イェソドから・その28・シャダイの覚醒?
夕方。
閉店の時間なのでエルビス御一行もようやく重い腰を上げていた。
そしてブルース男爵はツカツカとマチュアの元にやって来ると、軽く頭を下げている。
「うちの若い奴らが失礼した。奴らの報告では、この店はかなり慇懃無礼で貴族に対しての礼節もなっていない、そんな奴の店なんて買収して追い出したほうがいいという報告を受けていてな。こんなに立派な店とは思わなかった、どうかこの通り謝罪を受け入れて欲しい」
おおっと、話の分かる貴族であった。
ちらっとエルビスを見ると、彼もニコニコと頷いているのでマチュアはハァ、とため息をついて一言。
「あなたがあのチンピラーズに慕われているのはよく理解しました。なのでこの謝罪は受け入れます、この店のルールは私ですので、それをしっかりと守っていただければ明日もお客としていらして構いませんよ。今日からイートインはフリー開放していますし、店内での飲食については制限していませんてので」
「それは助かる。ではまた。エルビス子爵、私はこれで失礼します」
は? 息子やっぱり爵位持ちかよ。
それならそうと先にいって‥‥も何も変わらないからいいか。
「ではまた。さて、私たちもこれで失礼するとしよう。ブリジット、ちゃんとほかの子達用のお土産も買ったかい?」
「はい。旦那様のお言いつけ通りに。あの子たちにはこのエクレアを一つ。残りは私が」
「‥‥マチュアさん無理を承知でお願いしたい。我が家には6人のメイドがいて、昨日ここで買っていったケーキを見て、ぜひとも欲しいと頼まれたのだが。あと3つ、どうにか売っていただけないか?」
「エルビスさんで4つ、侍従長が3つ、そちらのブリジットさんが3つで間に合うのでは?」
「私とランプソンのは家族用でね。どうかお願いしたい」
そう告げて頭を下げるのと、その背後でランプソンがギリギリと歯ぎしりしつつ睨みつけるのと、一人一個と聞いて落胆しているブリジットという三者三様を見て、マチュアはハァとため息が出た。
これがいけ好かない貴族なら問答無用なのだが、このエルビスからは悪い印象はない。
貴族という身分を楯に話してくる様子がないどころか、丁寧に頭まで下げている。
「うちのルールは一人三品。エルビス様は特別に4品の購入まで許可していますので、ここは譲れません」
そう告げて持ち帰り用のバスケットにエクレアを6本包んで入れると、それをブリジットに手渡す。
「なので、これは私からのプレゼントということで。本来なら注文は私が持っていくべきなのですが、ティーサーブとか、他のお客様への配膳をブリジットさんが手伝ってくれたので、これはお礼です」
「あ、ありがとうございます‥‥これで一日一本食べられます‥‥」
「ちゃうわ、一人一本ちゃんと分けるように‥‥ということで、ランプソンさん、これしっかりと管理してくださいね」
「ああ、わかりました」
慌ててブリジットからバスケットを回収して、ランプソンに手渡すと、ランプソンもコクリと頷きながらバスケットを受け取り、肩から下げているバッグにすっぽりと収納した。
「では失礼する。今日もご馳走様」
「どういたしまして。ではまた明日のご来店を心からお待ちしています」
丁寧にあいさつをして閉店すると、マチュアは馬車を商店街に移動して足りない材料を大量に買い込むと、宿の前でいつものように仕込みを開始した。
‥‥‥
‥‥
‥
翌朝一番。
早朝、いつものように大樹へ向かう。
いつものように自重しない魔法の箒に横座り、仕入れに向かう商人や朝一番で街から出発する冒険者は何事かとマチュアを見るが、当の本人は自重を捨てたので気にせず大樹へ。
教会が崩壊したので、大樹の信者たちは朝一で大樹の元に集まって祈りを捧げている。
ならばとここは開き直り、頭のクトゥラを外して久しぶりの白銀の賢者モードに換装する。
そして堂々と大樹に近寄り手を添えると、ゆっくりと神威を流し始めた。
──ザワザワザワザワ
そのマチュアの姿に祈りを捧げる人々。
マチュアの神威、そして信者の祈りに呼応するかのように木々がざわざわとざわめき大量の光魔力を拡散し始めた。
「おおお、かなり活性しましたねぇ‥‥さて、じっちゃん元気か?」
『うむ。100%元気だなぁ。もう頑張るしかないぞ。しかし何故、ここだけ活性が強いのか?』
「教会が大樹の樹液集めて売り飛ばしていたみたいだから、回復させたんだけどね。そこでわかるかな?」
『ちょっと待っていてくれ‥‥ほうほう、確かに弱っていた大樹を傷つけて光魔力の宿っていた樹液を汲み上げていたようだな。だが、マチュア様が傷を癒していただいたので助かったと礼を告げているぞ』
その言葉と同時に、再び木々が揺らめく。
「それはよかった。けど、また傷つけられたらどうする?」
『それはないでしょう。マチュア様の神威を受けたおかげで、この大樹も『神樹』としての力を取り戻したようですからなぁ。傷をつけたければ、神殺しの武器でも持って来ないと無理でしょう』
「それならいいや。しっかし、大樹を傷つける管って、それはそれですごいよなぁ。よくそんなものが手に入ったものだよ」
『それについては儂も疑問を感じている。いくら弱っているとはいえ、大樹を傷つける事などそうそう出来るものではない。もしそのような事が出来るとするなら、それは魔族の鍛冶師たちの作り出す魔剣、それもかなり強度の高い武器でなくては無理でしょう』
「あ、そうなるのか。つまり魔族の関与も考えないとならないのね‥‥」
『すまないのう』
申し訳なさそうな呟くシャダイ。
「ま、それは良いわ。それでじっちゃんがいるっていうことは、もうマナラインには繋がっているのね?」
『うむ。これで三つの都市の大樹が繋がり、相互に活性化を促し始めた。このまま王都の大樹も活性化してくれるといいのだがな』
「‥‥何か懸念事項でも?」
『魔族がこの状態を見て何もしてこない筈はないだろうなぁ。そのあたりを十分に気を付けてくれると助かるのじゃが』
「ま、その時はその時で。そこそこに対処するよ。出来る事なら私以外で対処出来ればいいんだろうけれどね」
『この世界の人間は弱い。じゃが、大樹の加護を得られればもっと強くなり、やがては魔族に対抗する力を得られるであろうなぁ‥‥』
その為にマチュアはここにいる。
さて、これ以上は何をしたらよいのか。
「具体的には?」
『もっと魔導具をばらまいてレアスキルを広めて欲しい』
「それまた俗物な。でも、それが仕事だからね‥‥と、そろそろ人が集まり過ぎたので失礼するよ」
『ではまた‥‥』
そこでシャダイの意識が途切れると、マチュアはふぅ、と息を吐いて振り返る。
そこには大樹の周りを覆いつくすように大勢の人が集まって、じっと祈りを捧げていた。
ならば最後の仕上げである。
「大樹は仰いました。祈りを捧げるようにと。聖大樹教会の齎した『大樹の雫』は、大樹を傷つけて得られたもの。そのような事を続けて行くと、やがてこの地から大樹の加護は失われ、この地は魔族に蹂躙されるでしょう。なので祈りなさい。祈り続ける事で大樹の加護は皆さんにも届きます」
大声で熱弁する。
すると、一人の女性がよろよろと立ち上がる。
「祈ることで、この私の目は治るのでしょうか‥‥幼い時の事故で、私の目は傷つき光を失いました‥‥大樹の雫で一時的に見えるようにはなっても、翌日にはまた見えなくなってしまいます」
「そうですね‥‥では、ここに来て、大樹に触れて祈ってください」
その言葉に促されて、女性は手を引かれつつ大樹の元にやってくる。
そして手を当てて祈りを捧げると、周囲をただよっていた光魔力の妖精が女性の瞼にそっと口づけをした。
(あら、ありがとうね)
『大樹に祈りを捧げた人は良い人‥‥』
妖精の言葉は女性にも届いていたらしく、周りをキョロキョロと見渡して涙を溢れさせた。
「見えます‥‥ああ、光がまぶしい‥‥大樹様、ありがとうございます。聖女様、大樹を導いていただいてありがとうございます‥‥」
誰の目からも明らかな大樹の奇跡。
これで人々の信仰は教会から大樹そのものに移ってしまっただろう。
「では私はこれで。聖女の姿をした時の私を敬うのは構いませんが、普段着の時はただの旅人ですので、そこの所はよろしくおねがいますね‥‥では」
空間収納から魔法の箒を取り出して横座りすると、そのままゆっくりと大樹の周囲を飛び回り、そして静かに転移した。
集まっていた人々は聖女の奇跡を目の当たりにし、そして今一度深々と大樹に頭を下げていた。
‥‥‥
‥‥
‥
「う、うわぁ‥‥本物の聖女様だ‥‥ロドリコ様、見ましたか、あれが本物の聖女様ですよ」
大樹の活性化を聞いて、ロドリコも助祭や大勢の司祭を伴って大樹の元を訪ねていた。
そして辿り着いた時には、公園からはみ出しても尚、大勢の人々が跪いて両手を合わせ、大樹に祈りを捧げている。
その全員の視線の先では、白銀の賢者モードのマチュアが大樹に手を当てて何か祈りを捧げているようである。
そしてその言葉に呼応するかのように時折大樹の枝葉が輝き、揺れ、そして光魔力が溢れていく。
修道士や司祭には、時折光魔力の妖精が見えているらしく、次々と跪いて祈りを捧げ始めていた。
「ば、馬鹿な‥‥本物の聖女だと? ではあの教会も聖女が大樹を操って‥‥認めん、そんなものは絶対に認めない。この町で大樹の加護を与えるのは我らが教会の使命だ、正体の判らない聖女などにその座を譲る訳にはいかない!!」
憤慨するように吐き捨てるロドリコ。だが、彼もまたマチュアが箒にまたがって飛び始めたのを見て体の底から震えだし、姿をスッと消した時にはその正体が本物であると改めて自覚した。
遠目だったので顔こそよくは見えていなかったが、もしも近くで見ていたならば、マチュアの正体が先日、自分をカナン商会から叩き出した店主であったと理解出来たであろう。
〇 〇 〇 〇 〇
大樹の元から馬車の中に転移して。
そのまま教会跡地に向かうマチュア。
チュニック姿の商人モードに換装して頭にしっかりとクトゥラを巻き付ける。
「あ、この装備で換装の設定しておくか‥‥これでよしと」
しっかりと装備登録を新しく設定し直すと、そのままカナン商会の開店である。
既に並んでいた客もいたが、今日は中央広場で聖女の奇跡が行われていたので、出足はそれほど良くない。
「まあ、たまにはのんびりとしているのもいいなぁ」
客が二回転ぐらいすると途端に暇になる。
店内では近所の子供達が母親に連れられてイートインでティータイムを楽しんでいる所であった。
──テクテク
すると、6歳ぐらいの少女がカウンターのマチュアの元にやって来ると、こっそりと話し掛けて来た。
「あのね、このお店って一人三つ買えるんだよね?」
「そうだけど、どのケーキが欲しいのかな?」
そう問いかけると、少女は頭をブンブンと振る。
そして奥の壁に立て掛けてある魔法の箒を指差す。
「あれは買えますか?」
「はい。大丈夫だよ。子供用だから銀貨一枚だね?」
そのまま空間収納から子供サイズの魔法の箒を取り出して少女と握手する。
「リンクスタート。マスター権限は私に、サブ権限はこの子。魂と連動して、この子が許した人物以外は使用できないように条件設定……完了。はい、どうぞ?」
銀貨を受け取って箒を手渡す。
すると少女は椅子に座ってマチュアたちをハラハラした目で見ている親の元に駆け寄ると、目の前の箒に跨った。
──フワッ
そしてゆっくりと箒が浮かび上がるのを見て、親はマチュアの元に駆け寄って来た。
「あ、あの、うちの娘があれを売っていただいたと言うのですが、それは本当ですか?」
「そ。銀貨一枚だね。でも子供限定だし、あの子が認めない人は乗っても飛べない安全設計。もし盗まれたりしても普通の箒に戻るので、ご安心を」
一通りの説明をすると、親は頭を下げて席に戻って行く。
そこからは怒涛の魔法の箒の注文があったのだが、子供限定、転売禁止、使う本人のみがここで直接買うことという条件にしたら、意外と騒動は落ち着いた。
「大人用はミスリル貨一枚だよ」
というマチュアの言葉に、諦めた商人たちも大勢いるが、それでも十人以上の子供達が魔法の箒を購入し、大樹広場で遊んでいるらしい。
そして、その光景を物陰から見て、慌てて錬金術ギルドへと走っていく人物が一人。
また一波乱起こりそうな予感である。






