18 時代の産声
──十月四日。
夜明け前の空はまだ薄暗く星も瞬いている。
しかし、雲一つも何処にも見当たらず“晴天”となる事は明らかだろう。
素晴らしい事だ。
これからの“結果”を暗示しているかの様だ。
「──と、浸ってる時間は無いんだったな…」
今は自室にて身仕度中。
俺も華琳も戦装束や武具は自室の方に置いている。
なので、華琳も自室で準備している最中だろう。
男より時間掛かるしな。
「戦場でも女性には女性の“身嗜み”が有るし…
本当、男で良かったよ…」
一人で苦笑しながら両肩を竦めて呟く。
皆には聞かせられないが。
興覇や儁乂辺りには散々と“お洒落してみろよ”等と言って来たしな。
反論“だけ”では済まない気がするからな。
ちょっとだけ想像した為、軽い身震いがした。
…うん、気を付けよう。
ネガティブ方向の思考から切り替えて、寝衣を脱いで戦装束を取り出す。
一応、“拘り”というか、験担ぎ…いや、礼儀だな。
“戦”と“死者”に対する俺なりの“弔い”の形。
表立っては出来無い場合も少なくなかったからな。
「…らしく無いな」
感傷的になっている自分に気を付いて苦笑。
さっさと着替えるか。
下着は上下共に白。
靴下も白のハイソックス。
下はトランクス型だけど、此方の生地で作った物。
何か知らないが曹家考案の新作下着とかで意外な事に領内で売れ行き好調らしい話を華琳から聞いた。
だからと言って、女性用の考案を求めるのは如何か。
“善処する”とだけ答え、煙に巻いた。
嘆願書が来てるなんて事は事実無根だ。
ああ、そうだ…と良いな。
深く溜め息を吐きながら、次の服を手に取る。
上下共に真っ黒な非迷彩の戦闘服型の仕立て。
此方は前述の一件も有って生地だけ買って自作。
チクチク縫ってたら華琳に見付かって呆れられた。
仕方無いじゃん。
次いで着るのは“絳鷹”を模したカソック。
緋色の地に黒と白の花蝶の紋様の刺繍がされている。
本物の“絳鷹”を展開した時に目立たない為に事前に着て置く“フェイク”。
生地は良い素材だが。
これも自作です。
カソックと同じ真紅仕様のコンバットブーツを履き、華佗もしていたグローブの真紅仕様を着ける。
よく解らない、この世界の技術力で製作された衣服が有るから不思議に思わない自分も馴染んだ証か。
最後に、銀糸で刺繍された桜吹雪が舞う朱色の外套を羽織り部屋を出た。
曹操side──
戦装束に着替え終え部屋を出ると略一緒に雷華が出て来て鉢合わせする。
見事な迄の紅一色。
烈紅と翼槍を加えて見ても紅ばかり。
感心を通り越して、呆れてしまいそうになる。
「真っ赤ね」
「照れか羞恥に染まってるみたいに聞こえるんだが…
せめて、“血塗れ”とかにしてくれないか?」
「それはそれで縁起が悪い感じがするのだけど?」
そう返して苦笑。
相変わらず、よく解らない方へ持って行きたがる癖は健在な様ね。
「紅は生命の生と死を示す戦場を彩り染める色…
俺自身の覚悟の証でも有り戦場での在り方だな」
命を狩り返り血に染まり、命を失い己が血に染まる。
“弱肉強食”の覚悟。
装束にまで染み着いている理念には素直に感心する。
「というか、華琳の方こそ“紫紺”で統一とか…
“宣戦布告”か?」
「“意思表明”よ
まあ、其方の意味で取って貰っても間違いではないわ
私なりの“覚悟”の証よ」
そう紫紺──特に紫の色は皇帝にしか身に付ける事を許されないとされた色。
現代では緩和されて衣服に使われている事も珍しくはないけれど主色にする事は滅多と無い。
そういう意味でも私自身が新たな“時代”の扉を開き築いて行くという志の証。
「まあ、今回は特に意味が合致するから良いか…
流石に宮廷内にその格好で行きはしないだろ?」
「あら、私は構わないわよ
寧ろ“決別”の意を示せて丁度良いじゃない」
笑顔で言うと雷華は苦笑。
言いたい事は解る。
“余計な火種”を無闇には作り出すな、と。
そういう事だろうし。
「解ってて言ってるだけに対応に困るな…
軍師陣の前では言うなよ?
賛否両論に分かれて無駄に濃い議論が続くから」
「それはそれで面白いとは思うけれど?
大胆不敵に“攻める”のか堅牢堅固に“守る”のか…
政策方針としてどうするか考えを見る上で“題材”に良いんじゃない?」
「はぁ…その“皺寄せ”が俺に来るから止めてくれ」
本気で溜め息を吐く雷華。
貴男の自業自得よ?
“放置”なんてしてるから皆“攻めて”くるのよ。
まあ、今日の所はこれ位で止めてあげるけど。
「男の“甲斐性”を見せて頂戴ね、ア・ナ・タ♪」
「…頑張ります」
意味を察して項垂れながら“善処”以外の回答をする意志に微笑んだ。
──side out
華琳と揃って向かうのは、いつもの謁見の間。
正面の扉ではなく主君用の裏口──というか退扉から入ると皆が整列している。
華琳が玉座に座り、右側に俺が立つのが形式。
俺が“当主”ではない事を示す意味も有るが…
単に座ってると皆の表情や仕草が見難いからだ。
会議の最中でも結構重要な要因だからな。
「準備は整ってるわね?」
「はい、武官と兵は勿論、同行する文官も東演習場に揃っています」
華琳の言葉に公瑾が答え、此方を見る華琳に頷く。
皆を見回し一歩前へ出る。
「鍛練の時にも度々言って来た事だが…
戦に於いて将師の役割とは一人でも多くの兵士を生還させる事だ
敵軍の撃破、拠点の制圧、勝敗ではない
皆の力は“民”を守る為に有る事を忘れるな」
『はいっ!』
良い返事だ。
教えた事──信念や理念を一人一人が理解し己の血肉としている証拠だな。
「隠密衆からの報告では、予定通りに“害虫”は油断しているそうだ
言い逃れが出来無い様に、消されては困る証拠物件は全て押さえてある
戦では有るが、重要なのは“標的のみ”を確実に倒し被害を最小限に留める事だ
“敵”と言っても大多数は“害虫”に利用されている民に変わりはない…
その事を常に念頭に置いて戦に溺れない様にな」
一旦、言葉を切って華琳に視線を向ける。
当主としての華琳の言葉を告げる番だ。
「雷華から言われている事だけれど…
将師が名を響かせる様では軍としては三流…
一流の将師は自らでさえも軍の一部になる物…
この戦では隠密衆によって密偵の類いは悉く排除され情報の漏洩を阻止する策を打ってはいるわ
けれども、“人の口に戸は立てられない”…
表立っては知られずとも、勇名は広まる物よ
だからこそ、此処では名を上げる程“個”に走らずに“全”を心掛ける事
この戦が終わった時に民が覚えるのは曹孟徳と曹家の名だと言う事よ」
『御意っ!』
この戦で“覇王軍”へ至る可否が見えてくる。
信じてはいるけどな。
「最後に、全員余程の事がない限りは氣の使用は極力控える事…
当然、強化も最低限でな
“勝負所”はまだまだ先だ
“手の内”は味方にでさえ簡単に見せる物じゃない
少しでも“無駄”は省く」
『はいっ!』
「さあ、行くわよ」
華琳が会議の終了を告げて立ち上がると、謁見の間を後にし軍の待つ東演習場へ向かった。
許昌の街は北に城地を構え南に街を臨む形。
北寄りの街の外壁の一部は演習場の外壁に直結する様造られている。
その演習場は東西二ヶ所。
調練のみに限らず出陣前の集合場所にも用いる。
現在は普段は陣形を見たり指導する際に用いる櫓──というか、管制塔みたいな場所に居る。
下の両脇には将師が整列し軍と対面している。
「これより我等が主よりの御言葉が有る!
心して聞く様に!」
軍将を代表して興覇が声を発して注目させる。
それに合わせて華琳と共に皆へと姿を見せる。
俺達の前には一段高くなる演説台が有る。
先ずは俺が壇上へ。
整列する軍勢を見渡して、黙ったまま瞼を閉じ俯く。
暫し、そのままにした後、無言のまま天を仰ぐ。
普段の夜明け前と同じ様に静寂が支配する。
緊張と困惑。
その中で、誰かが息を飲み“頃合い”だと覚る。
「…俺は早くに親を亡くし孤児として育った…
育ての親を師と仰ぎ様々な事を教わった…
決して、楽しい事ばかりや嬉しい事ばかりではなく、苦しい、辛いと感じる事も多々有った…」
一見脈絡の無い話をしつつゆっくりと顔戻し瞼を開け皆を見詰める。
「だが、自分が“不幸”と思った事は無い」
真っ直ぐに、想いを込めて断言して見せる。
「“過去”を変える事など誰にも出来はしない
しかし、“未来”は常に、可能性に満ちている
良い事も、悪い事も…
あらゆる全てを内包して」
今一度、軍勢を見渡す様にゆっくり顔を動かす。
まるで、一人一人に対して語り掛ける様に。
「如何なる可能性を掴むか
それは“現在”の己自身が決める物…
他人任せに得られる未来に満足出来るか?
少なくとも俺は出来無い」
態とらしく、大袈裟に言い身振り手振りも交え意識を話に引き込む。
「だが、人は万能ではない
完璧でもない
そんな者が居るのならば、人ではない
ただの人の姿をした化け物でしかないだろう…
何故なら、人は失敗しても学ぶ生き物だからだ
過ちを正せる存在だ
“万能”や“完璧”などと陳腐な幻想ではなく現実を受け止め、進む者だ
不完全で、苦手も有れば、欠点も有る…
それ故に“成長”が出来る存在が人だ」
思想的な話だが…
理解する必要性は無い。
小難しい事を言われれば、“考える”のが人の性。
それが今は重要になる。
「此処に居る皆の中には、初陣になる者も居るだろう
だが、“恐れるな”とは、言わない
誰しも死ぬ事は怖い…
俺も死にたくはない…
しかし、俺は戦場に立てど怯む事は無い
…何故だか判るか?」
問い掛ける様に言い視線を全体へと向け──笑む。
「俺は独りではない!
共に戦う同志が居るっ!」
声を張り上げ強く印象付け思考を誘導していく。
「独りで戦う者は此処には一人も居はしない!
皆の隣には命を預けられる仲間が居るっ!
命を預かる仲間が居るっ!
信頼する将師が居るっ!
決して独りではないっ!
苦しい時、辛い時には頼り力を合わせろっ!
独りでは戦うなっ!
繋がりが、絆が、信頼が、我等を強くするっ!
共に戦おうっ!!」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「
おおぉおおおぉおーっ!!!!
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
拳を天に突き上げ鼓舞し、士気を一気に高める。
そして、後ろ向きに壇上を降りて華琳に繋ぐ。
華琳の姿に熱を内に宿して静寂が戻る。
「…皆も、今の世が如何に腐敗しているか知っている事でしょう…
しかし、世界を変える事は簡単ではないわ…」
悲嘆の意を纏い、憂う心を晒け出して共感を誘う。
「けれど、何も出来無いと言う訳ではない
幸いにも私には素晴らしい夫が居る
素晴らしい家臣が居る!
素晴らしい民が居るっ!
一人では“絵空事”でしかなかった事を…
実現する事が出来るっ!」
右手を天へと伸ばしながらぐっ…と握り締め胸元へと引き寄せる事で“掴む”と皆に示す。
「今の私はまだ弱い…
しかし、小さな力でも繋ぎ合わせる事で強くなる
一人一人が微力だとしても志を同じくするのならば…
皆の力を貸して欲しい!」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「
おおおぉおおーーーっ!!!!
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
華琳が腰に佩く剣を右手で抜いて高々と掲げる。
「曹家に、皆にとって…
この戦は遥か未来へと繋ぐ第一歩となる!
これより我等は民を喰い、虐げ、私腹を肥やすだけの愚かな者共を討ち倒す!
曹家に仕えし英士達よっ!
曹家の民の安寧の為っ!
子々孫々の繁栄の為っ!
刃を手に奮い立てっ!!
心を刃に込め掲げよっ!!
いざ──出陣っ!!」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「
雄おぉおおおぉおおぉおぉーーーーーっっ!!!!!!!!!!
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」




