微睡みの中・その5・港町シェイエンと商人と
『異世界ライフの楽しみ方』の更新は、毎週火曜日、木曜日、土曜日を目安に頑張っています。
早朝。
澄み渡った新鮮な空気を思いっきり吸い込み、忙しそうに市場へ向かう人々の姿を見るのが好き。特に食料品を扱っている市場では、大勢の商人が大声を上げて交渉をしている、その風景を見るのが好き。
シェイエンは港町、日が昇る前に漁に出た船が、大量の魚介を満載にして港へと帰って来る。
それはすぐに海鮮市場に送られると、すぐさまそこで競りが始まる。
中でも人気なのは、今の時期に丸々と太った体に油を蓄えて帰ってくるサルデン(鰯)とセリーチ(鰊)の二種類。
サルデンとセリーチの競り場は大勢の人で賑わっているが、そうでない所は人気もあまりない。特に殆ど魚が取れなかった船の雇い主のところは、まるで葬式でもあったかのように静かで、モクモクと網に引っかかっている外道を外す作業をしているのだが。
「おおおお‥‥サバだ、生きのいい魚が箱いっぱいあるぞ!!」
朝一を訪れたマチュアがまっすぐに向かったのは、鑑札がなければ参加できない競り場ではなく、場外の船着き場である。
そこで売れそうもない魚をまとめて箱に放り込んで、ひと箱銀貨何枚とかで売っているのだが、当然人気のない魚などに金を払うもの好きなど存在せず、箱は放っておかれたまま。やがては町の孤児院に引き取られていくという流れである。
そんな箱を眺めつつ、マチュアはとある箱に目を付けた。
「あ、あの、この箱ってひと箱おいくら万円?」
「マンエンってのがどこの通貨なのかよくわからないが。どれでもひと箱銀貨5枚だ」
日本円換算で、5000円なり~
「そ、それならこれとこれ、それとあの箱をもらおうかな?」
マチュアが購入したのは、ちょっと大き目で丸々と太ったマグロの稚魚、メジマグロの入っている箱。大きさにして大体60cm前後のものが入っているのを厳選して購入していたのだが。
「ねーちゃん、こんな食べごたえのない魚どうすんだ? 畑の肥料にでもするのか?」
「まっさかぁ。これがおいしい食材に早変わりするんだよ」
「へぇ、こんな雑魚がねぇ。まあ、買ってくれるのなら構わないからいいけどね」
そこまでいうのなら、見せてあげましょう。
購入した魚を拡張バッグに入れて空間収納へと直送。
そのうち一本だけ出しておいて、マチュアはテーブルとまな板、包丁を空間収納から取り出すと。
――ズザザザザザザァァァァァァァ
一気にメジマグロを解体し、綺麗に柵どりまで終わらせる。
「おおう、さすがは天然、ここが大トロでこっちが中トロ‥‥これが赤身と、いい感じだねぇ。さて、それじゃあ始めますか」
――ドン!!
次に取り出したのは炊き立ての米。
これに酢と塩、砂糖を加えて簡易すし飯を作ると、マグロを丁寧に切り付けていく。
ミスリル製の柳葉包丁は熱を遮断するので、切り付けたネタがだれずにピンと角が立っている。
しかも組織を崩さずに切れるので、切り付けた面が鏡のように輝いていた。
「さてと、ワサビはこっちの世界にはないから‥‥後付けでいいか」
ウォルトコで大量買いしたコンテナの食料品の中からホーム印のチューブわさびを取り出すと、それを小皿にニュルリと取り出す。
――サササササッ
あとは手早くマグロを握り、次々と丸皿に並べていく。
最初は何をしているのかと遠くから眺めていた漁師や商人たちだが、やがてマチュアの腕を見て興味を示し、そして目の前までやって来てマチュアの動きを眺めていた。
「おう、ねーちゃんよ、何であんな屑魚で料理なんて作ってるんだ? それも見た事もない料理だなぁ」
「おいおい、生魚を使ったのか、当たって死なないだろうな?」
「これ、本当に食べ物なのか?」
次々と話しかけるので、マチュアは小皿に醤油を垂らして商人たちの目の前に差し出す。
「食えばわかる!!」
キリッとした口調で、どこかの特級厨師のような顔つきでそう告げるマチュア。
ならばと、漁師の一人がマグロの握りを一つ手に取り、小皿の醤油をチョンチョンと付けて、恐る恐る口の中にほおばる。
――モグッ
一口。
口の中に広がるマグロの味わい
そして寿司酢のさわやかな酸味と米の甘さが複雑に絡み合う。
鼻から抜ける香りなど感じずに、いつのまにか漁師は寿司を飲み込んでしまっていた。
「う、うーーむ‥‥」
腕を組んで唸りつつ、先ほどマチュアが買っていかなかった残りの箱へと戻っていく。
そしてすぐさま残った箱からメジマグロだけを外すと、マグロのみの箱を用意する。
つけた値段は金貨1枚、日本円で10万円。
一体何事かと、漁師の様子を見ていた商人や他の漁師たちだが、マチュアが差し出したマグロの握りを一つずつ手に取って、口の中に放り込むと。
――モグモグッ‥‥ドダダダダダダタッ
一斉に漁師の元へと走り出した!!
「まあ、そうなるよなぁ。見た感じ、ここの港って魚料理は煮るか焼く程度で、揚げ物もなにもない。ストームのとこの港町みたいに生で食べるのは禁止っていう雰囲気じゃないけど、生食文化ではないみたいだからなぁ‥‥」
やれやれと腰に手を当ててその様子を見守るマチュア。
そして残ったシャリとネタも次々と握ってさらに並べると、一つずつ空間収納に放り込んでいく。
便利なもので皿ごと放り込んでも、他の荷物とぶつかり合うことはないし時間も停止しているので風味も落ちない。
そのあとも次々とマグロを解体しては寿司を握り、ざっと1000貫のマグロの握りフルコースを作ったところでマチュアは荷物を片付け始めた。
――ドダダダダダダダタ
だが、マチュアが片付けを終えたところで商人たちが再びマチュアの下に集まってくる。
「ん? 私に何か用事かい? 悪いけどもう寿司は上げないよ?」
「そうじゃない、いや、それに近い。この黒いタレはなんだ?」
「緑のハーブもだ、あれが何か教えてほしいのだが」
「もし買ってきたのなら、それをどこで仕入れたのか‥‥いや、それはやめておこう」
三人目は商人の仁義をご存じのようで。
まあ、この世界ではカリス・マレス式交渉術など存在せず、横から割り込むのもなんでもあり。それでも商人が仕入れ先を簡単に人に教えるものではないと理解しているところは加点対象である。
「あー、この黒いのは醤油といってねぇ、悪いが売り物じゃない。緑色のハーブはワサビ、同じく非売品だ。どこで仕入れたかとかも秘密、あんたらも商人なんだから自分の知識を総動員して探してみればいいよ」
ニイッと笑うマチュア。
すると商人たちはそうだよなぁ、と笑いながら挨拶をして立ち去っていく。
予想外に引き際がいいぞ、この町の商人。
「おや、誰か一人ぐらいは権力をかさに着てゴネるかと思ったんだけどねぇ」
「そんな権力のある商人が、わざわざ10等男爵領なんかに商売に来るはずないだろう?」
「そうそう、うちらみたいなDランク以下の商人ぐらいしかこんな辺鄙な所に来ないよ」
笑いつつ立ち去って行く商人達を眺めつつ、マチュアは首を捻っていた。
「はて、10等男爵領? この辺りが辺境なのは聞いていたけど、それと商人がどうして関係あるのかねぇ」
考えてみても埒が明かない。
ならこじ開けましょう。
という事で、マチュアは一路港から離れて、商会ギルドのある中央街区へと向かう事にした。
〇 〇 〇 〇 〇
「たーのもーう!!」
昨日訪れていた場所なので、商会ギルドの場所などよく知っている。
あまり派手なことはしないようにとアーカムに釘を刺されているので、徒歩でえっちらおっちらとやってきてカウンターで軽く挨拶。
すると、目の前の受付が頭を下げた。
「これはマチュア様、本日はどのような御用件でしょうか?」
ピン、と右手の指の間にギルドカードを取り出して提出する。
「アドラー王国の商会ギルドのカードなんだけど、ここでも通用する?」
「はい。世界中すべてのギルドは、管理国家の下に繋がっています。ですので、マチュア様がどの国で商売をなさっていようとも、そのギルドカードがあれば問題ありま‥‥せん?」
マチュアからカードを受け取って確認する受付。
その顔色がサーっと青くなっていく。
「え、Sランク商会‥‥カナン商会でございましたか。アドラーでは珍しい食べ物と魔道具を取り扱っていたと噂は聞いております。では、このイスフィリア帝国でも商売を始めるという事ですか?」
「んー、そうだね。ちょっと長くなりそうだから、帝都で店でも構えた方がいいかなぁ」
「そうですね。マチュア様のカードでしたら、このイスフィリア帝国のどの領地でも税金は非課税、競りについては第一交渉権が発生していますので」
「マジか‥‥」
「どちらの方言かは存じませんが、マジかと思われますが」
おいおい、とんでもない待遇だなぁと目を丸くするマチュア。
だが、Sランク商会などイスフィリア帝国にも7軒しかなく、さらに魔道具を取り扱っている所など一つも存在しない。そしてギルドランクを管理しているのは海の向こうの管理国家なので、イスフィリア帝国でも文句を言う事が出来ない。
マチュアはギルドカードにより、商人としての身分を保証されてしまったのである。
「では、イスフィリア帝国での商売も始めるという事でよろしいのですか?」
「ん? ああ、いいよ。帝都までは行商で、その後は商館でも借りて始めるさ」
「そ、そうですか‥‥では、もしよろしければ、当シェイエン商会ギルドにも商品を卸していただけると助かるのですが」
早速交渉に入る受付。
ならばとマチュアは空間収納から堂々と商品を取り出した。
・昆布醤油の入った瓶
・壺に移し替えたワサビ
この二つをカウンターに所狭しと並べていくが、後ろで眺めていた商人たちはがっかりとした表情である。
アドラー王国Sランク、それも魔道具専門の商会となると、扱っている商品は当然魔道具。この大陸では希少すぎて手が出ないほどの価値であろう。
仕入れられないにしても、せめて一目でいいから見てみたいというのが商人の心意気であるが、並んでいるのはただの調味料の入った瓶と壺。
瓶は透き通ったガラスなので当然価値はある。
が、中の黒い液体には、商人たちはあまり価値を見い出せていなかった。
「え、魔道具ではないのですか?」
「魔道具はおまけ程度だよ。カナン商会のメインは食品販売、なので、この醤油とワサビを買い取って欲しいんだけれど」
「はぁ、それではお待ちください」
すぐさま受付が鑑定盤を取り出して鑑定を開始する。
そして二度三度と鑑定をやり直したのち、奥のほうへと引っ込んでいった。
――ドタドタドタドタ
少しして、奥からギルドマスターのカルド・ゾーニックがやって来たが、マチュアを見て頭を抱えてしまっていた。
「ああ、アドラーの商人がとんでもない商品を持ち込んだと聞いたのですが、やはりマチュア様でしたか」
「よっ。それで鑑定結果はでたの? 買い取ってもらえるの?」
「それなのですが。この小瓶の黒い液体、ショーユというのですか。これは一瓶金貨一枚で買い取らせていただきます」
――ザワッ!!
その場の空気が一変する。
見たこともない調味料、当然ながらどう使っていいかなんて商人にはわからない。
それが一瓶で金貨一枚である。
「こちらの緑のハーブ、ワサビは金貨一枚と銀貨50枚で買い取らせていただきます。それでよろしいですか?」
「予想外に高かったね。ではそれで」
これで商売は成立。
そのまますぐに代金の入った袋を受け取って空間収納に放り込み、マチュアはのんびりと商業ギルドを後にした。
‥‥‥
‥‥
‥
「よおカルドの旦那、それって買い取って売れるのか?」
「い、いや、判らない。うちの料理人にこれの使い方を探してもらうしかないが、鑑定盤はこれを希少な調味料と言っていたのだなぁ」
珍しいものにはまず飛びつく商人たちも、ショーユとワサビについては半信半疑である。
もしも買ってみて使い方がわからなかったら?
それこそ投資して元を取らなければと考える商人たちは様子を見ていることにしたのだが。
――バン!!
ドカドカと数名の商人たちが建物の中に入ってくると、様子は一変した。
「ギルマス、ショーユとワサビっていう調味料を知らないか?」
「それを仕入れられたら教えてくれ、うちで買い取らせてもらう」
「何をいう、その二つはうちの商会で引き取るからな!!」
などなど。
先ほど港でマチュアの握り鮨を食べた商人たちが、商店街話探し回った挙句に何の情報も得られないまま、商業ギルドにやって来たのである。
そして商人たちの話聞いてカルドはチラッとカウンターの壺と瓶を見たのだから、もう商人たちは止まらない!!
「そ、それはショーユとワサビだな!! うちで買い取るぞ!!」
「うちもだ、うちにもよこしてくれ!!」
突然のショーユとワサビブームで、ギルド内が騒然となったのは言うまでもない。
そんな様子など気にも留める事なく、マチュアは郊外の大樹の元へとゆっくりと向かう事にした。
朝一で、アーカムがミレーヌの修行を見ている筈であるから。
誤字脱字は都度修正しますので。 その他気になった部分も逐次直していきますが、ストーリー自体は変わりませんので。






