イェソドから・その18・魔人との戦いと、背徳者と
さて。
今、俺は何を相手に戦っている?
俺の目の前にいるのは、聖女と呼ばれた女だ。
シェイクの話では、遥か歴史の彼方に忘れられたハイエルフで、古代の秘儀である魔術が使えるという。
まあ。所詮は魔術師、我々魔族の身体能力に追いつく筈がない。
にも関わらずこいつは俺の一撃をいとも簡単に躱した。
そんな馬鹿な事があるか?
俺は魔族の中でも、速度についてはかなり高いスペックを誇っていると自負している。
人間など、本気の俺の速度について来れず、意識の外でその命を、刈り取り続けていたのだ。
それが何故?
………
……
…
「ははぁ、成程な。古代魔術の秘儀、身体強化術を用いたのか。そうでなくては、この俺の速度に追いつける筈はないからなぁ」
初手をあっさりと躱されたシドニーだが、マチュアがハイエルフで魔術師だということを理解すると、その仕組みに気がついたのである。
だが、マチュアは素で躱していた。
魔術を使ったのなら全身から魔力を発しているはずなのだが、シドニーはそれに気付いていない。
「えーっと、一つ聞いて良いですか?」
「なんだ?」
「あんたたち魔族は、普段はどこにいるの?この世界のどこかに本拠地でもあるの?」
もしもアジトのようなものがあるのならそこに乗り込んでひと暴れするのもありだが、もしも違うのならまた別の方法を考える必要があると考えたのだが。
「私たち魔族は、基本的に他人とは連みません。まあ、変わり者の魔族は中に居るかもしれませんけれどね。私は、この廃村の裏に存在していますよ」
「裏?」
「ええ。空間を一つシフトするのですよ。ここと同じ世界ですが、そこでは肉体ではなく精神体という特殊な身体を必要とします。まあ、肉体に囚われている人間には辿り着けない極致ですがね」
その説明で、彼ら魔族のいる場所はこの世界と同じ場所別時空というのが理解出来た。
「へえ。メレスのような場所なのだなぁ」
「わたしには貴方の言うメレスが分かりませんがね」
「簡単に言うと、メレスは肉体世界ではない精神世界。と言うことは、普通の武器では一切傷つかないと言う事ね?」
「ご名答。貴方たちの世界のスキルで、私を傷つけられるのは聖剣術とか言うものしか存在しませんよ。では、参ります」
──シュンッ
一瞬でシドニーの姿が消える。
だが、マチュアにはシドニーの位置は丸わかりであった。
高速で右、左、そして空中に魔力による足場を作っての立体機動を行なっている。
そして次々と繰り出される爪の一撃。
それをマチュアは、微風を流すかのように綺麗に躱し続けていた。
「ふむふむ。武術系魔族ではなく、寧ろ生産系って言う所かぁ。じゃあ、そろそろこっちも仕掛けるよ……と」
──ドッゴォォォォォ
ゆっくりとした動きで、力一杯大地を踏みしめる。
そこからシドニーの懐めがけて、力一杯肘撃を叩き込んだ。
「魔力付与式裡門頂肘っ」
たった一撃。
それでシドニーの腹部が吹き飛ぶ。
生身の人間なら衝撃で後ろに吹き飛び、良くて肋骨粉砕で済む一撃だが、魔力が乗せられていたとなると話は別。
しかも乗せられていたと魔力は光魔力、魔族を浄化する一撃である。
「さーて、そこまで吹き飛んでまだ生きていられる?」
「……殺せ、俺はこれ以上生き延びられるとは思えない……」
シドニーは受けた一撃が致命傷である事を理解している。だが、目の前のマチュアの魂を取り込む事が出来るなら、まだ再生の道はある。
(そうだ、近づいて来い……まだ左の爪がある、この爪の毒を受ければ、人間など瞬時に身体が麻痺をして……)
──キィィィィィィン
マチュアの周囲に無数の魔法陣が浮かび上がる。
それは光魔力を吸収し、さらに高速回転を始めていた。
「そ。それは……まさか」
「手負いの魔族の近くになんて寄る訳ないでしょ。このまま魔法で浄化されてもらうからね……そんじゃさよなら」
「お、おのれ……おのれェェェェ」
──ヒュヒュヒュヒュンッ
次々と打ち出される。光の浄化弾。
それを全身に受けて、魔人シドニーは跡形もなく浄化された……。
「……ふん。あんた程度ならアーカムの足元にも及ばないわよ。次に転生した時は、真っ当な人間になりなさいよ。さて……」
シドニーの出現した魔法陣に記憶水晶球を放り込んでデータを回収する。
その後は、シドニーがやられた瞬間に逃げ出した馬車の後始末である。
………
……
…
ばかな馬鹿なバカな。
あの魔人シドニーがやられただと?
我々人類が束になっても勝てなかった魔人だぞ?
わしはこの街に就任した最初の仕事、城塞都市近隣の廃村をめぐっての難民救助の際に、あの魔人と出会った。
廃村とは偽りで、要は税金対策のために口減らしとして親から捨てられた子供達が集まっているのが廃村の孤児院。
わしはそこに食糧などを届けるために各地を回っていただけだ。
その時に、廃村の孤児たちを虐殺していたシドニーと出会っただけだ。
わしも殺される所だったのを、定期的に孤児や犯罪者を廃村に連れて行く事を条件に命を救われていただけだ。
そんな時に、上質な魂の持ち主を連れて行った褒美として、あの回復の杖を頂戴した。
そこからのわしは出世街道を走る事が出来た。
杖はロープの中にこっそりと装備して、大樹から得た奇跡と称して莫大な献金と引き換えに上位貴族達の怪我や病気を治して来ただけだ。
その功績でこのリンシャン市の聖大樹教会の最高司祭になった。
なのにだ、わしのこの安定した生活を、ぽっと出の聖女が邪魔をした。
それだけではない。
回復の杖を作っていたシドニーまで倒されてしまったではないか。
だが、大丈夫。
シドニーが廃村の教会に隠していた魔宝石が100個以上ある。これを手土産に、他の魔人に縋ればいい。
最悪、王都の大司教にこれを渡して、聖女が実は魔族の手下であったと噂をばら撒けばいい。
あの女は絶対に許さない……。
「あ、あの、全て声に出ていますが、正直ドン引きなのですが」
高速で逃げるシェイクの馬車の真横を駆けるゴーレムホース。
斜め後ろまで辿り着いた時に、そんなシェイクの悪い呟きが聞こえてきたのには、マチュアは思わず苦笑してしまう。
「なら何だというのだ、この異教徒が!!」
「全く。魔人に生贄を捧げて今の地位を確立したあんたの方が異教徒に近いよ。と言うことで、あなたは宗教裁判な……拘束と」
軽く右手人差し指を向けてシェイクを拘束すると、すぐさま御者台に飛び乗り馬車を制御する。
隣に座っていた部下は慌てて逃げようとするので、同じように拘束して馬車に放り込むと、後は真っ直ぐにリンシャン市へと戻る事にした。
………
……
…
無事にリンシャン市へ辿り着いたマチュアは、領主の元にシェイクの罪状を伝えに向かう……のだが、この地の領主を知らないので取り敢えずは信用できる相手であるパンナコッタの元に向かう事にした。
そして商人ギルドに辿り着くと、急ぎギルドマスターに頼みがあると伝えると、パンナコッタが受付までやって来たので。
「この街の聖大樹教会の最高司祭であるシェイクが魔人とつるんで大勢の孤児や犯罪者を魔人に生贄として差し出していた。その報酬として回復の杖をもらって私利私欲を肥やしていたので、領主に報告したいのだけれど、紹介してくれますか?」
まずは端的に説明する。
それも、大勢の商人がいるカウンターで大声で。
これで困った時には商人が証人になるって。煩い。わ、悪かったよ。
「成程ねぇ。その証拠はありますか?」
「これがシェイクが生贄として捧げていた人たちの成れの果ての魔宝石。多分教会のシェイクの部屋には、魔人シドニーが作った回復の杖があるはずだから、探して鑑定すればいい」
「了解しました。それでは、テラコッタ領領主パンナコッタの名で、教会の立ち入り調査を始めましょう。シェイクは何処に?」
「はえ?外の馬車に、同じくつるんでいた司祭と一緒に魔法で拘束してあるよ」
「分かった。では、騎士団が到着したら拘束を解除してくださいね。本当にマチュアさんには、何から何までお世話になって……」
丁寧に頭を下げるパンナコッタ。
これにはマチュアも茫然としてしまう。
「え?あれ?パンナコッタさんって商人ギルドのお偉いさんで……え?領主?」
「そうだよ。小さいけれど、テラコッタ領の女男爵さ」
「あ、あら〜」
困り果てたマチュアを他所に、やがて騎士団も到着するとシェイクたちは外に停めてあった馬車ごと詰所まで連行されて行く。
なので拘束も解除し、証拠の品である魔宝石も騎士団に預けると、マチュアはようやく肩の荷が降りた気分になった。
「はぁ。では私はこれで。明日には次の街まで向かいますので、魔法薬については頑張ってくださいね」
「ええ。しかし惜しいわね。マチュアさんがこのままこの街に留まってくれるなら、そのまま聖大樹教会の最高司祭として迎えてあげるのに」
「はっはっはっ。御免こうむります。では失礼します」
もう一度挨拶すると、マチュアは急ぎ城塞外のライナスたちの元へとゴーレムホースを走らせる事にした。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
城塞外では、四人が各々の訓練を続けていた。
そして、彼らを遠くから観察している人々の姿もある。
どこで噂を聞いたのか、この場所でハイエルフの聖女が冒険者に自分の技を伝授していると言う噂が流れていたらしい。
ま、それは嘘偽りのない事実であるし、マチュアとしてもコソコソと盗み見されても困るものではない。
なので。
「観察するなら堂々と見てて良いよ。まだ大勢の弟子を同時になんて器用な事は出来ないから、ライナス達が一人前になったら彼らに色々と教えを乞えば良いと思うよ」
そう遠目に見ている人に叫ぶと、少し離れた所で堂々と観察する事にしたらしい。
「あ、あら、マチュアさん、そんな事して良いのですか?ハイエルフの秘儀なのでは?」
アメショーが手の中に光球を作り出したまま問い掛けるのだが、マチュアはニィッと笑った。
「別に秘匿する気は無いよ。覚えられるのなら覚えれば良い。何となく分かったけど、私が伝授したスキルはロックされてスキル屋では売れないみたいだからね」
「そうなのよね。私もついさっきスキルを確認したのだけれど、黒魔術0レベルで第一聖典でロックって言う表示が出るのよ」
「私もです。こんなスキルは初めてなのですよ?」
「そお?私にしてみればスキルが売れるなんて逆に驚きで……スキルが売れる……ふぁぁぁぁぁ」
ここでマチュアは思い出した。
今日はスキル屋にスキルを売りにいく日である。
「アメショー、テルメア、ここにお昼ご飯置いとくからみんなで食べてて。ちょっと出掛けて来るから!!」
豚汁の入った大きな寸胴とおにぎりをテーブルに置いて、マチュアは慌ててゴーレムホースに跨って城塞中へと走り出す。
その様子を見て、ロシアン以外はフッと笑っている。
尚、ロシアンは自分の周りにいる『何か』に気を取られて、瞑想を満足にする事が出来なくてやや苛々していた模様。
彼の周りでは、光魔力が集まった妖精達が、楽しそうに飛んでいた。






