刻綴三國史 50
喬婉side──
──一月十二日。
本来なら、一昨日には此方等を発っていた筈なのに予期せぬ猛吹雪に襲われ、足止めされた。
交州では滅多に雪が降らないと聞いていましたから吃驚しましたが、珍しい事なので面白くも有って、悪い気はしませんでした。
天気が相手では仕方が有りませんよね。
兄様も、そんな事を時々言っていますから。
「…………雪かぁ……姉様達、元気かなぁ……」
そう、嘘の様に晴れた空を見上げながら呟く。
姉様達と離れ離れになり、雪蓮様と兄様に出会い、助けて貰って今の自分が有る。
最初は二人の事を心配もしたし、会いたかった。
……心細く、不安で、寂しかったのが本音かな。
でも、皆さん、とても優しくて親切で。
だから、「此処で頑張って生きて行こう」と決め、色々と学んで、努力もしてきた。
だから、二人の事を知った時には本当に驚いた。
あの時、離れ離れになった姉様達は山賊に襲われ、それを曹純様に助けて頂いて、曹家に。
元々、曹操様が御祖母様を探していたそうです。
だから、僕の事も探していたのだけれど……と。
そう、曹純様が孫家に滞在中だった時に御聞きし、御祖母様と姉様からの文も届けて頂きました。
まあ、姉様の内容は半分近くが惚気でしたが。
うん、姉様が曹純様にベタ惚れなのは判ります。
曹純様、物凄く格好良いですから。
それはそれとして。
その曹純様から、滞在されていた際に教わったのが今の自分に合った“短槍術”というもの。
元々、線が細く、膂力が弱く、武には不向き。
そう諦めていたのだけれど……あの経験が有って、強く成りたいと改めて思いました。
だから、孫家に御世話になる様になってからは毎日鍛練は欠かさず遣っています。
勿論、無理をしてまで、では有りません。
無理をしていた時、兄様に怒られましたから。
以降は兄様と一緒に鍛練する事が多いです。
……別に監視されている訳では有りません。
そんな訳で頑張ってはいましたが……中々実らず。
悔しさ、もどかしさ、不甲斐無さが募る日々。
皆さんに心配されない様に隠してはいましたけど、曹純様の前では誤魔化す事さえ無理でした。
それで、素直に御話ししたら、短槍術を御指導して頂く事になった、という訳です。
明命様よりは高いですが、祭様よりは低い身長。
当然、孫家の兵士の男性達に比べれば子供扱い。
文官の男性でも自分よりも背が高いです。
剣では扱い切れず、動きが鈍ります。
短剣では護身用にしか為りません。
弓は扱えますが、飛距離が延びず、実用性が低い。
色々と試してみた結果、槍を選ぶしか無かったのは仕方が無い事ですが……その槍も芳しくない。
「僕には戦う事なんて無理なのかも……」と。
半ば諦めていました。
だから、曹純様の御指導は目から鱗でした。
普通、槍は身長よりも長い物です。
より遠くに届くのが槍の利点なので当然。
“大槍”と呼ばれる物は使い手の三倍以上も長さが有る事も珍しくはないので。
ですが、短槍は自分の身長よりも短い槍です。
地面に着き立てた時、ギリギリ肩に届く程度。
「え?、そんなので戦えるの?」と。
そう思わず言った雪蓮様と、その場に居た春蘭様の二人を同時に相手にして実演して下さった曹純様。
はい、もう強いとしか言えませんでした。
その時、使っていたのは短槍ではなく、短槍として見立てただけの棒でしたからね。
話を戻して。
短槍は短い分、軽くて、撓らせる必要が無い。
勿論、撓せてもいいそうです。
要は、長さに利点を求めない事なので。
膂力が劣る自分にとっては、間合いが短くなる事は不利になると思いました。
ですが、それは間違いだと直ぐに判りました。
短槍は取り回しの良さを重視した武器。
まるで、舞うかの様に戦う曹純様は綺麗でした。
そして、雪蓮様達が近付けもしません。
負けず嫌いな二人が雪蓮様が槍に持ち変えて、再び挑みましたが……圧倒的でした。
長さで負けている筈の曹純様が間合いを制している現実は本当に信じ難いものでした。
でも、判りました。
判る様に、実演して下さっていました。
短槍は膂力ではなく、全身を使って扱うという事。
その為の取り回しの良さであり、身体の柔らかさを活かして強くなる為の武術。
小柄な僕は勿論、女性にも向いていると言えます。
だから、身に付けて終わりでは有りません。
きちんとした技術として伝える事。
それも、僕に委ねられた使命だと思っています。
「力や技は得て終わりではなく、それからが本当の始まりだ」と曹純様は仰有っていましたから。
本当に……あの姉様が惚気るのも納得です。
──という事を思い出しながら、苦笑。
「貴男も早く好い人を見付けなさい」と。
姉様の文には書いてあった。
「いや、姉様も曹純様に出逢うまでは……」と。
目の前に居たら言っていたと思う。
それ位に昔の姉様からは結婚なんて想像が出来無い事だったのだから。
曹純様、姉様の事、末永く宜しく御願いします。
「──子耽様、左舷前方の岩影に船が」
「え?、船?、難破船とかですか?」
「いいえ、意図的に入っていると思います」
「この辺りに漁村って有りませんでしたよね?」
「はい、先日の航海でも目撃されていません」
「となると……もしかして、例の海賊?」
「その可能性が高いと思います
どうされますか?」
……僕は此方等には定期視察で来ていただけ。
一応、人数は居るけど、討伐戦は想定していない。
だから、もしも本当に海賊なら、討伐は危険。
危険だけれど……此処で逃がせば、更に被害が出る事は間違い無い。
それは……個人的には許容し難い。
ただ、それ以上に皆の命を預かっている立場。
最初は「僕には無理ですよっ!」と抵抗したけど、押し切られて……気付いたら交渉とかまで……。
文官としての面が強かったけれど、曹純様の御陰で今では賊徒の討伐も何度も指揮し、経験している。
だから、自信は有る。
有るけど……無理はしない。
そして、独断はしない。
最終的には僕が判断して決定するにしても。
先ずは信頼している皆の意見を聞いてから。
「何れ位の規模だと思いますか?」
「見えている船の感じでは多くて三十程かと」
「一隻だけですか?」
「はい、ギリギリ一隻が入れる程度です
恐らくですが、以前は草木に隠れていたのかと」
「……あの吹雪の影響で?」
「覆い隠していた草木が無くなったのでしょう
周囲の岩肌も崩れた後が見られます」
「……本当ですね、しかもまだ新しい……」
運が良いのか、悪いのか。
正直、一概には何とも言えません。
勿論、人々の生活を脅かす海賊を発見出来た事は、更なる被害を食い止める為には良い事ですが。
問題は、現状での討伐が可能なのか、という事。
安易な考えでの決断は出来ません。
「……停泊しているのなら拠点も近いですよね?」
「直ぐ近くではないにしても、そう遠くもないかと
船を止めた場所から距離が有れば逃げ易いですが、船は失います
船を失う事は連中にとっては死を意味します
ですから、船を守れる距離に──」
「──報告しますっ!
見張りらしき者を確認!
向こうも此方等を見て走り出したので射殺!」
「……どうされますか?」
「……最低限の防衛人数を残して上陸します
海賊の拠点を探し、討伐します
捕虜が居た場合、救出を最優先に
但し、山中に逃げる者は無理に追わない様に」
「了解しました」
考えている内に戦うしかなくなってしまったのは、自分自身の未熟さ以外の何物でも有りません。
結果的に戦うのなら、躊躇う必要は無かった。
──と思ってはいけないと、曹純様に教わった。
「結果を以て反省・改善する事はいいが、遣る前に結果を気にし過ぎると機を逸する、それが何よりも大きな分岐となる事は戦場では常に有る事だ」と。
だから、考えるのは後回し。
今は自分が遣るべき事に集中する。
「──大丈夫ですか?」
上陸し、細い崖の隙間の道を進んだ先に有ったのは木造の海賊の拠点。
見張りに気付かれた為、即座に乗り込んだ──が、中には殆ど海賊は居らず、直ぐに制圧。
殺さずに捕まえた一人から山狩り中だと聞き出し、半数を拠点で待機させ、残りを四分割して山に。
そして、自分達の所が発見。
不意討ちが出来そうだったので迷わず攻撃。
誰かが襲われている状況だったから当然。
その襲われていた歳が近いだろう女の子に向かって手を差し伸べる。
「う、うむ……有難うなのじゃ……」
「動けますか?
それなら、後ろの方の所へ
安心して下さい、僕達が必ず守りますから」
そう言って肩を負傷している女性の所へと促す。
さあ、後は一掃するだけです。
皆様に比べたら、まだまだですが、今は自分達しか居ませんからね。
気合いを入れて行きましょう!
「……あの、子耽様、この二人、袁術と張勲です」
「……え?」
僕の補佐役──副官を務めてくれる女性が、二人に聞こえない様に耳打ちしてくれました。
袁術──雪蓮様達が以前は客将として仕えた者。
南北袁家の主導権争いで南袁家の御輿だった者。
張勲──袁術の側近であり、南袁家の中では大きな権力を有していた家臣の一人。
かなりの曲者だったという者。
袁家連合と曹魏との戦いに敗れた後、行方不明。
最近になり、益州に居るという事が判りましたが。
……それが何故、交州の人が踏み込まない山中に?
意味が判りません。
──が、重要なのは其処では有りません。
「……それ、本当ですか?」
「はい、向こうは覚えてはいないと思いますけど、伯符様に付き、直に見た事が有りますので
先ず、間違い有りません」
この人が似ているだけで断言なんてしません。
本当に本人なのでしょうね。
ただ……そうなると…………う~ん……。
ちょっと困ったなぁ……どうしようか……。
二人以外には同行者は無し、捕虜も無し。
此方等に被害──負傷者も出なかった。
海賊も討伐出来たから、結果としては十分。
…………よし、雪蓮様と兄様に御任せしよう。
勿論、約束した以上は助命だけは御願いする。
流石に、助けたのに処刑されるのは嫌だから。
後は……二人に話さないと。
それが一番、気が重いけど……遣るしかない。
「応急手当てはして有りますが、きちんと診ないと傷も残ると思いますし、最悪、動かなくなる場合も考えられますから、一緒に行きましょう」
「え~と……」
「宜しく御願いするのじゃ」
「……御嬢様ぁ~……」
「腕が動かなくなっては困るじゃろう?」
「そうですけど~……そうじゃないんです~……」
……成る程、この張勲って人、気付いてる。
でも、状況も判ってるから、何も言わない。
言っても状況は変わらないし、辛いだけだから。
袁術ちゃんの事を第一に考えて。
曲者そうだけど……多分、優しい人だ。
それなら、ちゃんと話した方が良いかな。
「僕は喬子耽と言います
南部域を治める孫策様に御仕えしています」
「──っ!!、そうか……妾、袁公路なのじゃ
危ない所を助けて貰い、感謝するのじゃ」
袁術ちゃんは驚きはしたものの、騒ぎはせず。
それ所か、その場で膝を折り、頭を下げて感謝。
周囲の皆からは小さくない驚きが感じられる。
……昔の彼女って、そんなにだったの?
僕は知らないから、判らないんだけど。
「立場上、貴女達を見逃す事は出来ません
孫策様に判断を委ねる事に為ります
どうか、御理解下さい」
「うむ、それは当然の事じゃな
其方に助けられた命じゃ、其方に預けよう
妾は孫策の判断に従うのじゃ
ただ、この張勲の命だけは見逃して欲しいのじゃ
この場でなくとも構わぬ
それが妾が主君として果たせる唯一の責任じゃ」
「御嬢様……」
「判りました、僕の名に誓って、御約束します」
「感謝するのじゃ」
……なんて綺麗で真っ直ぐな眼差しなんだろう。
そして、その優しい笑顔に僕の胸は高鳴る。
──side out




