅は広く流れも速い。人も魔獣も、川に至る湿地と森林の組み合わしたような地形は、移動手段として船が無ければどうにもならないと思われていた。だが、すでに魔獣はその川を渡ってやって来ていたのだ。
悪い事には、リューベックライン建設の為、防御態勢の再編中であり、城壁の構築を各所で着手した処だ。臨時ではあるが、大量の兵を、建設場所に配置したので兵が足らない状態となっている。このままではケドニアは防衛要線を抜かれて、抵抗も出来ぬまま魔獣の北進を許す事になるだろう。
川岸の上陸点では、さすがに魔獣の渡河に気づいた。兵員のみならず、城壁建築中の、女性を含む一般作業員まで呼び集めて防戦を開始していた。だがリューベック川は、渡れぬものとしか考えていなかったケドニア軍は、作業している者達に武装させていなかった。加えて戦う術はいつもの武器とは異なる。手元にスコップやツルハシがあればましな方だ。犠牲が増えるばかりで魔獣の上陸を阻止出来ず、短時間でリューベック川北岸に上陸を許してしまう事になる。
魔獣は、驚く事に重魔獣を川の流れに合わせて渡河させているらしく、進行速度はさほど早くはなかった。だが、重魔獣抜きでも、空飛ぶ魔獣との共同作戦ともいえる攻撃法は有効だった。河畔の寄せ集めに近い、建設作業をしていた武器も少ない小部隊が次々と撃破されていく。
残念な事に、一部完成していた要塞線の兵は、上陸点から10キロ以上離れていたので、背後から迫る魔獣に気づいていなかった。そして直ぐに、ほとんど抵抗も出来ずに襲われる事になった。
魔獣渡河の報は、直ちにフルダ地区防衛軍司令部に届けられた。魔獣侵攻開始地点は、一部危惧されたオリビエート橋跡からではない。およそ考えの及ばない場所で、橋の下流20キロであった。部分完成したフルダ街道上の城壁では役に立たなかった。上陸場所の城壁は、基礎こそ出来ていたが防御施設など何も無いのと同じだった。
上陸戦に対する迎撃のイロハは、敵の橋頭堡を破壊する事である。そして、十分な戦闘力を速やかに編成して事にあたるのが重要である。だが、防衛軍の抵抗は上述の様に一部を除き極めて僅かだった。魔獣は溺れ死んだものを除けば、損害は極少なく渡河できたと言える。だが、渡河した事でエサの補充が出来ず、すぐにも飢えるものが出て来るだろう。そして、魔獣は進撃を開始した。エサはそこに有るのだから。
午後には、さながら空軍部隊のカラス型魔獣とワイバーンが地上の魔獣と合流した。同日深夜までには、殆どの重魔獣が渡河出来たようだ。渡河後2日目には、河畔の幅50キロ、奥行き5キロの地区が占領された。
結局、渡河地点からなだれ込んだ魔獣の前に、帝国軍はなんら対応策を取れず、すべてが後手に回った。魔獣が上陸に成功し城壁を背後から襲撃したと判明してからも、僅かな部隊しか反撃が出来ず、戦術的に殆ど手の打ちようがなかった。
魔獣が街道に向けて進むと同時に、フルダ地区防衛軍司令部もまた侵攻阻止の為にフルダ峡谷出口に兵を進めた。時間さえあれば、渓谷の地形を利用して出口に蓋をするように防衛線を築く事が出来るだろう。そこに兵を置けば僅かなりとも対応する時間が稼げるとの思いからだ。
僅か300キロ、フルダ街道を北上すれば帝都ヴェーダである。ケドニアは、魔獣に帝都を占領される恐怖を持つ事になる。ここにおいて帝都防衛の為、帝国防衛軍と魔獣との集団戦闘が、フルダ平原で繰り広げられる事となると思われた。
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リューベック川の北29キロにある、砲兵隊司令部壕では、ケドニア第1砲兵軍旅団司令官のガエタン・バティスト・セヴラン・ジオネケドニア大佐が、執務につかれきって、上着のボタンをはずしたまま、机に向ってすわっていた。彼の部隊は、南部戦線に出撃して行った部隊の、大きなスキマを塞ぐ為に移動して来ていた。ほんの二週間前に、北部スクロヴェーニからの最新装備を受領したばかりの砲兵である。砲兵は馬で大砲を牽引して移動し、兵達は歩くと言うのが普通だ。(軽い砲では騎兵が引くと言うのも出て来ている)
この第1砲兵軍旅団には大砲はカノン砲480門、曲射砲260門が配備されている。ベテランの兵が多く精鋭といえる。だが配備された新型の砲は慣熟訓練中である。これから各砲の癖を、兵員各自が掴もうとしている所だ。この為、砲兵軍の司令官ガエタン大佐は、なるべく司令部壕にいようと思っていた。また、胸騒ぎが有った事も有る。彼には魔獣が、ごく近い日に攻撃を仕掛けて来るのではないかと予感めいた思いがあったからである。だが、その日は、何事もなく平穏にすぎていった。
同じく、フルダ市の西の郊外にあるカケスの宿の将校用バーでは、ケドニア第二砲兵軍旅団司令官ボドワン・アルセーヌ・アルチュール・ブラン大佐が、右の眼にはいつもの様に流行の片メガネをかけて、同僚の司令部参謀たちと一緒に食後の酒を飲んでいた。バーは盛況で給仕兵が、ガラス製の水差しでワインを注いでまわり、トレーのつまみを薦める。別の給仕兵が、テーブルに北部のリンゴ酒を置いていった。しかし、ポドワン大佐は何故か虫の知らせがして、酔う事が出来なかった。
ガエタン大佐も、ボドワン大佐も、魔獣の攻撃はケドニア要塞に向かわず、事によるとオリビエートから渡河して来るかもしれないと思っていた。自身の目でも見た事が有るが、リューベック川の渡河は不可能に見えた。頭では現実的な判断だとは言えるが、感では違うと思っていた。だが、根拠の無い胸騒ぎや、虫の知らせでは軍を動かす事は出来ない。
大本営の主流派では、これから暫くの間は、残念ながら南部防衛軍の残存兵力が潰されていくだろうと予測していた。指揮個体の様な魔獣が居れば、兵の再編成をさせない様、河畔の都市アハマディヤのような、中小都市、村々が襲われもするのだろう。大勢は、そのように思われていた。いつしか帝都の大本営でも、魔獣が戦術的な知恵を持っていると考える者が多くなっていた。
そして当面の主攻撃は、ケドニア要塞にいる防衛軍(司令官ラザール中将)やイリア王国遠征軍とで行われるだろう。もし魔獣の侵攻をくいとめる事がそこでできたなら、帝国南部の全体が、リューベックラインにそった防壁で、戦況を膠着させる事が出来きて反撃のチャンスを掴めるに違いないと思っていた。
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ガエタン大佐やボドワン大佐と同じく、武装親衛隊のアドリエンヌ・フェベ・ニノン・ボワトゥ中佐(女優を目指したりした事もある、すごい美女だが貴族家令嬢の為、断念させられた)も、この朝は自分の借りた家で計画を立てようと過ごしていた。
そこは、フルダ市の東約3キロのところにあり、アドリエンヌ中佐は、予想される魔獣の活動よりも、指揮下にある擲弾兵連隊のやっかいな再編成に頭をいためていた。それと言うのも、ボドワン大佐が、アドリエンヌ中佐の武装親衛隊(第2擲弾兵軍団司令部)に、南部から撤退して来た消耗しきった擲弾兵1個連隊の再建を命じていたからだ。
擲弾兵は、体力抜群の歩兵のエリートといえる。擲弾は、導火線に火をつけてから、遠くへ投げるものである。いきおい擲弾兵部隊は、体格が良くて腕力の強い者を、男女を問わず集める事になった。噂では、擲弾の形をしたアクセサリーを、胸に付けて酒場に行くとモテる言われている様だ。その為か、他兵科の兵士にも、軍服や小物に付けるのが流行っているらしい。それはともかく、司令官である彼女は、筋肉マンやウーマン達を調教ならぬ教育で立派な兵にしてきたのだ。
彼女は、擲弾兵1個連隊を完全に再装備させるため、帝都に送るようにと命じられてから、3日もたっていなかったからだ。やっと、再編成の混乱から秩序をとりもどそうとしていたやさきに、帝都の大本営が計画の変更を伝えて来たのだ。
新しい指令では、魔獣にそなえるため、擲弾兵連隊のフルダへの移動を命令してきたのである。アドリエンヌ中佐は、この命令の為に第10擲弾兵連隊をあてることにした。この連隊は、軍団に配備される事になっていた最初の再装備品である擲弾発射機三八五式を、すでに受けとっていたからであった。
だが折りわるく、この日の朝一番で、引き継ぎをするはずの第10擲弾兵連隊長は、短期休暇で帝都ヴェーダに向ってしまっていた。そこで次の日は、幕僚達と連隊を移動する準備のため、山ほどある業務におわれる事になった。
移動命令を受けた連隊の前衛は、すでに出発していた。しかし、のこりの部隊が移動を開始するまえに、南部から後退させた別の連隊(比較的損害の少ない部隊)を、指揮下にいれる様に命令を受けた。この連隊は、第9擲弾兵連隊であるが、連隊長は南部からの退却中に負傷していたので、バジル・エドガール・ル・ゴフ少佐が、連隊の指揮を執っていた。
この朝、バルジ少佐は部下に命じて、残っていた擲弾筒と旧型の発射機を分解整備させている。突然の移動命令に、装備が使用不能なので直ぐには第10擲弾兵連隊には加われないと報告した。整備を急がすとバルジ少佐は、近くの将校食堂で、隊の将校たちに移動先を知らせた。
※ ※ ※ ※ ※
後方にいた多数の指揮官の中に、人なみはずれて良く当たるといわれる感の持ち主がいた。それは、北部の紛争に参加した経験をもつベテランで、輜重部隊の女性の連隊長、ヴィオレット・ナディーヌ・アデール・エルー少佐であった。連隊は、フルダ地区全体が担当とされていた。
ヴィオレット少佐は前日、かなり老いこんだ地区司令部参謀長ジュリアン・オラース・カンタン・ガスケ少将と帝都へ出張した際、昼食をともにしている。
「なにも、起きなければ良いのだが……」
2人が食後のワインを楽しんでいたとき、ジュリアン少将が言いかけた。
「ここ10日、ケドニア南部もリューベッ川沿いも、どこも良い天気が続いているんだよ」
(魔獣との戦闘はステファノが陥落し、重大な転機にたっているのかも知れない。魔獣だって、良い天気の日を見過ごすはずはないし……)
「これは、確実だという訳でない。魔獣が何か、突拍子も無い事を準備している気がするんだが」
ヴィオレット少佐は、リューベック川河畔の兵に警告をあたえたかどうかたずねた。
「そんな事は、気の迷いだと言われるだけだよ」
ジュリアン少将は、少し考えたのちに言った。
ヴィオレット少佐は、帝都からフルダ市に帰る途中、揺れる馬車の中でジュリアン少将の言葉が、繰り返し彼女の頭に響いていた。少佐は、何故だか分から無かったが胸騒ぎして、落ち着かなかった。
フリダでは朝モヤがはれて、陽光が輝き始め、何事も無く昼食が終わった。ヴィオレット少佐は再びジュリアン少将の言葉を思いだした。何故か、ヴィオレット少佐はいらだつほど気が立って来た。部下全員を外出禁止にし、完全待機を命じた。また士官用のリンゴ酒の樽を開封し、兵に配るよう命じた。何か不味い事が、起きようとしているのだろうか?
「いいか、よく聞けよ」と古参の軍曹が、年若い兵に語りかけた。
「何かが、起ろうとしている。ヴィオレット少佐の部隊では、大変な事が起きるか、大事な事をさせなくちゃならない時は、いつも士官用のリンゴ酒が特別配給になるんだ」
「エ? 軍曹どっちなんです?」
「分からんよ。少佐の感は外れた事が無い。ひょっとすると、両方かも知れん」
その夜、魔獣上陸の一報がもたらされ、部隊に出動命令が出された。




