曹奏四季日々 44
夏侯淵side──
──一月二十五日
自分自身が幸せな中にあると、つい、それを周囲の親い者にも求めてしまう。
悪気が有る訳ではない。
ただ純粋に、その者達にも幸せになって欲しい。
その一心からなのだが……これが難しい。
はっきり言えば、「大きなお世話だ!」となる。
さて、最後に姉者と喧嘩をしたのは…………もう、直ぐには思い出せない程に昔の事になるか。
まさか、今になって、また喧嘩をするとはな。
……いや、判っている。
姉者の性格から、言えば喧嘩になるだろう。
そう判ってはいても、言わずには居られなかった。
全く……姉者のヘタレめ。
「まあ、気持ちは判らないでもないんだけどな」
そう私の愚痴を聞いてくれている翠も苦笑する。
翠は翠で、従妹の馬岱の事を気にしている。
ただ、私と姉者は双子の姉妹──同い年だ。
歳が離れている翠と馬岱とでは似て非なるもの。
勿論、そんな事は言いはしない。
愚痴を聞いてくれているだけで有難いのだからな。
「けどさ、これまでも促してはいたんだろ?」
「ああ、姉者自身の気持ちは決まっているからな
小野寺の方も雷華様の見立てでは姉者を受け入れる
何も問題は無いのだが……生娘の様な事を……」
「いや、生娘なんだろ、実際に」
「それはそうだが、そういう事では……」と思わず言いそうになるが、それは飲み込む。
それを言ってしまえば、愚痴も愚痴ではなくなる。
話の筋が曲がってしまっては意味が無いからな。
「でもまあ、気持ちは判るんだろ?
私等だって、雷華様と出逢って、結ばれるまでには本当に色んな事が有ったしな
その全てが今は大切な思い出だけど、当時は自分の中に思い描いた理想って有ったからな~」
「……そうだな、雷華様には散々焦らされた」
「本当になぁ……でも、さっさと抱いてくれてたら今の私等は無かったとも思うから困るよな~」
「全くだ」
何だかんだで、私達は雷華様を介して様々な経験を共有し、積み重ねてきた。
それが私達を繋ぐ信頼の根幹にも成っている。
だから、文句は言うが、“たられば”で違う流れを望むという事は無い。
勿論、話題としての“たられば”は有るのだが。
それでも、結局は今に勝る結果は想像が出来無い。
それだけ、今の私達は幸せだという事だ。
尤も、これから更に子供も出来て幸せは増す一方。
幸福感が下がる未来というのは想像し難い。
「…………思えば、私達には不安が無いな」
「ん? 何だよ、随分と唐突だな」
「ああ、済まないな
いや、ふと思ったのだが、私達にとって唯一最大の不安というのは雷華様が居なくなる事だ
勿論、例の“天の御遣い”の件になる訳だが……
結局、それに伴う不安というのは華琳様が御一人で背負われていた訳で、私達は事後に知った
まあ、それも御二人の策だったのだから仕方が無い事ではあるのだが……
今の私達に、それを超える不安が有るのか?」
「………………………………無いな、うん、無い」
「自分達が興す家の事や、子供達の事などは私達の全員に言える事で、一人で背負いもしない
細々とした事を言えば、私達に限らず誰にでも有る事ではあるし、私達は然程気にしない
そうなると私達が前向きになれるのは、不安という不安が無いから、という事になる」
「あー……確かにそうかもな~」
改めて考えてみれば、私達は何かを始めたり、挑戦しようとする時、大して不安には思わない。
失敗を恐れない、という意味ではない。
どんな事であろうとも、成功も失敗も結果だ。
結果は大事だが、それ以上に過程を大事にする。
其処から何を学び、何を見出だし、何を身に付け、如何に成長し、己が糧と、血肉と出来るか。
そういう考え方が染み着いている。
──というよりも、それが私達にとっての普通だ。
だから、変に躊躇する様な不安は懐かない。
だから、一歩を踏み出す事を迷わない。
しかし、それは私達に限った場合の話だ。
一般的な不特定多数の者は、そういう不安を懐き、一歩を踏み出す事を躊躇・逡巡する。
それが普通なのだろう。
そう考えると、姉者が煮え切らないのも頷ける。
頷けるが………………やはり、もどかしいな。
「こういう話をしてるとさ、ふと思わないか?」
「ん? 何をだ?」
「私等って一般的な感覚から離れ易いって」
「…………まあ、そうかもしれないな」
「昔は雷華様に「非常識だっ!」って誰もが一度は言ってたんだけどな~
今じゃあ、私等自身も非常識な仲間入りだろ?」
「そうだが……その言い方は何とかならないか?」
「気にするのが其処なのかよ!」
翠が軽いノリでツッコミを入れてくる。
本気は本気だが、戯れ合う様な心地好い感じで。
こういった部分は、多くの若者が友人や仲間と共に有る中でしか感じ合う事が出来無いもの。
大人になれば自然と人間関係に意味を求める。
其処に利害関係や特別な価値を求める。
だから、純粋な心地好い距離感は失われ易い。
社会という大きな輪の中に有る以上、そうなる事も仕方が無い事なのかもしれないがな。
こういう距離感や関係性を今も、そしてこれからも私達は失う事は無い。
そう言い切れるのは、雷華様と華琳様が有って。
御二人の考え方や在り方が、それを許容するから。
そうでなければ、今頃は珀花も………………いや、珀花は珀花か。
変わる姿が思い浮かばないな。
まあ、それは結局、私を含めた全員が、だろう。
成長はしているが、自分を見失ってはいない。
以前との変化の差が大きいのは誰なのか、となると筆頭は蓮華と愛紗になるだろう。
だが、二人が今も昔の自分から学ぶ事は有る。
それは忘れたり、切り捨てたりしてはいないから。
過去の自分と向き合い、過去を糧に変えている。
だから、反省はしても否定はしていない。
自分を受け入れ、認め、その上で成長している。
それが、私達の在り方だからだ。
「まあ、でも、アレだ
常識・非常識も結局は変わるものなんだって今なら判ってるし、そう言える
だけど、子供達にとっては、ある意味、一般的には非常識な感覚や価値観が常識になるんだろ?
どんなに私等が意識してても、どうしても一般的な認識との差が生じる事は否めないよな?」
「…………そうだな、それは難しいな」
翠に言われて想像してみる。
一人五人以上は産んでいる規格外の大家族。
賑やかであり、喜怒哀楽の声や表情が絶えない。
兄弟姉妹の仲は良好。
喧嘩をする事も有るが、それも御互いを知る為。
向き合い、打付かり合うから、対立もする。
大事なのは、相手を理解せずに押し付けない事。
そして、きちんと決着させる事。
それさえ出来れば、不仲になる事は少ない筈だ。
…………ああ、そうだな。
もう少し姉者の言う事を聞いて遣らないとな。
今回の喧嘩は私の押し付けが原因だな。
…………いや、やはり姉者のヘタレ振りもだな。
うむ、御互いに聞く耳を持たねばな。
「……? どうしたんだよ、急に頷いて?」
「ああ、悪いな、一人で納得していただけだ
それで……ああ、そうだったな
子供達の事だったな
確かに私達の築く家庭環境では、才能を見出だし、伸ばし、育む事には向いてはいるが、一般的な感覚からは遠ざかる事は否めないな」
「だろ?
実際さ、こんな私でも馬一族の中では特別視されて姫扱いされてたんだ
私等の子供達ともなると、その比じゃないだろ?
雷華様や私等が、そういう風にはしなくても」
「周囲はな
そうなると、市井の中に出た時には差が生じる」
「子供達が疑問に思って訊いてきたのなら、私等も答え易いし、判り易い様に伝える事も出来る
でも、子供同士での言動の中で指摘されたりしたら傷付くのは私等の子供達の方になるだろ?」
「……そうだな」
幼い子供を一人で行動させはしないし、一人行動が許されるだけの実力が有るのなら、何を言われても気にはしなさそうだが……断言は出来無い。
ふとした一言、何気無い一言だったとしても。
それが誰かを傷付ける事は有り得るのだからな。
況してや、それが子供となれば思慮に欠ける。
悪気は無いのだろうが、自分の常識や知識を信じて疑う事をしない場合も多く、言い張る。
無知な者程、強情で無意味に自信満々。
聡明な者程、自己疑念を懐いて引く。
本来は逆であるべきなのだがな。
まさに、“怖いもの知らず”という訳だ。
そして、正しい事を正しいと言えば、逆ギレする。
子供は自分の思い通りにならないと不満に思うから反省や感謝、謝罪の前に腹を立てる。
その結果、揉める。
問題は、その相手が私達の子供達である場合だ。
相手の親は顔を青くし、我が子を地面に叩き付ける勢いで土下座しても可笑しくはない。
それ位に、同じ子供でも存在価値が違うからだ。
いや、社会的な価値と言うべきだな。
何にしても、そうなった時、孤立し易いのは私達の子供達の方になる。
本来ならば、相手の子供が、そうなるべきだが。
それを見て、或いは知って。
他の子供達の親が、同じ失敗を恐れると、我が子を遠ざける様に動く。
何も問題の無い子供達だったとしてもだ。
そして、それは私達の子供達に限った事ではなく、場所や時代に関わらず起こり得る事。
社会という構造上の問題だからだ。
子供は平等。
そう言っていても、我が子は可愛い。
だから、権力者や有力者の子供達は社会構造上では上位に位置付けられる。
本人達には、そんな認識が無くてもだ。
その為、諸々の面倒事を避ける意味でも住み分けが暗黙の了解として行われる。
要は、子供にも社会的な上下関係が生じる訳だ。
それで話が終わればいいのだが……やはり、問題を起こす者というのは少なからず居るものだ。
自分の立場が上だからと傲慢になる者。
立場の上下は関係無いと不満を打付ける者。
はっきり言って、何方等も間違っている。
人の上に立つならば、その義務と責任を負っているという事を常に自覚しなくてはならない。
社会的に庇護下に有るならば、敬意と感謝を持って常に身の程を弁える事を意識しなくてはならない。
互いが互いを尊重しなければ、打付かるのは当然。
だが、喧嘩両成敗には出来無い。
何故なら、社会的な価値が上の子供は貴重であり、下の子供は代わりが居るからだ。
個人にとっては大切な我が子、家族であろうとも。
背負うものが違う。
生まれながらに──否、生まれる前から。
その価値は違うのだから。
「だが、子供に言っても判らぬだろうな……」
「だよな~
その子供が私だったら、絶対に腹を立ててるな
でもって、大揉めになってる自信が有る」
「そんな自信を持たれても困るがな
まあ、気持ちは判る
少なくとも、私達が生まれ、人生の礎となる時代を過ごしたのが乱世のド真ん中だ
反骨心や意志を貫く強さが無ければ生き抜く事さえ困難な時代だったからな……
だから、私達はそれで良かったのだろう」
「ああ、子供達が生きる時代とは違うんだ
私達も、その違いは忘れない様にしないとな」
「まあ、曹魏では、あまり要らぬ心配だろうがな」
「かもな~
けど、雷華様も私達も民との距離感が近いからな
子供達が勘違いし易いのも事実だろ?」
「そうだな
だから、基本的には満五歳までは市井の子供達とは距離を置く、と決まったのも頷ける」
「……は? え? そんな話、有ったけ?」
「…………年末の会議で決まった事だが?」
「あ、あははは……ヤバッ、後で確認しないとな」
忘れていたのではなく、覚えてもいないとは……
その会議には居た筈なのだがな。
…………ああ、そうか、第二陣以降の予定の変更を伝えられた後の話だったからな。
舞い上がって聞いていなかったのか。
だが、翠よ、今のは失言だ。
そして、手遅れだ。
御前の後ろに、笑顔の般若が立っているからな。
空を仰ぎ、翠の断末魔を聞きながら思う。
姉者の幸せを願う気持ちは確かだが、一歩引こう。
信じて見守ろう……限界は有るがな。
──side out




