20 落葉の理 壱
梁国で魯国組と別れてから最初の夜を迎える。
今頃、向こうは魯の郡都に到着、或いは陳逸の動きによっては北に向かっている最中だろう。
(まあ、陳逸程度に遅れを取る様なら鍛え直さないといけないがな…くくっ…)
「悪い顔になってるわよ
全く…一体何を考えているのかしら?」
華琳に言われて自然と顔に出ていた事に気付き苦笑。
“大した事じゃない”と、肩を竦めて見せる。
華琳は小さく呆れた様子で溜め息を吐く。
“どうせ碌でも無い事ね”とか言いたげだな。
否定はしないが。
「それにしても“此処”で態々野営して“一泊”する必要が有るのかしら?」
華琳が見回すのは夜の帳の中に築かれた簡易の陣。
その中央に位置する俺達の天幕の前の広場に居るから周囲の様子は良く判る。
おっ、今日は野菜炒めか。流石は士載、良い献立だ。
「聞いてるの?」
「聞いてるよ」
此方も流石。
あっさり余計な事に意識を向けたのを感知した。
抓ったりされないだけ増しだと言って置こう。
「何で“汝陽”を目の前に立ち止まるのか、だろ?」
「ええ、そうよ
貴男が州牧の劉寛に猶予を与えるとは思わないわ
だから何かしら意味が有るのでしょうけど…
正直、“待つ”事の理由が思い付かないのよ」
「まあ、そうだろうな…」
というか、華琳とは言えどそう簡単に策の“意図”に気付かれては困る。
主に俺の暇潰──痛っ!?、痛い痛いっ、抓るなっ!
「…自業自得よ…」
小さく頬を膨らませながら拗ねた表情で睨む華琳。
ああっ、もうっ!
可愛いなっ!
「ちょっ、雷華っ!?」
欲望──というか、衝動を抑えきれず抱き締める。
何で華琳が慌てるか?
此処は陣のど真ん中。
つまり、周りには皆さんの視線が有る訳です。
「は、はわぁ〜…」
「子和様、大胆…」
「…め、目の、毒です…」
「とか良いながらしっかり見てるだろ?」
「俺も早く結婚してぇ…」
「子和様ーっ、程々にして下さいねーっ!
まだ孟徳様の仕事が残っていますからーっ!」
「子和様の勝ちに百っ!」
「孟徳様に三百っ!」
「子和様…いや、孟徳様…やっぱ、子和様?」
「な、何…だと…孟徳様がデレた…だと!?」
「孟徳様、良いなぁ〜」
「子和様、良いなぁ〜」
「──えっ!?
貴女って“其方”っ!?」
「こらぁーっ!!、摘み食いしたの誰ですかーっ!?」
実に賑やかだな。
ただ、内数人、問題発言が有った様な気もするが。
あと、“勇者”が居たか。
流石にキスとかはしないが華琳を膝に乗せた格好で、後ろから抱き締める。
最初は驚いていた華琳も、無駄な抵抗は無駄なだけと判っているので諦めた。
「…それで?」
「ん?……ああ、止まった理由な、判っているって」
「…素で忘れてたわね?」
「口付けを所望で?」
「私の“口を塞ぐ”のなら説明してからにしなさい」
ギュッ!、と太股を抓って“貴男が悪いのよ?”と、暗に伝えて来る。
…はい、すみません。
素で忘れてました。
「理由としては三つ…
一つは言わずもがな
判ってるだろ?」
「ええ、貴男の“指示”を聞いていたから当然よ」
「で、二つ目は…もしも、お前が“悪事”を暴かれて追われる立場になった時、“逃げ道”が無いとしたら──どうする?」
そう訊くと、華琳は左手を右肘の下に入れて支えにし右手を軽く握り人差し指の第二間接部分を口元に当て思案顔になる。
所謂、推理ポーズ。
名探偵・華琳!
私に解けない謎は無いっ!
…現代知識を十分に得たら有り得そうで恐いな。
「…成る程ね、籠城した上“人質”を取る、と…
確かに“逃げ道”を失えばその可能性は高いわね」
ほら、あっさり判ったし。
そんな風に育てた覚え──有り過ぎますね、はい。
「既に彼方さんには此方の進軍は伝わってる…筈…
まあ、完全に油断してたら楽に終わって“儲け”だと思えば良いさ」
「或いは、その“儲け”を意図的に作り出す為に──いえ、“今回”は無いわね
折角の“機会”だもの」
“ね?”と視線で訊かれ、口角を上げて肯定する。
「最後、三つ目…
“人質”を取られる展開は信頼を得易いが被害も出る可能性が高い
民に被害を極力出さずに、信頼を得るには──」
「──劉寛が“害”である事を民に認識させる
その為に互いの“立場”を明確にする必要が有る…
“追跡者”と“逃亡者”、何方らが“信頼”が出来る存在なのか…
そういう事ね?」
「この一夜は“猶予”だ
但し、劉寛が逃げる為の、ではなく、民に劉寛が罪人だと判らせる為のな」
「逃げ出せば私達は堂々と追撃を行い、籠城したなら遠慮無く叩き潰し民を救い信頼を得る、と…
本当、“悪い”男だわ」
「嬉しい誉め言葉だな」
不敵な笑みを浮かべ華琳と小さく頷き合った。
「皆さーん!
順に並んで下さーい!
十分に有りますからー!」
『はーいっ!』
士載の掛け声に列を成して返事を返す人の群れ。
曹家行軍時恒例の風景。
“配膳タイム”だ。
まあ、簡単に言うと学校の給食みたいな感じ。
雨天や、火を使えない状況──潜伏時等を除いては、主君も、将師も、官吏も、兵も一緒に食事を摂る。
それが曹家の基本形式。
“同じ釜の飯”理論とでも言って置こうか。
連帯感・結束力の向上と、上下関係の密接化にも成り円滑な職場環境等を整える役割をしている。
演習合宿でも遣るし。
アウトドア・キャンプだと言えば正にその通り。
中央の広場風になっている場所に丸太とかに座って、ワイワイと食べる。
勿論、俺や華琳も。
配膳に関しては並んだり、持ってきて貰ったり場合によって違うが。
警戒の必要が無ければ食後キャンプファイアも有り。
他には料理担当は俺を始め将師で上手い者が仕切って遣る事が多い。
それだけの余裕が有るか、食事で“士気”を高めたい場合とかにも、な。
極めて稀にだが…主君自ら振る舞う事も。
立場上難しいけどな。
…俺?、“裏方”なんだし気にしてない。
「御待たせしました」
そう言って、令明と子義が四人分の食事を持ってきて俺達に差し出す。
料理皿の乗った木製の盆を受け取って膝に置く。
献立は、野菜炒めに白飯、溶き卵の清湯、あと小皿に大根と白菜の浅漬け。
白飯には漬物だよな。
「流石は流琉ね
料理の質は勿論だけれど、きちんと栄養摂取の事まで考えられた内容だわ」
「あぅぅ…」
二人に遅れて来たから不意打ちの賛辞に対して照れる士載は初々しい。
うんうん、と感心して頷く我が奥様・曹孟徳。
言っとくが、士載にはまだ栄養云々は教えてない。
これは彼女の経験が成せる“気遣い”だと言える。
あと、士載は料理人として仕えてないからな。
辞めても就職には困らない技能だけどさ。
「さてと、料理が冷めない内に頂くとしますか」
「ええ、そうね」
「では──」
『頂きます』
五人揃って合掌。
思い思いの品に箸を伸ばし食べ始める。
周囲の皆も食べ始める者や既に食べている者、配膳を待っている者…と居るが、一様に合掌して、礼を以て食事をする。
何だかんだで習慣ってのは根付いて行く物だと改めて思い知らされた。
一夜が明け、夜明け前には陣を畳んで出発。
時間的に、午前八時頃には汝陽に入った。
「物の見事に空っぽね」
「全くだな」
華琳と二人、藻抜けの殻となった城の中を歩く。
一見、無駄な時間に思うが実際には大事。
劉寛を追って素通りしたら民はほったらかしになり、一時的にでも治安が乱れて無法地帯と化す。
それを防ぐ為に先に後任を任命する必要が有る。
まあ、これは形式的な事で倉等の中を改めたら追撃を再開する訳だが。
不意に──ではないが華琳と共に足を止める。
「失礼致します」
「何か有ったの?」
傍らに現れたのは隠密衆。
俺と華琳に対しての時のみ“名乗り”をしない。
これは万が一の時の偽者を見極める為の秘密。
それ以外にも有るけど。
「劉寛と同行した兵ですが一部に家族等を盾に脅され従っている者達が居ます」
「…最後まで外道な訳ね」
隠密の報告に華琳が明確な嫌悪と憤怒を浮かべる。
まだ口調が“綺麗”だし、喋りにもゆとりが有るからキレてはいないな。
劉寛はその場で死んだかも知れないが。
「その人質の所在は?」
「はっ…凡そ半数は西華の劉寛の所有する邸内に隔離されており、残る内半数は劉寛が向かった平輿の砦に隔離されている模様です
そして、残る者達ですが…
どうやら南へ向かっている行商人が連れていると…」
「行商人…単硅?」
華琳が此方を見る。
十中八九、そうだろうな。
「その人質は単硅にとって“取り引き材料”だろう
此方が南に手を出せないと高を括ってな…」
「…今から手が打てる?」
「何を言ってるんだ
打てる、じゃない、打つ
“曹家の民”を見捨てる事なんて有り得ないさ」
そう言って不敵に笑う。
華琳も頷き返して笑う。
最悪、俺一人動けば片付く話だしな。
「“西軍”に伝令
甘寧隊は三十名を選抜し、最高速度にて州境に沿って東へ移動する様に
残る隊の兵は一時、伯道の指揮下に置く物とする」
「御意」
静かに答え足音を出さずに姿を消す隠密を見て華琳に向き直る。
「子義と兵を七十借りる
“安城”までには戻る」
「“詰み”迄に戻らないと折角の“美味しい”部分が無くなるわよ?」
「判ってるって」
「それなら良いのよ
“此方”は任せなさい
貴男の“筋書き”通りに、舞台を整えて置くわ」
「ああ、任せた」
華琳と分かれ、直ぐ子義を見付け簡単に状況を説明し兵を選抜して動く。
まあ、汝陽で遣る事なんて殆んど無かったから対応もスムーズに出来た。
タイミングが違っていたら“多少”面倒だったか。
興覇達の移動も普通ならば無理な事だ。
尤も、その“普通”ですら一般的とは限らないが。
幸いにも梁国からの移動で使用した“強化”の効果はまだ継続していた。
だから、出来た事だ。
伝令を出してから一刻──凡そ二時間が経った。
「…成る程、そういう事態でしたか…
…単硅めが、姑息な手段を使ってくれるな…」
州境──汝南郡と廬江郡の郡境でも有る場所で興覇と合流して急な作戦の変更の説明を終えた。
興覇のこの手の輩に対する憤怒は曹家の総意でも有ると言えるかな。
ほら、周りで説明を聞いた兵達も士気──怒気が一層高まってるし。
「お前達の気持ちは判るが取り敢えず、不殺でな
行商の一団の内何れだけが“黒”なのか…
今は調べる時間は無い
仮に“知らず”としても、加担した事は事実…
取り調べは後回しだ
全員生け捕りにする」
俺の言葉に二人が頷く。
兵達も納得した様子。
将兵の意志が一体化してて良い感じだな。
少数で雑魚相手の“捕獲”なのが惜しい。
せめて“狩り”だったらと思うとなぁ…。
「捕縛後は如何様に?」
「適当な荷車に“剥いて”乗っけて運べば良い
兵は全て解放した民の護衛として残し、一番近い町に向かわせる
片が付く迄は民にも状況を説明して移動を禁じる
劉寛の兵として無理矢理に同行させられた者達の事も含めてな」
民への配慮──と言うより脅された兵の事を考えてかふっ…と顔を緩ませる二人を見て苦笑。
まだ“終わってない”のに確信している事に。
それが兵にも見られるから指摘もし辛い。
「さて、賊相手に比べると皆には物足りないだろう…
だが、油断はするな」
軽い空気から一転。
自然と緊張感を持つ様に、雰囲気を変える。
「戦場に大も小も無い
一つの油断が命取りになる
己のみに有らず、仲間が、囚われた民が傷付く事にも繋がる事を忘れるな」
緩み掛けた気を引き締め、耳に蛸が出来る程に教えた事を再認識させる。
「さあ、愚か者共の手から曹家の民を救い出そう…
いざ──出陣っ!」
『応っ!』
地を蹴り、駆け出すは影は猟犬の群れ。
躊躇う事無く牙を剥く。




