ケドニア帝国の対応
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ケドニア神聖帝国・帝都ヴィータの人口は百三十130万余になる。帝国の心臓でもあり頭脳でもある。ここは、王都ロンダと同じ三重の城壁に守られている。ただ、城壁は、王都より高く分厚い。
アンベール・ベランジェ・メルシェ・カザドシュ第7代ケドニア神聖帝国皇帝が統治している。妃は、帝国の安永を願った北ケドニア連邦大公の娘で、父の願いによりアンベールと婚姻した。アレクサンドリーヌ・マドレーヌ・マル・ビュルル、ケドニア神聖帝国皇帝夫人である。
アンベール帝の懐刀とも知恵袋とも、そして鉄血宰相とも呼ばれるナゼール・ローラン・アズナヴール。その政治的・行政手腕は素晴らしく、皇帝とはしばしば意見対立しながらも、重用し続けている。
アンベールは、兄であるカザドシュに子供がなかったため、兄王の突然とも言える崩御で、ケドニア神聖帝国皇帝に即位した。兄王は、強固な反対にもめげず、軍制改革と断行し工業化を進めていた。この為に、前皇帝の暗殺の噂がある有力貴族派と改革をめぐって対立が深まる中、鉄血宰相とも呼ばれるナゼールを首相に任じた。彼は軍を皇帝府が直接統治をする事を断行し、その政治的手腕を用いて成功させた。
その後、アンベール帝はエバント王国を属国化した。娘のリベラータ・コンチェッタ・デルヴェッキオを妃として嫁がせ、教皇派の抵抗に会いながらも支配権を確立しようとしている。
ケドニア帝国は好況下の経済を背景に力を伸ばし、イリア王国との戦争に備えつつあると噂されていた。いずれ統一戦争に勝利して、念願である大陸統一を達成しようとしているという事である。そう、魔獣の進攻が始まるまでは……
帝都ヴィータの後ろには、帝国中央山脈の山々が国土を南北に二分している。エルベ川は、帝国とエバント王国を国境とし大陸を東西に分け縦断しいる。ケドニア神聖帝国・帝国要塞分岐点より、名を変えてリューベック川となっている。川は蛇行を繰り返しながら帝都のかなり南から港湾都市のプロージョ南港に注いでいる。
帝国南部防衛帯がリミニからステファノに、帝国要塞にへと遅滞防衛地帯が、魔獣が北上すると思われる街道沿いに設けられた。流失した、魔獣の個体数の情報に驚いた軍は帝都の防衛の為、リューベック川北岸に陣地群を構築して「絶対防衛線リューベックライン」を敷く構想を進めている。
「ナゼールよ。帝国は各都市の防衛強化を進めなければならん。2日後には、帝国全土に非常動員令の発布がされ、即日執行される」
「ハイ、皇帝陛下。動員令後には帝国の総兵力は150万を超えるでしょう」
「対する魔獣はどのぐらいだ?」
「百万は下らないでかと」
「戦えるか? イヤ、勝てるのか」
「直ぐには無理でしょう。すでに大本営は遅行作戦を発令し、遅滞防衛地帯を設けております」
「遅滞防衛地帯? 援軍は? 後詰は送らないのか?」
「陛下。現在、帝都以北の軍の増強と兵力の抽出を行っております」
「送れるものなら、送らないとな」
「しかし、逐次投入する訳にはいきません。彼らも分かってくれるでしょう」
「時間か」
「ハイ。仰る通り、兵を揃え武器を整えてとなるとかなりの時間がかかります」
「民はどうなるのだ。考慮しているのか?」
「防衛軍は最善を尽くしておるはずです。しかし大本営の侵攻予測、これは帝国要塞から港湾都市ブロージョまで流れるリューベック川以南になりますが、最悪の場合は失われるだろうと」
「酷い話だな」
「都市防衛を主とし城壁の無い村や町、小規模の都市の放棄も決められております。極めて妥当な事と思われます」
「リミニに続きステファノも危ないのか」
「残念です。豊饒の大地と言われる南ケドニアですが焦土作戦を行っております。食料の備蓄は運べるもの以外は焼却され、麦一粒たりとも魔獣に残さないよう厳命しております」
「何とか帝国要塞が守っていますが、それとて無事で済むとは思われません」
「要塞もなのか」
「ハイ、残念ながら打つ手は限られております。しかし悪い話ばかりではありません。ご存じの様にイリア王国から魔石がもたらされております」
「そうだったな」
「しばらくは持ち堪えてくれるでしょう」
兵力の分散は、帝国においても愚策と知られている。魔獣に各個撃破される可能性があった。だが、取り残されつつある小規模都市や村や町に向けて帝国民を守る為というより、人心を安定させるために南ケドニアでは救援軍の出撃が繰り返された。援軍と誤解されやすいが、これらは避難を補助する目的の軍事行動である。
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「今日も何だか煙いな」
南ケドニア各地では、あちこちで火の手が上がり、たなびく煙が人々を追いやって行く。
「リューベック川の橋は、期日を定められて次々と落とされていくというじゃないか?」
「アァ、たとえ避難民達が期日に間に合わなかったとしてもな」
「可哀想に避難民達は、行っても橋が無いと知れば途方に暮れるだろう。防衛軍は魔獣に危機感を抱いているからな」
「リューベック川を渡らす事は出来んからな」
「避難民を乗せた川船が両岸をピストン輸送しているらしいが、往々にして急流に飲み込まれる者がいるそうだ」
「乗せすぎだな」
「しかし、橋が無くとも避難民達は向きを変えて他に行く訳にはいかんだろう」
「そうだ。そこは俺達、兵隊と一緒だな」
「犠牲者が多くても変わらないだろうよ。避難は続くさ」
「是非もないか」
大胆な焦土作戦が南部穀倉地帯で執られる中、同時に民族大移動の規模で、北部への帝国民の移動が進められた。国内の南北の移動は、二千メートル級の帝国中央山脈が立ち連なり通行は困難だ。交通路は大きく分けて東部の海路、西部では、エルベ川沿いの二つである。この為、北部からの戦闘員の南下と重なって混乱を招き、一時的に輸送路と移動手段が枯渇すると言われている。
帝国の東部海岸に有る、港湾都市ブロージョからの船舶がピストン輸送で、ブレラに避難民を送っている。
「船長! じきブレラの岬です」
「アァ、分かった」
「やっと来れましたね」
「ウン。そうだなぁ」
「帰りには、載せられるだけの兵を乗せて引き返す。となる訳ですかい?」
「そうなるな。補給を済ませて直ぐに出港する。上手く風に乗れれば良いが」
「やれるだけやらないとね」
「そうだ、出来うる限りの兵力を増強しないとな」
帝国西側の交通路は、エルベ川沿いの街道拡張で対応しようとした。幸いスクロヴェーニからの、街道は帝国要塞のエルベ分岐点までは、山脈も途切れ平坦な農地が広がっている。そのため、魔法使い達は帝国北部からの兵員増強を優先し輸送力の強化に力を入れる事になった。魔法使い達もいるが、長大な距離の為に建設は時間がかかると思われている。
帝国軍には、少ないとはいえ近衛師団の一部として、3000人に及ぶ魔法が使える術者がいる。そのうち500人が、魔法使いと呼ばれる上級職である。帝王は近衛師団に命じ、交通路を確保する為に2500名の術者が、西に送られて、エルベ川分岐点以北の街道拡張にあたった。魔法使い達は体内魔力の量が限られるが、その破壊力や陣地構築等の建設する能力は目をみはるものがある。彼ら500名は、南下して防衛要塞を築く事になる。
帝都の南にある、リューベック川に作られる要塞群に200、帝国要塞・ブロージョ・ステファノの防衛施設建設に各100人が向う。帝国大本営は、絶対防衛線を敷き長期戦を覚悟しなければならなくった。考えたくないがリミニが陥落しても、帝国要塞さらに帝都ヴィータまでは地理的に離れて居た為、魔獣到来まで時間的猶予が有ると思われた。また、今後も各都市での遅延戦闘や焦土作戦が展開される予定だ。
帝国はこの大陸に住む、すべての人類に知らすべく使者をイリア王国や国々・国交を持たぬ国・遠く離れた自治領・自由都市にも送った。使者たちは、悲報ばかりでなく魔獣との戦い方・防ぎ方知りえた事すべてを伝えた。知らせを受けた国々は、救援の兵を送ることに決めた。
帝国と中央大陸には、海が有り交易こそ行われているが、この世界の帆船では微々たる兵力しか送れない。風に向かって走れる帆船が使われているが、帝国北部の港湾都市スフォル(行きに12日間、帰りは30日)と帝国東部のブレラ(7日間、逆は20日)から、中央大陸の港トリエステ間を結ぶ海路だが、思った以上に日数がかかる。嘗て、エミリーの父イバンが、若き日に中央大陸に商売に出かけた時と変わらず遠かった。
帝都ヴィーダに駐在する中央大陸の外交官達は、未曽有の危機にあっても申し訳する程度だが、イリア王国とエバント王国は同じ大陸にある為、帝国と同様に魔獣の脅威に晒されている。エバント王国は、属国化され戦力もエルベ川西岸の一部を守るくらいしかできないだろう。これは、属国化に伴い兵力を削減した帝国の政策でもあった。
残るイリア王国がどの位の兵を出して来るか不明だが、帝国に比べ100年から150年遅れた科学技術では期待できない。ただ、魔法は俊抜であり、魔法使いや術者の数も多いとされる。自然とイリアへの期待が高まる。
イリア王国は、参戦の意思を明らかにし、6軍団20万の兵を派兵すると表明された。驚く事には、20万の内、6000の魔法使いと、14000の術者が含まれ、合わせて2万人もの魔法が使える者達がいると伝えられた。さらに、帝国でさえ手に入れる事の出来なかった希少な大型の魔石を譲渡してくれた。更に、王国でも稀有と言われる、癒しの魔法の使い手を援軍に出してきた。
この話には、帝王と帝国の上層部も歓迎一色だ。これ以降、敵対的と言われる対イリア王国への政策が大幅に転換される事になった。期待される、イリア王国軍20万だが前線投入まで、行軍するだけで150日の月日が必要とされることが分かった。帝国は戸惑いを隠せなかったが、援軍は必要だ。かくして、帝国はリューベックライン防衛線とケドニア神聖帝国・帝国要塞による籠城を約した。イリア王国は、帝国を信じ、軍団を作り、兵を訓練して救援を誓った。
人類は、帝国の戦闘を教訓とした。
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第一王子セシリオの下には、帝国にある王国の外交官の一報より早く、メストレで魔獣の噂を探っていた密偵から火急の知らせがもたらされている。彼はメストレからリミニに移動し、部下の半数を失いながらも現在も帝国に留まっている。淡々と記された報告には、目を覆う様な事実のみが書かれ、それが一層事態の深刻さを物語っていた。
魔獣襲来が伝わった後、隣国エバント王国はエルベ川西岸まで進出し、現地帝国軍と共同して防衛線を築くとされた。これは各国に送られた救援要請に応えたもので、エバント王国は帝国に援軍を送る事を約しているが少ない兵力では難しいだろうとの事だ。
魔獣達は、地域の全てを食べつくしてから、移動すると思われている。現状の侵攻速度なら帝国要塞まで110日から120日。イリア王国軍が、行軍して魔獣に立ち向かうまでに150日の歳月が必要とされる。
帝国南部防衛線が、持ちこたえている間に援軍を送りこみ魔獣を殲滅しなければ、この大陸の人類はお終いだ。大陸だけではなく、この世界全てかも知れないが。
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「オーイ! 手が空いている者から集まれー。あいつ等を埋めるぞー」
「了解いたしましたー! 軍曹。ホントに食えないんでしょうかね? アレ魔獣化していなければ、大きくて美味しそうなイノシシなんですけどねー」
「俺もそう思うよ。美味そうな肉に見えるんだからな。尚更、残念だよ」
「まったくです。ですが、下手に食うと腹を下すそうですし」
「アァ、少しでもダメらしいぞ。毛皮としては、いい具合に使えるんだがなー」




