イェソドから・その31・貴族来訪と懐柔策
沈黙。
今現在の室内の様子を告げるならば、この一言に尽きる。
法務局でのまさかの逆転負け、その報告をサギールは錬金術ギルドマスターである ファゴットに行っているところであった。
「……ふん。まさかそんな手を使っていたとはな。古き伝説の錬金術スキルか。それをどのようにして得たのか、それが知りたいところだが……」
「はい。まさかあの女が伝承種のハイエルフとは思いませんでした。しかも、錬金術だけでなく魔術も行使出来るなど、お伽話の主人公のようでしたが」
「問題は、そのマチュアとかいうハイエルフの存在が公にされた事だ。秘密だったり隠していたのなら、攫うなり何なりと手はあったが……中々に強かな女だな」
苦笑しつつも、ファゴットは今後の展開について考え始めている。そしてサギールもまた、この後でやってくる賠償請求に頭を悩ませ始めた。
「ファゴット様、この後のあの女の対応はどのようにしたら宜しいでしょうか」
「法務局の裁決が全てだ、それを我々が覆す事はできない。後は王都の錬金術ギルド総括がどう判断するかだが……後は私が上手くやっておく、サギールは例の魔剣の解析を続けるがいい」
「畏まりました」
そう告げてサギールはその場を離れ研究室へと向かう。
そしてファゴットもまた、自室へと戻り今後の対策を考え始める。
リンシャン市の大司教とは違い、ファゴットは魔族との繋がりは持っていない。
その為、マチュアのような異質な存在の対処方法など知る由もなく、故に自身のコネを使いこの件について丸く収める必要がある。
「損害賠償か。相手は伝承種、最悪我が錬金術ギルドの取り潰しの可能性もあるか。そうする事で、あの女はこれまで錬金術ギルドが得ていた莫大な利益を独り占めする事が可能となる」
それはやがて、王都にも噂として広まり、王都錬金術ギルドも今までのように魔導具を得る事が出来なくなってしまう。
報告では、マチュアは何もない所から自在に魔導具を生み出したと聞く、しかも大樹の聖女。
やがてこの国の錬金術は根底から崩れていくだろう。そうなると、今迄に築いてきた地位も名誉も全てを失う。
「……ワシはいい、ワシはな。だが、この錬金術ギルドに登録している若い錬金術師たちの未来を、希望を失わせる事はできない……」
そう呟くと、ファゴットは一通の手紙を認めると、それを郵便早馬で王都のある貴族の元へと届けさせる。そして彼自身もまた、勇気を振り絞り教会前に駐車しているカナン商会馬車へと向かう事にした。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
午後。
なんとか営業を開始したカナン商会には、大勢の客が並んで待機していた。
その最前列には侍従長のランプソンとメイドのブリジットが待っているのには、マチュアも思わず苦笑してしまう。
「はい本日も無事に開店ですよ。この街にいるのも後数日ですので、後悔の無いようにしてくださいね」
「「「「「ええええ!!」」」」」
並んでいる人々からの悲鳴が聞こえる。
まあ、そんな事は無視して最初の10人を案内すると、侍従長とメイドはカウンターで注文する事なく急ぎ席を二つ確保していた。
「‥‥あの、マチュアさん、気のせいか昨日よりも店内が広く無いですか?」
「あ、それはさっき広げたんだよ。イートインが少なくてゆっくりできないって言う人がいてね。こっちは親子連れ用、そっちは貴族の隔離席、こっちがフリーで奥のスペースは子供が遊べるキッズコーナー」
一つ一つ説明していく。
親子連れ用は隣接するテーブルの距離を広くして騒いでも大丈夫なように、フリー席は四人がけテーブルを自由に組み替えられるように。
貴族用の席は少し贅沢な椅子とテーブル、後ろにはメイドや護衛の騎士が待機できるようにスペースを広く取っている。
そしてキッズコーナーには、ウレタンで作ったソファーや壁、床材を使用し、ゴムボールが大量に置いてある。女の子用にさまざまなヌイグルミを配置、男の子用には鎧騎士が飾ってあり、希望するなら貸し出しも可能にしてある。
「さて。私の気のせいでなければ、このカナン商会の広さは私の屋敷の広間の5倍以上の大きさなのだが」
ようやく自分の順番が来たので、エルビスとブルースが店内に入ってきた。そして開口一番がこの言葉である。
「その気になれば、この中はこの領地全てが入る大きさにも出来るよ。そんで何を注文?」
「食べる分は後で取りに来させる。それよりも、今日はもう二人、客を連れて来たのだけどね?」
エルビスの背後には、ジェイソン卿と錬金術ギルドマスターのファゴットが立っている。
どちらも申し訳なさそうにしているので、思わず笑いそうになってしまうが。
「では、皆さんご一緒の席でお願いします。道理でランプソンさんたちが張り切って席を二つ確保していた訳だよ。ま、この状態なので、のんびりとどうぞ」
「ああ、ゆっくりとさせてもらうよ」
「で、では失礼する‥‥」
堂々と席に向かうジェイソンと、店内を見渡してあちこちに配置されている魔導具に挙動不審になるファゴット。報告では聞いていたがここまで知らない魔導具がふんだんに使われていると、どうしてもその仕組みや原理を知りたくなってしまう。
だが、それでは本末転倒、今日ここに来たのは錬金術ギルド統括として正式に謝罪に来たのである。
全てを許してもらえるとは思っていないが、それでも心象を良くしておきたいと考えていた。
その為にジェイソン卿の元に出向き仲裁を頼んだのである。
「‥‥エルビス、あれは店内にはないのか?」
のんびりとケーキと紅茶を楽しんでいたジェイソンだが、店内を見渡しつつ何かを探していた。
それが何であるかはエルビスは知っていたので。
「ええ。あれはここには飾っていませんよ。もしあったとしたら、目ざとい使用人たちが購入していくのでしょうから。この店内にあるものは全て商品でもあるってマチュアさんはおっしゃっていましたからね」
「なっ、で、では、あそこで子供が遊んでいるゴーレムも売り物だというのか?」
キッズコーナーで鎧騎士で遊んでいる子供を指差し、ファゴットは震える声で問いかけているが、エルビスは涼しい顔で頷くだけである。
その最中にも、一人の男の子が一体の鎧騎士を手にカウンターに向かうと、銀貨を一枚支払って登録してもらっていた。
「なっ‥‥あれが銀貨一枚だと? そんな馬鹿な」
「ファゴット、それがこのカナン商会の常識ですよ。そんな相手にあなたたち錬金術ギルドは喧嘩を売ったのですよ‥‥これで理解出来ましたか?」
「我々の錬金術はもう終わりということか……」
落胆するファゴット。
だが、マチュアは追加のケーキタワーを持ってきてテーブルに置くと、ファゴットに一言。
「あのねぇ。私のカナン商会は支店を作る気ないし、いなくなった後の魔導具開発や販売は貴方達錬金術ギルドの仕事でしょうが。今回の件は、あんたらが訳の分からない言い掛かりを付けて来て、それを叩き潰しただけだからな」
「で、では、我が錬金術ギルドを取り潰すとか」
「そんなの面倒いわ。あんたらがスキルで魔導具を解析し作っているのは事実なんだから、もっと堂々と仕事してればいいじゃないのよ。はい、この話はここまで、後はごゆっくり」
そう告げてから、マチュアはカウンターに戻る。
それをじっと見ていたファゴットは、申し訳なさそうに頭をポリポリと掻いていた。
「マチュアは欲というものがないのか?これだけの事が出来るのなら、世界の全てを手に入れる事も出来る筈なのだが」
「それはどうでしょうなぁ。私達には伝承種の考え方は判りませんが、少なくとも敵対せず友好的に付き合う分には良い隣人であると私もブルース卿も答えを出しましたが」
エルビスの言葉に、ブルースも頷いている。
「態々俺の元に出向いて仲裁を頼んで来たのに、こんな結末とはな。俺は自身の目で見た事しか信用しないから、これはこれでありだと理解した。問題は王都の九貴族と元老院か」
「ええ。ジェイソン卿の懸念通りです。マチュア氏のこの力、あの強欲な侯爵家達が黙って見ている筈がないです。自身の勢力に取り込んでしまおうと考えるでしょうなぁ」
ジェイソンとブルースが眉根を下げて呟くが、エルビスはあっけらかんと一言。
「そしてマチュアさんにすり潰されるという所でしょうね。敵対して良いか悪いか、それに気付ける貴族家がどれだけあるでしょうね」
「……それについては。我がアドラー王家からも助け舟は出すつもりです」
ケーキ皿を手にしたフローラ・アルド・アドラー第二王女が、マカフィとジョセフィーヌを伴ってやって来た。
これにはすぐに全員が立ち上がるが、フローラが座りなさいと告げたので席に戻る。
「あまり派手に動くとマチュア姉さまに怒られますので。ここでは確か、身分は関係ない筈ですよね?」
にこりと微笑む10歳少女に、全員が素直に頷く。
爵位持ちの貴族の子は立場は強いが偉くないのだが、王家の子は王族で偉い。これは絶対不変である。
それでもカナン商会では身分の垣根は粉砕されているので、老若男女問わず親しく接している。
「それでフローラ様、助け舟ですか?」
「まさか爵位授与?」
「それをするとマチュア姉さまが居なくなってしまうのでそれはなしですわ。カナン商会に王室御用達を発行します」
「そ、それは……」
まさかの展開に一同息を呑む。
アドラー王国では王室御用達を受けた商会は4つしか存在せず、どの商会も絶対的な権力を得る事が出来た。
王室御用達商会の家系は代々名誉侯爵を名乗る事が許されており、他の侯爵家と等しい力を得る事が出来る。
それ故に、アドラー王国では王室御用達は4つしか授与されておらず、それ以上増やすことは王国議会での採決が必要である。
「多分、いくつかの侯爵家は反対するでしょうけれどね。でもまあ、アドラー家の名を使えばヒャイ!!」
マチュアは悪い笑顔のフローラの後頭部を、手にしたぬいぐるみでパシッと叩く。
「そういうの禁止。はい、ご注文の動くぬいぐるみの猫ね。銀貨一枚後で支払うように」
「は、はいごめんなさいマチュア姉さま」
「謝るなら最初からやらない。そんな面倒な事しなくても、私が王都にいる間は自由に遊びに来て良いんだから」
ニィッと笑いながら呟くと、フローラもぬいぐるみを抱きしめてコクコクと頷いた。
「それで、王都から迎えの騎士が到着したの?」
「はい。先日無事に到着しました。どこで何があるのか分からなかったので、ずっと伯爵家にお世話になっていましたが、今日になってようやく外に出られたのですよ」
「そりゃまたお疲れさんだね。まあ、王都に着いたら、ロシアンか誰かを使いで送るから。私は王城には挨拶に行かないのでよろしく」
面倒な事はごめんだと告げているようなものであるが、フローラも重々承知。
「そ。それで良いですわ。でも、王都に来たら毎日ケーキを食べに来ますので」
「それで良い良い。ジェイソンさん、フローラがお世話になったお礼、外に置いてあるので帰りに持って帰ってくださいね」
「そんなお礼な……ど?」
言葉途中で外に飛び出す。
するとそこには、立派な飾りをつけた軍馬が佇んでいた。
ミスリル製戦闘用ゴーレムホース、先日法務局で作ったものを大幅に改装したものである。
ジェイソンはそれをずっと眺め、触り、エルビス達が呼びに来るまでそこで堪能し続けていた。
そして閉店後、マチュアはフローラが無事に王都に着くようにとカナン商会で晩餐会を開く。
カリス・マレス馴染亭では定番のメニューからスイーツ、果てはドラゴンやニワトリの卵料理などをふんだんに出し、参加したエルビス達の言葉を全て奪い去った。
帰りには100ボックスの拡張バッグと男性には空飛ぶ絨毯、女性にはケーキセットと魔法の箒も手渡し、楽しいままに御開きとなった。
そして翌朝。
フローラたちは王都へ向けて出発。
それを見送った帰りに、反対側の正門から瀕死の冒険者が早馬で駆けて来るのには、マチュアも気が付いていなかった。






