もう一人の俺、もう一つの世界
三年前ある病気に罹った日から俺、春雨三刀は夜になるとある霊に付け回されるようになった。その霊の名は三鈴秋、自称俺の守護霊だった。
俺は無神論者なので彼女の存在を最初は信じていなかった。何かとんでもない不審者だろうと思っていた。だが……そんなことはどうでもよかった。
どうせ俺はもう死ぬのだから。
だから放っておいた。もう不審者だろうが死だろうが俺には怖くなかった。
いや、死ぬのは怖い。
だが……どうにもならなかった。
俺は全てを無視する事にした、家族も、友達も、何もかもがどうでもよかった。
いつしか俺は人間……を他の動物と変わらない存在だとみなすようになった。
秋の事も無視し続けていた。
だが、毎晩毎晩……ただ枕元で俺を見つめ続けていた彼女だけは安全に無視する事は出来なかった。
母や父がお見舞いに来ている間も彼女はずっとそこにいたが、誰も彼女の事が見えていない様だった。
そして俺は思った、もしかしたら彼女はなにか特別なのかもしれないと。
なにか、こうも当たり前に死んでいく普通な俺の目の前に現れた、なにか……特別な出来事なのかもしれないと。
そして俺は、無視し続けていた彼女に話しかけた。
「どうすればいい?俺は……」
そう呟いた。最初に漏れたかすかな声がそれだった。結局の所、俺はまだ……諦めきれてはいなかったのだ。
「何もしなくてもいい。あなたはもう死ぬから」
俺の期待には反して彼女はそう呟いた。ただ、その声にはなんらの憎悪も嫌悪も好意も哀れみも、なにも含まれていなかった。
ただ、事実を述べていただけだった。
「でも……もしあなたが望むなら。あなたはまだ、少しだけ生きられる」
どういうことだ?本当に俺の……あり得ない期待通りに、彼女は俺の救世主なのだろうか?
「たのむ……まだ生きられるなら、俺はなんだってする親でも友でも恋人でもなんだって犠牲にする、俺は……まだ、こんなところでは死にたくない」
俺は思わず叫んでいた、怖かった……、ただ怖かったのだ。
「いいよ……、私もそれを期待してた」
その日俺はいつしか眠りについていたが、気が付くと熱と砂の感覚が俺の全身を掠めた。
汗と砂を拭いながら目を開けると、目の前に開けた光景は果てしない砂漠だった。
「手が……腕が動く……これは?」
俺は驚きそう呟いた。
そして気が付いた。この体がもう生きてはいないのだと。
「わたしたちは死の門をくぐり因果性の海を這ってここまで来た……、今のあなたは死んでいるけど、すぐ代わりの体を用意してあげられる。本来のあなたとほとんど変わらない、健康な頃の体をあなたは取り戻せる……」
どういう事だろう?すべてが意味不明だった?俺は死んだ?彼女は俺を助けてくれるのではないのか?
だが、もはや先のなかった俺である。
再び体を少しでも動かせることが出来たことに俺はとりあえず感謝した。
「ど……ウ……」
俺はどういう事だ?と説明を求めようとしたが。喉は焼けたようで、まともに話す事はできなかった。
「今は我慢していて、もう少しだけ……。そう……私にとっても」
俺はただ歩き続けるしかなかった。もう俺は死んだのだ、だがどうした事か意識だけは残っていて、体だけは動いている。
この不思議な状況の中では俺は彼女に従うしかなかった。
果ての無いようにすら思える砂漠を三日進み、ついに俺たちは人のいるらしい場所へとたどり着いた。
彼女の言った「代わりの体を用意してあげられる」という言葉。その言葉の意味するところは明らかだった。
これから俺たちは、誰か見知らぬ人を襲い体を奪うのだ。
……、闇夜に紛れ下水道から町の中に侵入した俺たちは、この町の壮麗な石造りの階段を上り、そして一番立派な建物……というよりは城の中へと忍び込んだ。
不思議なことに俺たちの姿を目にした住人や衛兵はすべて昏睡したが、これも彼女の力なのだろう。
だが……ただ一人だけ気絶しなかったものがいた。
その男の顔は……俺と同じだった。顔だけではない、全てが同じだった。
ああ……、俺は今から別の俺を殺すのだ。
俺はなぜかわからないがその事をすぐに理解した。
「だれだ……そいつは」
もう一人の俺はそう叫ぶ。
「しかたがないことなの」
秋はそう呟きそして、もう一人の俺を優しく抱擁した……かのように見えた。
もう一人の俺は死んだ。
胸には宝石により装飾されたナイフが一振り。
その後の事はあまり覚えていない。
目が覚めた時、俺はこの町の領主エドウィン・ラインハルトとして目を覚ましていた。
体の調子は良かった。
まるで、全てが正常に戻ったかのようだった。
何もわからぬまま、全てが「完成」した。