186 得体の知れないモノ
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王都ドルードの南東にある城門まで10キロほどになった時、プニュと言う懐かしいような不思議な感覚が有った。どこかで経験したような無いような……。何だったんだろうな。しかし、ここまで来ると王都の城壁もしっかりと目にする事が出来た。
さすが魔法がある世界である。土魔法による見事な城壁がそびえ立ち、中心部と思われる方方向には、ひときわ大きな建物が見えたが、城壁に近づくにつれて姿を消した。イリア王国の王宮や、ケドニア帝国の水晶宮殿の比ではない。あれが、クシャーナ王国の王城かも知れない。
「そろそろ城門ですね。形だけですが入城検査があります」
「では、空飛ぶ絨毯を下ろします」
「王都に入ったら、デイラマー地区に有るお師匠の屋敷に向かいましょう」
「到着予定が3日早い。お師匠も屋敷に居るかも知れないしな」
「そうですね。カトーも、それで良いでしょう?」
「ハイ、分かりました。では、あそこの人気が無い所が良いでしょう」
「まだ、降りないで下さい。車輪を出します」
「エ?」
「これからは地上走行するという事です。多少、揺れると思いますから、ベルトを確認して下さい」
街道にいる人々が、空から下りて来るおかしな物を見て驚いている。マァ、空を飛ぶ物など鳥かドラゴンぐらいであるから無理もない。かくいう僕も、鳥はともかく、ドラゴンなら身を隠すだろう。最初、ミレアを遺跡都市で見た時は見つからないように祈ったぐらいだし……。ドラゴン等は滅多に見聞きしないが、人々の心には身近な物なのだろうか?
チョットした混乱の中に降り立つと、中に魔女の服を着た人間がいるのが見えたのか、騒いでいるが、それでも逃げ惑うという状況にはならなかった。昔は、ホウキにまたがって空を飛ぶ魔女が普通に居たそうだ。何となく魔女なら空を飛んできても。おかしくは無いなと言う雰囲気である。
それはともかく、今回の空飛ぶ絨毯6号機には実用新案が有った。正確には車輪を出すではなく作り出すので有るが、絨毯の左右前後4カ所には車輪と言ってもよい物が作り出されていた。ゴムタイヤでは無いが、強化土魔法で作られた回転輪と車軸がニョキとせり出て来る。
車軸と車輪部分がくっ付かないようにわずかに時間をおいて作るのがコツである。これでイリア王国の鉄道用レールとまではいかないが、馬車のように移動可能となる。だが、ゴムタイヤの無いホイール車輪だけであっても、王都ドルードの整備された石畳の道ではそこそこ使用可能である。
現在、イリア王国では魔獣大戦終了直後から、高速街道として知られる各都市を結ぶ道路網の建設が進められており、7割がたが完工となっている。クシャーナ王国では、イリア王国の様な整備された道路状況には程遠く、未だ木製や金属製の車輪であり馬車などの乗り心地は非常に悪い。
だが、世界は広い様でも狭い。消え去る物も有るが、知識と言うのは距離を超えて広がっていく。いずれ、ケドニア帝国から板バネがイリア王国に伝わったように、開発途上では有るがゴムタイヤの利便性が伝わるだろう。もっとも、ゴム製品のすそ野は広く、有用性はタイヤだけではない。
実はイリア王国には、2年前にエバント王国よりゴムの樹液がもたらされているのだ。これはイリア王国大使館員と、親交のあったエバント王国の船長との会話が発端で有った。船長が、南方の島で住民が口にしていた樹木の弾力のある白い液を見たのだ。彼が、興味を持ち王国にゴムの樹液を送った事から始まったと言ってよい。
偶然、王城に居合わせたカトーが気付いたのも幸運だったと言えよう。カトーのおぼろげな記憶を元に硫黄とカーボン、熱加工により初期のゴム製品が作られた。ゴムパッキンの替わりとなっていたのは動物や魔獣の表皮であるが、魔獣大戦の勝利により魔獣は壊滅し、その表皮を利用したゴム状の製品は近々生産不可能となるだろう。
産業革命以前のように、パッキンを使う製品が少ないうちはそれほど問題では無かった。だが、工業化にはパッキンは必要不可欠である。消耗品とも言える表皮が無くなれば産業全体に支障をきたす。かといって、遠くフラン王国から剛靱カエルの表皮加工品を輸入するのも膨大な費用がかかっている。
今回イリア王国にもたらされたゴムが産業化できれば、安定した生産が出来ると大歓迎された。おぼろげとは言え、ゴムの育成方法と製法はカトーの知る処である。もっとも、ゴムの樹液を含め研究開発は近衛魔法師団に丸投げされたのであるが……。気候風土に制約が有ったゴムの苗木であるが、コメ作りを成し遂げた彼等には不可能は無かった。
カトー卿は現在、行方不明とされている。だが、今は少量しかないゴムの幼木も、カトーの時間加速の魔法を使えば広大なゴム園が生まれる事も夢では無いだろう。イリア王国は、これにより輸入されていたケドニア帝国製の魔獣の表層革やフラン王国に頼ることなく各種ゴム製品の生産が可能となるのだ。
そして、その製品群の中にはもちろんゴムタイヤの製造も入っている。商業ギルドが量産している新型サスペンションだけでは、整備されつつあるとはいえ、悪路は悲惨な事になっている。試作されたゴムタイヤは、後付けのオプションとして蒸気動車に付けられ好評を博した。
そして、原材料が拡大供給されれば、より性能の向上を目指してチューブ入りタイヤの生産も予定されていたのだ。もちろん、ゴム製品の利用や開発は果てしなく広がっていくだろう。
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話を戻そう。馬が引いていないので、空飛ぶ絨毯は耳目を集めるだろうが、飛行して騒ぎの元になる事を思えば許容範囲である。王都ドルードでは蒸気動車も有るとの事だ。そこは新型の蒸気動車と言えば何とかなると思う事にした。
夕暮れ時なので、ライトの魔法でそれなりの形をした照明を灯す。操作には飛び上がらないように多少の注意が必要であるが、大空を飛ぶような高度な技術は必要とされない。空飛ぶ絨毯型の走行車両は王都城門へと動き出した。城門まではそこそこの人通りである。
ライトが城門前の行列を照らし出す。平時の王都ならそのまま通過も出来ただろうが、今回は難しそうだ。毎回のように起こるゾンビの出現の為、王都の警備が強化されていたのだ。もちろん、城門も例外ではない。前の馬車を見ていると、乗物から出るように促され、乗客と乗物の検査が行われるようだ。
3人の魔女も、既に検問が強化された事を知らなかったようで、しまったと言う顔をしている。
「どうしたんです?」
「ウーン、検問していますね」
前の馬車が通過すると門番が来て、直ぐに身分証明書の提示を求められた。少しためらっていると門番たちが取り囲むように集まって来た。3人の魔女は魔法使いの身分証明を持っている。あいにくと僕にはクシャーナ王国の身分証明になるものは持って無い。その時、イルの通行許可証が有ったのを思い出した。
「治安強化の為とはいえ、失礼いたしました。どうぞお通り下さい」
と軽く言われてしまった。3人はジト目で見ていたが何も言わなかった。
「カトーには驚かされるな」
「エェ、イル王国の外交官相当ですか」
「色々とお持ちのようです。後でお話を聞かせて下さいねー」
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3人の案内により、王都の複雑に交差する道を進んで行く事が出来た。通行人が多い事も有り、空飛ぶ絨毯型馬車も人と同じ様な歩行速度である。一目見て蒸気動車とは違う事が分かるので、行き交う人の注意を引いたようだ。空飛ぶ絨毯型馬車は極めて静かに、また、ゆっくりと街の中心部へと進み、第二城壁の検問も無事に通り終えた。
王都に入城以来、道行く人が、時々小さく悲鳴を上げる、彼らにとっては、ほとんど音を出さずに、いきなり現れたように思えたのだろう。それと言うのも、空飛ぶ絨毯型馬車から出る音は、車輪の走行音だけである。驚かしたのは申し訳ないが、このぐらいなら誤差である。
この先は、お師匠が済むというデイラマー地区で貴族が住まう地区である。
「王国各地に使いが出ています。呼ばれて来た者は、王城に集合します。その後、ハーフェズ城に向かう事になります」
「王城なんですか」
「第二城壁を超えたからな、見通しが良くなったのではっきりと見えてくるはずだ」
「ヘーって、あれですか?」
「見えました。王城です」
「城壁に囲まれてますが、すごく大きいですね」
「王都ドルードの、イエ、クシャーナ王国の誇りです」
「カトーは、空中庭園と言うのを知っていますか?」
「空中庭園ですか? 名前だけは聞いた事が有りますが、他は全然知らないです」
「アァ、王城の南。区切られた一角に空中庭園があるのだ」
「高さ260メートル、50階層を超える中央大陸で一番高い施設と言われています」
「空中庭園前には、乗り合い馬車の各線が乗り入れている。庭園内は、ドルード最大級の商店や屋外展望台、宿泊施設、学術施設など多彩な複合施設で構成されており、普段ならば1日中楽しめるのだ」
「一見の価値は有ると保証しますよ」
「そうなんですね。でも、警戒強化中でしたよね。残念です」
「空飛ぶ絨毯のおかげで3日早く着く事が出来た。ハーフェズ城への移動する前に見学する事が出来るかも知れないな」
「確かに警戒が強化されていますが、お師匠に頼んでみましょう」
「エェ、是非、お願いします」
「何時もとは違い、王城に集まる人数が多いので、魔法使いの用の宿も一杯になるだろう。我らは、お師匠の屋敷となる。カトーも、それで良いな」
「そうですか。了解しました」
クシャーナ王国でも魔法使いは貴族扱いであり、お師匠が貴族地区に住まいが有るのも不思議ではない。3人の魔女に言われるままに道を進むと、立派な御屋敷が現れた。王都ドルードの貴族地区に、これほどの屋敷を構える事が出来るのは、重要な実力者と言った処だろうか。
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屋敷の門番に許可を得て玄関の車寄せに進むと、執事風の人と4人の従者が立っていた。空飛ぶ絨毯型馬車を車寄せに止め、皆が降りる。やはり、執事だった人からサクシさんが待っていると伝えられた。荷物は後ほど部屋に運んでくれるそうだ。4人の従者は、勝手の分からない空飛ぶ絨毯型馬車を、手で押しながら車庫に持って行ってくれた。
「カトーと申します」
「サクシ・ナイドゥです。弟子がお世話になったそうですね」
「イエイエ、こちらこそ。良くしていただいてます」
「こんなに早く来れたのはカトー殿のお陰とか。礼を言います」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
とマァ、一般的な挨拶を交わす。お師匠のサクシさんは、推察通り魔法使いとして王都ではかなりの実力者との事だ。噂では、次期筆頭3魔法使いの一人らしい。小柄な人で、師匠と言うのだから40、50代だろうと思うのだが、年齢不詳の容姿である。
この人がダマーヴァンドの研修センターを吹き飛ばし、木々をなぎ倒し、あろうことかグルグルに繋いだとは思えないぐらい丁寧かつ常識的な対応だった。
「なんと、空を飛ぶ乗物だとか」
「ハイ、空飛ぶ絨毯型馬車です」
「道も走れるのですね」
「エェ、改良の余地は多分にありますけど」
「カトー殿は、自由自在に空飛ぶ絨毯を操れると……魔力量は、かなりお持ちなのですか? すみません。不躾な質問でしたね」
「イヤー、気にしません。実は正確には量った事が無いんです」
「ホー。そうなんですか」
「それが?」
「実は、カトー殿に折り入ってお願いが有るのです」
お師匠のサクシさんが語る出来事は、王都ドルードと大穴の一連の出来事だった。600年以上前に起こった、隕石テロにより引き起こされた大穴の底に出現した輝く石造りの門と、得体の知れないモノを押し止める話であった。
「この世のモノではないと?」
「その通りです。では、この世のモノでは無い黒き霧の話をさせて頂きましょう」
クシャーナ王国の魔法使い達との攻防戦。600年以上、およそ62年毎に繰り返される得体の知れないモノを押し止める戦いと、王都に出現するゾンビの話である。加えて、次代の魔法使い達を育てる為に作られた学園、継承されていく魔封じの踊り、聞く事すべてに驚く事になった。
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「伝書バトの通信文には門が開かれた。サバトを開く。とありましたが、サバトと言うのは何の事でしょう」
「魔女達の集会ですよ。ですがただ、集会を開く訳ではありません」
「フーン」
「行われるは、魔女が集まって得体の知れないモノを押し止めるという儀式です。その為に、魔封じの呪文を詠唱しながら、夜通し魔封じの舞を踊り続けるのです」
「ホー」
「舞い踊るという事で、偶によその国の方は誤解されるのですが、宴などではありません。もちろん、不埒な事や淫らな事をする訳では無いです。魔女達が集って……そう、舞踏による集合魔法ですね」
「集合魔法なんですね。詠唱タイミングを合わせる事で魔法強化も出来るという事ですか」
「そう思っていただいて良いですね」
「その魔法は、どのぐらいで行われるのですか?」
「過去の侵攻時、サバトは80人ぐらいで行われる場合もあれば、100人を超える規模で行われる事もありました。今は120人の魔女が待機しています……けど」
「けど?」
「3日後に、10回目の侵攻が起こるのは確実だ。だが、我らの力を上回るのでは無いかとお師匠は心配されているのだ」
「弟子達の言う通り、私は懸念しているのです。クシャーナ王国は、大穴の得体の知れないモノを封じ込めるのに前回より魔女達の数を増やしています。確かに毎回と封じ込める事が出来ました。ですが、得体の知れないモノの力には波が有るようです」
「へー」
「魔女の勘と言ってしまえばそれまでですが、ですが、何故か今回は弱いとは思えないのです」
「そうなんですか」
「うちのお師匠の勘は、悪い事ほどよく当たるんだ」
「弟子達から聞かされました。おそらく、カトー殿の魔力量は王国の魔法使いの何十人にもなると思われます」
「それほどでも」
「ご謙遜なさる事はありません。私も、弟子から聞かされた話も有りますし、先ほどは空飛ぶ絨毯型馬車を拝見させていただいたのです」
「そうなんですか」
「正直、今は魔力の余裕が無いのだ」
「そこで、独断に近いのですが誹りを受ける覚悟で、王国各地に点在している研修センターの魔女達を集める事にしたのです」
「なるほどねー」
「昔はホウキにまたがって空を飛んで来た魔女もいたようですが、今は早駆けの魔法が使えるとはいえ、集合するには時間がかかります」
「悪魔のような得体の知れないモノを封じ込めるのですから、多くの力が必要なんです」
「カトー。もしも、結界が打ち破られれば、大変な事になるのだ」
「お師匠がお話したように魔力不足かも知れません。私達3人も、伏してお願い致します」
「エェー! そんなの止めて下さいよ!」
「エェ、今回の侵攻では結界の維持の魔力量が足りないかも知れません。お恥ずかしい話ですが、王国の魔女達の力も昔ほどではありません。数は有りますが、魔法使いの魔力は年々下がっていくので62年前のようには行かないかも知れません是非とも、助力をお願いしたいのです」
「なるほど。ウーン。では、僕で良ければお手伝いをさせていただきます」
「感謝いたします。これで一安心です」
「それを言われても、もちろん誠心誠意、助力はしますが……」
「そう言えば、カトー殿は空中庭園の見学をご希望だとか」
「ハイ、こんな時にのんきな事を言いますが」
「イエイエ、ハーフェズ城への移動は明後日の朝です。弟子を一人付けますから見学して行って下さい」
「エー。すみませんね。じゃ、マーヒさんかユクタさん……」
「カトー、何を言っているんだ。私が連れて行ってやろう」
「ウーン、……リディさんですか」
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アレキ文明華やかりし頃、ムンドゥスの訪れるべき観光地として7つの地が評判であった。中でも、毎年のように変わる順位であったが、安定の1位2位を誇っていたのはアレキ大陸のリューベック川沿いの豪華リゾートホテルと中央大陸の空中庭園であった。3位は同大陸の中央山脈回廊展望台が定番とされている。
4位以下は順位の変動が激しかったが、出て来る名は同じである。4位5位は同数で中央大陸の東の果てに有る黄金の島と、南大陸にある大ピラミッドである。6位は同じく南大陸の巨大神像。7位はガスパレ聖堂がある宗都リヨンとされた。後年、リストのいくつかが隕石テロによって破壊され、時代の流れと共に消えて行ったのは残念な事である。
そして600年後の今日、この中でも未だに人々が訪れるのは、ほぼ無傷でテロを乗りきったドルードの空中庭園と、規模が小さくなった宗都リヨンのガスパレ聖堂、訪れる事が極めて困難となった中央山脈回廊展望台だと言われている。だが、アレキ大陸では黄金の島と、空中庭園の事を知る者は少ないようだ。
いずれにしても、現在では、南大陸に有った大ピラミッドと巨大神像は、廃墟となるか消滅したとされている。文献や公的な記録がされており実存した事は分かっているが、確かめる事も出来ず定かではない。尚、豪華リゾートホテルは今ではケドニア帝国帝国要塞と名を変えて存在していると知られ始めている。
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「ウーン、凄いですねー!」
「そうだろう。私も久しぶりに見たが、圧巻だな」
「エェ、王国の誇りと言われるのも分かります」
空中庭園は、嘗てのアレキ文明の威信を示し、地上260メートルの屋上展望階からは、遠く40キロまで見渡す事が出来る。この中央大陸で随一とも言われる高層階からの景観とともに、転送網を駆使して集められた山海の珍味を堪能できる饗宴は、まさしくこの世のものとは思われない豪華絢爛な絵巻物のような世界であったと言う。
空中庭園の構造体は強化土魔法であったが、当然レンガよりも強くコンクリート並みの強度があり、太い柱や厚い壁も、その威容と相まって重い構造体を支えるのにふさわしく思えた。空中庭園を内包した第53層の楕円形の建築物は、青色の釉薬で焼いたタイル状の外装で装飾されている。
43階層に設けられた空中庭園は中央部分が吹き抜けになっており、その屋上に設置された特殊強化ガラスは、その厚さにもかかわらずかなりの透明度が有る。そこからは、庭園内を陽の光で溢れさせ、陽光が奥まで降り注ぐ構造となっている。加えて、この屋上では天空を歩くがごとく散歩を楽しむ事が出来る。もっとも、透明な特殊強化ガラスの床に驚いて尻込みをしなければであるが。
見どころとされた庭園には、一年を通じて花が咲いてる。庭園内には多種多様な木々や、温かい環境でのみ生育できる花が栽培されていた。特に南の地のみに咲くと言われるランの開花期は多くの人訪れて庭園内を埋め尽くすと言われた。香しい薫りを振りまく珍しい色とりどりの花々は、人々の目を楽しませた。
また、この吹き抜けは所々が壁面緑化されており、その壁の下部では、植物の絵と共に中央大陸のみならず、多くの動物が描かれた陶製の彩色タイルが貼られ子供達が目を輝かしていた。屋上展望台では人々が開放感抜群で散策する。天候の良い時は、半径40キロ全域が見渡せ風景を楽しむ。
また、各種催し物や定期的に開かれる音楽会は、人々の憩いの場ともなった。そのテーブル席では、寛ぐ市民が弁当を広げ子供達が走り回る姿が見られた。だが、隕石テロの荒波は、容赦なく空中庭園にももたらされた。何時しか、花は枯れ木々は倒れた。栄枯盛衰は世の習いとは言え、庭園は無情な世界をそのままに映し出していた。
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200年後、サイード・ラシュト・ブーカーン2世国王陛下によって、クシャーナ王国の王都がドルードと定められた。彼の治世時には、王国各地で優れた灌漑治水システムを築いた事も有り、園芸技術が発展して空中庭園が再整備された。その際、王の言葉が空中庭園入口の壁に小さく刻まれた。
「私は、クシャーナ王国全ての人が誇りに思う、空中庭園を再整備した。中央山脈の山々を模し、その中にあらゆるかぐわしい植物を植えた庭だ。願わくは精霊の加護の元、人々に幸せと繁栄が訪れるように」
空中庭園は間違いなく、驚嘆すべきものだった。サイード2世国王陛下の治世時の彫刻には、庭園の中には渓谷を模した沢山の魚が泳ぐ水路が設けられ、噴水が作られ美しい石橋が架かけられていた。
散策道に沿って木々が植えられており、点在する洗練された東屋には革新的な園芸技術が用いられ四季折々の花が咲き、辺り一面に良い香りが満ちた。
興味深い事に、その動物達の中には遺跡都市メリダの建物内部に描かれていた魔獣の姿が描かれており、これも建設当時と同じように修復作業が行われたという。この地での魔獣の痕跡を知る初めての事だったが、その為であろうか、噂話の類であるが空中庭園の地下にはアレキ文明の遺産が眠っていると囁かれていた。
特にこの手の噂話は、アレキ文明の遺産として知られる古く巨大な建築物には付き物だ。この噂を確かめようと、人々は何百年も探してきたのだ。見つかる物ならすでに発見されているだろう。ケドニア帝国要塞の様に、瓢箪から駒が出る事は無いだろう。
それはともかく、屋上展望台までの260メートル・53層を足で登るのは難儀であった。有料かつ人数制限があったが、市民の持つ誇りの為に魔動エレベーターを止める事は無かった。魔力が使用されていたのは魔動エレベーターだけではない。むしろ水魔法による灌漑システムや、散水装置の方が大きかったかも知れない。もっとも、今では魔石では無く、常駐している魔法使い達によってだった。
余談になるが、王都ドルードの名産と言えばニンニクである。ニンニクは、寒冷な気候を好み中央アジア地域に原種が有ると言われる。古代エジプトではピラミッド建設労働者の口に上ったようだ。栽培作物は流通商品であり、ニンニクは長期の旅にも、腐敗せず運べた事が大きいらしい。
古代エジプトの北東に位置するバビロニアで発掘された粘土板によると、紀元前600年頃には首都バビロンの空中庭園で栽培が行われていたという。奇しくも同じ空中庭園と名付けられているが、残念ながらこのムンドゥスの空中庭園では栽培されていない。
話を戻そう。クシャーナ王国の王城が空中庭園の北側に建設された事により、嘗ての繁栄がよみがえった。王都と定められたのも、空中庭園があったればこそと言われもした。事実、空中庭園を含む広大な第3城壁内すべてが王城と定められたのだ。これ以降、ドルードは第1・2城壁だけの都市となった。
もちろん、サイード陛下の御代でも得体の知れないモノの大穴は有った。当然、王都設定の可否を論じられてはいた。だが、大きな問題にはならないだろうと考えられた。いつ起こる脅威を恐れるより、空中庭園の存在に魅了されたのだろう。それほど、空中庭園は人々を引き付けて止まないものだった。
なぜなら王都と設定された当時でさえ、城塞都市ドルードは3度の侵攻を退けているのだ。得体の知れないモノの脅威など、何するものぞとされたのだ。だが、時は無情に過ぎて行く。ご多分に漏れず、まさかと言う坂はここにもあったようだ。
※ ※ ※ ※ ※
「お尋ねのサバト参加の件でしたね。原則としてサバトは非公開です。先輩の魔女から後輩の魔女へと魔封じの呪文は口伝えされ、魔封じの舞踏も儀式として確立しているので詳細な記録は残されません」
「儀式には選ばれた魔女で無いとダメと聞きましたが?」
「過去にも男性が参加しなかった訳ではありません。カトー殿が出られても不都合は無いと思われます」
「僕は儀式に出て良いという事ですか?」
「その通りです。ですが、無理して舞台に立つ必要はありません。近くにて、結界の維持に助力していただけるだけでも大助かりです」
「そうなんですね。では、よろしくお願いします」
そうは言われても、式次第も勝手も分からない。戸惑う事も有るかも知れないと言っていたら、ならば、先ずはこれをと、昨年行われたサバトの案内状を渡された。有難い事は有り難いが、案内状など、この魔封じの儀式に有るのかと思ったが、演習みたいな行事の物らしい。
前回の侵攻は62年前の事である。練度維持の為、演習が毎年行われるのは理にかなっている気がする。しかし、案内状かー……。
☆サバトのご案内☆
日ごとに寒さが身にしみる頃となってまいりましたが 皆様 いかがお過しでしょうか
平素より当サバト連絡会に格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます
このたび魔封じのサバトと講演会を 例年通り開催する事となりました
王国の3上位魔法使いをお招きして 今後の黒き霧の動向や王都ドルードに及ぼす影響 最新の取組みなどについて忌憚のないお話しも伺えます
つきましてはご多用とは存じますが 万章お繰り合わせのうえご出席を賜りますようお願い申し上げます
敬具
クシャーナ王国 ハーフェズ城 サバト連絡会
記
日時 王国歴445年15の月23日
受付:14時
講演:15時~18時
歓談:午後19時より~
場所 ハーフェズ城 コンベンションルーム
講演者 クシャーナ王国 3上位魔女(敬称略)、デラーラーム・アルダビール、デルバル・ザーヘダーン、デルカシュ・サーリー
テーマ 「得体の知れないモノの5年後10年後の見通し」・「押し止める為の魔力の集積方法」・「封じの舞踏の近代化とは」
尚 会員の方は同日の夜26時に集合 舞踏実技演習を行います
サバト出席時は魔力保持の為に体調を整える事 体には魔よけの紋章を描き 呪い返しに遭わぬよう術式を間違えないように御留意下さい
舞踏実技演習プログラム
イーラームの精霊への礼拝
入会式 初めての参加者は聖堂にて誓を立てていただきます
精霊へ敬意を表し 防ぎ手の魔力同調を行います
イーラーム典礼定式書により 悪魔封じは以下のような手順で行われます
第1・第2・第3の上位魔女による開始の祈り
参加者全員による聖歌を歌い交わす連祷
アータシュ経典から護呪の朗誦
精霊への恩寵の嘆願
黒き霧の悪魔への退去勧告
アータシュ経典 退魔の朗誦
精霊の名において黒き霧の悪魔に出て行けと繰り返し命じる
第1の魔女による聖なる儀式 第2の魔女による恩恵 第3の魔女による秘跡が行われる
30人の魔女による魔封じの集合舞踏
ダンシング後に参加者全員が精霊への感謝の祈りを捧げて一連の儀式は終了
尚 終了後は夜明けを告げる雄鶏の鳴き声を合図に解散します
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クシャーナ王国の王都ドルードは王国最大の都市である。そして、王都の北東40キロの所には本来ならばドルードを消滅させたはずのクレーターが有った。大穴は、角度の浅い円錐の形をしていた。その斜面には草も生えず、一見した限りでは昨日、掘り返したと言っても信じられただろう。
大穴を囲むように5メートルほどの高さの崖がある。これは小さな外輪山とも言えるが、クレーターの辺縁部であるようだ。確かに、近くには変質したさまざまな花崗岩が多くみられる。おそらく、衝突時の大量のマグマが急激に冷却され、隕石衝突の衝撃と熱エネルギーによってマントルが融解し、地表にマグマが噴出した為と考えられる。
クレーターの直径は800メートルほどだが、その大穴の底には光り輝く石造りの門が有った。600年以上も前の衝突の跡なのに、浸食などで埋もれる事も無く、大穴であっても水も溜まっていなかった。斜面には、隕石が衝突した際にできるはずの特殊な地層や、衝突で生じた熱によって溶けた岩石が急激に冷えて作られる溶けたガラス質も無かった。
その代り、50メートル底には、放射状に広がる細い溝が刻まれた台座の様な岩の上に、光り輝く石造りのリングが空中に浮かぶように立っていた。それは、今から600年以上前の隕石テロによって出現した、現存する異空間と惑星ムンドゥスを繋ぐ門であった。
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今回は毎年行われる演習とは違い、繰り返される予兆の為、黒き霧の悪魔の出現が確実視されていた。やはり、警告とほぼ同時であったが、大穴から得体の知れないモノの活動が報告されていた。10日後には、黒き霧のとの防衛戦が始まるだろう。王国は戦闘準備を開始し、警報の伝書バトが王国各所に飛ばされた。
運命の悪戯なのか、神の御業なのか、僕は3人の魔女達と王都ドルードに魔封じの応援の為に3日前に着いた。空中庭園の見学も済ませ、ハーフェズ城に向かう。もっとも、儀式を前にして不安では有る。が、物見遊山に来た訳では無いので文句はない。得体の知れないモノが出現する日まで後1日。既に大穴周辺は立ち入り厳禁となっていた。
彼女達に案内されて、大穴の縁に築かれたハーフェズ城の禁域とも言われる舞台へと向かう。大穴の上には、ハーフェズ城から続く縦横十文字の石の回廊が作られている。その中心にある円形舞台で、集団舞踏が行われるのだろう。結界を最大限に機能させる為に舞台は門の真上である。
3人の魔女も魔封じの踊り手となるとの事だ。3人の魔女は20才台前半、そのお師匠は45才位。そのお師匠のお師匠は、80才台でクシャーナ王国の3人の上位魔法使いだ。既に僕の事は、お師匠さんから上位魔女達に話が通してあるそうだ。結果は快諾だったようで、「魔力が足らないのじゃ。昔は男もいたという。それに、成人前の子供じゃ、なおさら構わんじゃろう」との事である。
お師匠と3人の魔女の推薦も有り、予定通り、魔力タンクとして助力する。儀式にはドラムの打ち手達の予備員として参加する事となった。あと幾時間もしない内に、僕の目の前で普通では絶対見られない30人の魔女による魔封じの舞踏が開始される。
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魔法の力で、ここまで黒き霧の悪魔を押さえ込んでいたクシャーナ王国の魔女達である。その顔には決意が溢れていた。まず、舞台中央に進むのはクシャーナ王国の3上位魔法使い、デラーラーム・アルダビール、デルバル・ザーヘダーン、デルカシュ・サーリーである。
ドラムの連打が始まり、3人の上位魔女が入場して儀式が開始された。彼女達は、黒いロングドレスを着ており、舞台中央を背にして3方向に向きなおった。そして、口の部分だけが開けられた白い仮面が着けてから、おもむろに詠唱を始めた。
続いて入場して来る一団は、魔封じの踊り手達である。彼女達は、一目見て妖艶な装束を着ていた。着用する布とも言えないような薄絹は確かに動きやすい衣だが、薄絹に糊を強く効かせた為か、呉粉で粉張りをしたかのように白い装束となっている。
魔女達がまとう薄絹が、弱いライトの魔法の中で揺れている。やがて、3人の上位魔法使いの詠唱に単調なドラムの音が加わると、同心円状に広がった30人の魔女達が舞い始めた。ハーフェズ城から張り出された舞台で行われる魔女のサバトの始まりである。
すり鉢状の底には、何やら禍々しい気が漂い出てきている。3人の魔女の説明によると、あの光り輝く石造りの門から、得体の知れないモノがムンドゥスに入ろうとしているという。魔封じの舞踏が始まり、暫くすると突然、休む事無くあらゆる方角から波のように悪意と思われる気が急激に押し寄せて来る。
石造りの門が、いつにも増して煌々と輝き出した。それと同時に、大穴を覆い被せる様に魔法陣が浮かんで来る。なぜだか、魔法陣は癒しの魔法で使う色に似ている。瓜二つと言って良いぐらいだ。その効果も似ているのだろうか?
この得体の知れないモノを押し止める為の魔法陣は、数学の魔方陣を改良発展させた物である。この魔法陣は、魔法陣から出てくる得体の知れないモノを押し止めるだけではない。出てこようとする黒き霧の悪魔から術者達を守る結界でもあった。
初期の魔封じは、詠唱と舞踏によってのみ行われ、術者の防御は行われていなかったという。その為に、多くの魔女達が犠牲となった。あの西洋魔術で言う、ソロモン王の鍵・ゲーティアのように、魔女達を保護する為の魔法円やトライアングルであり、奇しくも同じ72個のシールが浮かび上がっていたのだ。
これは、この世のモノでは無い得体の知れないモノを押し止め、術者を守る為に考案された特殊魔法陣であった。とは言え、これを作り出す為には、上位魔法使いが3人、30人の魔封じの踊りの才能が有る踊り手と、詠唱をする者が30人。ドラムを叩く者も30人。この日の為に、王国各地から駆けつける事が出来た者が17人。裏方を含めると120人の魔女の力が必要とされた。
魔女の踊りは王都での研修期間中に全ての魔女達に教えられるものだが、原形となる舞踏は人類創世の頃から伝わるという感謝と豊饒の踊りであると言う。いつの頃から始まったか分からないような、古の儀式を基にしていたのである。
いにしえの魔女達と同じように舞台の中で舞踊る。打ち鳴らされるインディアン風のドラム。踊り手達の手には小さな魔封じの鈴。舞い始めて1時間、舞台は次第に熱を帯びていく。本来、幾世代にも渡って受け継がれていた踊りであるが、クシャーナ王国でも魔法が使える者が減り、懸念された通り、踊り手の魔法力も減っていた。
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最初に黒き霧に気が付いた魔女が、小さな悲鳴を上げて大穴の底を指している。指の先に目をやると、なんとそこにはうごめく悪意が黒き霧の悪魔として具現化していた。それはどうやら動く黒い人型のようなものだった。その人型は、大穴から飛び出るような素振りをしつつ、門の中へフッと消えてしまう。
舞台の袖で歌う魔女は、アータシュの経典の一部を朗誦していた。彼女は、光り輝く石造りの門から何か漏れ出てきた事に気付いた。何か見てはいけないものを見たかのように、悪寒が走り、心底、体が震えた。逃げ出す事も考えたが、辛うじて踏み止まる事が出来た。
聖歌の連祷が続く中、多くの者が、異変に気づいた。目に映る黒き霧は、光り輝く石造りの門の周りを浮遊し動き回っているようだ。この舞台には共に舞う仲間達30人がいるが、黒き霧が漏れ出て来る様子を感じると、
舞踏の列を乱す者がいた。
彼女は自分の体には、何か悪いものが取り憑いているのではと思われるような動き辛さを感じたらしい。足がすくみ舞踏のテンポがわずかに狂う。すぐさま、先導者に注意され気を引き締めて舞を続ける。得体の知れないモノが、門の向こうに来たようだ。
舞台の下の大穴の方から、ジッとのぞき込む何かがいる。王都の人々だけではなく、不気味な黒き霧に怯える魔法使いがいても不思議ではない。それは62から63年に1度と言われる侵攻である。中には本能的な恐怖と嫌悪感で、自分達の番に当たるとは運が無いと思う者も居ただろう。
踊り続けて2時間。日付が変わる。黒き霧は、周囲の暗がりに上手く溶け込む事ができるようだ。どこに人型の黒き霧が潜んでいるかも分からない。黒き霧を、ただの霧と侮ってはいない。謎に包まれた存在で、ある種の悪魔ではないか? という意見もうなずける。黒き霧は、どんな悪魔祓いにも、耐えるとの噂もある。
くっきりと黒き霧が出てきた。いつしか巨人の姿に変わっていく。全てがまやかしで有るとはいえ、巨大な体躯、口は広大で、肌は黒く、血と脂の臭気を体じゅうから発していた。その息は強風と変わりなく、怒りで火を吐き、その雄叫びは百の雷ほどに感じられた。10回目となる侵攻は、伝えられた物とは大きく違っていた。
600年以上前、突然現れた光り輝く石造りの門。隕石テロの代償として出現した光り輝く石造りの門は、ムンドゥス神々が創造した生き物すべてが無に帰すほどの、貪欲の持ち主であった。
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最初、魔力の同期が上手くいくのだろうかと思っていたが、詠唱が始まると自然と溶け込むように120人の魔女に加わる事が出来た。集合魔法という巨大な魔力のうねりに加わり、僕の体内魔力は惜しみなく注がれていた。
目の前には、その魔法陣を作り出していた魔女達が120人いる。儀式は順調に始まった。3人の上位魔女達と共に魔力により得体の知れないモノを何とか押さえ込んでいた。だが、儀式が進んでも得体の知れないモノの侵攻が止まらない。
魔女達にあせりが見え始めた。決死の思いで魔法をかけ続けている魔女達だが、それとて時間が経つにつれて弱くなくなっていく。既に4時間以上が経過しているだろう。儀式を続ける彼女達だが、限界なのが見て分かる。むしろ今までよく持ち堪えたと声をかけたいぐらいだ。
このところ、イヤな予想ほどよく当たる。エミリー達によると、北の町の広域破壊からと言っていたが、自分でも未来予測が出来るのかと思うほどだ。頭の中では、非常ベルが押されて警報のサイレンがけたたましく鳴っている。このままでは最悪の事態が起こる。
魔力が足らないと懸念はされていた。得体の知れないモノの予想以上の力。流れ出る黒き霧の悪魔により、限界を迎えたのだろう踊り手達が一人また一人と倒れていく。一際、朗誦の声が強かったお師匠のサクシさんも、途切れ途切れとなっている。それだけでは無い。舞台中央の3人の上位魔法使いにも、限界が近づいているようだった。
「ウーン、このままじゃ危ないな。魔石を使うしかないか」
緊急用として今まで取っておいた魔石小である。おかしな感覚だ。体の中を、何かが勝手に動き出している。この感覚は、癒しの魔法の発動前と同じだ。魔石小を使ったからなのかなー? だが、考える時間も無く、手に持っていただけで癒しの魔法が発動した。
「あれー? カトーが光っている?」
と、どこからか聞こえた。だが、僕の頭の中は「エー!」で一杯である。なんて事だ。癒しの魔法が発動すれば、年齢が1年戻る。今回身に付けている防御結界装置では、灰色のローブと違い効力無効が出来ないだろうなぁ。覚悟する時間ぐらいは欲しかった。これって取り消し出来ないんだろうなー。
そりゃ、魔女の皆さんは、若返って良かっただろうが、これで年を取ろうと精進した1年が無駄になってしまった。癒しの魔法を使ったのに、エミリーがそばに居なかった。あれだけ言われていたのに、見つかったら確実にお小言を食らうだろうなー。
「起きろ。寝ている場合ではないぞ」
「ウーン」
イヤ、リディさん。マーヒもユクタも内傷的なキズを負って死にかけていたんだと思うんだが……。マァ、癒しの魔法効果でケガなら治るし、多少の欠損も無くなって体力も回復する。でも、ケガが見えないと言って、いきなり揺すったり小突いたりするのは良くないと思うよ。
「やったーぞー!」
「悪魔を食い止めた!」
「何とか退ける事が出来たか……」
まだ意識の有る魔女達が歓声を上げた。光り輝いていた石造りの門が、急激に暗くなっていく。どうやら、10回目の侵攻も防ぐ事が出来たようだ。僕の手には再生可能だった緊急用魔石小が、完全にお勤めを終えて黒ずんでヒビ割れていた。マァ、結果オーライだと思おう。得体の知れないモノを退散させたんだし、しょうがないな。
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時は門が現れた600年前よりさらに遡る。2度目に門が開かれた時には、最初の様な魔力を持つ者が減っていた。この時にも、わずかながら霧を空に放てた。黒き霧の悪魔には個と言う概念が無い。個は全であり個でもあった。
地球でもムンドゥスでも、単細胞生物である粘菌は脳を持たない。にもかかわらず最適解を見出すために思考し、高度な情報処理を行えると言われている。得体の知れないモノは、体内に分散型センサーと演算基質を持っていたようだ。つまり、脳がないのに周囲の状況を感じ、新しい事象に興味を示しめしていたのだ。
最初に放たれた黒き霧の悪魔は結界に拒まれ、魔法使い達の魔力によりチリジリに弾き飛ばされた。黒き霧の悪魔の一部は、自分がどこへ行かされたのか分からなかった。それは時間の壁を突き抜けて時の狭間を超え過去にたどり着いたようだ。そこはアレキ文明の最盛期とも言われる時代であった。
魔法使い達との戦闘で、それは自分を霧散させる力から身を隠す事を学んでいた。黒き霧の悪魔は、ただムンドゥスの大気の中を漂うだけで表には出ないように、そして見つからないように姿を消していた。だが、永らえる時間と引き換えに、時が過ぎれば霧は文字通り霧散してしまう事も知っていた。
霧は自分と同じ波長を持つ生き物を探していた。漂うまま、時が流れ、やがてアレキ大陸の南にある都市に行き着いた。そこで、1人の天才を見つけた。その名はネリオ・エルピディオ・トッカフォンディ。彼と統合すべく黒き霧の悪魔は待った。
ネリオは自分の研究を邪魔する者には容赦せず、学問的に生かすか殺すかという選択をするという傾向があった。あまりにも過激な言動に学会を追われる直前まで行った事も有る。リュカ・エミリアン・ジャコブ等の友人達が走り回ってやっと謹慎処分で済んだらしい。その時、心の弱った彼に黒き霧の悪魔が統合を仕掛けてた。
黒き霧の悪魔の思った通り、統合は上手くいった。統合後の彼は大きな独創性を持ち、異常性を補っても有り余るほどの才能が芽生えた。やがて魔法生体工学の第一人者となったが、倫理や正義、金に名誉、特に人の命など、まるで頓着しなかった。
彼は統合され、偏った才能、緩慢な精神発達、他者への無頓着、恐るべき執念など、病的な性格を持つ異質な人間となっていった。生か死か。むしろ自分か自分で無い者か。二つに一つで、間の考えは無かった。霧にとってはなじみのある考えである。待った甲斐も有って、黒き霧の悪魔は彼と統合は素晴らしく思えた。
だが、ネリオ自身は自らが薄れて消え去っていく気がしていた。その後、彼はもくもくと、人工生命体というオカルトとも言える流動生命体を研究し始めた。やがて彼は、スライムドラゴンと言われる魔獣の王を生み出す事になる。
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どこまでも続く暗がりの中で、一つだけ光る物が有った。何時からか分からないが、それは石造りの巨大な門を造り出した。それは、自らの光で辺りを照らしていた。やがて、興味が引かれたのか、1つの得体の知れないモノが近寄って来た。
得体の知れないモノは、考えていた。扉が開かれ先に何が有るかも知れない。流れる様に、乳白色の体の一部と思われる物が滲み出して、光の向こうに向かっていった。それは、人の姿に見えなくもない。だが、大きさもそうだが、纏う空気の重さが違った。それは後に、死をもたらす黒き霧の悪魔と呼ばれ、人々に忌み嫌われるモノとなった。
それは、呼吸などしない石像のようでもある。だが、忘れた頃に白く、そして長く息と思われるモノを出した。生きているのは間違いない。門の場所には、時として水が流れ出て来る。門はまだ、異界と繋がっているようだ。感情とは何か知らないモノだが、その姿は何故だかホッと息を吐き出したようにも見えた。
鉢状になった大穴の底。そこには石造りの巨大なリング状の門が建っている。そのリングの穴は生きていた。本来なら、降った雨が水に変わり大穴は、大きな池となるべきはずだったが、その門から何処かえと流れ去っていった。ここは異界の門とも言われており、何処かに繋がっているのは知れないが、何かが居た。
数年後? 数十年後? 再び、門がわずかに開かれた。得体の知れないモノの一部である霧の悪魔は、向こうの世界でも動いており、繋がる事が出来た。そして、門が閉じられていた間に何が起き、声を出した者が何をしたのかが分かった。だが、赤い汁を出す者が集まり、再び門が閉じられた。
思いもしない攻撃に、得体の知れないモノは門に押し戻された。だが、侵攻と呼ばれるものを繰り返すうちに、声を出す者の攻撃力が徐々に減っていくのが分かった。黒き霧の悪魔によると、それは死と言うものらしかった。
得体の知れないモノは、体の一部である霧の悪魔と繋がり、門の外にこことは違う世界が有る事を知った。モノは、初めて視ると言う事を知り、門の向こうには色が有る事を知った。そこには青き天と、緑の動かぬ物と、プッチと潰すと赤い汁が出る者とが居た。
得体の知れないモノは色を知った。間も無く音が有る事も知った。赤い汁を出す者が多く集まり、それらが出す音が膨れ上がって耐えきれないほどになり、動く事が出来なくなった。声と共に、見えない力で門に押し戻されると、光の門が閉じられた。
門から流れ込んできたのは水だけではない。様々な物が有った。木や石、剣や槍、4本脚の動かなくなった動物? 2本足の何かを纏った動物? 得体の知れないモノはそれらをすべて飲み込んだ。モノだったと思うものが、ほんの少しずつ変わっていった。
得体の知れないモノは、赤い汁を出す者が音を出すと門が閉じられる事が分かった。得体の知れないモノは、次に門は開かれる時には赤い汁を出す者を無くす事に決めた。そして、再び門が開かれた、数年後? 数十年後? 今度は、声を出す者が待ち構えていた。
得体の知れないモノは、再び門が向こう側に繋がるのを、待っていた。異界のモノは、我慢強いの意味は知らないだろうが、水辺の一角にジッと佇んでいた。いつも思い出すのは、一度だけ門から半身が出た時の事だ。光り輝く澄み切った空気、ここには無い空が有る世界だった。異界のモノは、そこに有る全ての物を食べてしまおうと思った。
だが、小さな動く物が、限りが無いような憎悪を向けてきた。あの時は、拒む力が急に増えて遂に外へと出る事が出来なかった。しかし、阻む力は回を重ねるほど弱くなっている。時間などは関係ないと言うかのように、待てばよい。また何十年も何百年も待てば良いだけだ。
得体の知れないモノとクシャーナ王国で呼ばれているモノは、門の扉が開かれるのを待っていた。亀の甲羅にも似た赤い皮膚に、乳白色の苔を生やした異界のモノは、再び門が繋がる兆しを感じていた。あと少しで再び繋がるだろう。それは、今も待っていた。




