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癒やされたいキャンパー。異世界を癒やしに行く。  作者: カトー
第20章 激動の世界
194/201

194 内乱勃発

 ※ ※ ※ ※ ※


イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「開講にあたって」


「前回、歴史学講座で魔獣大戦とは何であったのかを紹介したところ、かなり良い反応が有った。また、開講の希望も多かった事から、研究室では今までの研究成果を併せて講座を開く事となった。実に喜ばしい事だ」

「ハーイ。皆も応援しています」

「ありがとう。さて諸君、50年も前の事をあれこれ調べる事は酔狂な事だと思うだろう。残された断片的な資料を集めて考察をしていく訳だが、これも学問の徒として義務でもあり、後世に伝える責任があると思うからだ。私の事を変わり者だと言う者も多いが、この研究室にいる君達も同類だろうがね。ハハハ」


「さて、……春は来る。季節は巡るものだが、その春を迎えれる者は幸せだ。食糧の奪い合いが起こるなどとは、誰が想像できただろう?」

「そうですね。どんな感じだったのですか?」

「イリア王室の資料があるんだが……。エーと、この頃になると、イリア王国に居てもケドニア帝国での内乱発生の話が聞こえてくるんだ。王都ロンダの酒場で聞く話は、南部連盟が北部同盟相手に敗退しただの、イヤ、イヤ、勝ち続けているだの、負けているはずだとバラバラであった。ケドニアの民は塗炭の苦しみに喘いでいたが、所詮、酒場のつまみ話と言う処だった」

「当事者の帝国では大変だったのに」

「そうだね。まさかケドニア神聖帝国で現実にそんな光景が起こるとは数年前までは誰が思っただろう。それこそ暴力ですべてを解決するような世界だとわね」

「ウーン。悲惨な世界だったはずですが」

「アァ、でもね。イリア王国の景気は上り坂、それも日々に暮らしが便利になっていくんだ。遠く歴史書に記されたような、隕石テロ後の数十年を彷彿とされる世界が訪れるとは想像できないだろうし、自分達の生活とあまりにも違うからね」

「とは言っても……」

「王国領では魔獣の直接攻撃は無いに等しいかったし、魔獣はしょせん獣だからね。確かに銃器が運用されていたとはいえ、前回の大規模戦闘は建国時までさかのぼるからね。それこそ騎士道華やかりしの世界が残っていたからねぇ。理屈では分かっていたんだろうが、実際に人間相手に近代兵器が使われるとは思えなかったんだろう」

「フーン」

「そこも考えてみようか。では、始めるとしよう」


 ※ ※ ※ ※ ※


イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「内乱勃発 その1」 より抜粋


「既に帝都ヴェーダでは都市市民の代表が加わった帝都議会が政治に一定程度の位置を占めていたようだ。しかし、魔獣大戦により帝都の被害は甚だしく、議員達も犠牲になっており議会は閉会中であった。やむを得ない事ではあるが、自分達の意見が反映されていないと思われていたんだ」

「フーン」

「帝都議会の上部組織である帝国議会も似たような状況で有ったんだ。その帝都議会の対象は帝都そのもののはずだ。だが、帝都という性格上、議会で審議されればケドニア帝国全体に波及するだろうし、帝国民達の関心もあっただろうからね」

「そうですね」

「ケドニアにとって残念だった事は、賢帝と呼ばれたアンベール帝が崩御していた事だ。本来は調整役であったナゼール宰相が、アンベール帝の意思を継承するとして強権を発揮して政権を握ったんだ。この事が政情不安を引き起こす事になるんだ」


 魔獣大戦が終わり、動員解除がされて帝国は復興に移ろうとしていた。帝国歳費における軍関連費は異常なほど膨らんでおり、一刻も早い削減が求められていた事もある。魔獣大戦の主役であった軍主導部は、ナゼール宰相の軍縮策に批判的だったと言われる。当然、この事は議員達も承知していた。


 そして、大戦が終わっても一向に開かれない帝都議会に不満な議員達がいた。大戦前の議会では考えられない暴挙だからと、ナゼール宰相の権力に制限をかけたい帝国議員もいる。単に宰相から主導権を奪おうとする軍主導部や北部融和派もいて、言い争いが激化していく中で食糧不足が拡大していった。


 一時的にせよ帝都では復興景気と言うものが有り、道路や鉄路などのインフラが修復されている。特に新交通システムの地下鉄など野心的な計画も着工されていた。2度の帝都大戦と言う事情もあったが、あまりにも多くの人的資源を失った。一時的に専門性を必要とする人件費が高騰した。


 悪い事に、おりからの物価高騰により建設部材の供給がストップされ工事が中断となった。中断は波の様に広がり、さらに急激な景気悪化をもたらした。暗雲が、帝都を覆い尽くすかのように広がっていく。復興計画は次々と頓挫して職の無い者が急増し、日々の暮らしに困る者が出て来る。その中には食う為に悪事を行う者もいる。


 この異例な事態は、ドミノ倒しの様に帝国各地に広がり、治安悪化を招く事になる。結果、帝国全体に不況が進んで各都市で経済が悪化して行く。街道整備は放棄され、地方では治安悪化で泥棒どころか、盗賊団が出ているらしいとまで言われるようになった。


 嘗て無いような不況の最中でも、帝国要塞周辺区にはイリア王国からもたらされる食糧や援助物資等によって繁栄していた。その食糧は供給網が築かれていた帝都近郊や、ブロージョに至るまでのリューベック川周辺に供給されていた。街道さえ整備がされていれば……。北の地に送られていたはずの物資は届かなかった。


 魔獣大戦前、ケドニア神聖帝国は産業革命初期と言う驚異的な成長の時代を迎えていた。しかしながら、北部と南部には根本的な経済的地域格差が存在していた。だが、不況となった今、帝国北部では産業が荒廃し、街道の輸送力は衰え治安は乱れていた。


 北部の民も同じ帝国人である。生きる権利は同じはずだ。また戦後においても、それは変わらなかった。南部の力は拡大し続けており、地域格差は広がるばかりであった。北部では厳しい気候も相まって鉱山・工業・製造業が発達しつつあったが農業は小規模であった。


 だが、南ケドニアの豊饒の大地が失われて厳しい現実が目の前に突き付けられた。本来なら帝国中央山脈以南での作付けが進み、南ケドニアの豊饒の大地には及ばないものの、一定の実りが有るはずで有った。


 不況で有っても、食糧は必要だ。不足している食糧は、沢山作れば沢山売れる。だが、収穫量を上げる良いタネや良い肥料には金が要る。産業革命の時代と言われ、人々は都市で働く方が稼げた。貨幣を必要とする農民は職を求めて都市に移って行った。農民は数を減らしつつあるが、魔獣大戦でさらに減らした。


 追い打ちをかけるように南北間の緊張が高まっていた。いつ戦が起きてもおかしくな。戦場となれば、収穫など出来そうも無い。農地には、作物が植えられる事は無かった。飢えの時代がやって来た。


 ※ ※ ※ ※ ※


イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「内乱勃発 その2」 より抜粋


 帝国歴395年年4の月1日、帝都ヴェーダで抗議デモが行われた。この時、社会全体が崩壊するような内乱に突入したと言える。既に述べたように、帝国民は貧困にあえぐと言うような急激なインフレの真っ只中だった。経済が破綻し始め、物価が高騰すると貨幣価値が下がる。


 当時、前年13の月にはイリア王国の 1エキュが9リーグであった。だが、3の月には1エキュ60リーグまで貨幣価値が下落していた。リーグの価値は日毎に下がり、なおも物価は急激に上昇していく。商店の店先には売られる物は少なく、出し渋る商人もいた。


 それは物価高騰に抗議するデモだった。人々は何を求めるにも、長い行列と多くのリーグが必要だった。そんな帝都で、警備をする防衛軍の利用者が多かった乗合馬車と乗合馬車駅が標的となり、仕掛けたられた爆発物で多くの死傷者が出た。帝都ヴェーダでの爆弾テロ発生であった。


 帝都で死亡者が発生する程の大きな抗議デモが起こったのはこの時が初めてだった。抗議デモが、いつの間にか爆弾テロに変わったのだ。帝都に衝撃が走った。捕らえられたテロの実行犯達が北部出身であった事が引き金となった。ここでも南北問題と議員達の対立が影を落とした。議会については上述した通りだが、深刻さを増していたのは南北問題である。


 人々は話だけではなく肌で感じた。迷走という言葉がそのまま帝国の現状を現していた。内乱が確実視され、南北の対立は決定的となっていくと思われた。食糧不足が発端で有ったデモだったが、今や互いが互いに不信感を増幅させる事となり憎悪を募らせた。事態は南北いずれかの雌雄が決せられるまでに進んで行こうとしていた。


 帝国全土に緊張が走った。再び総動員の掛け声のもとに戦時経済となり、南北の軍需産業が息を吹き返した。両者とも財政の引き締めが図られた。多くの物が魔獣大戦時の様に国家統制品となり、規制に従わなかった者には厳罰が下された。そして高インフレは力ずくで押さえ込まれる事となった。


 強権下に有るとは言え、軍需工場の稼働により瀕死の状態であった帝国経済は息を吹き返した。動員解除された兵が、再徴用されて軍備が整備され軍が増強されていく。誰言う事なく次の戦いは近く、その相手は同じ帝国人であると公然と語られた。


 魔獣大戦後の帝国の人口は3000万人と言われている。北部連邦は1200万の人口であるとされ、対する南部同盟の1800万人には及ばないが、内乱初期には工業都市スクロヴェーニ占拠を計画していた。軍需廠が手に入れば火力は十分であり、南部に凌ぐ軍事力を持つ事が出来るとされた。


 確かに、南部同盟は人的資源においては北部連邦より優位であった。しかし、南部同盟は南ケドニア反攻作戦時の派兵時、南部を主体に動員されていた。そもそも、この作戦は戦史上からも特異な事例となっている。

 順調に始まった作戦だったが、超巨大魔獣と超巨大飛行魔獣と言う予想も出来ない魔獣の出現で頓挫している。不運な軍事作戦であり、一概に防衛軍の失策とは片づけられないだろう。


 それはともかく、結果的に戦死者を大量に出しており、その軍事力も後退した。その為、ベテランの兵は少なく、新規に徴兵された者の戦闘レベルは低く、与えられた装備品も不足していた。


 ※ ※ ※ ※ ※


イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「内乱とイリア王国」 より抜粋


「今回は内乱の概要と、原因や結果を紹介しよう。以下、帝都ヴェーダを中心とする勢力を、帝国崩壊後の名である南部同盟と呼称している。この名称については説明上、前後する事に注意して欲しい」

「ハイ、分かりました」

「南北問題とは端的に言えば、格差是正と食糧供給が不足している北部連邦(残念ながら、格差があるのは本当の事だったんだ)と、帝国の分裂阻止と秩序維持を目指す南部同盟(これは後の帝都ヴェーダを中心とした南部)との戦いである」


「いささか皮肉な事だが、帝室と宰相が北部を離反させずに帝国を再興し分裂を避けようとして考えた事が、結果的に南部同盟を創りあげる事になってしまったんだ」

「へー、そうなんですか」

「アァ、最終的に旧帝国の3分の1の人々が関係し、一説には内乱による死者数は162万人余とされ、負傷者はその4倍の760万人に及んだと言われている」


「隕石テロは例外中の例外として。この162万人という死者数は、これまで帝国の建国以来すべての戦の犠牲者を上回っていた。帝国の内乱の原因としては、当初から北部と南部の経済基盤となる産業の差異と、農業生産品の供給不足が挙げられている」

「格差は広がっていくんですか」

「アァ、残念ながらその通りだ。南部としても手をこまねいていた訳では無い。イリア王国からの食糧支援は有るが十分ではない。その為、フラン王国からも蒸気船舶による貿易路を拡大し安定化を図っていたんだ」

「北部連邦に比べれば、食糧供給がそれなりに行われていたのですね」

「そうなるね」

「そこで街道の整備がされてなかったのが問題になる訳ですか」

「食料が無いのは何処も同じだし、輸送されずに悪くなるよりは配った方が良いからなぁ」

「それに、ナゼール宰相は南ケドニアの再入植を進めていたんだ。つまり南部の農業生産の再生を優先したんだ。経済効率から言えば、もっとも効果的で復興に効果がある政策だったんだ。北部の人も頭では分かっているんだが、その日の食べ物が無いんだ。それが主因で内乱となるのだが……」


 帝国歴395年年3の月、ナザール宰相が大権を皇太后アレクサンドリーヌから移譲された事により、大義名分を手に入れた。(それ以前に彼は実質的に権力を手にしていた)


 そして、偶然では有っただろうが、帝都防衛軍が帝都のテロ捜索で暴徒と化したデモ参加者達を鎮圧した。その際、北部出身者を拘束した事で北部の人々は危機感を募らた。医師が坂道を転げ落ちるように事態が悪化していく。危機感を持った特別行政都市の9都市が分離脱退し、ケドニア北部連邦の樹立を宣言した。


 帝国歴395年4の月に始まった、ケドニア神聖帝国の内乱は食糧不足による飢餓が大きく影響したアレキ大陸史上で最も悲惨な戦であるとされる。ケドニア神聖帝国を脱退し分離独立を宣言した北部連邦9都市と7州と南部同盟の戦いは熾烈を極めた。


 結論から言うと、戦いは帝国歴399年14の月に南部同盟の勝利で終了した。5年半以上に及ぶ内乱は壮絶な結果となったのは言うまでもない。これには魔獣大戦により小銃等の個人用の武器が量産され、その拡散と技術革新が進んだ時期だった為である。


 北部連邦は自由都市との交易路で食糧を得ていたが、北の地にある港は季節要因で通年使用出来ず、フラン王国は南部同盟との交易を優先していた為に、食糧供給量は減少していく。食糧不足による社会不安、さらに魔獣大戦時、魔獣の侵攻を食い止める為に進化した大量殺戮兵器や技術は、今度は帝国民自身に向けられる事となり殺戮と破壊の恐ろしい世を作り出した。


 ※ ※ ※ ※ ※


 イリア王国からの食糧援助は、帝国要塞地域の転送陣によって行われている。食糧不足の帝国にとって、無くてはならないイリア王国の人道援助であるが、考えようによってはイリア王国に生命線を握られているようなものだ。


 そんな事が背景に有ったのだろうか? 魔獣大戦後には皇太后アレクサンドリーヌの強い意志により、第六皇女セリーヌがイリア王国セシリオ国王の下に嫁ぐ事が発表された。この婚約発表時には、さらに衝撃的なニュースが公表された。


 それは帝国要塞地区の向こう99年間にわたるイリア王国への租借条約であった。誰もが知るように、帝国要塞地区の繁栄は、経済もそうであるが要塞を稼働させる魔石もイリア王国が供給するおかげであった。だが、99年間の租借地とするのは、権利を割譲して返してもらう必要が無いという事に近かった。


 皇女セリーヌはイリア王国との婚約時に、帝国への食糧援助の増量を歎願していた。これは、ナザール宰相に帝国要塞地区の自治権を承認させて租借地とし、イリア王国の力を借りて1人でも多くの民を救いたいとの希望で純粋に帝国民の為であった。


 もちろんイリア王国側は歎願が無くても増量するつもりで有ったが、引き換え条件として婚姻によって両国関係の強化をする政略結婚であると言われてもしょうがない条約である。これも内情を知らない北部では、帝国が領土の一部を他国にゆずり渡す事だとして物議を醸した。


 既に、イリア王国大使館は帝都から移設され、帝国要塞地区には領事館で有ったものが拡大されて大使館となっている。帝国要塞地区は租借地とされて自治権を持つ事になり、要塞司令官はイリア王国大使となった。ナザール宰相は援助を確約させる事と引き換えに認める形となった。


 余談であるが、その後の要塞自治地区は要塞から東、嘗てのイエローケーキの産地であるカルパントラ周縁まで拡大している。尚、生産量を増大させるにあたって、土壌改良とインフラ整備、加えて耕作地の整備はカトー家のホムンクルス達によって行われている。この為にも、租借地であると言うのは自由に開墾と整備が行えるので良い選択であったのだが……。


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イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「スクロヴェーニ侵攻作戦」 より抜粋


「さて、今日は皆のお待ちかねのスクロヴェーニ侵攻について話そうか。この侵攻作戦は北部連邦としては失敗する事の出来ないものだったんっだ。ここの占拠出来るか出来ないかが、北部連邦の命運を決める事なるからね」

「突然の侵攻でしたね」

「マァ、そんな感じになるかな。当然、奇襲攻撃で戦果は上がるから。それに当時は宣戦布告という事は無く、南部同盟としては北部連邦の攻勢に突然すぎたと言う処だけどね」

「それはー」

「そうだね。まさかの奇襲だからね。結構、卑怯な行いだと非難する者もいたようだ。だが、騎士道物語の様に名乗りを上げてと言うのは無いね」

「勝つ為の手段としてですから」

「そうとも、これは内乱と言う名の戦争だからね」


 ナザール宰相は前年に全権限を掌握していた。皇女セリーヌの婚約は帝室外交の人と言えるが、帝国要塞地域の租借は論議を呼んでいた。実際、この2個を援助と引き換えにしたかのような条約が結ばれようととしていた。


 北部に向けての融和演説から100日と経たない帝国歴395年4の月に、おり悪く帝都ヴェーダでの爆弾テロがおこり、すべてが悪い方に転がり出した。北部9個の特別行政都市がケドニア神聖帝国から分離脱退を宣言。首都をラツィオとし、北部連邦が結成された。そして帝国は内乱へと突入していく事になる。


帝国歴395年年3の月末、北部連邦側は、特別行政都市ヴェッキア市近くに築かれていた南部同盟下にあったヴェッキア要塞に対して警告し、次いで退去勧告を発した。そして同年4の月12日、北部連邦のイポリート将軍が、ヴェッキア市に物資を運搬する補給隊に臨検命令を下した。


 補給隊は臨検を拒否して停止しなかった。すると、隊列の前後に2度の威嚇射撃が行われた。これを見たヴェッキア要塞は砲撃を開始。ここに、ケドニア帝国の内乱の口火が切られた。今回は、戦闘経緯を分かり易くするため、ボードゲームの様にターンを使って説明している。


第1ターン

 北部連邦による南部侵攻作戦は、北部連邦軍第8師団、第12機甲中隊によるヴェッキア要塞への攻撃により開始された。


 イポリート将軍は要塞の占領を目指し、夜間攻撃を含む奇襲攻撃を行った。まず師団と中隊はジュリア村を経てヴェッキア市へ進出。背後から要塞を守る南部同盟防衛軍第2師団所属の第3連隊戦闘団を攻撃した。


 奇襲と兵力の優位により、北部連邦軍は第3連隊戦闘団を短時間で撃破し、ヴェッキア市周辺を占領した。ヴェッキア要塞は、北部連邦軍の攻撃開始から5日と経たないうちに降伏し、要塞の支配権は北部連邦軍の手に渡った。軍事力で南部同盟を北部連邦軍が打砕いたことで内戦は長期化していく。


第2ターン

 北部連邦軍のヴェッキア要塞攻略第2陣は第7蒸気動トラック大隊で、要塞前方80キロに移動し布陣した。また先にヴェッキア市を占領した第32多砲塔戦車中隊は帝国街道4号線を東進し、峠を抜けて北ケドニア街道最大の都市、マツァーラ市に向けて突進した。


 マツァーラ市には南部同盟防衛軍第2師団所属の2個連隊戦闘団が守備についていたが、南部同盟軍は軽戦後に撤退。マツァーラ市は北部連邦の支配するところとなった。


 ちなみに、このヴェッキア要塞の戦いの後、北部に4都市が加わった事で、北部連邦側は規模を拡大することになった。しかし、これらの4都市には南部同盟寄りの市民感情があったため、その対応に北部連邦は苦慮するようになる。


第3ターン

 北部連邦軍独立混成第11師団がヴァッロ市付近に侵攻した。これで侵攻した北部連邦の兵力は3個師団になった。一方の南部同盟軍も有事増員によって次第に戦力を整えていく。

 独立混成第11師団は南部同盟軍第2師団を攻撃し、第50速射砲連隊と第17擲弾兵連隊はヴァッロ市から南下して集結しつつある第5師団を攻撃した。南部同盟軍各部隊は奮戦したが、両翼からの浸透を避ける為、健闘むなしく後退した。


第4ターン

 北部連邦第53速射砲連隊と第18擲弾兵連隊がポルデノーネ町に侵攻し、北部連邦の師団数は5個になった。他に擲弾兵大隊や独立混成大隊、蒸気動トラック部隊も遊撃隊として加わっていたので、実質的な戦力は6個師団を遥かに超えていた。

 一方の南部同盟軍は戦闘中の第2師団と第5師団に加えて、増援として第101師団が前線にはせ参じた。


第5ターン

 マツァーラ市から後退した第2師団を、北部連邦軍歴戦の第32多砲塔戦車中隊が攻撃する。戦闘結果は芳しくなかった。第2師団は現時点に踏みとどまっていた。

 また北側に陣取る第5師団を北部連邦軍が攻撃。こちらは五分五分の戦闘の結果だったが、南部同盟防衛軍は戦線維持の為、損害を甘んじて受けた。これは、これ以上平野への北部連邦の浸透は許さない為であった。


第6ターン

 南部同盟軍はバッティ市からスカファーティ村までの線上に3個師団を並べて防衛線を敷いた。その背後、南部同盟はパーリア町手前で2個師団が配備につき、反撃の機を伺っていた。対する北部連邦軍は最強と言われる第18擲弾兵連隊と第102蒸気動トラック大隊が攻撃を開始する。


 同部隊はパーリア町付近森林から突然出現し、南部同盟軍第11師団を攻撃した。しかも多砲塔戦車2個中隊を投入しての攻撃であった。だが、南部同盟軍は甘んじてその損害を受け入れ、パーリア町の峠を守り切った。

 北部連邦軍は、次いで第2師団の3個連隊を攻撃したが、こちらも結果は五分五分で南部同盟防衛軍側は損害に耐えた。


 侵攻初期の結果は北部連邦軍の優勢となった。そんな中、最後の抵抗とばかり南部同盟軍はスクロヴェーニ市北部で総力を挙げて反撃を仕掛けたが、押し戻す事はできなかった。

 この段階で南部側の勝機がなくなったと判断され、軍は戦力再編の為、残存部隊を後退させた。北部連邦によるスクロヴェーニ市侵攻は成功し北部連邦の勝利となった。


スクロヴェーニ市侵攻作戦の結論 

 南部同盟軍側の反撃作戦が常識的過ぎたかもしれない。最初、反撃戦ではマツァーラ市方面だけに集中する事無く、一部をヴェッキア市方面に送り、南部同盟防衛軍の防衛力を強化し北部連邦軍の戦力を分散させるべきであった。そうであれば、南部同盟軍の防衛戦力を強化させる事も可能だったかもしれない。


 ※ ※ ※ ※ ※


イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「内乱の経緯」 より抜粋


 帝国の内乱は拡大し、結局のところ南部同盟の勝利で4年後に幕を閉じた。中央政権的な国家としてまとまっていた帝国は、近代国家へ向かう事とはならず分裂して崩壊する事となった。そしてエバント王国を巻き込んで各地で紛争が巻き起こした。アレキ大陸の東半分は、さながら戦国時代の再来を思わせた。


 内乱終息後の帝国歴399年1の月、帝国法の修正が南部同盟議会で成立し、南部同盟憲章が設けられた。この内乱は、帝国社会全体に死の恐怖を具現化させた。多くの死者が出た一因として、技術革新が行われた小火器は、従来の銃よりもはるかに長射程で殺傷力も高かった為である。


 内乱による同胞の大量殺戮は、人々の心に大きな影響を与えた。影響力が薄れていたとはいえ聖秘跡教会の教えを信奉していた帝国民である。人々は、死がより身近に迫った時、神にすがる事を思い出したようだ。そして聖秘跡教会から派生した新興宗派を生み出した。


 この新興宗派はかなり独特な宗旨を標榜していた。聖秘跡教原理主義と呼ばれた神学運動は神の無謬性を謡い多様性を許認する事が出来なかった。新興宗派は排外主義・教条主義的思想を利用して暴力的手段に訴える過激な原理主義者だった。混乱が長引いた一因は、彼らの存在が有った為ではないかと言われている。


 それはさておき、帝国歴397年初頭、内乱中の北部連邦軍は意気軒昂で9都市の市民達の士気は高揚していた。それと言うのも北部連邦が勝利に次ぐ勝利を重ねていたからであった。当時、戦線や外交状況において、北部連邦を取り巻く環境は深刻化していたのだが、連邦は伝えられた報道などで知らされた勝利の報に酔っていたと言える。


 スクロヴェーニ侵攻戦後に行われた帝国中央山脈の戦い(帝国歴396年12の月11から15日)は、北部連邦は堅固に構築された南部同盟の防御陣地に果敢な歩兵突撃を敢行し続け、投入兵力約36万人のうち3万2人の死傷者を出して勝利した。この時、北部連邦は約24万人を投入しており死傷者数約1.5万人だったと言われる。


 帝国歴395年年7の月21日、ブルラン市の戦いで、レミ・マクシミリアン・ジェローム・カユザク将軍が指揮した北部連邦軍が、数の上では大幅に上回る南部同盟を後退させた。これにより、南部同盟が勝利を収めるだろうという希望は打ち砕かれ、ナザール宰相は10万人の兵士を召集する必要に迫られた。


 実際、スクロヴェーニ侵攻作戦、帝国中央山脈作戦、大洋東岸作戦と、北部連邦は開戦以来、南部同盟に対して立て続けに勝利し支配地域を拡大させていた。しかし、よく見てみれば南部同盟との戦いは戦術的には勝てていても、食糧供給の目途は無い。よって戦略的には痛み分けであり、南部同盟軍が殲滅された訳でもなかった。


 南部側には、いま北部が最も必要とされる食糧生産を行う事の出来る農地が有り、長きに渡り培ってきた帝国の伝統や矜持が有った。内戦の長期化を懸念され、南部同盟、北部連邦、両者とも戦力を大幅に増強しなければならなくなった。


 帝国歴396年初頭、南部同盟の帝都防衛軍司令官となったエンゾ・シルヴァン・ブリュノ将軍は、兵からの信頼はあったものの、軍を進めて北部連邦軍と戦う事に慎重であった。相次ぐ撤退は予想通り長期戦となっている。この事も有って、ナザール宰相の苛立ちは募っていた。


 敗退に驚いた南部同盟軍は帝国中央山脈からカンポバッソ村まで300キロに塹壕を掘って防衛ラインを築いていた。これは急派された帝国近衛師団の土魔法使い達によって構築した物である。予期せぬ防衛ラインの出現により北部連邦軍の足が止まり、戦線は膠着して互いににらみ合っていた。


 戦争時の常として死体は放置され埋葬も困難な状況となった。結果、疫病を発生させ、戦地以外にも広がる恐れが有った。尚、この塹壕戦では、対機甲中隊戦用に壕が深く幅広に作られていたので、さすがの第32多砲塔戦車中隊も活躍出来ず前進を止められていた。


 帝国歴396年の4の月、膠着状態の打開を求められたエンゾ将軍は、再編成された南部同盟軍の主力軍20万を、帝国中央山脈へ進軍させ北部連邦軍と会敵しスクロヴェーニ市奪回を目指す事にした。その為に、南側に進出したエルヴェ将軍旗下の3個師団8万名の将兵との共同作戦によって、北部連邦軍の挟撃と壊滅を図った。


 帝国年6の月20日から7の月1日に渡って繰り広げられた戦闘の結果、北部連邦軍へ損害を与えることが出来たものの、多砲塔戦車と蒸気動トラック大隊を中心とする機甲中隊の機動戦により大きな損害を受けて南部同盟軍は退却を余儀なくされてしまう。その後、南部側は、師団を再編成して南進する北部連邦軍をバハラス西方で迎撃した。


 エンゾ将軍の軍を北部連邦軍と対峙させている間に、エルヴェ将軍自身は動きを別にし、後進の増援軍とともに進軍。その後、南部同盟軍の部隊は、バハラス大本営の西方に於いて北部連邦軍の左翼に集中攻撃を仕掛けた。だが、再度、機甲中隊の背後からの奇襲を受けて撤退する事になった。


 南部同盟軍は帝都ヴェーダ北50キロに有るカザルヌオーヴォ村まで軍を後退させた。この勝利で勢いに乗った北部連邦軍は南部侵攻を開始。帝都ヴェーダへの侵攻を開始する。この一連の戦いは8の月26日から9の月4日であった。だが、南部同盟軍は立て直しに成功し、ロー村にて侵攻してきた北部連邦軍のエルヴェ将軍を迎撃した。


 この迎撃戦は、帝国歴396年9の月25日に行われた。犠牲者数は、南部同盟軍12万の兵力のうち34000名、北部連邦軍側が、約78000の兵力のうち約11000名に上り、内乱時の戦闘としては最も犠牲者の多い戦闘となった。


 そして、この戦いで北部連邦軍側が勝利した事によって、南部同盟軍は帝都ヴェーダへの後退を強いられた。


 ※ ※ ※ ※ ※


イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「多砲塔戦車隊」 より抜粋


 この文は帝国歴397年3の月、雑誌「帝都タイムズ」に掲載された記事を基に再構成している。当時、内乱の最中に有った帝国であるが、南部同盟軍の戦力を誇示する機甲中隊の特集企画の一部である。トーチカ攻撃を扱う報道は珍しく、残されている資料も少ない。内乱時の機動戦を知る貴重な資料となっている。


 私ことアントナン・オーギュスタン・デュトワは、権威ある帝都タイムズの記者を拝命している。今回は帝国の誇る機甲中隊の取材で有る。


 陸上戦艦とも呼ばれた多砲塔戦車は、多少速度は遅かったが戦場を縦横無尽に移動できた。欠点も多くあったが、重機関銃の弾をはじき返し、搭載された砲や機関銃での攻撃は歩兵の悪夢だった。榴弾片を弾く装甲は、薄い天井部分に直撃でも受けなければ破壊する事は出来なかった。


 だが、新開発の徹甲弾タイプを使用する速射砲は重大な脅威であった。また平坦な帝国中央山脈以南に多い低地帯では、多砲塔戦車は街道以外自由に動けず、遠距離からの速射砲隊のエジキとなる事が多かった。このような戦場では、随伴歩兵が重要であり必要とされた。


 帝国では長年のあいだ、タジ二両さん型多砲塔戦車と輸送用特殊車両(装甲車両は製作価格高騰の為、蒸気動トラックに改められている)の運用に注意をはらってきた。多砲塔戦車兵達は、低地帯や湿原で動けなくなった多砲塔戦車が速射砲に狙われる危険はできるだけ避けたいと思っていた。


 スクロヴェーニ軍需廠を占拠した北部連邦軍は、莫大な数の速射砲と新開発の砲弾を接収した。命中率の高いこの兵器は、多砲塔戦車隊にとって脅威であった。これを潰す為に、南部同盟の兵達は自らを犠牲にしなければならなかった。


 歩兵部隊は、多砲塔戦車を伴わない前進には消極的であった。多砲塔戦車は、速射砲攻撃を避ける為には緊密な歩兵の護衛なしでは、作戦にはでたがらなくなった。蒸気動トラック隊歩兵と多砲塔戦車との融合は、機動戦に不可欠であった。以下は取材したルノー・アメデ・ポーシャール軍曹の回想である。


「双眼鏡で、私は約700メートル前方に、草むらになった低い3連の丘を見つけました。その回りには、砲撃でも有ったんでしょう。霧のような煙があがっていました。怪しいと思いましたよ。頭の中でサイレンが鳴りました」

「ワイバーンの空襲警報でしたか。帝都で時々鳴っていたサイレンですね」

「エェ。で、目をこらして見ていると、暗い銃眼が見えたんです。トーチカですね」

「ホー」


「トーチカの制圧ですね。まず、多砲塔戦車が少し前進して射撃しました。3発でしたかねぇ。発煙弾を撃ったんです。白い煙幕がトーチカの前に拡がりました」

「エェ」

「私の前方にいた士官が飛び出して、腕をふったのを合図に、部隊全体が、腰を低くしながら小走りに前進を開始しました」


「戦闘の開始です。多砲塔戦車は、発砲と停止を繰返しながら前進します。私達は多砲塔戦車の後ろに付いてます。じわじわと、多砲塔戦車はトーチカの正面にたどりつきました」

「エェ」

「多砲塔戦車は射撃を続けてました。突然、右側が燃え上がりました。砲塔が飛んでドサリと転がりました。ボイラーを直撃したんでしょう」

「オォ……」

「速射砲です。対戦車と言うでしょうか、徹甲弾タイプの奴ですね」


「私達の回りには銃弾が飛んでいます。動けません」

「エェ。大変ですね」

「緊張の場面ですね。このあと、私達は反撃しないと全滅です」

「……」

「お決まりの九十二式重機関銃の制圧射撃で速射砲を黙らせます」

「上手くいったんですか?」

「エェ。マァマァだったと思います。迫撃砲が有れば良かったんですが……」

「そうですか。装備品が十分でなかったようですね」

「言ってもしょうがないですけどね」

「補充がぜんぜんだったようですね」

「軍需廠があれでしょ。多砲塔戦車が有るだけども運が良かったんです」


「それから、3人の兵が同時に飛びだして突撃したんです」

「ヘー」

「三一式軽機関銃と三八式歩兵銃の援護射撃です」

「ホー」

「アァ、慣れると音で分かります。今じゃ敵味方、同じ鉄砲ですけどねぇ。一人はすぐに倒れました。二人は数メートル走って、また数メートル走ってトーチカに達しました。直前で、一人やられました」

「それで」

「最後の一人が銃眼に擲弾筒を投げ込んだんです」

「……」

「これは、歩兵直協作戦の例ですが。しかも、無数にあった戦闘のひとつの例に過ぎないんです」

「……」

「それに、同胞同士が争った壮大な戦争なんですよ。いったい、何処でどうなったんでしょうかね」


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イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「社会的背景と北部連邦軍司令官エルヴェ将軍」 より抜粋


 内乱開始時の状況を考察すると、北部9都市で構成された北部連邦側が、軍事力の面で圧倒的に有利であり、特に軍需廠のあるスクロヴェーニを手に入れた事による武器生産と補給、さらに工業力など、優位性を持つ事になった。この為に、北部連邦側が戦闘を圧倒的優位に進められると思われた。


 そんな中、帝国歴397年の1月に出された南部同盟のナザール宰相の分離主義者撲滅宣言がある。しかしながら、その内容の寛容さもあって、北部の人々には何の動揺ももたらさなかった。歴史家が言ったように、分離主義者撲滅宣言を聞いた北部の人々達は反感を覚えただけで、逆に戦意をかきたてられたほどだった。


 その北部連邦の燃え上がる戦意の中心にいたのが、北部連邦軍司令官、エルヴェ・オジェ・ユベール将軍だった。彼は魔獣大戦第二次帝都防衛戦の英雄、サシャ・ジェレミー・ジェラルド・オジェ元帥を母方の叔父に持つという名門の北部軍人一族の出身であった。


 帝国の内乱前、エルヴェ将軍は名門の軍人であったのだが財産家では無かった。その為、将軍の青年期は苦労の連続だったと言われる。エルヴェ将軍は、傲慢で尊大な人間が多かった軍人のなかでは、珍しいほどに温和で誠実な人柄だった。


 結婚後、彼の人生は大きく変わる。彼は妻の家系を経由して財産の多く手に入れる事が出来た。もちろん、不正な行いではなく幸運が重なったものであった。これで彼は兵達から幸運なエルヴェと呼ばれた。(兵にとって、戦場での幸運はいくら有っても良い物だ)


 幸か不幸か、彼は北部出身で有った。そして、北部民の多くがそうであったように南部が平等な食糧供給をしているとは信じていなかった。また、それが事実であった。温和な人柄で有ったが、剣と銃によってしか故郷を守る事ができないようなら、軍人として誠実に戦うつもりで有った。


 実はナザール宰相は、内乱勃発時、まだエルヴェ将軍の故郷が帝国を離脱していなかったこともあって、帝国側の指揮官になってほしいと持ちかけていた。しかしエルヴェ将軍は故郷を守るために剣を取り、北部連邦軍に身を投じた。


 当初、エルヴェ将軍は北部連邦の軍事顧問兼参謀であった。北部連邦軍司令として歴史に出て来たのは、スクロヴェーニ侵攻作戦中にイポリート・フェルナン・コラール将軍が負傷し、退いた時に代わりに指揮を執った事による。


 軍事顧問を初めて見た北部連邦軍の兵は、軍の参謀としてはやや不釣り合いにも思える温和で誠実な人柄を見て、あだ名を幸運なエルヴェから従軍司祭と名付けた。

 彼が指揮を執った最初の大規模作戦は血の8日間の戦いと呼ばれている。その巧みな作戦指揮と積極的な攻勢により、スクロヴェーニ軍需廠を占拠した。すると兵達は戦闘司祭とあだ名を変えている。


 帝国軍兵学校校長であり教授だったピエロ・オーギュスタン・ポールは、後にエルヴェ将軍を評して、士気が高ければ、数的優位な敵で有っても跳ね返せると考える指揮官だった話している。また、帝都防衛戦のおり、魔獣の大群を前にしてゲリラ部隊の指揮を執ったり、重魔獣をゼロ距離砲撃したりする大胆な迎撃戦を行ったと話している。


 エルヴェ将軍は、普段から現場を知る者は現場にいると述べており、部下に権限を与えて最終的な責任は自分がとると言っていた。これに加えて、大胆な作戦や性格の温和さは、北部連邦軍の士気を高め、人心を得た彼は自身の言葉通り大きな効果をもたらした。


 帝国歴396年12の月、帝国中央山脈作戦では、部下のピエロ・オーギュスタン・ポール大佐に防御戦を任せ、彼が高地に築いた北部連邦の陣地より南部同盟軍を十数回にわたって砲撃してこれを粉砕した。エルヴェ将軍は砲撃によって壊滅した南部同盟軍を見て、悲惨な結果となったが北部連邦が生き残る為だと述べている。


 尚、山砲とも呼ばれたこの三九三年式75ミリ野砲は、速射が出来るよう設計された砲であった。野砲とは車輪などにより移動する事が大幅に楽であり、分解すれは人力による移動も可能であった為、山岳部の移動も可能であった事による。この砲も軍需廠があるスクロヴェーニ市を占拠した為に可能となったとされる。


 こうして、エルヴェ将軍は2回に渡って勝利を北部連邦にもたらした。それだけでは無く、将軍の部隊は帝都ヴェーダまで迫り、一時は第三城壁に向けて砲火を浴びせており帝都陥落かと思われるほどであった。名将の名に相応しく、将軍の帝都侵攻作戦は豪胆だが正確かつ繊細と言うものであった。


 将軍は、その温和な物腰で北部の将兵達を心服させていた。特に末端の兵になるほど信頼をしていたようで、将軍の命令なら何でも従うとまで言っていた。実際、将軍の率いた部隊に比して、大洋岸の東部戦線では北部連邦軍は不利な状況が続いていた。


 帝国歴399年4の月9日、北部連邦のエルヴェ将軍は南部同盟軍総司令官アナトル・マクシム・ヴィドンヌ将軍に降伏し、ケドニア神聖帝国の内乱は南部同盟が勝利し戦闘が終結した。降伏後、将軍は、一切の弁明をしなかった。


 結果的には敗北に終わったが、将軍からすれば分離独立を目指したと言うよりも、格差是正と食糧確保の為にやむを得ない仕儀で有ったのだろう。


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イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「北部連邦軍作戦要務令」 より抜粋


 北部連邦の先鋒隊は、機動力に優れたの騎兵で編成されており、哨戒と偵察に使われる。騎兵は1日60キロほどを走破でき、蒸気動トラックと遜色の無い移動速度であり、不整地では燃料を多く必要とする機甲中隊よりはるかに使い勝手が良いと思われる。

 だが、食糧難の為、衰え弱った馬だとして多くの馬を解体して食糧に利用したため、数が少なく攻撃力が不足している。


 戦闘では、機甲中隊と擲弾兵を乗せた蒸気動トラック大隊が敵戦力を無力化し、拠点制圧や残存兵の掃討、物資の鹵獲を行う。軍後方には輜重隊がゆっくりと後に続き後方支援を行う。


 尚、北部連邦の後方拠点には、本来ならいないはずの非戦闘員がおり、鹵獲した物資を分配配布している。拠点に待機していた非戦闘員の中には配給の食糧を支給されなければ生きてはいけないほど困窮している者もいるようだ。


 火器運用に長けており、帝国防衛軍の伝統を引き継いで、勇猛果敢に戦闘を行い損耗させる。砲撃で敵軍を混乱させ、擲弾兵を先頭に突撃が行われて敵軍を潰走に追い込む。また、古参兵も多くおり、練度が高い為、老獪な戦術として陣形を崩させるための偽装退却をよく用いる。


 城塞都市における包囲攻城戦は帝国ではほとんど経験されなかったため帝国軍は得意でなかった。しかし、北部連邦軍では帝国同様、開発局を置おいて先進的技術と技術を研究している。また、工兵部隊では古典的手法である水攻め、対塁建築、掘り崩し、爆破といった攻城術を取り入れているようだ。


 攻城にあたっては同じ帝国人であるとして、あらかじめ降伏勧告を発しするよう定められている。降伏に従った場合、生命の安全を保証している。攻略された都市は食糧不足の為、略奪こそされないが徴発が普通に行われる。不幸な事だが、降伏した後でも食糧不足の為に殺される事もまま見られる。


 北部と南部に挟まれた中間地帯の町や村は壊滅しており、その後も再建されずに地図から姿を消した所も多い。それは降伏した都市に対しても同様で、程度の差こそあれ再建困難となっている。当初、北部連邦は、執政官や監察官を置いて統治にあたろうとしたが、住民も少なく意味をなさなかったようだ。


 北部連邦軍は、南部同盟の動向や綿密な分析の下に作戦計画の策定が行われていた。内乱初期には、北部連邦軍の攻撃に先立ってあらかじめ情報を収集している。諜報活動を行う専門部隊が有るようで、実戦においても浸透した部隊が急襲をかける事が出来る。


 斥候や哨戒を進めて敵襲に備えるなど、きわめて有効であった。同じ帝国人であるとして容易に情報収集が出来た為である。あらかじめ北部連邦に帰服していた商人や、北部出身としていわれのない迫害を受けていた者の協力が得たようだ。中には古の貴族身分の者が復権を狙って協力する者もいるようだ。


 南下作戦の初期段階で、北部連邦軍の残虐さを物語るかのように数十万人の住民が虐殺されたとされたと噂されたが、これは戦闘によらず敵諜報部の戦意喪失を狙った宣伝工作だと思われている。まことしやかに伝えられる話は、北部連邦に協力しなかった都市は5年経っても人間の姿が見られないだろうと言う話だ。


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イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「内乱の終了」 より抜粋


 ケドニア帝国の内乱とは、当時の帝国の南部同盟と北部連邦の間で、帝国歴395年4の月から帝国歴399年4の月にかけて続いた戦争(内戦)である。


 ケドニア神聖帝国の北部と南部の諸州の間には、食糧分配や地域格差などを巡って何年もの間、一触即発の緊張状態が続いていた。事態の解決は不可能とした北部の9個の特別行政都市が、帝国歴395年4の月にケドニア神聖帝国から分離脱退して北部連邦を創設した。


 5年に及ぶこの内乱はケドニア神聖帝国の正統な後継者と唱える南部同盟から見れば、北部連邦の分離独立は一部国内勢力の叛乱とされるものであった。内乱の理由が食糧供給の不公平で有った事から、敗北を認めても何ら解決にはならなかった。

 

 北部は、南部の政治勢力が進めた食糧再配分生産計画に反対すると言う単純なものではなく、帝国から離脱する自由が権利としてあるとしていた。この理念の本質は、食糧生産と表裏一体をなす経済社会のあり方に関わる国家理念であるので、帝国からの独立戦争となったが、短絡的に言えば食糧供給のために戦ったと言わざるを得ない。


 結果、北部連邦は中央山脈以南で作戦を敢行し、農作可能な地域を戦乱に巻き込んで少量だった生産量をさらに減らす事となった。この為、長期に渡って記憶から消すことのできない怨嗟の念を南部同盟の人々に植え付けたと言える。口さがない者によれば、口減らしによって解決困難な食糧問題をうやむやにしようとしたのではないかという者さえもいた。

 

 しかし、戦後処理政策として、ナザール宰相は寛大な、融和的な方針を以て連邦(既に帝国との分離は決定的になっていた)への再統合を図ろうとしていたと言われる。実際、帝国歴398年3の月に行われた有名な南北融和演説では、戦勝を確信しながらも悪意を抱かず、すべての人に善意で接するようにと語っていた。


 不幸な事に、帝国歴399年4の月14日に起こった宰相暗殺未遂事件(狙撃は14日夜の地域指導者を交えた後援会の時に行われた)により、以後の政治指導が、旧帝国議会の急進派に握られ、北部にとって一層厳しいものとなった。


 内乱終息後、南部同盟地域は目覚ましい経済復興を実現した。平等原則が謳われたが、内乱然と同じように南部人優位思想と出身地差別が公然と行われた。敗れた北部では、平等に扱われるはずだと言う言葉を受け入れるしかなかった。


 当時の人口規模は南部同盟2対北部連邦1で1800万対1200万人の規模であった。だが、北部には南部より豊富な資金力、工場、馬、鉄道、そして軍事力があった。


 その軍は、魔獣大戦で疲弊した南部同盟とは違い、当時の帝国で最も優秀な兵士や指揮官達が揃い、戦力の抽出が可能であり軍には強固な軍事的伝統が維持されていた。だが、内乱は帝国歴399年に北部連邦側が降伏し、南部同盟が勝利して終結した。


 ちなみにこの内乱は、それまでに帝国で起こった戦いで、最も多くの犠牲者が出し帝国史上最悪の戦争であった。(餓死者を含めると魔獣大戦終了時、3000万人とされた人口は内乱によって1000万人以上と言う)

330万人が兵士とされ、およそ620万人が一般人でいわゆる非戦闘員で有ったとされる。死亡、数百万人以北部連邦は廃墟と化したが南部同盟も無傷では無かった。


 60万人の犠牲者を出したと言われるケドニア帝国の内乱を以てしても、実現しえなかった出身地差別撤廃が、50年の歳月を経てようやく現実化の第一歩を踏み出した。憲法修正第14条、第15条、それぞれを改めて法律として定め直し、憲政史上の大きな転換点を画する事とした。


 そして、このような講座が開かれ、歴史的検証がされるようになったのである。


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イリア王国・王立ロンダ大学・ケドニア神聖帝国史研究室

歴史学講座 「採炭鉱の人々」 より抜粋


 この文は帝国歴395年13の月、雑誌「帝都タイムズ」に掲載された記事を基に再構成している。当時、産業革命の初期段階に有った帝国であるが、蒸気機関のエネルギー源は石炭に依存していた。その日常を扱う報道は珍しく、残されている資料も少ない。魔獣大戦後のエネルギーを知る貴重な資料となっている。


 私ことアントナン・オーギュスタン・デュトワは、権威ある帝都タイムズの記者を拝命している。今回は帝国のエネルギーとされる採炭鉱の取材である。


 帝国中央山脈の中にある炭鉱の町コッレーニョにたどり着くのには、8日ほどかかった。私は防護用鉄帽をかぶり、鉱山作業員とともに、リューベックラインでも使われたと言う簡易鉄道に乗り込んだ。向かうのは、帝国中央山脈でも大きいと言われる採炭鉱で有る。


 コッレーニョは、1937年の記録では人口1万人弱の炭鉱町で、殺風景な長い平屋の軒が並び、灰だめが未整備の区画の真ん中に配置されている。帝国に有る多くの炭鉱町とも変わらない場所だ。


 広いムンドゥスでは何処かに露天掘りと言う炭鉱があるかも知れないが、ここは光が当たらない炭鉱である。石炭は地下に埋蔵されて地上に出る日を待っている。それを採掘して、地表まで運び出す作業が採炭である。


 危険と隣り合わせで有るので昔は罪人や今では禁止された奴隷が仕事をしていた。もっとも今でも貧困や失業、疾病、事故などの恐怖にさらされているのは変わらない。荒くれ者と言われる炭鉱夫達には、生活必需品や娯楽に不満が出ないよう多めに供給されている。

 尚、ここには熱心な聖秘跡教会の教徒がいて、福利厚生に力を添えたり、過剰な飲酒などの悪徳を嗜めていたりしている。


 さて、本題である。採掘した石炭は、岩石等の不純物が混じっている。これを切込炭という。切込炭は選炭を行って、石炭分のみを選別し精炭がつくられる。採掘した原炭を選別して、資材費、労務費、動力費および設備償却費、租税公課、借入金の返済および支払い利子等々の費用の諸経費を支払う。これで一般に、石炭と言われる商品となる。


 さらに販売経費が差し引かれて企業としての純利益となる。どの炭鉱でも可採炭量は限りがあり、掘り尽くせば閉山しなければならない。折しも、帝国は産業革命期にあり、エネルギーの確保に努めている。さらに魔獣大戦時、炭鉱は蒸気機関を動かすエネルギーとして、採算を度外視して採炭されており、一部では国有化も行われている。


「記者さんも、こんな所まで取材に来るなんて奇特な事ですな」

「イエ、仕事ですから」

「そうですか。じゃ、ぼちぼち説明して行きましょうか」

「お願いします」

「マァ、坑道をつくるに前には、当然、入口となる坑口を作るんですが、坑口位置の決定はきわめて重要なんですよ。間違えると後が大変なんです。一番は、交通路が地下の可採炭層群に近い事ですね。洪水・崖崩れも考えておかなきゃなりません」

「なるほど」

「まだありますよ。事務所、繰込場、動力設備、車両の待機線、製修工場に資材置き場もいります。用地もいりますが、水の便がよくないとね。坑口は複数個作ります。坑内には、新鮮な空気を取り入れる入気坑口が必要です。汚れた空気を排出する排気坑口も作ります」

「ホー」

「なんか、細かく言い過ぎですかね?」

「イエ、勉強になります」

「それならいいんですけど」

「どうぞ、続けて下さい」


「坑口位置が決められて、主要運炭坑道、主要入排気坑道に坑内作業員用の入昇坑を掘ります。坑道は2タイプです。立坑と斜坑ですね。炭層の状況により、通洞と言う水平坑道を掘る事もあります。片盤坑道ですな。炭層は断層、褶曲等のため、走向・傾斜が種々に変動しています」

「ウーン」

「主要骨格構造は、この変動に対して合わせます。たとえば、急傾斜炭層では立坑で作り、傾斜が緩く大きな地質的変動のないのは斜坑とかねですね。向斜・背斜軸が水平に近く、炭層が坑口水準より上のときは通洞開削にするとよいと……本当に、続けて良いですか?」

「エェ。マァ」

「採炭と言うのは、浅い区域にある炭層から順次深い所に及んでいくもんなんです。地下の採掘では、立坑と斜坑は、垂直距離数十メートルごと水平距離2・3キロ置きにつくります」

「それで長方形の箱型になる訳ですか。なるほど」

「分かっているじゃないですか。安心しました。次は入排気、運炭と人の通行です」

「坑内では有毒ガスを排出する為に通気を行います」

「エ! 危ないんですか?」

「マァ、程度によりますね。ここの坑内では爆発、ガスや火災等の災害が起きた時に他区域への拡大防止の為、分流して独立分流方式にしてます」


「運炭には列車か、ベルトコンベヤーです。ア、言い忘れました。入排気坑口の配置は中央式です。起業開始から営業までの期間が短縮できますからね」

「やっぱり、難しいですね」

「後で、詳しく書かれたパンフレットをお渡ししましょう。ようは石炭の出る所を効率よく掘らなきゃいかんという事です」

「ハハハ、仰る通りですね」


「ここからは分かり易いですよ」

「トンネルはカーブで急に狭くなりますから、車両から身を乗り出すと危ないです。先に言っときますけど、所々途中で暗くなります」

「なんか重たく、じめじめして、圧迫感があるんですが」

「マァ、トンネル内の空気の悪さは誰でも感じるそうですからね。少し、じっとしていれば慣れますよ」

「そうですか。じゃ、気にしないようにします」


「立坑の深いものでは地下400メートルになります。炭層は上下に50メートルですか。水平坑を掘ります。切羽は爆発物による発破です。これが出回るようになったので、ここまで深く掘れるんですけどね」

「近代的方法によって採掘され始めたのは、炭鉱が官営として発足した頃でしたね」


 その後も、案内係は元気一杯に説明を続けてくれた。頂いたパンフレットには全部載っているようだが、貴重な体験をさせて頂いて感謝している。


 尚、民営の炭田開発も活発化され、炭鉱数、生産量が増加している。その年の帝国の年間石炭生産高は196万トンに達していた。その後も産業革命の発達により需要増加、徐々に生産量が上昇して310万トンにもなったのだが、一時的な不況の影響で、生産の伸びは一時的だが鈍化した。


 そして魔獣の侵攻が始まり、魔獣大戦へと拡大された帝国歴391年以降、蒸気機関用のエネルギーとして石炭増産の国策に沿って生産量はうなぎ登りに上昇する。帝国歴394年の勝利を迎える頃には、年500万トン余を掘りだしていた。


 ナザール宰相は、戦後の復興と再建には石炭と鉄鋼の増産が必須であるとし、労働力、資材、食糧の特配等をしており、炭鉱員には傾斜生産方式を採用した。そのかいがあって、翌年に220万トン突破、翌々年には400万トンを超える予定であったと言われる。


 しかし、戦後の帝国全体を襲った人員と食糧不足、更には戦時中の増産のため、坑内は荒廃し、生産量は予定数量の半分以下で、おおよそ180万トン、炭鉱数は200カ所以下となった。(魔獣大戦後は正確な記録を取るのは難しく、概算となる)そして、急落した石炭産出量により、深刻なエネルギー不足となっていく。

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