自我の確立という枷
どこまでもすることがなくて、考えることすら億劫で、そして、寝ることすらも飽きてしまった。こんな狭い世界に閉じ込められて、私は何をすれば良いのだろう。
もっと、自由になりたい。束縛なく、自由に飛び回りたい。そんなことを何百年と思い続けて、何百年と諦めた。時間なんてそんなモノ。必要な時なんてなくて、ただ目の前に有り続ける、ただの永遠。
永遠だからこそ、仮に私の目の前にその自由が訪れたとしても、果たして私がそれを自由だと感じるのかは、分からない。それを自由と呼ぶような感情は、とうの昔に腐ってしまった。
そうなると、百年も一日も大した差はない。ただ、時間が流れるだけだ。
……しかし、最近は誰にも会わない。そもそも誰かに会うような生活をしている訳ではないのだから、それは大して不思議ではないのだが。しかし、よくよく思い起こせば、一週間は誰とも会っていないと思う。
今までは、少なくとも二日に一回程度は誰かと会っていた。決まった人とではあるが、会話も交わしていた。はて、何かしら異変でも起こったのだろうか。
霊夢が暴れているのだろうか。魔理沙が吹き飛ばしているのだろうか。まぁ何にせよ、異変なんてそんなもの。力業でねじ伏せられて、終わり。
しかし、仮に異変が起こった日が、私が誰にも会わなくなった一週間前だとして。その日数が立って尚異変が続いているとは、いささか信じがたい。確かに厄介な妖怪がどんちゃん騒ぎをすれば、一週間で解決できる方が稀なのだが。だが、誰にも会わない日が一週間以上とは、もしかしたら幻想郷は破壊され尽くしているのだろうか。そうだとしたら、私だけがこの場に取り残されたのだろうか。
……自分の頭の中なのに、幻想的な妄想をしているものだ。もう少し現実的な妄想でも良いだろうに。一人の私はそう嘲笑する。だがもう一人は、妄想なんて、これくらいぶっ飛んでいる方が、時間しのぎには丁度良いものだ。とせせら笑っている。横で聞いている身からすれば、どんぐりの背比べだと思った。
理由が異変かどうかすら分からないが、しかし勘繰ってしまえば、少々気になるのが私である。面倒臭いと一人の私が言っていたが、虚空を見上げてやや思案し、それでも気になるので、私は重い腰を上げた。
後ろから、様々な声が聞こえた。
時間の感覚もさっぱりだったが、窓から外を覗いてみればどうやら、現在は夜らしい。月は見当たらないが、新月でもないだろう。きっと、山の陰にでも隠れているのだ。窓から見える夜空には、星が綺麗に輝いていた。澄み切った星空。大小の星が輝いて、湖の向こうの木々一つ一つを照らしている。月なんて必要ない。むしろ、月は明るすぎる。
それにしても、静かだ。ここまで静かであるとは、大きな異変でも起こったのだろうか。いや、異変ならばこんなに静かであることはおかしい。わいわいがやがや、犯人も巫女も騒がしいのが、異変なのだ。妄想通り、幻想郷が破壊されてしまったのかもしれない。少し、楽しい。
部屋から出ても、誰もいない。気配すらない。何となく気分が良いので、夜の散歩にでも洒落込むとしよう。
窓を開く。湿気を帯びたぬるい風が、頬を撫でた。草木の萌える匂い。季節は春だろうか。
ふわりと浮かんで、上空から幻想郷を見下ろした。そこには何も変わらない幻想郷があったが、何やら静かすぎる気もする。風もない。木々は生きているが、しかし何やら重たい。こんな夜に、どこにも動いている妖怪がいない。全てが、私を置いて消えてしまったかのように。
そして、灯りがない。人里は見えるが、誰しもが活動している気配がない。仮に深夜であっても、ここまで静まりかえることは、私は知らない。そもそも、私が知っている幻想郷なんて、子れっぽちもないのだが。
……こういう時には神社を調べろと誰かが言っていた。本当に異変ならば、巫女が動いているはずだと。その言葉を信じて、また久しぶりに霊夢をからかってみようかと、神社を目指す。東の方角にも、闇が敷き詰められている。まだまだ日が昇る様子はない。
石段、鳥居、境内。それぞれにも明かりはない。基本的にこの神社は宴以外では静かだが、霊夢はいるはずである。寝ているのだろうか。
母屋の前に降りて、半分ほど開いた障子から、中を覗き見る。蝋燭一つない、真っ暗闇。妖怪だからこそそれは見えるが、どうやら中には誰もいないようだった。
いくら妖怪といっても、勝手に入るのは少し気が引けた。霊夢とは、好き勝手ができる程には仲良くない。しかし、遠慮をする必要も見つからず、翼が引っかからない程度に障子を開き足す。
軋む廊下。何度か来たことはあるが、まぁなんと古めかしい建物だろうか。木造の良さというか、脆さというか。私はこんな家に住もうとは思わない。これを趣と弁明しようとも、それを趣と理解されなければ、ただの廃墟でしかないのだ。
真っ暗な廊下を進む。確かこの先には、寝室があったはず。ここもまた襖が半開きだが、もう何も気にせずに開く。隣の襖にぶつかり、鮮烈な音が闇に響いた。無関心にそちらを見つつ、部屋に踏みいる。
敷きっぱなしの布団。淀んだ空気。それと、寝間着のまま転がっている巫女。
寝ているのだろうか。死んでいる風には見えない。だが、あれだけ大きな音を聞きながら寝続けているなんて、図太いのか寝穢いのか。
いや、金には汚いが、これでも幻想郷の統括しているような巫女だ。妖気には敏いし、むしろ気付かない方がおかしい。これはこれで、異変なのだろうか。
布団の上に膝をついて、霊夢を見下ろす。そういえば日本家屋に上がる時には靴を脱げと言われていたが、忘れていた。くっきりと、靴の跡が布団に刻まれているが、もうどうしようもない。
霊夢が反応しないことがつまらない。蹴ってみようか。そうしたら起きるかもしれない。しかしこの感じでは、蹴ったところで反応がないかもしれない。それは面白くない。とりあえず霊夢の前にしゃがんで、頬を指でつついてみた。柔らかな頬肉はまだ暖かく、霊夢が生きているであろうことを伝えている。
しかし、霊夢は起きない。否、起きている。仰向けで寝転んでいるが、目はしっかと開いていた。私を見据え、しかし睨む風ではない。何か訴えたいのか、それなのに、瞼が閉じて、薄くこちらを見ている。
「アンタ……。なんで動けるのよ」
「動きたい時に動いて、何が悪い」
「こんなにも気怠い。何もできないのに。私もこのザマだし。里も沈み込んでるまでは見た。慧音もダメ。……疲れた」
そこまで言うと、霊夢は目を閉じた。どうやら、寝ている訳でもないが、話す元気もないらしい。
言葉は途切れ途切れだが、何となく意味はわかった。つまり、今の人間の里は襲いたい放題ということだ。霊夢は蹴っても怒って陰陽玉をぶつけてくるくらいだが、こんなやる気のない里の人間を襲ったところで、何も面白くない。襲うのだから、せめて悲鳴とかが欲しい。
「……アンタの好きなようにしなさい。今の私は何もできないし。とりあえず、人間の里に行って」
立ち上がり、巫女を見下ろす。果たしてコイツは、自分の言っている意味がわかっているのだろうか。私が暴れれば、里なんてなくなることは分かるだろうに。それだけ大きな異変なのだろうか。コイツは私に、それを解決しろと言っているのだろうか。
考えはしたもののどうでもよくなって、踵を返した。布団の足跡がねじ込まれて、更に汚くなる。どうでも良かった。廊下を戻り、空へと戻る。何をしても良いのだから、とりあえず里へと向かった。
飛びながら、ぼうっと考える。果たして博麗の巫女から許可を貰ったとは言え、ここで暴れることは楽しいのだろうか。いや、楽しくない。天の邪鬼的にも、今後魔理沙が買ってくるお土産がなくなるのも、面白くない。そう、人間は脆く面白くないが、魔理沙が克ってきてくれる人間のモノは、案外美味しかったり面白かったりする。
人里を壊す理由は何もない。だが、救う気も更々ない。つまり、私はどうしたいのだろう。そんな疑問すら、行って考えようということで纏まった。その頃には、目の前にはもう民家が並んでいる。幻想郷はこんなにも狭かったのだろうか。
異変が起こっているのだろうに、それでも町並みは綺麗だった。雨戸が閉められているとか、荒れているとか、そういうことは全くない。ただし、人間も全くいない。
大通りを歩いてみるが、人どころか明かりすら見えない。ひっそりと静まりかえっている。それなのに町が綺麗なのだから、廃墟とも思えない。まるで、人間がまるまる引っ越してしまったかのようだ。
歩く内に、行き止まりでもある広場へと行き着いた。あの建物は寺子屋と言っただろうか。確か、子供が勉強を習うところだった気がする。魔理沙がそう言っていた。
そういえばあの建物の中には、頭の固いオバサンが住んでいて、私を指差して危ないとか何とか言っていた気がする。それを魔理沙が笑い飛ばしていたっけ。私が暴れたら自分が里ごと吹き飛ばしてやるぜ。いや、里吹き飛ばしたらダメじゃないって、私が突っ込んだのだった。魔理沙は今、何をしているのだろうか。
寺子屋の引き戸に手をかけて、引っ張ってみる。流石にここで壊すのは嫌だから、ほどほどの力で開ける。人間が作る鍵なんて、こちらの力からしたら紙切れ一枚の力すらない。気をつけなければ、鍵どころか扉すら、残るのか怪しい。
からからと、心地のよい音で戸は開いた。どうやら鍵はかかっていなかったようだ。ここも博麗神社と同じく籠もったような空気が流れ出て、あまり開閉されてなかったことが分かる。
一歩中に足を踏み入れると、すぐそこには、私のことを危ないと言ったオバサンが寝転んでいた。こちらも霊夢と同じく息はしているようで、しかし寝ているという訳でもなさそうだ。
このオバサンも、恨めしそうな目でこちらを見ている。動きたくても、動けないらしい。首をずらしてこちらを見るのが限界なのか、開いていた瞼もゆっくりと閉じる。
「ねぇ、今、どうなってるの?」
「それはこっちが聞きたい。何故、お前は動けるんだ」
霊夢と同じ質問が飛んでくる。それも予測通りではあるものの、つまらない。
「そんなことはどうでも良いじゃない。そして、ねぇ、私の質問には答えてくれないの?」
「……。いや、すまない。私自身、この異変が誰によって、何故起こっているのかは分からない。ただ、この里全体が、身体が鉛のように重くなって動けない、という人で溢れている。妖怪も、皆だ」
「ふうん」
あまりにも興味がなく、寺子屋から出ようとしたが、思ったように左足が動かない。見下ろしてみると、オバサンが息も絶え絶えに、私の足首をつかんでいた。
必死なのだろう。顔も上がらない。ひたすら荒い呼吸を繰り返している。手のひらの汗が心地悪い。
「すまない。博麗の巫女を呼んできてはくれないだろうか」
「あ、霊夢のこと? 神社にはさっき行ったけど、霊夢も寝転んで動かなかったよ」
「そんな、博麗のが……。そんなことが」
「うん。私に好きにして良いって言ってくれたんだ。だから、今から何をしようかなーって思って」
それを言っても、私の足をつかむ手が緩む気配はない。苛々して、引きはがそうかとも思ったが、どうやらオバサンが何かぶつぶつ言っている。興味もないが、することもないので、耳を澄ませた。
「……異変は知っているはずなんだ。解決に向けて動くと博麗のが言ったのに、これでは、もう」
「アンタが、自分で守れば良いじゃない」
「……無理だ。身体だけならまだしも、能力すら使えない」
「なら、この手を離して」
「……」
「腕ごと、吹き飛ばすよ?」
おもむろに、オバサンは顔を上げた。さぞ恨めしそうに睨んでくることだろうと髙を括っていたが、違った。
強い意志をもった瞳が、私を射貫いた。涙があったとか、ぶるぶる震えているとか、そういったことはあまり関係ない。何かを訴える、伝えたい、その感情は、汲み取ることができる。
足首をつかむ手に、力がこもる。肉に食い込み、骨すらも折ろうという力だ。
それなのに、オバサンは一言たりとも言葉を出さなかった。私が蹴り上げれば、顔なんて吹き飛ぶことは分かっているだろうに。ただただ、私に視線を送っている。
「アンタが私に何が言いたいのかはわかるよ。どうせこの里を救ってくれとか、そんなことだろう。私は別にこの里を救う義理もないし、霊夢には好きにしろと言われている」
一際、足首が強く締まった。そして、指が離れる。射貫いていた視線もなくなり、うつぶせのまま動かなくなった。
一瞥をするも、オバサンは気付かないだろう。それに、何とも後味の悪い状況だ。それこそ、このまま里を全て吹き飛ばせたら楽だろうに。そう思っても、それをしたいとは、思えなかった。『弱虫』もう一人の私が呟く。
「あれ、どうしてあなたは動いているの?」
寺子屋の前の広場で、不意に声をかけられた。ただ、その方向には誰もいなかったはずで、現に声がするまでは、誰の気配もしなかった。
「へぇ、アンタ、妖怪?」
「うん、こいしっていうの。よろしくね?」
「うん、よろしく」
十中八九、コイツが元凶だろう。話しかけられるまで気配がなかったが、そういう妖怪だろうか。力があるようにも見えるが、いまいちつかめない。
「アンタがこの異変の犯人なの?」
「うーん、異変というか、ちょっと試したかっただけというか。やってみたらこうなってたんだ」
「あっそう」
犯人だと自供してくれたものの、だからといってどうしようという気もない。そもそも、解決しようにも、解決する方法が分からない。私は博麗の巫女ではないのだ。
「えー、こんなことになっているのに、興味ないの?」
「うん。ない」
「そっか、偶然だね。私も興味ないんだ!」
クスクスと笑うこいし。それだけを見れば可愛いのだが、この野路の花のような笑顔の裏には、猛毒がある。手折れども眺めども、毒に犯されれば逃げ道はない。私の本能がそう言っていた。そして、私と同じ匂いがするとも、思った。
「ねぇ、この異変の原因とか、知りたくないの?」
「うん、別に。私には関係ないし、興味もないし。まぁ、このまま遊んでくれる奴がいなくなるのは退屈だけど、お外を自由に歩けるなら、それでもいいかな」
「ふぅん、遊び相手が、欲しいんだね」
ぞくりと、背筋を舐めるような殺気だった。ゆらりと近付いてくるこいしだが、数メートル先にいたはずなのに、今は目と鼻の先に立っている。身体から伸びる管の先に球体があるが、それが私を射貫いている気がした。
「私が、なってあげようか、遊び相手。いつまでも遊んであげるよ。どこまでも、遊んであげるよ。ずーっと。忘れられないくらいに」
「うーん、面倒臭いからいいや。アンタ、しつこそうだもの」
目の前の瞳が、驚いたように大きくなる。かと思えば嬉しそうにはにかんで、にやにやとこちらを見てくる。なんだろう。気持ち悪い。
「面白いね。私のこと、怖くないの?」
「別に。怖いと言うよりは、めんどくさい」
「ねぇ、あなた、名前は?」
「フランよ。フランドール」
「また遊びに行ってもいい?」
「また来るの?」
「逆に、遊びに来る? 地底は良い所だよ?」
「ジメジメしてそうだから、やだ」
「約束だからね!」
こいしは、瞬きの内に消えた。一人置き去りにされてぽかんとしていたが、ふと山際が明るくなるのを見て、流石に太陽の光は駄目だと本能が叫ぶ。とりあえず異変も解決されたかもしれないし、別に解決してないにしても、もう眠りたかった。久しぶりに外出したから、疲れてしまったのだろう。
羽を広げ、紅魔館へと飛ぶ。少しだけスピードを出せば、里の周囲に植えてあるであろう木々が傾き、折れる音が聞こえた。だがそれを理解した頃には、もう自分の部屋にたどり着いている。
他の私がお帰りと迎えてくれる。ひとりぼっちでベッドに寝転がると、お帰りという言葉がわんわんと脳内に鳴り響く。そこには私はいないはずなのに、何人もの私が、私でない私が、話しかけてくる。
少し、頭を使いすぎたのだ。久しぶりの外出で、久しぶりにあれだけの殺気と対峙したのだ。疲れも出るだろうし、眠気も感じる。まぁ異変が解決しているのならいずれ咲夜が起こしに来るだろうし、パチュリーが来るかもしれない。
そう思った矢先、扉が開いた。蝋燭の光が邪魔をして誰が来たのかは分からないが、服装からして咲夜だろう。まぁお姉様はこんな時間に起きられないし、何も不思議ではない。
「妹様、大丈夫ですか?」
「咲夜、ノック」
「申し訳ございません、しかし」
「大丈夫よ。それに、咲夜もあれだけ寝てたら、良いお休みになったんじゃないの?」
「い、いえ、しかし、何故それを……」
「うーん、何となく? そんな気がしただけ」
咲夜があたふたしながらこちらに近付いてくるが、それもどうでも良かった。およそ着替えとか何とか言い出すだろうが、それもそのうちにどこかへ行ってしまうだろう。
真っ暗な地下室の天井に、こいしの顔が浮かぶ。
何故だろう。あれだけ目の前で見ていたにも関わらず、はっきりと顔が思い出せない。服装も見た気がするし、すぐ傍で瞳を覗いたはずなのに、はっきりとは分からない。分かろうとすると煙のように消えていく。ただ一つだけ、閉じた瞳があったことは、覚えていた。
「不思議な奴だったな……」
咲夜はいつの間にやらいなくなっていた。誰もいない地下室に、私の声が響く。
「えー? 不思議じゃなくて、こいしだよ。ほら、遊びに来たよ!」
「……もう来たの? 流石に早くない? というかなんで私の布団に入っているのよ」
「お友達だから良いじゃない。たまにお姉ちゃんともこうして寝るのよ。気付いて貰えないけど。ほら、遊びましょ?」
「……めんどくさ」
その言葉に、こいしは真横で騒ぎ散らしているが、そのうちに眠ってしまった。異変を起こして疲れていたのだろうか。私のベッドで寝ていることは腹が立つが、まぁ寝顔そのものは、可愛く見える。
コイツも、私と同じで姉がいて、そして、構って貰えないのかもしれない。一人の私は気をつけろと警鐘を鳴らしている。もう一人は可哀想だと哀れんでいる。……一体私は、誰から哀れんで貰えるのだろうか。
他の私の声が遠く離れて、横に慣れない温もりを感じながら、睡魔がゆっくりと私を飲み込んだ。
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