188 港湾都市ビールジャンド
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空飛ぶ絨毯は、南の港湾都市ビールジャンドを目指して飛んでいる。高度を上げて確認すると、あと50キロほどでビールジャンドと思われる都市が見えてきた。天気も良いし、極めて順調に飛行中である。20キロほど手前には森に囲まれたお城の様な建物があった。あれはダルヤー魔法学園かも知れない。
森の緑の上を飛んでいたら少し開けた場所を発見した。何かが陽の光に反射してキラキラと光っている。何だろうと降りてみる事にした。ウーン。どうやら、広場の中央で何か揉め事が起こっているようだ。傍にいる人々は、それに注意を奪われていて、こちらには気付いていない。降りるのを止めて、通り過ぎようとも思ったけど、やはり気になる。
幸い、誰にも見つからない内に、絨毯を隠す事ができたと思う。取り敢えず、木の影から様子を見てみる。2人の男が剣を持ってチャンチャンバラバラとやり合っている。あれは、テレビで見た西洋の決闘みたいだ。決闘の話は聞いた事が有るが見るのは初めてだ。
中央で、2人の男が上着を脱いで白いシャツ姿で戦っていた。周りの人たちが、「右だ」「左だ」と盛んに声を上げている。これは思った通り、決闘の真最中だったらしい。2人が手に持つ得物は、細身のレイピアと言われる剣みたいだ。さきほどはその刃先が反射してキラリと光ったのだろう。
昔から決闘は個人間の争い解決する手段だったようだ。勝った方が、正しい事になるのはどこの世界でも同じだ。クシャーナ王国でも精霊は正しい者に味方し、正義の審判を行うと考えられている。だが、その決闘が精霊の名の下に正義の審判とされていたのは100年ほど前までで、今は決闘自体が珍しく時代遅れと聞いていたんだが……。
こうして、実際にやっている処を見ると、未だに多くの国で密かに行われているのかも知れないな。目的は名誉の為だというが、栄光や名誉回復あるいは憎悪や不和、理由はいくらでも有るんだろうな。君子危うきに近寄らずだよねー。見つからない内に離れるとしよう。
オ! いつの間にか、得物がレイピアからナイフに替わっている。互いにつかみ合って、アッと思ったら1人が胸にナイフを突き立てていた。1人が倒れてシャツに血のシミが広がっていく。周りの介添え人、おそらく証人も兼ねているのだろう、刺した本人も呆然としているのか立っているだけだ。
戦闘継続がダメになったら終わりじゃないのか! まさか、死ぬまで戦わせる訳では無いよな。こうなる事も考えて、普通は医者の用意をするんじゃないか? その時、僕の横にある道から、女の人が中央に向かって走って行った。驚いた! うっかり警戒を忘れていた。彼女はかなり怒っているようだ。
「バカ。バカな事をして、手当てをしないと。医者はいないの!」
「ウー」
「早くしないと、死んじゃうわ。誰か、ヒールを使って。私は使えないの! アァー、生徒だったんだわ。ヒールは無理ね」
「ウー」
「ナイフを抜かないと。こうなったら私が」
「チョッと待った。ナイフを抜かないで!」
「誰?」
「下手にナイフを抜くと、出血多量で死にますよ。ヒールが出来ます。良ければ僕が手当てしましょうか?」
「エ! でも、エェ、お願いします」
重傷者1名発生である。関わり合いになると面倒だと思ったが、ヒールをガンガン使いながら、血管や臓器を考えて、ゆっくりとナイフを抜く。既に麻酔代わりの眠りの魔法をかけているので、よくお休みのようだ。暴れない方が治療も楽だし治りも早いだろうと思う。
人とは違ったヒールのかけ方らしいが、エミリーのケガを上手く直してからは、この方法である。無詠唱だし、ヒールを唱えると、当てている手が少し光るんだけどね。人助けだからね。我ながらうまく出来た。マァ、日本なら医師法違反である。出血はしょうがないが、傷は治ったように見える。
結果、倒れた者は命を落とさないで済みそうだ。普通、この地では、見て見ぬふりをして通り過ぎるんだが、知らぬ顔も出来ないし、つくづく善良な日本人だと思うよ。水魔法で手と血に濡れたナイフを洗いながら女の人に話しかける。
「危ない所でしたが、もう大丈夫だと思います。血を失っているので安静にさせて下さい。後で、お医者さんに見せて下さいね」
「ハイ。本当に助かりました。ありがとうございます」
「イエ、通り掛かったのも何かの縁ですから。これ、さっきのナイフです」
「ア、すみません。私、魔法使いのリラー・ブーシェフルです。生徒が、ご迷惑をお掛けしました」
「先生なんですか?」
「エェ、ダルヤー学園で助教をしています。この子達は後で、きつーく叱っておきます。でも、助かって良かった」
決闘は多くの場合、邪魔が入らない場所で行われる。この場所は学園の近くにあり、生徒達の中では結構、有名だったようだが、僕も剣がキラリと光らなかったら行き過ぎ他かも知れない。運よく助ける事が出来たが、これは精霊のお導きと言うやつかも知れない。
決闘で使われる得物は伝統的に細身の剣とナイフとの事だ。両者とも同じ条件で決闘し、魔法が使えない決まりである。隠れて身体強化の魔法が使う者がいれば差は歴然だし、攻撃魔法では周りも危ないからと言っていた。むろん、使えば無条件で負けとされているそうだ。
暫くすると、周りの者達が決闘は禁止されているが学園の伝統だとか、二手に分かれて国王派と反国王派だからとか言い始めた。どうやら、決闘になった原因は一方は正しいのは国王派であると言い、否、反国王派だと固執した事らしい。大人のケンカを見ていたのかな。
「君達! 決闘は学園の伝統とか言ったのかなー。それに国王派と反国王派だってー!」
反省しろよと言いたいが、マァ、涙を流して助かったと喜んでいる先生が十分に叱ってくれそうだ。リラー先生が、5人の方に向き直り、手のひらでナイフをパタパタと軽く叩きながら近づいていく。参加者の5人は、自分達が何をしでかしたのか、やっと気が付いたようだ。
先生、怒っているぞー。怒れる魔女は輪をかけて怖いんだぞー。ウン、僕はエミリーで経験済みだから、よく分かるんだ。今、リラー先生が使ったのは身体強化魔法だな。
「すみません。本当なら、お礼をしないといけないんですけど」
「イヤ、良いんですよ」
「あの、バカ達を学園に連れて行かなければならないので」
「分かります」
「何とかこの事をウヤムヤニしないと、卒園出来ませんからね」
「そうなんですか。先生も大変ですね」
「エェ、でもカトーさんが良い人で良かったです」
「そうでもないですよ」
「このバカ達、と言っても貴重な魔法使い。それも飛び切り貴重だとされる男性ですからね。これぐらいにしておきます。君達! 2度は無いですよ!」
取り敢えず、5人の顔があちこち変形しているけど助かって良かった。さすがに、ケガをしていた1名は別だったけど……。服はまた買えばいいからね。でもね。彼らは決闘がカッコイイとでも思ったんだろうか? 若気の至りかなんか知らないけど、少しは考えろと言いたい。
生徒達が復活するまでリラーさんと少しだけ立ち話をした。リラーさんによるとダルヤー学園から王都のハーフェズ城に行った者は手練れの3人だったそうだ。彼女達はまだ帰ってきていないが、得体の知れないモノを押し止めた事は承知していた。それに、自分も港の見える公園での祝賀パレードも観に行ったと言っていた。王都の出来事は知っているようだが、参加者までは知らないだろう。当たり障りのない話をしておいた。
「じゃ、これで」
「待って下さい。カトーさんはビールジャンドに行かれるんですか?」
「エェ、そうですが?」
「第2城区にフェルドースという宿屋が有ります。親戚なので私の紹介だと言えば割引料金にしてくれると思います。良ければどうぞ」
「ありがとうございます。そうさせて頂きます」
予定では、空飛ぶ絨毯7号機から降りて、街道近くの村に寄り、馬車かロバを借りるつもりだったんだがなー。マァ、見つけれない場合もあるし、歩けない距離でもない。空飛ぶ絨毯型馬車では城門で目立つかも知れない。と言うより確実に目立つ。背負子を積んできたから、ここから歩く事にするか。空飛ぶ絨毯は、このまま分解して土に戻すことにした。
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城門の入場者の列で少し待たされた。城兵に第2城区の宿屋フェルドースまで荷運びですと言ったら、ボウズ頑張れよ! と言われただけで無事通過できた。ひょっとして、王都から御触れが回っているかもしれないと思ったが杞憂だったようだ。マァ、着替えもしたし、第一、背負子に荷物を積んで移動する貴族などいないからね。
宿屋フェルドースは、すぐに分かった。旧市街と呼ばれる街並み近くで、小奇麗な宿であった。背負子に荷物を積んだ少年が入って来たので客とは思われず、怪訝な顔をされたがリラーさんの紹介だというと歓迎された。ここは伯母さん夫婦がやっていて、ビールジャントでも老舗の宿との事だ。
「で、リラーはどんなだったかね?」
「熱血教師と言う処でしょう」
「へー。あの子がねー」
「魔法の腕は確かでしたからね。可愛い姪なんですよ。今は一族の誇りで、貴族様になっていますけどね」
と、叔母さんのラーダン・ニハーヴァンドさんが言っていたが、ここでも世間一般の当たり障りのない話で済ます。そもそも決闘で知り合った訳だし、人助けはしたけど話した時間は短かった。宿では何時もの様に値段交渉に身構えたが、紹介という事で少しのバトルで終わった。
セムナーン村では、1泊朝食付きで4500デュラムだったが、ここは1泊朝食付きで5500デュラムである。設備や立地を考えるとかなりお安いと思う。最近は、鍛えられたのか、値段交渉が苦にならなくなってきた。これも慣れると楽しく思えるから不思議なもんだ。
フラン王国へは船便で行くつもりなので、夕食時にフロントに寄り運航スケジュールを聞く。次の船は9日後のはずだが、正確な事は、港で聞いてくれと言われた。この時期は、出港予定の変更がままあるらしい。また、夏とは違い、冬は荷動きが少なくなるそうで月に一度の出港に変わるらしい。明日には乗船予約をしに行くつもりだ。
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3階の部屋は通りに面していたが、港は見えない。荷物は3箱と少ないので部屋に持ち込む事が出来た。普通はベッドだけだが、この部屋には小さな机とイスが置かれている。さして広くもない部屋だが、家具が置かれているのはチョッと珍しくので評価を上げる。ベッドには清潔なシーツが敷かれており、魔道具の入った箱を荷解きして並べていく。
イル王国で購入した魔道具は転落事故の為、防御結界装置と火魔法の短杖だけになってしまった。転落前までは10個が動きそうだったが残念な事をした。助かったと思った2個も、壊れてしまったようで記念品になっている。マァ、それでも火魔法の短杖が残っていて、お金に換えられたのは幸運だった。
それはともかく、、王都ドルードで手に入れた11個は、期待できそうだ。おそらく、大半が魔力切れなのだろう。やはり、家宝として残されていたのだろうか? 程度も良さそうだ。イルの時と同じで、身に付けていれば魔力充填されるはずだ。ㇷと疑問を持った。以前と比べて最近は魔力が増えているんじゃないか、と思えてしょうがない。
前は魔力が切れそうでフラフラした事があったが、今はそれ以上に魔力を消費してもOKという感じだ。よく分からないがレベルアップしているのだろうか? ウエブ小説には、魔力が枯渇するほど使用して、段々と増やして行くという話もあるし……。確かに死ぬような目には何度も有ったけど、こんな事有るのかな? やはり、イリアに帰ったら専門のイグナーツに調べてもらわないと……。
マァ、それはそれとして魔道具だ。4個は短杖で火と風の魔道具。2個は花瓶? 水筒かも知れないが、水魔法の魔道具で有るようだ。残りの5個の魔道具が新タイプとなる。まず、15.4インチぐらいのノートパソコンサイズで厚さ5センチの箱。説明書には気候予測台とある。なんでも3日後までの天気を予想してくれるそうだ。持ち歩いて使用するのは辛いが、馬車の中ならOKである。
スプーン型の毒検知器は、かなり実用的なデザインでマイスプーンとして使用しても良い。鉄製なのか鈍い鋳物の色をしており普通のスプーンと見えなくもない。むしろ、そのように意図して作られたのかも知れない。高そうな小袋に入っていたので、王侯貴族か金持ちの商人が使っていたのかも知れない。説明書ではナイフとのセットらしいがナイフは無かった。尚、フォークは最初から付属していなかったようだ。
地図魔法センサー、これもノートパソコンサイズで厚さ8センチぐらい。500メートル四方のマッピング情報が整理されて出て来る。ディスプレイ式なので、僕が使っている地図魔法の方が、脳内に出て来るので優秀かも知れない。きちんと入力すれば、敵味方が色の点として表示されるとあるが、根気が必要となる。移動時の使用より、基地などでの固定使用の方が良いだろう。
次は、魔力次第だが相手の3秒後の動きを知るメガネ。かなりイケている魔道具で有る。しかも、高魔力だと5秒になるらしい。だが、目がひどく疲れるとある。本当なのかと思うが、窓から入って来た虫の移動場所を確認できた。
すぐ頭に浮かんだのは宝くじと、競馬予想。知っている人がいれば禁止となるのは確実である。使いどころが難しいだろうが、王国にぜひ持って帰りたい。だが、待てよ。予想では無く、相手の動きと書いてある。使用方法をよく読んでみると、敵との戦いや、野獣と対峙した時に使う兵士用とある。残念であるが、マァ、用途は色々と有るだろう。
一番気になるのは雷の籠手と言われる魔道具で、これが本命かも知れない。金属製でゴッツイ。この魔道具は説明書が無かったが、これはもう攻撃用の魔道具に間違いないだろう。左手に装着するらしく、グローブと一体型で日本の剣道で使われる籠手に似ている。さすがに、身に付けて表を歩く事は出来ないので、宿に居る時に魔力充填してみるつもりだ。
少し後の話だが、この籠手、魔力充填の時に左腕に装着しなくても枕の替わりに使えばいいと思い実行した。翌朝、目を覚ましはしたが、何ともけだるく動きたくない。イヤ、正直なところ息をするのもえらかった。これは魔力枯渇によるショック状態そっくりで後悔する事になった。強制的、且つ短時間で魔力充填を行う仕様らしく、魔石によるエネルギー補充がお勧めの魔道具である。
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港湾都市ビールジャンドは、クシャーナ王国の海の玄関として繁栄しており、行き交う商人は様々な文化をもたらし、港の倉庫には商品が溢れるほどである。アレキ文明期には、ムンドゥスの5本の指に入る交易都市とされ、当時から温暖な気候と美観で人々をひきつけていた。
嘗てはボスターン王国の首都だったが、200年ほど前にクシャーナ王国に併合されたのであった。人口は20万で、国内4番目の都市で西のフラン王国とは海路により結ばれている。残念ながら、東のイル王国との東方航路は近年まで航行不能とされていた。海賊もいたが、そこは何よりも魔の海域と言われて恐れられていたからである。
これは依然述べたように、何者かに攻撃されて船が沈められていたのだ。これが完全に終わったと言えない状態なので、冒険的な航海しか行われていない。その為、航路開発は緒に就いたばかりなのである。そして、遥か南には開発どころか、有るかどうかも分からない消息不明となった南大陸があると言われている。
このビールジャンドの港は、ちょうどワの字のように細く突き出した細長い半島により、湾自体が天然の良港となっている。港の水深も13メートルと、大型船の寄港にも問題ない。だが、これはアレキ文明期に湾内が浚渫された為で、当時は18メートル有ったと言われている。
半島の先には、城の様な強化土魔法の建築物がある。アレキ文明期の物らしく、さすがに風化してきているが、それでもなお強固な面構えの建築物である。嘗ては灯台の役目もしていたかもしれない。その建物を港から水平に岬を見ると、まるで海上に浮かぶ城のようである。
これが有名なアレキ文明最盛期の建築と言われる白宝城である。名前の由来は、防衛軍が城の中に防御用魔石を隠し、その魔石が割れたらビールジャンドに災いが起こるという言い伝えが元である。おそらく、都市防御用結界用の魔石の事と思われるが、仮に有ったとしても魔石エネルギーは既に切れている事だろう。
ボスターン王国時代は要塞として利用されていたと言われるので、200年前までは弱いながらも防御結界は稼働していたらしい。クシャーナ王国との統合戦争の折、魔法使い達同士の戦闘は激烈を極めた様で、案外、魔石エネルギーが切れたのもその為かも知れない。
当時、白宝城は火魔法の魔法使いが詰めていたと言われ、海側からの攻撃はもちろん、制海権を取ろうとしても木造船では一溜まりも無かっただろう。今となっては兵どもの夢の跡で話だけが伝えられおり、現在では往時を偲ぶ観光地となっている。
ビールジャンドの旧市街は一国の首都であった為か、歴史ある荘厳の街並みが残り、嘗ての貴族の豪邸が立ち並んでおり人気の観光地となっている。また、王宮は廃されていたが王の通りと称される道があり、名所の通りとなっており街歩きをするだけでも楽しい。
旧市街と呼ばれる街は3平方キロで、徒歩での観光もOKである。尚、この街には、フラン王国人、自由都市人の共同体がある。旧市街は歴史も有るが、食通を唸らせる海鮮レストランが有り、グルメも期待できる。もちろん、一般の人々も新鮮なうえに価格も安いという魅力的な海鮮料理が食べれる。
宿のフェルドース近くの食堂には、焼き魚定食がある。ここでは、スープとパンは遠慮して焼き魚のみを各種、出してもらう。味付けは塩だけとシンプルだが、久しぶりの魚料理を堪能できた。これで日本酒があればと言う所だろうが、白ワインを勧められた。これはこれで結構いける。
アレキ大陸、中央大陸の全般に言える事だが、15才以下の未成年でも、飲酒が禁止という訳でも無い。子供もワインを水で薄めた物を日常的に飲んでいる。特に、ビールジャンドは船乗りの町らしく、ワインを飲むのが当たり前のようである。水質の事も有るだろうし、超距離での航海では水が腐る事が経験的に知られているからだろう。
また、市場内の食堂には、カルパッチョに似た料理が有ったので、気分だけは刺身と思い食べる。ケドニア帝国まで行けば、高価とはいえショウユが有るので今はこれで我慢である。残念ながら、レモンの様な柑橘類は売られているが、帝国にも刺身に必要なワサビは無い。どこかにないだろうか?
アンベール帝による日本酒作りは後一歩と言う処で中断したようだ。これは、魔獣大戦で田んぼは失われ、製作ノウハウまで失われた為だ。だが、イリア王国では、お米が生産されるようになっているで、いずれは日本酒もデビューできるだろう。
それはともかく、僕にとってアンベール帝は、まさに食材の神様と言える。転生者や転移者が苦労するはずのお米や味噌、ショウユまで先に作り出してくれたのだ。感謝しきれない。が、残念ながら、ここクシャーナ王国にはショウユが無い。無い物ねだりという訳では無いが、食事の度に、悲劇に有っているようなもので、帰国したいと痛切に思っている今日この頃である。
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旧市街から港までは、何本もの道が通じている。幅は馬車が通れないほど狭いが、歩いて30・40分ほどなので意外と近い。道の周辺は治安の良いとは言えない場所なので、荷物の管理には注意を十分にすべきである。遅い時間帯や人気のない通りには立ち入らない方が良い。だが、ひったくり犯等は居ても殺人等の凶悪犯罪は無い。
港はフラン王国に向かう船の拠点となっている。少し離れた東側には漁港がある。その中間に海浜公園と魚市場が設置されている。市民の憩いの場として、また食事を楽しむ場ともなっている。特に公園では海に浮かぶような白宝城が夕陽で赤く染まるのを楽しむ姿が見られる。
ビールジャンドの精霊ルーズベフは、幸運を招く精霊とされ船乗り達の守護精霊とも言われる。近くの丘陵地に有る聖廟からは、ビールジャント港と白宝城を同時に見る事が出来るので観光スポットとなっている。尚、船乗り達にはクシャーナ王国、フラン王国のみならずケドニア帝国の島まで広く信仰されているようだ。
上記の有名処は抑えたが、出航まで日が有るのでまだまだ名所見学である。折よく、宿の女将のラーダン・ニハーヴァンドさんが、非常に面白い話をしてくれた。このビールジャンドの地下には、もう一つの巨大な地下都市が存在しているという話だ。また、そこを見学できる地下都市ツアーと言うのがあるそうだ。
遺跡となった地下都市は地球でもムンドゥスでも多くある。原因は火山の噴火であり、川の氾濫、海の近くでは津波も有っただろう。ムンドゥスでは600年前の隕石テロのチリによって埋められたのも有るかもしれない。人々が生活を重ねれば、当然、整地された土地の上に新しい都市が築かれていく。そして嘗て有った都市は地層の中に埋まっていく事になる。
ここビールジャントで地下都市が出来た原因は、大規模な火災が過去何度も発生したからと言われている。火災の度に、近くの丘陵から土砂を運び込んで整地して焼け跡となった街を埋め立てた事によるものだ。この地には、多くの人々が遥か昔から住み続けていたのだ。
ビールジャンドの地下都市と呼ばれる街の区画は、今もなお地中深く約40メートルの地下に有る。そこには地上の喧騒は無く、静寂のみが支配している。そして、陽のさす事が無い世界で有る。
尚、このツアーは、引率するガイドの解説付きで2時間ほど。お1人様1000デュラムである。見学コースには展示品が所々に置かれ、この地下都市の謂れや発見された品が展示されている。
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面白そうなので、地下都市ツアーに参加である。入り組んだ街なのでのラーダンさんに地図を書いてもらう。冬場は陽が沈む2時間前に出発で、本日の参加者は12名であった。集合した小さな広場の小屋で入場料を払って、旧市街の路地の奥に移動する。入口では、灯のついたロウソクを持たされて、ガイドについて階段をどんどん降りていく。
10分ほどかけて地の底に有る小さなホールに着けば、冬なのに何となく暖かい。井戸水の様に一年を通じて同じ温度だと言う。夏ならひんやりとした空気が身を包むとガイドさんが教えてくれた。ここは地下に眠る古代ローマの遺跡のように、ビールジャントの地下にある都市だと体感する。
ホールでツアーの説明を受けた後、目の前の有る地下に張り巡らされた暗い道に進む。ダンジョン探検の始まりである。そう言えば日本に居た頃、お化け屋敷にカップルで行くと女の子からキャーキャーと悲鳴をあげて抱きついて来るという、うらやまし話を思い出した。
横にいた女の人に、時々親切心で手を貸す。決して魅力的な女性だからではない。暗い通路なのだ。今回も、全くの親切心である。見るからに魅力的なこの女の人は、抱きつく事はしないだろうし、有っても本当につまずいたからという事だろう。だがマァ、ここは念の為にジェントルマンなので手を貸す事にしたのだ。
ツアーの皆には、魔物が出てこないように祈るようにと前の方でガイドさんが真面目な顔で言っている。そして、心がけが悪いと行方不明になるかも知れないよ、と参加者の笑いを取っていた。
この複雑な地下道は、嘗ては地上の道であった。ムンドゥスに人が住み始めた頃まで遡るともいわれている。最初にこの地に住み着いた人々は、城壁や建築物の為に石を削り取ったのだろう。神殿や神官の住居、劇場として使われており、地下墓地にもなったと説明される。
やがて、石を掘り出した穴は溜め池や貯水槽として使われ水道の一部となった。年間を通して気温が安定しておりワインセラーや低温を活かして食糧の貯蔵庫ともなった。そして隕石テロの驚異の為、防空壕にもなった。なるほど、色々と知識を深めれたし、勉強になった。
それはともかく、ここは何処だろう? ツアーの皆さんがいない。決してトイレを探して道に迷った訳では無い。ツアーに入る前に入口で必ず行けと言われるからだ。ツアーの最後尾にいて、展示物の説明書を見ていたら皆が消えていたのだ。
魅力的な女の人には、これを読んだら行くと先に行ってと声掛けをしたんだが、ハッとして、すぐに追いかけたが道を間違えたようだ。大声をあげるのは、恥ずかしいと思ったけどそれが失敗だった。……やっぱり、ロープが張ってあった、あの階段を下りたのがまずかったのかな。ツアー客の声がどんどん遠ざかっていく。
転移事故で、中央大陸にやって来てから災難続きではないだろうか。ここは、ラビリンス、すなわち迷宮と思われる地下都市である。フム、異世界転移でやっとそれらしい話題になった。僕は心がけが悪い者であったんだろうか?
マァ、ただの迷子なのだろうが……。なに、ロープが張ってあった階段まで戻れば大丈夫。この時は、まだまだ余裕があった。灯りはロウソク1個。これは、先ほどの休憩所に置かれていた替えのロウソクである。およそ1時間使えるらしい。そのロウソクはとっくに消えている。困った事になった。地下40メートルで、迷子だ。
しかし、ロウソクの灯りが消えてもライトの魔法が有るし、今も使っている。寒くなったら、火魔法で暖を摂れば良い。のどが渇けば、水魔法だってある。取り敢えず、暗闇はイヤなのでライトの魔法で灯りマシマシで有る。イル王国の転送陣からの脱出も上手くいったんだ。落ち着いて行動しよう!
なんだ、迷子なら地図魔法を使えば良いじゃないか。という事で地図魔法を起動。現在位置が浮かび上がるが、通って来た所の表示は出るが何度も重なっている。しかも、地下ではなく地上にある600年前の位置を教えてくれる。全く役に立たない。そう言えば、イルの転送陣でもダメだった。どこか起点が要るのだろうか?
どうしようもなくなったら土魔法で斜坑を作って脱出すればいい。方角さえ間違えなければ海の底に出る事は無いだろう。だが、600年前の位置情報だ。今は陸でも、昔は海の底だったかも知れない! あり得るな。やっぱり、出口を探そう。
出口を探していると、何となく雰囲気が違ってきた。さらに進むと地下に30センチほど水が溜まっている場所が有る。その奥には扉がある。通り抜けると沢山の扉が並んでいる通路に出た。扉のある所は全部開けていく。何やら飛び出してきそうだが、ここは我慢の為所である。
30以上の扉を開けて覗き込んだが、徒労に終わった。この部屋にも事務机が置かれ、イスが転がっている。見てきた部屋は、事務所か小割りした倉庫の雰囲気に近い。最初のイルの補給基地は、何とか切り抜けられたが、こんな所に長くいれば狭小恐怖症になってしまう。
いずれも、足跡の無い床はホコリだらけで、誰も来ていない証拠だろう。なにも無い部屋ばかりではないと思うが……。運が良いのか悪いのか分からないが、思いがけない収穫があった。途中の部屋で古そうな✕印を付けたいわくありげな地図を見つけたのだ。ここの地図だった最高だったのに……マァ、そうは問屋が卸さないらしい。
よく見てみると、古語でコブレンツ地下基地と書いてある。基地は海岸近くの岩場の洞窟に置かれているらしい。海賊の隠した秘密の島の宝の地図なら夢が有ったが、ただの古い地図だった。マァ、行き先はコブレンツなので、時間が有れば探してみても良い。
落ち着いて行動しようと思ったが、少しあせって来た。正直に言えば、かなりあせっている。閉じ込められると時間感覚が無くなるようだ。2・3時間だと思うが半日過ぎた気もする。やっぱり斜坑かと思った時、随分と長そうな通路を見つけた。
通路を進んで行くと磯の匂いがしだした。歩き出して1時間と少しぐらいかな? 5・6キロは進んだのではないだろうか? 行く手を阻むように、重厚なドアが目の前に有る。鍵がかかっていたが、枠周りは土魔法で作られている。ならば、土魔法で分解して進む。ドアが倒れると同時に波の音が響いてきた。
通り抜けた小部屋の反対側は、板で塞がれていた。叩いてみると向こう側は空洞みたいだ。ここはナイフで削って様子をみる。直ぐに穴が開いた処を考えると、どうやら薄板のようである。風魔法で薄い刃先を作り出し、連射してくぐり抜けれるほどの穴をあけた。
通って来た所を振り返ると横の壁にはタペストリーなのか、大きな布に白宝城の絵が織り込んであった。もう少し左なら文化財破壊か器物損壊罪だったかもしれない。ここは思った通り、岬の先に有る白宝城だった。
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最初の蒸気船がフラン王国で登場してから既に30年近くなる。時代は蒸気機関がとなりつつあるが、まだ帆船が全てなり替わった訳では無い。とくに、帆が装備されているシュパイヤー号のような民間の機帆船は、外洋航路でもまだまだ現役で就航されていた。これは、ある海難事故の発生が関係している。
初期の蒸気船舶はスクリューが1個の一軸推進であった為、機関が故障すると動けなくなる。滅多に起き無いはずだが、折悪く、その船は機関が故障して潮流によって成す術も無く、岩場に向い座礁してしまう事が有ったのだ。つまり信頼性に欠けていたのだ。
また、大洋で故障すれば風に流されるまま彷徨ことになると指摘した者もいる。思念波通信で救助が呼べなければ、助けも来ず何日も洋上を漂うしかない。これを防ぐ為にも帆が装備されていたのだ。もちろん風があれば帆を展開して速度を上げる事も出来るし、燃料の節約にもなると言われた。
だが、機関の信頼性が向上すると機帆船姿を消していく事になる。一番の理由は、緊急用とされた帆では、最大に展帆してもあまり役には立たなかったのだ。その上、帆を扱うには熟練の甲板員を多数必要とするので、必要以上に経費が掛かったのだ。
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この季節、フラン王国に向かう機帆船シュパイヤー号は、北風が吹いているので西行きは12日、東は9日の航海としている。尚、船籍は建造国のフラン王国である。
嘗て、船舶の灯りは、木造船の大敵である火を使う油ランプやロウソクであった。だが、シュパイヤー号は火災防止の為に、ライトの魔法を使う者が乗船していた。意外な事に、魔力による灯だけではなく、一等船室には冷蔵庫も導入されていた。
それと言うのも、当時の大洋横断には1カ月以上掛かる事も珍しくない為、希少な氷の魔法使いを乗せていたのだ。冷蔵設備は、航海中の食料を持っていく上で画期的であった。このような設備は,陸上よりも早く取り入れられていた。
料金は1等客室使用で乗客1人55万デュラム(85万円)とされ、荷物は3個まで持ち込み可である。結構な船賃であるが、冬は荷も少なく2等3等客室も空きが多い。その為、採算性が悪いので割増となる。その分を1等客室の乗客が負担するから高くなる。何だかおかしいと思うので、クシャーナ王国の慣習に従い価格交渉に臨んだが、1デュラムも負からなかった。
それはともかく、今回は、目立ちたくは無いがお金持ちコースだ。平民の姿をした少年が、1人で1等船室を利用するのは目立つかもしれない。かと言って貴族と言うのもなー。第一、貴族が召使も連れずに旅をするのは、もっとおかしい。ここは金持ちの商人、それも息子と言う処にするしかないな。
町で服を買う事が出来るだろうか? クシャーナ王国も、嘗てのイリア王国の様に高級な服はオーダーなんだろうな。市場が有るようだから、そこで古着が手に入ればばいいなぁと言う処だ。観光を兼ねて、あちこち廻ったがそれらしい品が手に入らない。どうしたもんだか……。
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「おはよう」
「ア、おはようございます」
宿の1階に行くと思いがけない人がいて声をかけてきた。リラーさんによると、先日の決闘騒動は何とかうやむやに出来たようだ。生徒たちも退園にならず反省の日々を過ごしており、まあまあ、落ち着いたようだ。そこで、お疲れ休みを兼ねて、町で買い物をして過ごそうと叔母さんの所に来たという事だ。
声をかけた通り、僕が泊まっていたら、お礼を兼ねてお昼でも食べようという処らしい。最初は遠慮したが、暇と言えば暇なので散歩がてら付き合う事にした。帰りには、古着屋によっても良いかと尋ねた。今だから思うが、女の人に服屋に寄りたいなんて向こう見ずな事をよく尋ねたもんだ。
案の定、二つ返事でOKで有る。おそらく、街での服選びに付き合わされるだろうが、一人であちこち探し回るより、地元の女の人に連れていってもらう方が効率的だし、何よりリラーさんに連れて行ってもらえば安心できると思う。ラーダンさん達には心配をかけたし、もう地下都市ツアーの様な事はご免である。
通り抜ける朝の旧市街の雰囲気は、また独特である。これから1日が始まる。そんな感じは悪くない。天気は晴れており、ひんやりとした空気の中、自然と朝の港を見に行く事になった。朝食は途中の露店で焼いていた魚の串焼きである。肉も頼めば出すようだが、新鮮な魚の方が美味い。リラーさんも美味しそうに食べていた。
この店は港で働く者が使っているようで、聞くとは無しに聞いていると、常連と思われる男達が商売にならないと嘆いていた。どうやら、港で大変な事が起こっているらしいく、時々「ブガーブガー」と変な音が聞こえる。僕にとっても、明後日に出港する船に関係するか気になるところだ。
港にある乗船券売り場の掲示板には、ビールジャントからの出港が変更と掲示されていた。晴天続きで多少の風は有るが、船が出港出来ないと言うのも変だ。そばに居た人に尋ねてみると、アザが上陸中で全船出港を見合わせているとの事だ。詳しくはあっちの貨客船の受付で聞いてくれと指を示してくれた。
「お客さんはシュパイヤー号だったかね」
「エェ、シュパイヤー号です。何があったんですか?」
「災難だったねー。アザが居てね。出港が遅れるかも知れないんだよ。この時期、たまに来るんだよ。エサの魚を追いかけて来るそうだけど、それにしては多くてねー」
「アザですか?」
「お客さんは知らなかったのかい。アザと言う大きな海獣の群れが湾に居座っていてね。ちょっかいを出さなければ暴れないけど、これがまた体が大きいんだ。あんなのに当てられたら大穴が開くし、下手すれば沈められるからね。港長が全船出港禁止を出しているんだよ」
「ヘーそんなに大きいのですか」
「アァ、堤防に居るよ。見てきな」
堤防に見に行ってみると、確かに大岩の様な海獣が居座っている。近くにいた漁師達も仕事にならず、まいったなーと言う顔で海獣を眺めていた。アザと言う海獣は、トドより二回りは大きなトドもどきと思っていい。しかも、200頭の群れであるそうだ。漁師達が、こんな大群は始めて見たというほどにアザが集まっていたのだ。
アザは暴れておらず、のんびりと堤防を占拠して昼寝をしていた。メスは1トンほどだがオスは5トンぐらいあるそうで、そいつらが200頭の群れを作って湾内にいる。北海道に居るトドはオスだと1トンだという。その二回りはあろうかという大きさなのである。アザのオスが5トンあると言うのも頷ける。魔獣もそうだったが、つくづく数と大きさは力であると思う。
リラーさんに気づいた知り合いらしい人達が話してくれた。この町の出身である魔女のリラーさんは、チョッとした有名人である。
「見ているのは構わんが、脅したり怒らしたりしないようにな。近づくと危ないからな」
「今、追い払うために雷魔法の使い手を集めているんだよ」
「雷魔法ですか」
「ウン、水魔法はもちろん、火魔法なんかも効かないしね。危ないと思ったら、奴ら海に飛び込んで逃げるんだけど、湾から出ては行かないんだよ。しょうがないんだよ」
「警備隊が昼から追い払うと言っていたが、大丈夫かなぁ」
と今度は、年取った学者風の男の人が独り言のように言う。
「いつも追い払っているんでしょ?」
「アァ、そうなんじゃが……数が多いからの」
学者さんによると、アザは、北太洋北部に分布しており,冬は中央大陸沿岸部のエサを追って南下する。夜行性なので日中は見た通りゴロゴロと休息している。怠けている訳では無いそうだ。魚類とイカ等を食べており、稀に貝やカニも採る。7の月の繁殖期には500から1000頭のメスを伴ってハーレムを作るそうだ。
鳴き声がとても大きくて低い。海上では「ブガー」と言う声は5キロ先まで聞こえるそうだ。アザにもトドのように社会性があり、繁殖期以外は一年中群れを作って暮らしている。オスはメスより大きく、群れの中でもすぐに見分けがつく。目はぎょろりとしていて、凶暴な個体は少ないが、いない訳では無く、オスが多いと言う。
学者さんによると、ケドニア帝国の北東部の沿岸にも生息しており、アザは大きな体と立派な牙が目立つ。陸上のクマと共通点が多く見られ、共通の祖先をもつかもしれないと考えられているそうだ。
アザが少数の群れならば、雷魔法を使う魔法使いにより退散可能であった。だが、今回は200頭である。とてもではないが、1人2人の魔法使いで排除する事は出来ない。怒らせれば5トンの塊が文字通り肉弾となって突っ込んでくるのだ。
過去にも似たような事態が起きた事があるそうで、このような大群の時は近くに有るダルヤー(海)学園の魔法使い達の協力を得て退散させるそうである。そんな話をしていた時に、3台の馬車が港に入って来た。馬車からはぞろぞろと魔女達が降りて来た。その中の一人が近づいてきた。
※ ※ ※ ※ ※
「リラー。こんな所に居たのですか?」
「エェ、叔母の宿屋に昨日から泊まっていました。どうしたんです?」
「探しましたよ。学園に警備隊から出動依頼が有ったのです」
「ひょっとして、アザですか?」
「エェ、雷魔法の支援要請です」
「そうですね。あれだけのアザが居るんです。5人や6人では魔力量が足りないでしょうから」
「分かっているなら話が早い。集団詠唱に出て下さい」
「学園からは何人出るのですか?」
「確か、あなたを入れて9人ですね。総勢14人ですか」
「そうですか。それじゃあ、魔力量が足りないかも知れませんよ」
「私もそう思うんですけど、いないんですよー魔法使い」
※ ※ ※ ※ ※
「あのー、僕で良かったらお手伝いしますけど」
「アァ、こちらカトー殿だ。チョッとした知り合いなんだ。こちらは、ダルヤー魔法学園のラーレフ・ナタンズ学年主任」
「よろしく、カトーと言います。アザが居座っていると、乗る船が出港出来ないんですよ」
「カトー殿の魔力量は結構ある。それは、魔法を見た私が保証する……だがなぁ」
「せっかくのお申し出ですが、術式構築には集団詠唱が必要なんです」
「それは、王都のハーフェズ城で使われる術式ですか?」
「エェ、ご存じでしたか」
「僕、出来ると思います。儀式に出たので」
「「へー!」」
「サクシさんに出てくれって、ハイ……」
「ウーン。サクシさんって、あのサクシ・ナイドゥ様ですよね? 次の上位の魔女になるという」
「それは知りませんが、王都のデイラマー地区に屋敷がありましたが、そこに泊まっていたんです」
「そうなんですか!」
「出たと言うのは、この間の得体の知れないモノの防衛戦ですか?」
「そうですね。でも魔女さん達の集団舞踏じゃなくて、集団詠唱なんですけどね」
「そうなんですかー。じゃ、お願いしましょうか」
「ハイ、よろしくお願いします」
雷魔法の使い手に、魔女達が集団詠唱で魔力が惜しみなく供給して、アザの群れを追い払う事に成功した。惜しみない賞賛の声と拍手が港に広がる。が、リラーとラーレフは戸惑いを隠せないでいた。リラー達は、カトーが高度なヒールは使えると知っていたが、魔力タンクと思われるほどの魔力を供給できたのでひどく驚いていた。
なにしろ、見た事も聞いた事も無いような、潤沢な魔力が注がれたのだ。今のクシャーナ王国、イヤ、中央大陸でもいないかも知れない。話に聞いた魔石ほどではないにしても、1人の人間が持つ魔力量とは思われないほどだった。
そんな魔法使いが、ハーフェズ城にいて、集団詠唱に加わっていたとしたら……。ひょっとしたら王国の危機を救ったのではないかと思いついたらしい。
※ ※ ※ ※ ※
王国の各学園には、得体の知れないモノとの防衛戦の速報版が送られてきた。これは今後の得体の知れないモノとの戦いに役立てる為で、詳細版の発行前に行われる簡易版である。これには、儀式開始から撃退までが時間軸に沿って書かれており、あらましだけだが戦闘の推移が分かる。
速報版によると、儀式開始後、5時間で半数の魔女が倒れており、3人の上位の魔女達も戦闘継続が不可能と思われていたとある。だが、魔女達が等しく覚悟を決めた時、強大な魔力の補充が行われて、得体の知れないモノを撃退出来たとされている。
これは、精霊の恩寵に寄り、最後に魔女達から力を引き出して加勢したと解釈されているが、それほどの力を引き出されたら人の身ではタダでは済まないはずである。実際、魔女達の半数近くの者が倒れており、死を覚悟した者がほとんどだったとの事だ。しかし、終わってみれば上級ヒールが行われたかのように負傷者も無く、体力が落ち込んだ者もいなかった。
皆が心身共に回復し、魔女達は1人として倒れる事無く勝利を迎えれた。リラーとラーレフはその訳が分かったような気がした。だが、同送されてきた重罪人の手配書に書かれていた人相画が、知っていた人物にそっくりだった。2人は何も言わずに王国の危機を救った者の手配書を忘れる事にした。
「今頃は、フラン王国だね」
「そうだね。コブレンツに着いたぐらいかな。良い船旅だといいね」




