195 エバント王国の転換期
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「イグナーツ。最近、絶好調なんだ」
「それはようございましたね。やはり、活性化した魔石エネルギーの影響が出ているのでしょうか」
「活性化した魔石エネルギーねー。体に悪影響は無いのかなー?」
「ウーン、御屋形様は転移後10年以上経っておられます。その間に、魔石エネルギーを集める特異体質となられましたし、健康上の問題も無かったと伺っております」
「確かにそうだけど」
「で、現在の魔石充填速度はいかほどでしょうか?」
「領地の整備で魔力を十分使っているんだけど、寝る前でもかなり余裕が有るような気がするんだ。イグナーツが渡してくれる空の魔石だと、だいたい12・13日で満充填出来るんだ」
「なるほど、半月ですか」
「それが、徐々に増えているんですね」
「アァ、おかげで、魔力欠乏とは無縁になったけどね。魔力が余剰になってる感じだし、使わないともったいない気がするんだ」
「そうですか」
「だろ、効率的に溜めれるように魔力回収装置を作ってくれないかな」
「なるほど。そうなれば、御屋形様の余剰魔力をもっと魔石に転換できますね」
「難かしいかな?」
「フム、魔石エネルギー分割装置の反対ですから出来ない事も無いと思います。帝国要塞に置いてある魔石大を魔石小に分割する装置の応用ですね。少しお時間を頂きますが、承りました」
以前からの研究で、魔石エネルギーはムンドゥスの大気中に極めて薄く拡散しているのが分かっている。アレキ文明では、魔獣の血液に含まれる魔石エネルギーを集めて魔石を作り出していた。魔獣と同じと言う訳でも無いだろうが、何らかの理由でこの体は魔石エネルギーを集める事が出来るようだ。
魔石と言うのは、ひょっとしたら地球で言うヘリウム3あたりになるのだろうか。もし魔石が量産できたら、それは夢のエネルギーとなるかも知れない。もし、某シミュレーションゲームの様に膨大なエネルギーが極めて安価にできるなら、Iフィー●ド構築が出来たりするんだろうか? となるとミノフス●ー粒子あたりだって製作可能かも知れないなー。
核融合炉に使うヘリウム3は月面で発見されるかもしれないと言われているそうだが、それが、寝ている間に出来るなんてなー。ゲームでも現実でも、エネルギーの問題を解決出来ればすごいとは思うんだが……。やっぱ、人間辞めている感があるなー。
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イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室
歴史学講座 「王国の魔石」
これは後に「イリア王国魔石経済安全保障」と呼ばれるもので、ケドニア史とは密接な関連する事項となるので、少しばかり記すものである。
当時、王国では帝国同様に産業革命の初期とされ、蒸気機関のエネルギーを石炭から得ていた。魔獣大戦後、イリア王国では著しい経済発展が起きて経済構造が資源多消費型に変わりつつあった。当然ながら、多くの物を生み出すには多くのエネルギーを必要とする。石炭による燃料供給の伸びが消費に追い付かず、需給は逼迫し始めていた。
資源を効率的に利用し、経済基盤の強化を図る為には経済構造改造は必須である。熱効率を上げようとすれば、石炭から石油の世界に変わって行く。石炭・石油による利点も有るが、採出経費が増えて行くと利益を確保する為に技術発展が必要となる。さらに工業技術が発展し、産業が隆盛を迎える事となる。それは、公害と言う弊害を必ず起こす事になる。
環境を破壊し、なんら対策が効果をみないまま時間ばかりが過ぎて行くかも知れない。イヤ、既に公害は予見されているのだ。そんな時、カトー卿から、魔石大を5個から8個、数年間に渡って供給できると言う驚くべき報告があった。
どれだけの魔石が安定供給されるかにもよるが、本当なら、これらの問題を一部とはいえ解決出来るかも知れない。王国は魔石によって石炭や石油に頼る事無く、頭の痛いエネルギー問題を解決出来る。
もちろん、問題もある。これにより、魔石の重要性はさらに増すだろう。もし魔石が無くなり供給不安になければ、経済活動や市民生活のすべてに障害が出てしまうだろう。魔石が供給されている間に新しいエネルギーを開発するか、せめてその端に付かなければならないだろう。
だが、上手くすれば、イリア王国のエネルギー問題と言わず、アレキ大陸のみならず、中央大陸等に対して外交や軍事においても極めて優位な立場となるだろう。王国はエネルギー問題を一時的とはいえ、解決できる可能性を得たのだ。
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魔獣に破壊されたケドニア南部からは、食糧の収穫はなくなっている。内乱騒動によって再入植も思うに任せず食糧供給不安は続いていた。イリア王国からの援助をあてにしなければならないほど、とにかく少なかったのである。
内乱終了の前年は雨が多かった。洪水によって田畑に被害が出て飢餓が起こり、北部連邦軍の補給路を寸断したほどであった。翌年、作物の成長状態は良かったので、今年の夏の間は、かろうじてしのげるだろう。だが、冬の前になったら多くの場所で食料が不足する事となり、再び飢餓が繰り返されるだろう。
「カシミロ閣下。ようこそ、お出で下さいました」
「大使として当然です。宰相閣下も此度の事で大変でしたでしょう」
「お気遣いありがとうございます。帝都ヴェーダも随分と寂れてしまいましたが……」
「さすがに返答に困りますな」
「なればこそ、セリーヌ皇女を良しなに」
「承りました。ナザール閣下」
「カシミロ閣下におかれては、セリーヌ皇女殿下のイリア訪問を快諾していただき感謝しております」
「無理を言ってすみませんね。ナゼール」
「イエイエ、皇女殿下におかれては、是非ともイリア王国セシリオ国王陛下と仲睦まじくお過ごしいただけますよう、臣ナゼール伏してお願いいたします」
「分かっています、宰相。私も帝国の姫、マァ、多少……。年は行っていますがね」
「とんでもない。姫殿下のお力が有ってこそ帝国の安定が願えるのです」
「母、アレクサンドリーヌ皇太后にも言われています。その方達の努力を無にしないように、微力ながら力を尽くしてまいりましょう」
政略結婚とは政治や経済の駆け引きと、出世や利益を得る為の結婚とされる。結婚する当事者の家長または親権者が、己や家の利を狙って、当人の意思を無視してさせる結婚である。国家間の取り決めとなれば個人の意思など、入り込む隙は無い。食糧を渇望する帝国にとって、皇女一人の気持など考慮するに足らない。
もっとも、結婚する当人同士の意思を無視する非人道的な行為であるかのように思われがちだが、必ずしも無理矢理にさせられていたばかりではなかった。現に政略結婚でありながら良縁であり、幸せな夫婦も多くいるだろうが……。
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「セシリオ陛下、ご婚約おめでとうございます」
「アァ、ありがとう。カトー卿」
「そうです。本当にめでたいです」
「シーロ、そんなにか」
「エェ、私は半分諦めていましたよ」
「フーン」
「帝国との政略結婚では無いかと噂されてますからね。少し心配しました」
「噂ではなく、政略結婚なのだよ」
「カトー卿、王族や貴族はほとんどが政略ですよ。それに、陛下のようなお立場で、御成婚されていない方が珍しいんですからね」
「今更とは思うがな」
「やっぱり、そうなんですね」
「ところで、お相手のセリーヌ皇女とは?」
「ウン、まだ一度も有っていないな」
「その事なんですが、実は、10日後にお忍びでお越しになるそうです」
「へー、そうなんですか」
「帰還はちょうど1カ月、26日間です。随行員はお忍びですから20人ほどだそうです。皇女様ですから、絞りに絞ってでしょうが」
「マァ、いくらなんでも顔も見た事が無いと言うのもなんだからな。一度、こっちに来るそうだ」
「へー、良かったですね。陛下」
「マ、まぁーな」
「そうですよね。カトー卿もそう思われますよね。ですから、歓待をしないとまずいと思いますよ」
「とは言ってもな」
「あまり派手なのはねー。お忍びなんですから」
「ご予定は決まっているのですか?」
「エェ、まずはドラゴンシティーから王室の蒸気動車でロンダ、王宮にて歓談される予定です。後は追々決める事になるでしょうね」
「確か次の王都イベントの時ですね。王国を知ってもらってえるし、ちょうど良いじゃないですか」
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「どうしたんです。シーロさん、急用ですか?」
「呼び止めたのは、チョットした相談が有ったからなんです」
「なんだー。相談ですか」
「エェ、カトー卿。実はお忍びでお見えのセリーヌ皇女様と陛下がお会いになりまして」
「それで」
「陛下は一遍でセリーヌ皇女を気に入られたようなんです」
「エー。一目惚れですか」
「ウーン、実はなー。イヤ、まぁーな。で、相談なのだが」
「思ったよりお二人の気が合うみたいなんです。むしろ陛下の方がその気なんですよ。臣下としてやっと安心できそうです」
「オイオイ、シーロ。本題を言わんか」
「で、セリーヌ皇女殿下にカッコイイ所を見せたいみたいなんですよ。その相談という事でお呼びしたんですよ」
「? 陛下にですか。僕なんかより、陛下の方が経験豊富だと思うんですが……」
「エェ。ですが、陛下は恋愛経験が少ないんですよ」
「本当ですか?」
「エェ、ですが陛下が……結婚しなかったと言うより、出来なかったのはカトー卿のセイだと思われてますよ」
「エー」
「だって、魔石や転移ステーション、第4世代ドラゴン、超巨大ロボ、まだまだ有りますよ。金融知識からお菓子の店、ついでに砂糖やコメの生産。挙げれば切りが無いんです。国としての対応や調整で、どれだけ陛下や私達が苦労したかと思うんですー?」
「何となくすみませんねー」
「何が、何となくですか! あの夜明けまでの会議を思いだして下さい。それだけじゃありません。貴族をおとなしくさせておくのに、どれだけ苦労したと思いますー!」
「そうなんですか」
「そうだぞ。忙し過ぎてとても結婚している時間が無かったからなー。言っておくが、モテなかった訳では無いぞ。な、シーロ」
「エェ……っと、そうですねぇー」
「返事に意気が感じられませんが」
「シーロ。後で話が有るからな。それはともかく、貴族が騒ぎ出したのは、王都での男爵の披露パーティーからだったか」
「魔石を売り出した時ですね」
「あのガラス製のグラスもな。だが、癒しの魔法には心底驚いたぞ」
「あの時は、カタリナ皇太后様が気付かれたので、カトー卿にまで貴族達が突撃出来なかったんですよ」
「結果OKとは言え、冷や汗ものだったぞ」
「そうなんですか」
「マァ、母上としてはあのケーキが無くなると思うと気が気ではなかったんだろうけどな」
「ご冗談を」
「領地の事もありますし。カトー卿は辺境伯なんです。普通なら貴族達が放っておく訳がありませんよ」
「マァ、そのぐらいにしておいてやれ。シーロ」
「ハァ」
「貴族達もだいぶ落ち着いただろうし、皇太后によるしつけも済んだようだからな」
「エェ、そう聞いています」
「エ?」
「カトー卿と貴族達の接触禁止令の事ですよ」
「緩めるとなれば、皆、喜ぶでしょう」
「マァ、アポの行列は長いだろうがな。ハハハ。シーロ。カトー卿は貴族の慣習にも慣れたのだろう?」
「ウーン、そうですね。難しい気もしますが……マァ、家の事は家宰のセバスチャンに、カトー卿はエミリー少佐にまかしておけば良いみたいですから」
「アノー。本人の前でそんな話をするのはチョッと」
「ハハハ、そうだった」
「で、お話と言うのはセリーヌ皇女の事だったじゃないですか?」
「そうそう、知恵を貸して欲しいのです。陛下の事で」
「まさか、恋愛のノウハウじゃないですよね」
「それがー」
「僕を幾つだと思っているんです?」
「何とかなりませんかね。時間も無いし、なるべく知られたくないんです。手近なのはカトー卿しかいなくって。無理でしょうか?」
「ウーン、手近って。でもまぁ、人に知られるのは拙いですよね。そうですねー、あれが使えるかも知れません。よろしい。不肖、私カトーが女性の心を鷲づかみする方法を伝授しましょう」
「カトー卿、本当か?」
「僭越ながら、稀代の魔導士と言われて言われております。魔法を伝授いたしましょう」
「そうか、魔法か。ウン、魔法ならば……出来るのかも知れんな」
「吊り橋魔法と言うんですがね。任して下さい」
「ウ、ウン。よろしく頼む」
「この吊り橋魔法は吊り橋効果とも言います。これは、危険な場所や状況で一緒に過ごすと恋愛感情を持つという事なんですけどね」
「そうなのか。吊り橋と言ったが、危なくは無いのだな?」
「魔法と言うより安全安心の心理療法の一種です。心理学の応用ですから魔法が使えなくともコツさえ掴めばOKです」
「大げさに言えば、切れそうな吊り橋を渡る時に恐怖心とかありますよね。それが男女2人して渡っているとしましょう」
「ウン、切れそうな吊り橋か。確かに不安だな」
「この時、一緒にいたり、危険な事を一緒に経験したりすると、お互いに惚れやすくなるんですよ」
「そんな事が有るんですか?」
「古くは命を懸けた戦場ですかね。今なら……ウーンと遊園地の催しですね。イリアで言うと、王都でのイベントの時に出るじゃないですか。教会前の広場に出る魔獣屋敷とかが」
「アァ、あれはドキリとしますね。作り物と分かっていても女の人はキャーキャー言ってますし。男性も良い所を見せれますからね」
「そんな体験を2人してすれば、互いの距離も近くなるんですよ」
「なるほど、2人連れや恋人達が多いのもそんな理由だったんですね」
「ドキドキ場面で一緒にいると、特別な人ですか。恋愛対象になり易いという事ですね」
「ホーそうなのか」
「緊張する体験を共有すると、脳がそのドキドキ感を恋愛によるものと錯覚するんです。つまり、一緒にいる相手を恋愛対象として意識しまうのです」
「ウム、カトー卿の言う事は何となく理論的だな」
「より効果を出そうと思うなら、外見を魅力的にしておきましょう」
「例えば?」
「普段よりも髪の手入れとか、身だしなみは当然ですが、高級な服をさりげなく着こなすとか、カッコイイと思えると気分が上がり自信も湧きます。そして背筋が伸ばせば、自然と魅力的に見えるもんなんです。自信は効果に繋がるのです」
「カトー卿、貴族の服は流行の最先端。特に男性は目立てば良いという様な物がほとんどですが」
「アァ、そうでしたね。陛下の服装に限っては代々続く慣習みたいなで流行りではありませんね。マァ、服のセンスは流行ではなくとも、陛下は国王としての威厳は十分ありますから」
「ウーン」
「できるかぎり近い距離で、長く一緒にいられるようにするのがポイントなんです。散歩なら気軽に出来るんじゃないですか。王宮の花園はキレイですし、歩けば心拍数が上がるし、会話も弾むでしょう。距離を縮められてオススメですよ」
「フーン、なるほどなー。シーロもそう思うか?」
「私もそう思います。何しろ、カトー卿のいう事なんですから」
「ウーン? そ、そうかー」
「それでもダメなら、とっておきの方法が有りますから大丈夫ですよ」
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「陛下、聞きましたよ。良い雰囲気だそうですね。ダメ押しという事で、とっておきの方法を用意しました。例の吊り橋効果最強版と言うのです」
「ホー」
「豪華なパーティーや優雅なレセプションはシーロ卿が得意でしょうし、格式ある儀式の作法など失礼が有ってはいけませんからね」
「式典は王都第一教会でしたか?」
「婚約式も結婚式もそこだよ」
「また、リヨンの教皇を呼ぶんですか?」
「マァ、そうなるでしょうけど。その話は置いといて、このイベントでセリーヌ皇女を射止めるんです」
※ ※ ※ ※ ※
「凄いですね、カトー卿。これだけ近くでドラゴンを見れるとは」
「そうですよ。これも陛下の為ですからね」
「カトー卿に、礼を言わないとな」
「セリーヌ皇女も、嬉しそうですね」
「意外だよ。皇女がキャキャと言うなんて」
「お付きの侍女は抽選で選ばれたそうですよ」
「そうでしょうね。何しろ、あの伝説のドラゴンに乗れるんですよ。ドキドキ感たっぷりで、興奮しない訳が有りません」
「ガラス張りのイス席と言うのかな。中の感じは王室の馬車に近いが、似ているのはイスだけだな」
「ハイ、ドラゴン搭乗室と名付けました。ご覧の様に客室は王族仕様にしてあります。雰囲気も大切ですからね」
「そうだな」
「今回搭乗するのは、陛下とセリーヌ皇女様。シーロ卿とお付きの方。僕とエミリー少佐ですね。男性陣は、チャンと女性をエスコートして下さいね」
「ウム、任せときなさい」
「この前の席は操縦席です。僕とエミリーが座ります。ご搭乗していただくのは、後ろの豪華な4席です」
「中々凝った作りですね」
「この搭乗室は、部屋自体が第4世代ドラゴンに乗せれるのですよ。ドラゴンライダーと同じ視野で大空を観光できるんですよ」
「と言うと?」
「さながら、ドラゴンライダーの気分を味わえますよ。良いでしょう。座席は二人掛けです。この透明な膜は風防と言いまして、気圧を保てます。破損しても結界魔法で保てるようになっていますから安心して下さい」
「ホー」
「アァ、それから皆さん、飛行前はお願いしたように朝食は召し上がってませんね。お腹は空の方が良いんです。帰って来てからにして下さい。もちろんトイレは済ませましたね」
「言われた通りにしたぞ」
「カトー卿。そう言えば何処へ行くのか聞いてませんでしたね」
「アァ、チョッとしたお出かけですね。上の方へ」
「?」
「高度2万メートルです。今回は、遠出せずに上に行きます。上がった後ははるか下にムンデゥスの大地を観て、後は垂直降下ですね」
「それは、それは……」
「陛下、究極の吊り橋効果ですよ。頑張ってください」
※ ※ ※ ※ ※
「主、良いのか。ドラゴンの威厳と言うのも……」
「いいから、いいから。滅多にない飛行体験、それも伝説のドラゴンなんだか。一生の思い出になるんだよ」
「でもなー。いいのかなー」
「ミレア。ファンサービスというのが有ってね。これからはドラゴンと言えども厳めしいだけではダメなんだよ。親しみの持てるドラゴンにならないとね。王族や貴族だって、王国民にサービスしないといけない時代になっていくんだよ。その練習なんだから」
「そうなのかなー」
※ ※ ※ ※ ※
「ウン、まあまあの出来だったな。主よ、あんなもので良いだろう?」
「なあ、ミレア。最後の垂直ダイブの所なんだけど」
「エ……」
「飛ぶ力を抜いて普通に落ちているだろ。石コロみたいに。あれは、飛行ではないね。錐もみ降下なんてのは、慣れないと普通にビビるから」
「そうかなー。ワシ、頼まれたのは急速上昇の繰り返しだけだろ。だからサービスで反転やローリングしたんだがー。それに主が前に言っていた無重力状態が面白そうだったんでプラスしたんだけどなー」
「可愛く言ってもダメだよ。みんな本当に怖がっていたんだから。イリア王国の重要人物なんだしね。それにまだ、ムンドゥスの人類には、無重力体験は早いんだから」
※ ※ ※ ※ ※
「カトー卿。ありがとうございます。おかげで陛下とセリーヌ皇女は、上手くいきそうですよ」
「へー、あれ。大丈夫だったんだ」
「エェ」
「そうなんですか。良かったですね。でも心理療法なんてのは嘘なんですけどね」
「エ! カトー卿。今なんと仰いました?」
「吊り橋効果なんてのは無くて噓なんです」
「それって」
「実は、行われた実験は、吊り橋の真ん中で女性に声をかけられたときの男性の気持ちを比較したものだったんです。この数字には、効果が有ったと言えるほどの優位性はなかったんですよ」
「エー」
「データの取り方もまずかったみたいですしね」
「それじゃー」
「悪気はないんだと思います。自分の説の正しさを信んじ込んで、結論に偏りが出たのかもしれません。いわゆる確証バイアスですね」
「ハァ……」
「でもね、知らないという事は、ある意味強いんですよ。シーロさんは吊り橋効果が嘘だと知ってしまったので、効果は無いでしょうけど。しかし、陛下は知りませんから、吊り橋効果が効果的だと思っています」
「それって……」
「良いじゃないですか。結果が良ければ」
「でも、吊り橋効果で本当にモテたようですよ。どうしてでしょう?」
「簡単です。本当は、モテてもいないのにモテているという感覚を覚えればいい。それだけです。吊り橋効果はゼロでも、それを知らないで仕掛けた陛下は、セリーヌ皇女が、吊り橋効果で俺にドキドキしてると勘違いしてると思い込んでしまいました」
「エェ、そうですね」
「恋情も無いけど、たまたまそのような感覚になるから錯覚する。錯覚であるのに、本物の恋になって行くのですから。嘘から出たまことになったんです」
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イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室
歴史学講座 「エバント王国の転換期 その1」 より抜粋
「当時、ケドニア帝国は北部連邦と南部同盟に分裂していたが、便宜上、南部同盟が内乱に勝利し帝国を再統一しようとした事から、南部同盟をケドニア帝国と言い換えて話を進めているので注意するように」
時は少し遡り、エバント王国に話題を移そう。当時、エバント王国とケドニア帝国の国境は閉鎖寸前で有った。帝国で困窮した人々が、玉突きをされるように押し出されて国境を越えようとしていた。残念ながら、エバント王国でも経済状態や食糧事情は同じようなもので、決して良かった訳では無い。
魔獣大戦時には、エバント王室と王国民、全ての者の危機であり、悪くすれば人類存亡の危機であると教えられた。傭兵による戦力では足らず、国民皆兵だと言われて否応なしに兵役に就かされた。ああでもないこうでもないと言っても、彼らもエバント王国人である。やむを得ない処遇だと無理矢理にも納得する事が出来た。魔獣大戦が終わるまでの辛抱だと……。
帝国からの越境者達も、エバント王国には職も食糧も無い事を知り、多くの者が倒れてやって来た道を戻って行った。越境者がいなくなる頃には、要塞線や防衛ラインの部隊での食糧支給が減っていた。国境を警備する飢えた兵士達の志気は衰えていく。食糧や補給品どころか、必需品の欠乏は酷い有様であった。だが、これも混乱が収まるまでと思っていた。
幸いな事に、要塞線の兵達には魔獣との戦闘らしい戦闘は無かった。ケドニア帝国では激戦が続いているようだが、エバント王国としては3万を超える魔獣の群れが、国境近くの帝国要塞に侵攻した時にも無事で有った。わずかな例外として、はぐれモノのようなワイバーンに反撃したぐらいであった。問題は戦後である。
魔獣大戦が終わり、動員解除がされ、家族持ちや熟練労働者達が帰還していく。だが、経済は急減速しており、熟練労働者といえども職を得る事は難しかった。不景気下の高インフレであり、さらなる景気の悪化もあると思われており、それは予想されたよりもひどかった。
兵役を解かれた者達の生活は苦しく、この話はエバント王国の防衛ラインの兵達にも伝わる。当初、単身者ゆえの貧乏くじと思われた勤務で有るが、家族持ちと違い身一つである。ある意味、気楽な身分である。削減されていく兵数だが、ここに居れば失業の心配はなく、食いっぱぐれは無いはずで有った。
ありていに言えば、残された彼らが兵役に就いているのは、支給されるはずの食糧の為であった。そのパンが届かなかった。一部の兵は軍務を放棄したり、なおざりにしたりしており、その数は次第に増えていた。
だが、状況は変わらなかった。やがて、兵の不満はおさえきれない状態となっていく。「パンをよこせ!」「戦争をやめろ!」「王家を倒せ!」が叫ばれだした。誰に指図された訳では無く、ごく自然に発生したようだが、事態は反乱一歩手前にまで進んでいた。
※ ※ ※ ※ ※
エバント王国とケドニア帝国との国境は、アレキ大陸を南北に縦断する形のエルベ川によって作られていると言ってよい。帝国要塞はこのエルベ川がリューベック川と名が変わる分離点に築かれているのはよく知られている。その後、大河エルベは真南に流れを変えて帝国南部のメストレ市の西200キロにそそいでいる。その西にあるのがエバント王国との国境である。
帝国は南北問題で揺れて、事実上の紛争地域となってしまった。当然、属国同然のエバント王国も無事では済まなくなる。普通なら強者たるケドニアとエバント間の越境者問題が起こるはずがない。だが、帝国の南北紛争はエバント王国に於いても揺らぎをもたらしていた。
エバント王国では、オルランド・ランドルフォ・デルヴェッキオ国王の親政政治を非難する声も強まり、内乱はケドニアもエバントの社会と経済を疲弊させた。事態の急変により、タブーであったはずの反帝国運動も公然と話されている。
オルランド国王の権力の源は帝国の支持に有る。当然の様に、権力を維持しようとオルランド国王は独裁色を強め、反帝国活動を厳しく弾圧して力で封じ込めようとした。それに対して、反帝国派の主力となった聖秘跡教会が反発し、クラウディア・アッドロラータ・デガーニ教皇が中心となって王国南部各地からの支持を得る事となった。
オルランド国王は、紆余曲折を経たものの求心力を失っていった。口さがない連中は、オルランド国王を揶揄して首都ベルクール市長と言い出す者がでる状態であった。このままでは国王とは名ばかりで、首都ベルクールが置かれた北部を抑えるだけの存在となるかも知れなかった。
時の首相は、レナート・リザンドロ・リトリコであった。彼は事態を憂慮していたが、彼とても王室政治に口を出す事は出来なかった。実際、首相達は短期間で次々と任命されて辞めていた。首相には何の力も無かったのだ。彼が人々に記憶されるとすれば、エバント王室が廃止される時期の首相達の一人であったからでしかない。
帝国歴396年1の月、反帝国勢力は首都ベルクールでオルランド国王を襲撃するというテロを起こした。国王は、帝国との国境から一部の傭兵を呼び戻して、テロリストの鎮圧に乗り出す。テロリスト達は5の月までにほぼ制圧されたが、7の月にはレナート首相は責任を取って辞任し、時局はますます混迷を深めていった。
事態の収拾を図ろうとしたオルランド国王は、リベラータ・コンチェッタ・デルヴェッキオ妃の推挙したクレメンテ・ジェルマーノ・ゴッジを首相に指名して暫定政権を成立させた。国王の妃は、アンベール帝の2番目の娘であるリベラータ妃であった為、クレメンテ暫定政権内にはケドニア帝国の息のかかった者が多数存在した。
一方、エバント王国南部では聖秘跡教会急進派の台頭により、ケドニア帝国の教会法学者ジェネジオ・ロザーリオ・コッポリーノが組織した聖秘跡教会法廷会議が、教会法による原理主義的統治を掲げて急速に力を伸ばしていた。
既に述べたように、聖秘跡教原理主義と呼ばれた神学運動は、神の本場と言える宗都リヨンでより一層の発展を見せた。その指導のもとに、過激とされる教会急進派が宗都リヨンを席巻するのに、さほど時間はかからなかった。
往年の聖秘跡教会教皇の権威であれば、上位者として審判役を果たせるのであるが、クラウディア教皇は首都ベルクールの政治勢力と袂を分かち、イリア王国の庇護を受けようと画策していた。この事もあって、教皇周辺の者達は物理的な排除を懸念していた。そして、物理的な排除とは死を意味していた。
流石にクラウディア教皇の排除は無いだろうと思われたが、これらの理由で、反対していた教皇周辺は排除される事を恐れて、急進派の行動を容認する事になる。そして、聖秘跡教会法廷会議による宗都リヨン(リヨン共和国)の分離独立に合意した。それは奇しくも、国王の傀儡とも言えるクレメンテ首相の政権が発足すると同時で有った。
宗都リヨンを中心とする南部エバントは分離独立を宣言して、リヨン共和国を名乗った。この複雑な背景には、帝国と経済的な力で北部が長年にわたり国を支配してきた事があげられる。帝国が行う植民地支配への反発は、多くのエバント王国民が抱いていたのは当然であった。
クラウディア教皇は表面上では政治に関与しないとのポーズを取っていた。が、彼らへの反発もあり、牽制する強い意向が有ったと言われている。わずかな時間で教会急進派は聖秘跡教会法廷会議を呑み込み勢力を拡大させいた。急速に台頭してきた教会急進派に対する教皇周辺の者達の懸念は相当なものであった。
こうしてエバント王国は、国王、教皇、急進派による三つ巴の混乱に突入していく事となった。だが、三つ巴の混乱はさらに騒乱を招き果てしなく拡大していくようだった。
※ ※ ※ ※ ※
ナザール宰相が率いる南部同盟は、帝国民の保護を実行する事を決定した。ケドニア帝国防衛軍を派兵した事を平和維持活動と称したが、利権を維持しようとしたのは明らかであった。尚、表向きこの派兵は、エバント王国暫定政権のクレメンテ首相の要請を受けたという事になっている。
帝国防衛軍(実質は南部同盟軍である)がエバント王国に派兵されると、教会急進派は反発を強めた。そして、抑えの効かない者達により、日ならずして帝国防衛軍とエバント王国部隊を攻撃して、治安にあたっていた傭兵多数が殺害されるという事態を引き起こした。
戦闘後、エバント王国軍は報復として、独立宣言をしたリヨン共和国の首都である宗都リヨンを急襲して急進派の幹部を拉致しようとした。が、共和国民兵に反撃されて、急襲したはずの王国軍兵士多数が殺害されて作戦は失敗した。
民兵と言っても、退役した軍人が独立運動に参加して共和国民兵となっていたのだ。そこに属国支配を続けようとした南部同盟軍軍事顧問団が送られてきた。エバント人としては、戦前の帝国支配に戻ってはたまらないし、人々は、先祖代々帝国に散々むしりとられてきてる。民兵の、士気は非常に高くなっていた。
手元にあった武器に加え、政府軍から奪った武器を利用して、両軍を相手に大暴れする事となる。彼らの中には、元々エバント王国軍で軍事訓練をしていた将校もおり、戦闘だけでなく訓練や一般人への宣撫工作も出来た。しかも数百ではなく、数千人単位いたようだ。政府軍と南部同盟軍にとっては、殺る気満々の訓練済み民兵のもどきの軍人が攻撃してきた事になる。
軍事作戦失敗に衝撃を受けたクレメンテ首相は、拉致は困難であるとの同軍の意見を受け入れて宗都リヨンから兵を撤退させた。オルランド国王やリベラータ妃等の王室自体は治安悪化を嫌い、南部同盟に亡命状態となっていた。全エバント王国を統治するはずの権力は不在となっており、首相が撤退の決断を下せたのもその為である。
尚、余談であるがリベラータ妃がエバントを離れる際、ケドニア帝国の属国支配は正解だったというような話をしてエバント王国の人々から激怒された事があった。
ケドニア帝国とエバント王室は、正統に統治権を施行しているだけであるとして、暫定政府のクレメンテ首相の武力行使を支持している。しかし、首相の望んだ武力解決は遠のき、王国で2つの政府が存在するという状態が続いている。その上、各勢力はそれぞれ独自の意見を唱えており、まさに混迷という状態が続いていた。
もちろん和解、停戦に向けての協議が度々設けられた。隣国イリア王国の仲介で、数回にわたり和平交渉が持たれ、暫定議会も発足したが、それらもまとまらず、リヨン共和国の独立宣言は続けられており、エバント統一は困難であった。
聖秘跡教会圏では反エバント王家を掲げてテロを繰り返した。いわゆる急進派の一部である、聖秘跡教会過激派が活発になった。王国だけでなく隣国ケドニアなどでも誘拐事件などを起こし、南部同盟政府による掃討作戦が国境を越えて行われている。混乱は更なる治安の悪化をもたらした。
王国内の街道沿いの町や商人が賊に襲撃され、金品を奪われる事件は日常茶飯事となっていく。流通網は壊滅的な打撃を受けて経済活動がマヒ状態となり、食糧生産はもとより供給も深刻化していった。こうした背景には、治安悪化の為に魔獣大戦後の大量の武器が流通している事が一因であるとされた。また、賊の背後には各地方政権の実力者がいるとまことしやかに語られていた。
不幸な事は続くようで、帝国西部では旱魃が起こり、内乱に加えて飢饉が発生した。たださえ少ない食糧生産量で有ったが、自然災害が重なるというアクシデントが起こり、ダメージが大きく膨らんでいく。多くの者がエバント王国に逃れようとして、前述した大量の越境者を生む事になった。小競り合いも起きたが、エバント王国も同じ食糧不足である事を知って来た道を引き返して行った。
聖秘跡教会原理主義を標榜する聖秘跡教会法廷会議の反帝国運動も活発化しており、予断を許さない状態である。エバント王国は南部と北部で争い、その北部においては王室派と南部同盟派が入り混じって権力を奪取しようとしている。また、南部では教皇派と教会急進派がしのぎを削っている。
時が経つにつれ、各派はさらに分裂し混迷の度合いを深めていく。混乱は深刻化し、王室の権威は失われていく。そして、エバント王国混乱を避けたい多くの民は、イリア王国に向かう事になった。
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「シーロ。エバントもケドニア同様に混乱しているようだな」
「治安もそうですが、経済的損失は計り知れません。帝国と同じ南北問題なのでしょうか?」
「アァ、皆も心配しているんだがなー」
「そうですねぇ。陛下、この混乱は長引くと思います」
「同じ考えのようだな。まったく悩み事は尽きないな。父王や先代の王達の気持ちがわかるよ。早く引退したいものだ」
「陛下は即位して10年経っていませんよ。まだまだ、頑張ってください」
「そうだなぁ。とりあえず、一つずつ片付けて行くか。良し、エバントの現状を教えてくれ」
「影からの報告によりますと、帝国寄りの首都ベルクールの政権側と、聖秘跡教会の宗都リヨンを中心とした勢力との対立は深まるばかりだそうです。両方とも内部に問題を抱えてます。エバントは、いよいよ分解を始めたようです」
「ウム、南北に分裂でなく国家が分解かー。どちらにしても、ひどい事が起こりそうだ。まさか、一国が分解していくのを見させられるとはな」
「後は、そうですねー。ベルクールの勢力から、南のリヨンに流れて来る者が増えてますね」
「そうか」
「アァ、その反対方向の帝国側ですね。帝国からの民、もはや難民と言っても良いような者です。彼らが食料を求めてエルベ川を越えようとするのですが……やはり、追い返されているようですね」
「彼らも食糧不足だったんだな。まんざら無慈悲とも言えんか。しかしなー」
「それで帝国との国境地帯は事実上、閉鎖してます。無理の越えて来ても仕事も食料も、おいそれとは見つかりませんからね」
「ウーン。そんな事だから、玉突きのような感じでエバントからイリアに来る者も出て来るんだな」
「詰まる所、食糧不足のせいか」
「特に北部は顕著になってきています」
「人道に基づいて援助をすると言うのが我が国の基本路線です。イリア王室は陛下を始め、口で言うほど無慈悲ではありませんからね」
「無制限と言うのは出来んが、うちが国境を閉鎖する事は拙いだろう」
「今は何とか開けてますが、こうも問題ばかり起きては閉鎖も考えないと」
「そうかー」
「という事なんですが、人道援助は繰り返しています。むしろ人道援助以外は無理そうです。管轄は厚生省でやってます」
「アァ、魔獣大戦後の復員兵システムの援用だったな」
「エェ、これまで入国した者に適用しています。彼等には、まず一次キャンプに入ってもらい、その後は手に職を持つか、農業就業者になるか、いずれにしても男女とも就労可能な者には職業訓練を受けてもらいます」
「ウム。彼らの為にもなるしな」
「エェ、農地の開発は順調に進んでいますし、農業就業者は引く手あまたですからね」
「受け入れ数にも限度があるだろうが上手くやってくれ」
「各地の領主や貴族達も、基本的に利を得てますから内心では歓迎しています。領地に迎えるにしても、インフラの整備用に補助金を出してくれと言ってますがね」
「それぐらいはかまわんだろう」
「しかし、問題が有ります。残念ながらイリア王家とは異なり、エバント王家では基本的に国民は資源だと考えています。これは農耕社会では普通ですからね。資源の流失は富の流失と同じと思っています。これ、恨みを買う可能性が有りますね」
「良かれと思ってやっているのだがなー」
エバント王国の治安は日に日に悪化して暴力事件が頻発し威信も低下した。王宮での政治は、嘗ては小鬼と呼ばれた金融機関の者と聖秘跡教会の守旧派同士の言い争いが加わり、そこにケドニアからの独立派が参加して混乱に輪をかけていた。イリア王国とエバントの国境が閉鎖されるまで幾らもかからなかった。
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エバント王国南部に於いて建国されたリヨン共和国は存続の危機を迎えていた。危機は教皇を中心とする教皇派と聖秘跡教会法廷会議(聖秘跡教会原理主義を吸収した)の教会急進派との対立から引き起こされている。特に王家の権力が弱まるに連れて教会急進派の台頭が著しかった。
教会急進派は治安の悪化した市街地などで、聖秘跡教会法にのっとった自警団的な役割を果たす集団となり、民の支持を拡大、人気と武力を持とうとしていた。危機感を抱いた教皇派は、隣国のイリア王国に急速に接近する道を選んだ。
「猊下。長年にわたってお仕えしてますが、イリアの繁栄まことに目覚ましいものが有ります。わずか数年前ですが、時代が変わったとつくづく思います」
「確かに招かれて行ったセシリオ国王陛下の戴冠式、あの折に見たロンダの繁栄……。今ではそれも序の口で有ったとわなー」
「さすれば教会急進派に感付かれない内に、例の話を進めさせていただきます」
「そうであった」
イリア王国での聖秘跡教会は国教に近い。事実、聖秘跡教会教徒も多かった。前回、訪問した教皇派のジャンカルロ枢機卿が遣わされたのは当然の事であったが、その枢機卿は教会の外交官でもあった。教会は何百年も試練を乗り越えて生き延びてきた。その知恵がまた用いられる事になるだろう。
「セシリオ国王陛下、イリア王家直轄の新規開拓事業。まっこと見事な出来。おめでとうございまする」
「イヤイヤ、ジャンカルロ枢機卿殿。それほどでもありません」
「これも、陛下の臣民を思う気持ちが強いからでありましょう」
「なに、良い臣下がいるおかげですよ」
最初は、ごく普通の挨拶と会話がされた。暫くすると、会見の部屋から人払いがされ、いよいよ本題に入って行く。枢機卿は現在のリヨンの趨勢を述べて、セシリオ陛下に謎をかけるかのように独り言ちた。
「聖秘跡教会は神の教えの下に有ります。その教えは国によって左右されません。国の為に教会が有るのではありません」
「ウム、その通りですね。枢機卿、だとするとクラウディア猊下の真意は?」
「最悪の場合、独立を捨て、イリア王国との吸収合併も視野に入れておられます」
「なんと!」
「聖秘跡教会教皇には宗教的権威があります。猊下が遷移されるとならば、王国にとっても名誉な事でしょう。魅力的な提案だと思いますが……もちろん、お返事は直ぐにとはいきますまい」
「そうですな。少し時間を頂きましょう」
「では、良いお返事を、お待ちしております」
ジャンカルロ枢機卿はそう告げると、慌ただしく帰って行った。が、国王セシリオは、はたしてリヨンの情勢がそれを許すとは思っていなかった。
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イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室
歴史学講座 「エバント王国の転換期 その2」 より抜粋
「今日は中々面白い話で、エバント王国崩壊時の背景と混乱の様子だ。今もって教会急進派派陰謀事件はミステリーなんだ」
「ケドニア帝国では、経済効率の悪化は自国の要因によって支配されていたが、エバント王国の場合は、属国的な立場の為、常に労働力不足と経済非効率に加えて、交易条件の悪化、石炭の供給不足、まさに
帝国の思うままに支配されていた。そして根幹部分には南北問題が有ったんだ」
「では、そのエバント王国の南北問題をみてみよう。まず、エバント王国は2つのグループに大きく分けて考える事が可能である。皆さんも知っての通り、第1のグループは、首都ベルクールのエバント王室と政治勢力、第2のグループは宗都リヨンの聖秘跡教会である」
「何年かすれば属国的な地位から帝国に吸収合併されるだろうという事は暗黙の了解となっていた。国としての扱いとは異なり、政治的な発言は別にして、経済的にそれなりの生活を送っていたとされる。だが、ここにきて決定的な要因が生まれた。またしても魔獣大戦である」
「所得水準も工業化の水準も異なり、概して首都ベルクールは経済と工業化の進んでおり、所得水準は高かったようだ。一方、宗都リヨンは信仰に生きる聖秘跡教会の総本山である為、所得水準の低いと言われている。その成長テンポは遅く、工業化への志向は強くなかった」
「しかし、南は温暖な気候で農業生産地でもあった。食糧の生産と需給依存度をみれば、それは所得水準の高低にはあまり影響されず、むしろ、経済規模が大きくなればなるほどに依存度が高い事がわかる。しかも、エバント王国北部は、自給率がケドニア帝国よりはるかに少く、食糧の対外依存高かったしね」
「それに、魔獣大戦初期から発展が行き詰るようになった。それも魔獣の大侵攻が有った訳だから無理はない。すでに述べたように、人的資源、熟練労働者不足など、経済的困難が表出したにもかかわらず改革の枠組みは遅い。これは何処の国でも起こる事だけどね。クルクルと変わる内閣では、解決は難しく残ったままだったんだ」
「貿易収支の大幅不均衡、債務の急増という結果となって表われている。制度的柔軟性の欠除の問題に加え、エネルギー問題、労働力問題、そして農業問題は依然として解決の糸口さえも見いだせなかったからね」
「エネルギー問題については、前回参考として挙げた採炭鉱の話でおおよその事が分かると思う。北部では石炭の自給ができるはずなのだが、資本投下が出来ず僅かな炭鉱しか無かった。それ故、資源はあっても輸入せねばならなかった。程度の差こそあれ、ケドニア帝国と、イリア王国に依存しなければならなくなっていた。更に、少ない自給率とは言え工業化の進展によってエネルギー必要とされたんだ」
「で、その主要供給国であるケドニア帝国の石炭生産が急速に減り、自国の需要さえも満す事が出来なくなった。この事が、エバント王国のエネルギー問題を深刻なものとしてた。エネルギーが枯渇すれば、その先には何が有るか、言わなくても分かるだろう」
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イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室
歴史学講座 「エバント王国の転換期 その3」 より抜粋
教会急進派派陰謀事件とは、リヨンで起った聖秘跡司祭陰謀捏造事件である。これは帝国歴397年9の月に、ウルデリコ・ヴィジリオ・マーリ枢機卿がクラウディア教皇に、陰謀が行われるのではないかと報告した事が発端となっていた。
その内容は、教会急進派 がエバント王国軍の援助のもとにクラウディア教皇と枢機卿達を暗殺し、急進派のジェネジオ・ロザーリオ・コッポリーノ大司祭を枢機卿に即位させてリヨン共和国の権力を奪取しようとの陰謀をたくらんでいるというものであった。
8の月末、ウルデリコ枢機卿の下に何者からかの密告が有った。これに基づき教会司法警察の捜査が行われ、報告された通りの場所で秘密文書が押収された。この怪文書は教会司法警察の公表を待たずに漏洩する事となった。
おり悪く、エバント王国軍が武力によるリヨン市でのテロを画策した事も、教皇派をいっそう警戒させた。この捏造陰謀事件は混乱を作り出す為に仕掛けられた物で、当初ほとんど信用されなかった。が、火のない所に煙は立たぬとのことわざ通りならば、急進派教徒の間に謀反の企てが有るのではないかと噂される事になる。
陰謀捏造は誤解が解けたかに見えたが、ある事件によって事態が急転した。それは秘密文書発見者の変死であった。彼は自らのナイフで刺されていたが、首を絞められた後が残っていた。犯人はわからず、急進派教徒が陰謀の情報を知る者として抹殺したのではないかと噂された。
さらに、クレメンテ暫定首相秘書のテレーザ・エルダ・コヴェリがリヨン共和国の急進派とされる司教と手紙で連絡を取っていた事が露見した。単なる恋文ではないかという者もいたが、首相秘書のテレーザが送った手紙には不相応な大金が添えられており、これが企ての軍資金で、背後にエバント王国軍がいると考えられたのだ。
翻って、10の月には秘密文書の内容が事実では無いかと教会法廷会議員の一人が話した為、陰謀は事実と信じられた。この文書の存在により、教会司法警察では教会急進派一部を逮捕拘束した。同年13の月には急進派排除法案が聖秘跡教会法廷会議より提出された。
だが、急進派教徒が、教皇派の排除の陰謀を企てているという計画は集団ヒステリーの様相を呈していた。当時は捏造された陰謀が本当に存在していると信じられ、教皇派の反教会急進派の感情をあおり、聖秘跡教会全体がパニックに陥ったとされる。後に秘密文書は捏造された物と判明したが、遺憾ながら同年15の月までに30名の急進派教徒が処刑された。
陰謀発覚以来、教会急進派を敵視した教会法や異端裁判が行われたが、陰謀がまったくの捏造であったと分かると、反教会急進派を鮮明にしている教皇派の地位を著しく低下させた。しかしながらその後も、反急進派感情が根強く残っていた。
この事件が拡大した背景には当時の世相も有るが、クレベールの小鬼達と呼ばれる金融業者がいたと言われ、彼らが文書の存在を広めたとされる。事の起こりとなったのはイリア王国により実質的に、金融資本を奪われたと考えた彼らの意趣返しであったとされる。
これはジェネジオ大司祭が教皇派の反対により枢機卿に成れなかった事を知り、セシリオ陛下の御成婚を妨害しイリア王国の権威低下を狙い、陰謀を企てたとされた。
無論、聖秘跡教会や教徒が間違いを犯したのは初めてではない。過去には聖秘跡教会法廷会議が有力な次期教皇候補を殺したとの噂話もある。太陽の下とリヨン大聖堂のドームの中では何が起きても不思議ではないのだ……。
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イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室
歴史学講座 「エバント王国の転換期 その4」 より抜粋
「今日は、周辺国に対する影響を考えてみよう。特に、今は無くなってしまったエバント王国についてだが…これから述べる事は、現在ではイリア王国においてより、むしろ旧エバント王国において評価されている戦いだ」
これは名も知られていない兵達が、エバント王国や帝国軍が守る王国内の駐屯地攻略を目指して侵攻した作戦であった。この作戦の主旨は、短期的な攻略目標としてエバント北東部の首都ベルクールの攻略を行う事であり、属国支配されたエバントの独立を喚起する意味を持った戦いであったと言われる。
エバント国王軍、ここではエバント政府軍としておこう。魔獣大戦時、王国各地からエルベ川東岸の防衛ラインに動員された兵は、軍が約18万人とエバント国民軍と言われる臨時徴用された国民が3万人いた。本来これらの兵は魔獣の侵攻に備えて防衛ラインを築く為のもので有った。魔獣大戦後、それらが順次、兵役を解除されており総数では5万から6万人になっていた。
士気はともかく、ケドニアからの支配から脱却する為に、リヨン共和国の民兵と防衛ラインの兵達が立ち上がった。合計で22万名の装備は劣悪と言ってよく、補給も満足に出来ていなかった。対するエバント政府側の総兵力は主都ベルクール周辺の2万人といわれ、派兵されていた帝国兵の軍事顧問団は2000人で、遥かに寡兵であった。
元々、勝ち目など無かったと言える政府軍だが、加えて政府軍内部には北部連邦と意を通じる者達がおり、帝国に反旗を翻そうとしていた。もっとも北部連邦軍としてはエバント国内に攻め込む事は無く、国境において南部同盟からの補給線を断つと言う支援戦闘をする約定となっていたようだ。
この時期、転送陣により食糧援助を受けていた南部同盟では、北部連邦軍によって帝国要塞自治地区を取られたり、補給を邪魔されたりする事は死活問題であった。南部同盟軍の防衛力も強化されていたが、エバント政府への補給線の防衛力は十分では無かった。
エバント王国政府軍にしても自治区から食糧援助はすこぶる重要で、この補給線により王都ベルクールに送られる食糧は生命線と言えた。
魔獣大戦が勝利に終わり、軍務が説かれるはずで有った兵達だが南部同盟からの支援の為、引き続きエルベ川に駐留を命じられた。しかしエバント政府軍は、魔獣大戦初期より長期に渡って防衛ライン駐留を強いられており、補給も満足に行われていなかった。
なんとなれば、帝国要塞自治区から送られてくる食糧は、彼等を素通りしてベルクールに持ち込まれたのだ。彼らが欲するのは不足している食糧であり、帝国からの独立であった訳では無い。政府に対する不満が高まり、いつ騒動が発生してもおかしくないほどであった。
エバント王家とエバント政府軍が現場の意見を無視し、リヨンへの攻勢を無理やり行った。南部同盟の軍事顧問団は、作戦そのものを危惧したが、クレメンテ首相とエバント政府軍の投機的な判断で強行された結果、軍が民兵に敗れる事となった。
押し寄せる民兵と離反した兵達に対して、政府軍兵士でも軍務を放棄する者が続き、ベルクール陥落は確実との報が南部同盟にもたらされた。オルランド国王は、王室の不運を嘆いたが、それは既にベルクールが失われてから3日後の事であった。
南部同盟にて亡命状態であったエバント王家に対して求心力は失われており、民衆の反意はエバント全土に及んでいた。聖秘跡教会教皇の退位(一部では排除する事が検討されていた)計画も叶わず、民兵の鎮圧は不可能と見たエバント王家はベルクールを諦めた。
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上述した各要因により、エバント王国では王室の権威は霧散し、人心は離れた。ケドニア帝国にとって、エバント王室の価値は無くなったと言える。帝国歴398年8の月に、エバント王家は帝国によって解体される事となった。
残されたリヨン共和国とて宗教的対立が続き、教皇はイリア王国への動座を行おうとしている。麻のように乱れたエバントが、国家として存続する事は出来そうも無かった。




