イェソドから・その47・ソーダフィル解放
絶望。
私達の生活には、それしかなかったのです。
海外からやって来た魔導士ルモール、彼女がソーダフィル王国初代王宮付魔導士として召し上げられた時、国王は国を挙げて盛大に祝っていました。
私達の住む大陸には魔法というお伽噺の奇跡は存在しません。それは海の向こうの大陸の、それも始祖と呼ばれる王家にのみ伝えられる秘術であり、普通の人々には修得する事すら出来ないと教えられていたのです。
けれどルモールは違いました。
彼女は様々な魔術を操り、国を豊かにしてくれたのです。
大きな魔獣の襲撃などはありましたけれど、それはルモールの副官であるボストンという軍師の方が、自身の持つスキルで全て撃破してくれました。
そして確たる地位を得たルモールは、この王都全体を包む結界を施すと、祝福と偽って、私たちに『呪い』を施したのです。
『私は魔人ルモール、この国の人間全てに呪いを掛けた』
誰も信じませんでした。
それどころか騎士たちは王の命令により、反逆者ルモールを捕らえようとしたのです。
けれど、逆らったものは全て魔宝石に変えられてしまいました。
そして私たちの国の王家は自らの、そして王国全ての民の命を救う事を条件にルモールに降伏したのです。
けれど生活は変わりません。
ただ、私たちから笑みが消えました。
いつ自分も魔宝石になってしまうのか、家族も魔宝石に変えられてしまうのではないかと、日々怯えながら暮らしていました。
恐怖が私たちを支配したのです。
そして先日。
ルモールは隣国アドラー王国に向けて出兵しました。
旅の吟遊詩人の語る聖女伝説、その中心であるマチュアという名の伝承種を捕らえる為に。
私達は祈りを、希望を口にする事も出来ません。
祈りを、希望を口に出すと、私も家族も魔宝石になってしまいます。
なので、心の中で祈り続けました。
助けて欲しいと。
そんなある日。
「なんで雪?」
空から雪が降ってきたのです。
それも、天井をすり抜けて。
これは一体何なのか、またルモールが何かをしたのか。
慌てて私は窓辺に走ると、窓の外を見上げました。
街中に大量の雪が降り注いでいます。
壁を、屋根を抜けて、暖かい雪が降り注ぎました。
そして気が付くと、私も、そして町の大勢の人が空を見上げていたのです。
「天使さま?」
そこには、天使が飛んでいました。
人よりも大きな、無骨な白い甲冑に身を包んだ天使。
大樹聖典に記された、戦いを司る天使『イージス』。
背中から伸びた白い翼を広げ、天使は空に佇んでいました。そして天使の差し出した掌の上に、純白のローブを身に纏った聖女の姿があったのです。
「助けて……」
それは言ってはいけない言葉。
希望は私達を魔宝石に変える。
でも。
何も起こらない。
振り向いて家族を見る。
けれど、誰も魔宝石に変えられていない。
『ソーダフィルの民よ、悪しき魔人ルモールは滅び、その呪縛は解除された。やがてこの地にも大樹は再び芽生えるであろう。祈りなさい感謝を、全ては大樹の加護のあらん事を』
聖女の声が王都に響きました。
そして、歓喜に満ちた声が、王都を包み始めたのです。
私達は解放されました。
魔人の手から、悪しき力から。
そして天使はスッと消えたのです。
聖女を掌に乗せて、その姿を。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「うわぁ。やり過ぎたわ」
ステルスモードのイーディアスⅣ。
その全身に強化装甲を纏い、背中には翼のような魔導スラスターを広げていた。
ルモールを滅したマチュアは、すぐさま王都全域を浄化し、ルモールの呪いが残っていないか深淵の書庫で検索していた。
そして問題なしという結論が出た時、街のあちこちからイーディアスⅣを見ている人々が溢れているのに気が付いたのである。
「なら、サービスしておきますか。このまま帰ったら何が起こったのかわからないだろうからね」
すぐさまイーディアスⅣの右手を前に差し出すと、その掌に飛び乗る。
服装はご存知の白銀の賢者モード。
そして優しい笑みを浮かべると、風の魔術で声を王都全域に広げた。
「ソーダフィルの民よ、悪しき魔人ルモールは滅び、その呪縛は解除された。やがてこの地にも大樹は再び芽生えるであろう。祈りなさい感謝を、全ては大樹の加護のあらん事を」
──ステルスモード起動
言いたい事は言った。
すぐさまイーディアスⅣを透明化してコクピットにコソコソと戻る。
そしてモニターを使って周囲を確認すると、街の彼方此方からは歓喜の声が上がっている。
「後は大樹の活性だけど、じっちゃんの報告待ちなんだよなぁ。そんじゃとっとと帰りますか」
制御球に手を乗せて魔力を注ぐと、マチュアはビバッスルへと帰還する事にした。
………
……
…
「かくかくしかじか、という事なのよ」
「かくかくしかじかと言いながら記憶のオーブを渡すのもどうかと思いますけれど?」
ビバッスルに戻ったマチュアは、まず領主館にやって来て待機しているアーカムとボストンと合流。何があったのかを伝えるために記憶のオーブを作って手渡すと、アーカムはそれを取り込んでふむふむと納得している。
「ルモールが滅んだのでしたら、カッテージ王妃の企みもおしまいですね」
ボストンがつぶやく一言。これにマチュアはピンときた。
「やっぱりフローラ暗殺未遂の一件は、魔人絡みなの?」
「ええ。カッテージ王妃による王家転覆計画。直系の血筋全てを滅ぼし、息子であるサンシータを国王に据える。そのためにルモールは様々な策を練っておりました」
そこまて聞いてマチュアはウンウンと頷く。
それに呼応するように、アーカムがマチュアの肩をポン、と叩く。
「それならここの人たちは私が解放するから、あなたはアドラー王都で報告して来るといいわ」
「あ!それは助かるわ。そんじゃ宜しく御願いね」
そう告げてマチュアは王都アドラーへ転移。
その光景を、ボストンは呆然と見つめているだけであった。
「あ。あの、マチュア様ならひょっとして、魔人王を滅する事も出来るのではないですか?」
「魔人王?何それ」
「私たち魔人族の始祖であり、この十世界の全てを手に入れようとしている魔人ダート様です……あ、様はもう付ける必要もないですか」
「まあ、マチュアから大体の事は聞いているから理解出来るけどね。そのダートっていうの滅したら全て終わりなんじゃないかなぁ。相変わらず遠回りというか、面倒臭い事しているわね、あの子は」
やれやれという感じに頭をポリポリと掻くアーカム。
「それで、そのダートとやらのいる場所には行くことができるの?」
「ダートの住まう居城は空間城といいまして、いくつものパスを通らないといけない空間の狭間に存在するのですよ」
「へぇ、具体的には?」
そのままボストンから空間城へと伸びるパスの行き方を教えてもらうアーカム。だが、聞けば聞くほど面倒臭い事この上なく、しかもパスは魔人族の手により様々な術式が施されており、生身の人間では通り抜ける事は出来ないらしい。
「……あ、成程ね。それは人間側が力をつけても反抗出来ないわね。でも私やマチュアなら簡単に通り抜けられるから、とっとと終わらせた方がいいわね……なら私が先に」
──ゾクゾクッ
そう呟いてから、アーカムは身震いした。
これだけの情報を得て独断で行動した場合、後からマチュアにバレでもしたらどういう目に遭わされるか。
「アーカム様が向かうのですか?」
「い、いや、マチュアと一緒の方がいいわね。その方が安全よ」
そう自分に言い聞かせるアーカム。
マチュアとはもうかなり長い付き合いである。
そもそもアーカムの肉体を構成している擬似体はマチュアの細胞を培養して作られたもの、いわば血肉を分けた仲……と言って良いのかはわからないが、カリス・マレスで最もマチュアに近しい存在である。
それ故。
勝手に独断専行した場合のマチュアの怒りがどれ程のものなのかは理解している。
「アーカム様がそうおっしゃるのなら、私はそれに従うまでです」
自分の胸元に右手を添えて腰を折るボストン。
あくまでも、主人の意思には絶対なのである。
「ふぅ。しっかし、マチュアはいつもこんなこと一人でやっているのかしら。よく体が持つわねぇ……と、それじゃあマチュアが戻るまでに後始末をしておきましょうか。ここの元領主を探さないとならないし、騎士達にも話を通さないとならないからね」
やれやれと立ち上がるアーカムと、それにゆっくりと頭を下げるボストン。
実にいいコンビとなるようで。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
王都アドラー。
王城第二尖塔、そこはアドラー第二王妃の館が隣接している。
その二階にある王妃の寝室では、カッテージ・ロクト・アドラー王妃が、拳大程の通信用水晶球を手に首を捻っていた。
「おかしいわね……ルモールからの連絡が来ないわ。いつもならこの時間に定時連絡が来る筈なのに」
ブツブツと呟きながら、水晶球に魔力を注ぐ。
だが、水晶球は全く反応を示さない。
「ねぇバーソロミュー、ルモールと連絡がつかないのだけれど、何かあったのかしら?」
壁際で控えていたカッテージ付きの護衛騎士であるバーソロミューに問いかける。
元々のバーソロミューはルモール配下の魔戦騎士、人間でありながら極限まで鍛え抜かれた身体能力を駆使して隠密活動に従事していた。
カッテージの下にいるのも、元々はルモールの命令であるのだが、そのルモールとの連絡が繋がらなくなっていたのでバーソロミューもどうしたものかと思案している所である。
「私は特に何も聞いておりません。まあ、彼の方は時折連絡が付かなくなる事がありますので、いつものようにどこかで戯れているのではないかと」
そうカッテージに告げるのだが、バーソロミューは別の事を考えていた。
『恐らくは緊急事態。ソーダフィル王都で何かあったのだろうな。もしそうだとするなら、最悪、この大陸から逃げる事まで考える必要があるという事か』
チラリとカッテージを見る。
権力欲に溺れた豚め……。
常日頃から、カッテージはバーソロミューに話していた。
息子であるサンシータを国王にする為にはどうしたらいいかと。
その為の手段はボストンから聞き出した。
まずは邪魔な第一王女であるフローラを攫い海外に奴隷として売り飛ばせばいいと。
その為に大金を払って子飼いの盗賊に情報と報酬を渡し、フローラを攫わせた。
だが、それは失敗し、フローラは無事に王都に戻って来た。
それも、ルモールの齎した死病を克服して。
フローラの背後に何者かがいる。
そう考えていた直後に、聖女が降臨したという情報がやってきた。
そうか、聖女が俺達の策を邪魔していたのか。
その報告はすぐさまルモールに齎され、アドラー出兵を早める結果となった。
そして出兵の後、皇太子であるロイエンタールを戦場にて殺害、報告を受けて帰還するであろう第二皇子を船上にて船ごと始末する。
後は失意の王を自殺に見せかけて暗殺し、サンシータを国王に据えてしまえばおしまい。
その後で、ルモールが背後からアドラーを操ればいい。
そう、それこそが表向きは平穏に、この大陸全ての人間を魔族の家畜として使役する事が出来る。
「大筋の変更はないですか。まあ、ルモール様に何かあったかもしれませんが、いまは情報を集める事にしましょう」
そう丁寧にカッテージに告げて、バーソロミューは退室する。
そのまま護衛の騎士に後は任せて、バーソロミューは情報を得るべく騎士たちの集う中庭へと向かう。
(予定では間も無く第一皇子が出兵する。道中で魔物にでも襲われてくれれば御の字だが、最悪でもビバッスルでボストンが始末してくれる……)
廊下の窓から中庭を見る。
既に出兵準備には出来ており、後は国王からの激励を待つだけ。
その国王があつらえられた壇上に上がった時。
『その出兵待ったぁぁぁぁ』
──キィィィン
金属を引きちぎるような超高音が周囲に響き、城の上空から巨大な天使が舞い降りた。
身長5メット程の、白銀の鎧と翼を生やした天使。
その掌には、あの忌々しい女が立っている。
「ビバッスルは無血開城され、ソーダフィルを支配していた魔人はこの私が滅した!!」
掌の聖女が叫ぶ。
その声は城内全てに響き渡った。
騎士たちは安堵の表情を浮かべ、国王も聖女に頷いている。
「此度のソーダフィル王国の暴走、全ては第二王妃であるカッテージの策なり。かの女は息子であるサンシータを国王に据えるべく魔族と手を組み、フローラを始めサンシータ以外の王家の血筋を絶やそうとした大罪人である!!」
マチュアの声が響く。
その瞬間、カッテージは部屋から飛び出そうとしたものの、廊下で待機していた騎士達に足止めされてしまう。
所詮は女の細腕、屈強なる騎士に抗う事は出来なかった。
こうして、カッテージの企みは全て潰え、ソーダフィルとアドラーに束の間の平和がもたらされることとなった。






