帝都訪問。水晶宮殿
帝国歴391年7の月23日
高速馬車は、1700キロを、無事走り抜けて帝都ヴェーダのイリア公使館に、4日と半日で着いた。半日は、帝都に接近した為に、高速馬車と言えどスピードを落とさざるえなかった。
「オスカル公使、お久しぶりですね」
「シーロ卿。ようこそ、ジョスラン伯爵の高速馬車でお見えとは、いささか驚きました。遠路、ご苦労様でしたね」
そしていつもの様に、紹介の儀式が行われる。
(文句は言わない。社会人なのでね)
「では、こちらが今、有名なカトー伯爵ですね」
「はい、加藤良太と申します。東方の姓名の為、習慣で名前がリョウタ家名がカトウです。皆さんリョウタと発音しにくいようなのでカトーとお呼びください」
「こちらは副公使のアルセニオ・オダリス・エスピノサ・ノエミ。その横の公使館員は、アグスティン・ノエミ・グアルディオラ、ファビオ・カナバル・モヒカです」
「シーロ副伯。皆さん、さぞやお疲れでしょう。今から御休息を取られた方が、良いかも知れませんな」
「オスカル公使、そうしたいのは山々ですが、急ぎ現況の説明をお願いします」
「そうですか。では、早速ですが会議室へどうぞ」
「ジョスラン伯爵が、明後日にも宰相と会談し、その翌日には皇帝陛下との謁見の儀を、取り計らってくれるそうです」
「ホウー。あの伯爵が? 本会談でもないのに、高々表敬訪問にですか。その様な面倒を自ら」
「オスカル公使、それはまた何故です?」
「確かに、イリア王国の訪問団ですが。あのやり手の、伯爵に余ほど気に入られたとか? イヤ、お恥ずかしい。実は、公使館では中々上手く工作が行っておりませんので」
「そうなんですか」
「なにしろ、弱点が見つかりません。金、女性、賭け事、食べ物と、およそ考え着く物は、試したんですがね」
「なら、カトー卿がお役に立つと思いますよ。彼とは、同好の士だそうで、途中から席を変えて馬車の中でも話っぱなしでしたから。そうですね、カトー卿」
「ハイ、夜、馬車を止めた時に、花火の魔法を少し見せたら感動されたらしくて、離れてくれません。芸は身を助けると言うのでしょうか、何が幸いするのか分かりませんね。ホント、趣味は大事だという事ですね」
※ ※ ※ ※ ※
「帝都については、商業ギルドの帝都ヴィーダを歩きたいが良いですよ。僕、持ってきました。シーロさん見ます?」
「イイですよ。私、その(帝都ヴィータを歩きたい)の水晶宮殿のところ、筆者なんですから、良く知ってます」
「エー、そうなんだ」
「ちなみに、セフェリノとの共著です。数字は、彼の方が詳しいですからね」
(筆者ゆえに、冊子では書かれていない事や、色んな事を教えてもらえた。それに、調べたら誰かに話したくなるのは分かるし。マァ、以下はその抜粋である)
ケドニア帝国、帝都宮殿は別名水晶宮殿とも言われ、帝都の第三城区の中央エリアにある。宮殿の敷地は、東西南北、約1、5キロ四方ある。225万平米(約68万坪)にもなり、高さ22メートルの城壁で囲われている。皇帝の宮殿が、帝都ヴェーダの様な平野に有るのは、ケドニアが混乱期を乗り越え、時代の変遷とともに安定した証拠でもある。多くの文明において、君主や国王などの住居と城や砦の防衛施設が平野部に移るのは当然の様だ。
遣唐使が、100万人を超える長安の都の壮大さに打たれたように、帝都も同じ威容を持って外国からの訪問者を受け入れていた。この様な宮殿の特徴としては豪華さを見せつけたり、城壁の壮大さを誇ったり、外交使節や国家的な祭事を行ったりする外朝部分が造られるようになる事だ。やがて、内廷部分の居住性が重視されるようになり、都市の一部として建設される事になる。
南に位置する正門を見る者は、その規模に驚かされるだろう。高さは約33メートル、幅は約118メートルある。イリア王国の高さはともかく、ロンダ城の二倍近い門構えだ。正面の門から眺めると、宮殿は整然とした左右対称である事が分かる。中央本館正面入り口には、馬車で乗り入れるようにゆるい傾斜をつけたエントランスホールが有り、両横にはバルコニー付きの階段もある。
見事なまでの正確さは、植えてある木々の枝まで左右対称であると言われる。まさに自然さえも従えたような造りは帝国の権勢を彷彿とさせる。両翼の建物には長い廊下でつながっており、中央の本館は政務執務室、右側は帝王の住居と実験研究室等、左側は皇后と息女たち4人の住まいとなっている。
水晶宮殿には、見どころがたくさんある。有名なのが名前の基になった水晶の間。歴代の帝王が昼間、政務を取りおこなう部屋だが、建築当初、宮殿は巨大な為に採光が難しかったらしい。暗いと感じた、アンベール帝によって改装が行われた。以後、政務執務室は水晶の間と呼ばれ、宮殿の名の由来となっている。
改装前、すなわちアンベール帝が即位した当時であるが、灯りの魔法は魔石が枯渇しており魔法使いも不足した為に、宮殿のあまりの大きさに常時使用できなかったらしい。そこで、代わりに水晶と鏡をたくさん設置する事で、外光を多用して取り入れ、部屋の明るさを確保したと言われる。改装後、きらめく室内に、諸侯や貴族も息を呑んだと伝わっている。夜もまた、光り輝くシャンデリアのロウソクの灯が幻想的な空間を作り出している。完成披露では、そこで行われた演奏会と華やかな舞踏会は未だに語り草である。
帝都は隕石テロを免れた為に、古代アレキ文明の恩恵にあずかっており残された文物も多い。宮殿の灯りにはロウソクや油が使われ、貴重なタペストリーや絵画が置かれているので、火気には特に注意が必要とされている。現在、夜会の照明には宮廷魔法使いにより、灯りの魔法が使われる事も有るが前述の通り、イリア王国の様にはいかないのが残念である。
水回りについては、ケドニア要塞と同じく水道施設が稼働し、トイレも風呂も高水準に有ると言える。この点では、非常に人気の施設である。だが、それを除けば城は城である。結論としては、立地面では昔の山城よりは遥かにましだが、この宮殿も城の一種であるのに違いない、故に年中快適に過ごせる訳ではなかった。
宮殿には、関係者を合わせると常時3000人近くが住む為、厨房を除くと女性たちは、服装や手袋など防寒に努めて過ごし、寒さを凌いでいる。優雅に見えるのは表面であり、あまり羨ましい住居では無いそうだ。石が基本の建物では冬場は底冷えがする。装飾的な暖炉が有る豪華な大きな冷える部屋よりも、こぢんまりとした部屋の暖炉の前が人気だという。
ここから先の抜粋は少し詳しくなるので箇条書きとした。
宮殿の見学時期
水晶宮殿は、イリア王国の様に年間を通じては、一般の見学を認めていない。8の月。この夏の陽気に溢れる、8月の13日から10の月12日までが、帝室の居住区以外は見学可能とされている。
(帝室が夏、帝国中央山脈の避暑地にお出かけになる、2カ月の期間に限定されている)
水晶宮殿全体の見どころはその建築だけで無く、優れた様式美を誇るケドニア式庭園であるとする者も多い。広大な敷地の各所には噴水が整備され、庭には季節の花々が咲いている。表立っては言えないが、その美しさを保つために多額の金貨が使用されていると言われる。
宮殿内の見どころ。
水晶の間。帝室礼拝堂。豊穣の間。戦闘の間。ミスリルの間。戦士の間。美の女神の間。乙女の間。闘神の間。閣議の間。戦史の回廊は是非、押さえたい所である。
庭園の見どころ。
ラトナの泉水。太陽神の泉水。庭園の噴水ショー。水晶宮殿見学の所要時間は6、7時間ほど必要だが、庭園も3時間は欲しい。尚、所要時間は、城門までの移動時間は含めず、水晶宮殿内の主要スポットを、ある程度ゆとりを持って、じっくりと見学した場合である。
所要時間には、セキュリティチェックや多少の待ち時間、休憩時間や記念品購入なども加えて、おおよそである。ただし、移動時間なども考慮すると、体力的にも精神的にも丸1日は水晶宮殿見学のため必要とされる。宮殿の敷地の広さは、想像以上に広大である。夏場の見学である。晴れた日はもちろん、湿度の高い日は曇っていても水分補給に気を付ける事。
水晶宮殿だけ、急いで見学する場合でも、初回の場合は、3時間は必要と思われる。混雑を避けるには、見学開放日初日が最も混雑するので、スケジュールの調整が可能なら、初日とセレモニーのある最終日は避けた方が無難である。
時間帯的には、早朝の7時が最も混雑が少なく、続いて見学団がいなくなる夕方以降、時間で言えば4時頃が緩やかでお勧めだ。水晶宮殿に午後の5時入場すれば、閉館まで2時間ある。夏場なので陽も長く、複数回に分ければゆっくりと見学する事ができるだろう。
水晶宮殿
アンベール帝が、自身の権力を大陸全土に示すために建設した宮殿。この大宮殿内には、約6000個の水晶と鏡を使用した水晶の間をはじめ、帝立オペラ劇場や帝室聖秘跡教会礼拝堂など、見どころが満載だ。特に礼拝堂の、まばゆいばかりの装飾を施した、絢爛豪華な祭壇には誰もが圧倒される。
水晶の間
水晶宮殿 最大の見どころがこの水晶の間だ。ケドニアの建築家マンサールが、帝王の居室と皇后の居室を結ぶ回廊として製作した。改装前、水晶の間は帝王の部屋に通じていたため、毎朝礼拝堂に赴く帝王を一目見ようと宮廷人達が集まっていたと言われる。
長さは約150メートル、幅は約15メートル、高さ約20メートルもあり、30組の巨大な窓と2500個の水晶と鏡が陽光に輝いている。天井画はアンベール帝の、第一画家であったシャルルが手掛けた。この天井画は、北部ケドニア紛争に焦点を当てた、アンベール帝の統治の歴史を描いたものである。
さらに天井画の下には、精巧を極めた大型シャンデリアが輝いている。シャンデリアはロウソクの明かりだが、必要に応じ灯りの魔法に変えられる。水晶の間に沿って左右に並ぶ彫像や、大燭台もシャルルが手掛けたものだ。
室内の装飾は、基本的に全てシャルルが行い、全体の設計に関してはマンサールが担当した。シャンデリアや大燭台は、アンベール帝とアレクサンドリーヌ皇后の成婚時に製作されたものである。
外国からの特使との謁見の場や、祝宴、宴、仮面舞踏会などの会場として使用される事もある。舞踏会の時はシャンデリアと燭台に1万本ものロウソクが灯される。
帝王礼拝堂
水晶宮殿内に入って、最初の見どころがこの帝王礼拝堂になる。礼拝堂は2層で、上階は帝王や帝王の一族用、1階はそれ以外の信者が利用している。アンベール帝は信仰にはあまり関心がないとの噂が有る。33才に建設スタートするが、北部ケドニア紛争によって工事は中断されるも12年後に再開、約20年後に礼拝堂が完成した。
帝王礼拝堂で一際目を引くのが三位一体を表現している天井画である。天井画の中央には、宮廷の筆頭画家のアントワーヌ コワペル作の贈罪の約束をもたらす栄光の中の神、祭壇の上方にはシャルル・ド・ラ・フォス作の復活が描かれている。
帝王の寝室
豪華絢爛だそうだが、入室禁止だ。皇后の寝室は、ピンクやパステルカラーの模様が如何にも女性らしい部屋だそうだ。
豊穣の間
薄緑の大理石の壁が特徴のこの部屋には、金細工やオルハルコンの武具など、ケドニア帝国の所蔵品の中でも特に貴重な品が置かれている。中にはイルやフンの磁器もある事から、ケドニア帝国の国力と、中央大陸との交易が垣間見られる。中に入るには、特別見学許可が必要で、出る時は身体検査を受ける。
また、国威を見せつけるような夜会が開かれる時には、この部屋が使われる事が多い。宮殿内の他の部屋は軍神・戦闘・古代神々の名が付けられているが、この豊穣の間だけは、名称が異なる。帝王が貴族達に、飲み物や軽食を振る舞う部屋となっている為かも知れない。天井に描かれた、美しい天井画は必見である。
戦闘の間
この広間は、元々は衛兵の間として使用されていた。軍事的な装飾が多く、兜や武器などが置かれている。天井中央には、狼を打ち倒す北部の兵の戦闘が描かれている。
ミスリルの間
これは控えの間と言われるが、盛儀用の室として利用されている。この広間は最も贅を尽くした部屋でもある。中でも広間にあったミスリム製の調度品が有名だ。置かれている時計は、統一前の北ケドニア連邦大公から、アンベール帝に贈られたカラクリ時計で、毎時、アンベール帝の像と女神が現れる造りになっている。
美の女神の間
ケドニア様式の大広間で、アンベール帝に因んだ太陽の装飾や、神話を描いた天井画が描かれている。中央に描かれた装飾画、大国を従わせる美の女神は、この広間の名前の由来になっている。この絵は、元々は宮殿内の大階段に置かれる予定だった物。暖炉の上部にある、天井画も素晴らしいので見逃さない事。
閣議の間
通常、閣議が行われる。時には、帝王や貴族、軍高官の結婚式前の儀式などが行われる。奥に見える、金と青のひじ掛け椅子は、帝王が閣議などの際に実際に使用している。
戦史の回廊
水晶の間に続く、宮殿内部の見どころ。この巨大な回廊は、長さ200メートル、幅15メートルもある。回廊の壁には、歴代帝王の勝利した、ケドニア戦史をテーマーにした50点の絵画が並んでいる。絵画の中には、380年以上も前の帝国成立期の出来事を描いた物もある。大理石の柱の前に飾られている胸像は、祖国ケドニアのために戦死した偉大な将軍達を象ったものである。像の下のプレートには、名前と生没年が記されている。
水晶宮殿の庭園
アンベール帝が、最も気に入っていると言われるのが庭園だ。西側に広がる巨大な庭園は、左右対称の幾何学模様を描く形に作られ、季節の花や草が植えられている。園内には、287個の噴水が置かれ、小道や森の中には一流彫刻家によって造られた大理石製の彫刻などが置かれている。奥行きの深い展望、花壇、樹木公園、見どころが満載である。
太陽神の噴水
太陽神が4頭の馬車に乗って天に上ろうとする姿を表現している。
庭園の噴水ショー
庭園では、様々な有料ショーが開催されている。見学には、別途チケット購入が必要である。
帝王の野鳥園
通年、非公開。この大陸中のさまざまな種類の野生の鳥類の放飼場。一説には、玉子料理を開発するために設けられたと言う。
広大な庭園のおかげで、植物学と農学の分野も発展した。庭園では、小規模な実験農地があり、稲、大豆、パイナップル、バニラ、といったムンドゥス中から集めれるだけ集めたと言われる。200種類以上もの、希少な植物が栽培されている。
普段、取れた作物は加工されて皇帝陛下が食されている。余剰品は帝室恩寵品として、功績の有った臣下に皇帝府から下げ渡される。特に米と味噌、醤油が人気であると伝え聞く。決して販売される事は無いと言われ、臣下一同の憧れにも近い品々である。




