北方大陸の章・その7 正面突破はカナンの戦法
アレクトー伯爵の屋敷で歓迎の晩餐会が開かれた翌日。
早朝、胸焼けを抑えながらエンジはいつも通りに早起きすると、ジョセフィーヌの入れた紅茶に舌鼓を打っていた。
「ふう。ようやく落ち着いたような気がするよ」
「申し訳ございません。無作法者で」
反省したらしいエミリアが泣きそうな顔でそう話すと、ジョセフィーヌは笑いを堪えている。
「本日の御用は何かありますか?」
そうジョセフィーヌがエンジに問いかけたので。
「うん。この国の大公に謁見して来る」
あっけらかんと話すエンジ。
それにはジョセフィーヌも驚きの顔であるが、それよりも驚いているのは影の中のツヴァイである。
『馬鹿ですか?貴方は本当に馬鹿ですか?』
(ラマダ公国のパターンとは違うよ。昨日の晩餐会で貴族達から色々と話を聞いたからね。国交と貿易で話をまとめるよう持っていくさ)
まずは相手の出方を探る。
いきなり上から目線で来るのか、それとも揉み手で迎えられるのか。
予測では上から目線。
だが、ラマダ公国やククルカン王国の時とは、こちらもやり方が違う。
何よりもここは海を越えた国、いざ進出されたとしても一月は掛かる。
その間に予防策を講じる時間は十分にあるのである。
「では、ご同行しますか」
ジョセフィーヌは丁寧にそう告げるが、エンジは頭を左右に振る。
「ツヴァイと行ってきますから大丈夫ですよ。万が一の時はアラート出しますので」
「了解しましたわ」
頭を下げて紅茶のお代わりを入れるジョセフィーヌ。
そのやり取りの意味を、エミリアはまだ知らない。
「さて、楽しい博打打ちの時間だ。では行ってきます」
玄関に向かって歩きながら手をヒラヒラと振る。
そして外に出ると、エンジは元のマチュアの姿に戻り、横にはエンジが影から出て来る。
「最初から同行しますよ。影の中は出来る事が限られますので」
「むしろ願ったりだねぃ。いざ、鎌倉だよ!!」
気合を入れて魔法の絨毯を取り出すと、マチュアはエンジを乗せて一路王城区へと向かった。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
シュトラーゼ公国・王城区。
ここは公国の中枢である王城をはじめ、元老院議会や公国直属の貴族院と呼ばれる建物がある。
この区画に入るには、貴族区と同じく正門で住民証を提出して許可を得る必要があったため、マチュアは魔法の絨毯でやって来ると、正門で一度止まった。
「すいません。中に入りたいのですが」
正門横の詰所にいた騎士達に話しかける。
貴族区の騎士とは違い、明らかに腕の立ちそうな騎士達がマチュアの元にやってきた。
「ご苦労様です。住民証と魂の護符を提示してください」
丁寧に頭を下げてそう話しかけてきた騎士に、マチュアは掌の中から住民証と魂の護符を取り出して差し出した。
「ウィル大陸、カナン魔導王国のマチュア・ミナセだ。後ろにいるのはカナン魔導騎士団長のエンジ。シュトラーゼ大公にお目通りを願う!!」
この世界で判ったこと。
この魂の護符は絶対的な力を持つ。
偽造する事も出来ない為、その所持者の身分を確実に証明する。
騎士達は受け取った魂の護符を確認する。
その瞬間、詰め所からも騎士達全員が飛び出してマチュアに頭を下げた。
「只今ご案内します!!」
丁寧に頭を下げてから、二人の騎士が馬を乗ってマチュア達を先導する。
あらゆる事に対処できるように訓練された騎士である事が、この少しの間に理解出来た。
(騎士って、これだよなぁ。うちももっと騎士を増やすかなぁ)
『何を言ってます事やら。カナン魔導王国には魔導騎士団がありますよ』
(人数少ないでしょ。ツヴァイとドライ、ファイズ、ゼクス‥‥後誰がいるのさ?)
『あの。現在の魔導騎士団は総勢200名ですが?』
「何だと?」
突然声を出して驚く。
そのマチュアに、騎士達は慌てて振り返るが。
「どうなさいました?」
「いえ、カナンとは違い綺麗な都市だなと。これは色々と勉強させてもらいますよ」
ニコリと女王スマイルすると、騎士達は顔を赤めて前を向いた。
(ツヴァイ。いつの間にそんなに増えたんだ?私は知らんぞ。そんなに手練れを一体どこで見つけた?)
『あのですねぇ、王城勤務条件は冒険者Aクラス。王城勤務と同時に、全員がカナン魔導騎士団に所属となっていますよ。表立って姿をあらわすのは女王親衛隊であるマチュア・ゴーレムとその近くにいる24名。後は各部隊ごとに城内で仕事しています』
(あの。また私の知らない所で勝手にやってたね?)
『クィーンとイングリッドの提案です。王国騎士団の存在は対外的にも外に出さなくてはなりません。それが諸外国に対する牽制にも繋がるそうです』
(何だろう。言っていることは正しいし、そういう決定権はクィーンが持っている。せめて教えて欲しかったなぁ)
あ。
マチュアが拗ねた。
「ミナセ女王。間も無く王城です。大公には早馬で連絡を入れてありますので、誠に申し訳御座いませんが一度貴賓室でお待ちいただく事になりますので」
そう説明を受けると、マチュアは微笑みながら頷いた。
「構いませんわ。連絡もなく突然やって来たのは私達ですから」
綺麗なドレスと略冠をつけたエルフの女性。
そんな外見のマチュアが微笑みながら告げるのである。
立場的なものもあるが、大抵はこれで何とかなる。
そんな話をしながらマチュアは城内に入場すると、魔法の絨毯をバックパックにしまい込んだ。
「てはこちらへ」
騎士に先導されて大きめの廊下を進む。
その途中では、侍女や騎士達がマチュアの姿を見て立ち止まり一礼する。
そんな中、マチュアは貴賓室にやって来たのだが。
「これはミナセ女王。本日はご機嫌麗しく」
執務官のコンラッドが、貴賓室の前で待っていた。
もう死んでいると思っていたマチュアが、まさかピンピンの姿でやって来たのである。
コンラッドは脂汗を流しながら、必死に何かを告げようとしていたが。
「これはコンラッド殿。貴方もお元気そうで何よりです。積もる話もありますから、貴方もどうぞ」
騎士たちには見えないように、ニィッと笑いながら部屋に入るように促してみる。
「い、いえ。私などが‥‥」
「騎士さん、私は大公の準備ができるまでは、コンラッド殿からこの国について色々とお話を聞かせてもらいたいのです。構わないでしょう?」
コンラッドの逃げ道を塞ぐ。
騎士達はそんなマチュアの企みなど知らない。
「おお、コンラッド殿はミナセ女王と懇意でしたか。では、この場はお任せします」
そう告げて、騎士達もコンラッドに入室するように促す。
「そ、そうですか。では」
ビクビクとしながら貴賓室に入るコンラッド。
その後ろにエンジ、そしてマチュアが入ると、マチュアは扉を閉めて魔法の鍵を施した。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「さてと。広範囲、沈黙結界と。これで室内の後は外には漏れないよ‥‥ふっふーーん」
ドヤ顔でコンラットを見るマチュア。
「ま、待ってくれ!この間は済まなかった。お前を殺す気は無かったんだ!!」
突然その場に跪いて許しを乞うコンラッド。
先日の今日である、生きた心地はしていないであろう。
だが、エンジは瞬時にロングソードを換装するとコンラッドに向けた。
「我が主人の命を狙っておいて、今更命乞いとはな」
コンラットに脅しをかけている後ろでは、マチュアが壺を取り出して楽しそうにフタを開けていた。
――タラーッ
スプーンで中に入っているオレンジ色の液体を掬い出すと、それを持ってコンラッドに近づいた。
「ま、まて、それは何だ?」
「貴方達が私にした事ですよお。エンジ、コンラッドを抑えて口を開いて」
『御意』
素早くコンラッドの後ろに回り込んで羽交い締めにすると、その場にしゃがみ込んでコンラッドの顔を上に向けた。
「ま、待ってくれ。死にたくない‥‥頼むから‥‥」
「ダーメ」
グイッと頬を掴んで口を開けると、その中にオレンジ色の酸味の強い液体を流し込む。
そして口を押さえて暫くすると、コンラッドはそれを飲み込んでいた。
(ついでだ。コンラッドの首筋に術印を‥‥)
――ブゥゥゥン
見た目と魔力解析では強力な呪詛の反応を示す『全く無害』な術印をつけると、コンラッドから手を離す。
「ゲーッ、ペッペッ‥‥あ、あんまりだ‥‥まさかあんたまで呪詛毒を使うなんて‥‥」
必死に吐き出そうとするが、既に時遅しと考えたのだろう。
「私は解呪に一週間掛かったのよ。さて、洗いざらい話して貰いましょうか?それで納得したら解除してあげるわ」
椅子に座りながらコンラッドに話すと、とうとう観念したのかコンラッドが重い口を開いた。
「ほ、本来はウィル大陸に進出するのはもっと先だったのだ。アンダーソン大公は、このグラシェード大陸の統一を前提に、まずは隣国の掌握を始めていた‥‥その為には、魔族の力が必要だと」
項垂れて話すコンラッド。
「それで、メフィストがメレスから魔族を召喚したというの?」
「メレスから魔族を召喚したのはアスタロッテだ。その内の一体が肉体を持たない上位魔族だったので、依代になる女を捕らえたのだ。その女に魔族が憑依すると、後は大公を唆してウィル進出の準備を開始した‥‥」
「そういう事かぁ。その事を知っているのは誰?」
「私とメフィスト、女に憑依した上位魔族のアーカム、後はゼオン教会のギュンター枢機卿だけだ」
――パンッ
と顔に手を当てるマチュア。
「あっちゃあ。アーカムってアレか、ティルナノーグの時の使徒の一人かぁ。こりゃ本気でやらないと不味いわ。で、私に呪詛を仕掛けたのは?」
「あ、ああ。ミナセ女王に効く呪詛毒を作ったのもアーカムだ。あの女が色々と策を練ってからは、それまで隣国に侵出するのも難しかったシュトラーゼ公国が次々と隣国を手中に収める事が出来たのだ」
全ての背後に魔族の影。
それもマチュアと同等の賢者クラスである。
「呪詛毒とは本当に恐れ入ったわよ‥‥呪詛毒?毒?あれれ?」
突然頭をひねる。
呪詛ならば解呪は不能という回答は出ていた。
が、毒となると解毒の分野ではないのか?
マチュアが深淵の書庫で解析に設定したのは呪詛の解呪。
なので毒という所は全く盲点である。
パソコンに解析を頼むのに、間違った入力をしたようなものである。
(ツヴァイ、本国のアハツェンに連絡。呪詛毒の解析と解毒剤の調合をお願いして。完成したらアハツェンなら処理はわかっているはずだから)
『了解しました』
「ま、まあいいわ。要はアーカムが黒幕で、メフィストは大した事はないのね。なら、今のままで方針を変える必要はないわ」
そう話しながら、マチュアは席に座るとバックパックからティーセットを取り出してコンラッドにも進める。
「どうぞ。飲んだら楽になるわよ」
「ほ、本当か?」
――ズスズズズッ
熱々の紅茶に口をつけると、少し冷めるのを待ってから一気に飲み干す。
「ふはー。これで、本当に呪詛は取り除かれたのだな?」
「ええ。けど気をつけてね。その呪印は消えるまで7日ほどかかりますわ。その間に、まだ私に逆らうというのなら。呪印があなたの首を切断しますので」
クスクスと笑いながら、マチュアがコンラッドに話していると。
――コンコン
「失礼します。ミナセ女王、謁見室へどうぞ。コンラッド殿もご一緒しろとの仰せです」
「ですって。コンラッド殿、エスコートお願いできますか?」
「は、はいっ!!喜んで!!」
まだ呪詛の恐怖に怯えているコンラッドは、マチュアの前を歩くと謁見室へと向かった。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
豪華絢爛な謁見室。
階段状になっている玉座台の上には、竜の姿をモチーフにした彫刻が刻まれた豪華な玉座がある。
壁の両側には正装した騎士が左右二人ずつ待機し、階段の下には司祭帽を被り綺麗な刺繍を施したローブを羽織っているアンダーソン大公が立っていた。
「失礼します。アンダーソン様、ミナセ女王をお連れしました」
丁寧に頭を下げながら、コンラッドがそう話している。
その様子をじっと見ているマチュアだが、チラチラとアンダーソンの斜め後ろに立つ女性に意識を配る。
その女性‥‥アーカムも、マチュアを見ながら時折クスクスと笑みを浮かべていた。
「これは遠路遥々と、ようこそいらっしゃいました。ウィル大陸のカナン魔導王国の噂は耳に届いています」
笑みを浮かべながらマチュアの前に立つと、スッと握手を求めてくる。
ならばとマチュアも手を握り返す。
「ご丁寧にありがとうございます」
「さて、本日はどのようなご用件で?お忍びで遊びにやってきたとも思えませんが」
握手していた手を戻すと、アンダーソンは優しい口調でそう問いかけた。
「シュトラーゼ公国のウィル大陸侵攻についてですわ。随分と細かい策を練っていたようですが、まだ諦めてはいませんか?」
ニコリと微笑みながら問いかける。
その言葉に、アンダーソンの表情もキッと険しくなった。
「さて。一体何の事か私には分かりかねますが?」
「こちらのギュンター枢機卿が身分を隠してラマダ公国に居たことも、ある商人を仲介にして、ククルカンとラマダ、カナンの三国を動乱に導こうとした事も全て調べは終わっていますが?」
「成程ねえ。で、その事について文句でも言いに来ましたか?大国の侵略はより良い領土を得るためには必要不可欠。私達が行っていた事を問い詰めるのならば、お門違いですよ」
開き直ってそう告げるアンダーソン。
だが、マチュアも黙っては聞いていない。
「現在のククルカン王国は我がカナンの属国。侵略云々については、やるなとは申しません。但し、カナンと近隣諸国に手を出すのなら、こちらは応戦するしかありませんので。その真意を問いに来ただけですから」
腕を組みながら、マチュアがやれやれといった表情でそう告げた。
「では。こちらもウィル大陸に対しての侵攻を行うことを宣言しておきましょう。もっとも、我がシュトラーゼ公国の基盤が安定してからなので、今しばらく‥‥10年ぐらいは侵攻はしないとも宣言しますが」
「10年の平和ねぇ‥‥今、この場で大公を殺して止めることもできますが?」
マチュアが殺気を含んだ声でそう話す。
すると壁に待機していた騎士たちも素早く身構えたが、大公が手を上げて騎士たちを制した。
「貴方は人を殺せない。それにここで私を殺しても、私の遺志を継ぐ者が必ず現れる。そうなると戦争は止まりませんよ」
「和平という道は考えていないので?」
「そちらが王国領土全てを差し出すのなら、それで和平はなります。それでも良いですか?」
「無理ですね。ゼオン教会のような選民思想など、我がカナンには不要です。」
完全な平行線である。
お互いに一歩も引かず、それでいてマチュアがここで暴れないという自信があるらしい挑発である。
このままでは戦争は免れない。
ならばどうする。
(考えろ私。今の状況を打破する方法はないか?)
そう考えていた時、ふと何か違和感を感じた。
冷静に後ろの女性とアンダーソン大公をじっと見ると、体の周囲を薄い魔障の膜が覆っているのに気がついた。
ならばと無詠唱で感知魔法を使うと、やはりと一つの結論が弾き出された。
二人からは人間の持つ生命反応は感じるが、それよりも魔族核の反応が体内から感じられた。
まるで、サムソンにやってきたジャスクード男爵のようだが、それよりも意識がしっかりとしている。
ならばとカマをかけることにした。
「さて大公殿、そこまでのレールを引いたのは後ろの女性ですか?」
「何のことだ?全ての決定権は私にあるが?」
「成程ねえ」
視線をアンダーソンからアーカムに切り替えるマチュア。
「貴方アーカムといったかしら? 随分と楽しそうな事をしていますこと。では、取り敢えず今日の所は失礼します。また後日、改めて来ますので‥‥」
丁寧に挨拶すると、マチュアは謁見室から出て行く。
その後ろをエンジが守るように出ると、そのまま廊下で待機していた騎士が城門までエスコートしてくれた。
「騎士殿もありがとうございます。一つ聞いて良いですか?」
マチュアは前を歩く騎士に。優しそうな声で問いかけてみた。
「はい。どうぞ」
「この国、お好きですか?」
端的な質問。
国に仕えている騎士が、他国の女王に対して自国の不満など漏らすはずがない。
「ゼオン教会の教えは行き過ぎな部分を感じる事はありますが、私はこの国の騎士である事を誇りに思っています」
力強い声で、そう答える騎士。
操られたり催眠術によってコントロールされている訳でもない、自分の意思を感じる。
(まだ騎士や臣民には手を出してはいないか。いや、イーストエンドで実験をしていた可能性もあるか‥‥)
それが確認出来ただけでも儲け物である。
そのまま王城を後にすると、マチュアは魔法の絨毯でエンジの家へと戻る事にした。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
自宅前で、エンジはここまで後をつけられていないか確認する。
周囲の気配を探り、影の中にスパイが忍んでいないか確認すると、マチュアより先に屋敷に入る。
「お疲れ様です。マチュア様もわざわざこんな辺鄙な屋敷までご足労いただき‥‥」
ジョセフィーヌが二人を出迎えると、エミリアは慌ててマチュアに頭を下げた。
「あ、そかそか。この格好か。ちょっと待っててね」
――シュンッ
と商人スタイルに変化すると、マチュアとエンジは応接間へと向かう。
「さて、ここからが正念場だねぃ。あの二人がどういう反応するか楽しみだわ」
『結局、いつもの正面突破じゃないですか。まあ、こんな結果になる予想はしていましたとも、ええ‥‥‥』
そう呟きながら頭を抱えるエンジ。
そこにエミリアが緊張した面持ちでティーセットを持って来た。
「は、初めました、いや、初めまして。エンジ様の侍女のエミリアで‥‥と申します。ミナセ女王には御機嫌うるわくく‥‥」
緊張のあまりあちこち噛んでいるエミリア。
「そんなにかしこまっていると、この方に仕えるのは苦労しますよ。マチュア様、とりあえずは一通りの説明はしておきました」
「はいあんがと。という事で、ここの仕事終わったら、エミリアもカナン魔導騎士団に編入して王城付きメイドになって貰います」
「ふぁいっ!!」
ついに声まで裏返った。
『まあまあ。マチュア様は鬼でもなければ魔族でもない。人をとって食う事もなければ、気分次第で侍女を殺すような暴君でもないから』
差し出されたハーブティーを口に運んでから、エンジがそう告げる。
「はい。では、私は奥に下がります」
「そお?別にここにいても良いのよ?」
にこやかに話すマチュアだが。
エミリアは慌てて首を左右に振る。
「もう一杯一杯で、頭が回らないのです」
半ば泣きそうな表情なので、笑いそうなのを堪えながら奥に下がって良いよと告げると。
――コンコン
玄関を誰かがノックしている。
「ほらほら、対応しておいでよ」
「は、はいっ!!」
元気に返事をして玄関に向かうエミリア。
そして少しすると、困った顔のエミリアが戻ってくる。
「どうしたの?宗教勧誘?それともセールスマン?新聞ならいらないよ」
「いえ、ミナセ女王がこの屋敷に入るのをみた貴族の方が、是非お目通りをと‥‥」
パン、と顔に手を当てる。
「アッチャー。見られてたか。ま、いいわ、相手するからここに案内して」
――シュンッ
素早く女王モードに換装して上座に座ると、キッと表情を凛々しくする。
『ほとんど顔芸みたいですねえ。その雰囲気の変わりようは』
「うるさいわ。と、来たみたいね」
ジョセフィーヌが三人の貴族を案内する。
先日、隣のアレクトー伯爵の屋敷で会った二人の貴族と、アレクトー伯爵本人がやって来たのである。
そして略式ではあるが、マチュアの前に跪くと丁寧に挨拶をする。
「初めまして。カナン魔導王国アレクトー西方森林区を治めていますジョージ・アレクトーと申します。戴冠式の時は参加できなくて申し訳ございません」
「シュトラーゼ公国東方のアマンと申します。女王陛下には御機嫌麗しく」
「シュトラーゼ公国ゼオン教会のヴェネティスと申します。不都合がなければ是非一度、教会にお越しください」
あまりにも丁寧な挨拶。
「そう、堅くならなくても良いです。私はお忍びでここに来ているのですから」
その言葉にホッとしたのか、三人は頭を上げる。
「お忍びでしたか。もしこちらに来るのがわかって来たら、予め色々とご用意しましたものを」
「そう?でも、私はアレクトー伯爵には一度会ったことがあるのですよ?」
ニコニコと笑うマチュアを見て、アレクトー伯爵は頭をひねる。
マッドハッター号で会ったマチュアと、ミナセ女王が同一人物だとは思っていないようである。
「あの、恐れながら。どちらでお会いしたでしょうか?」
「いやだなぁ。マッドハッター号の中で一緒だったではないですか?」
――ビクッ
とアレクトー伯爵の頬がひきつる。
そしてマジマジとマチュアの顔を見て、慌てて頭を下げた。
「あ、あの、まさか、商人のマチュアって‥‥」
「あれはお忍びの姿ですよ。マチュア・ミナセ女王は私ですよー。船の中では色々とお世話になりましたね」
ポタポタと脂汗が床に溢れる。
「ま、誠にご無礼を、その‥‥」
「アレクトー伯爵。先日の晩餐会は楽しかったですわ。また開いたら参加させてくださいね。それで全てチャラとしますよ。不問です」
そう告げると、傍で座ってハーブティーを飲んでいるエンジを見るアレクトー伯爵。
「え?あの日はエンジ様が参加して‥‥そうですか、侍女に扮していたのですか」
実に素晴らしい。
盛大な勘違いである。
が、それで良いかとマチュアは納得する。
「ジョセフィーヌ、私のバッグ預けるから、簡単な晩餐の準備をお願い」
空間からバックパックを取り出すと、それをジョセフィーヌに手渡す。
「はい!仰せのままに」
素早く厨房に戻ると、ジョセフィーヌはバックパックからマチュアの作り置きした様々な料理を取り出し、エミリアと二人でそれを盛り付け始めた。
その間も、アレクトーたちはマチュアの機嫌をとるのに必死であるが、堅苦しいのは嫌いなので商人スタイルに換装する。
「そ、それもカナンの魔道具ですか?」
「ええ。と、そうだ、エンジから話は聞いたわ。これでしょう?」
空間から魔法の箒を取り出すと、アレクトー伯爵の近くに向かう。
「そ、そんな、陛下自ら私になど」
「いいからいいから。私があなたにしてあげられることなんて、今はこれぐらいですから‥‥」
カナン本国に戻ると、ライバルのカナン伯爵が国の副宰相に就任し、侯爵になっているなど考えられないだろう。
「では、有り難く頂戴します。このアレクトー、ミナセ女王に忠誠を誓います」
そう宣言されるとむず痒い。
「なら、ここの皆さんにはお願い。この格好の時は商人のマチュアなので、外で会った時は普通のBクラス商人として扱ってくださいね。口調とか態度とかも」
「そ、それで‥‥はあ、最近、教会の近くで空を飛んでいる商人がいるという噂が流れていますが、マチュア様ですか?」
「私とエンジだね。あ、エンジはカナン魔導騎士団団長なのよ。表向きは商人していたり貴族の娘さんだけど。そこのとこも宜しくね」
そうマチュアが説明すると、エンジも頭を下げた。
『立場上、詳しく話せなくてごめんなさい』
「いえいえ。そうとわかっていたら‥‥いえ、止しましょう。明日の夜には王城で周辺貴族を集めた晩餐会がありますので、是非マチュア様もご参加ください。エンジ殿の席も確保してありますよ」
律儀に約束を守ってくれたアレクトー伯爵。
伊達や酔狂で伯爵位を持っている訳ではないようである。
「マチュア様、晩餐の準備ができました。皆さんこちらへどうぞ」
そしてジョセフィーヌが皆を食堂に案内すると、一行は晩餐を楽しむ事にした。
誤字脱字は都度修正しますので。
その他気になった部分も逐次直していきますが、ストーリー自体は変わりませんので。






