弐
士季との確認作業という、一種の“お説教”を終えて最後の衣装合わせをする為一室を訪れた。
曹家の私邸側の一室で有り周囲には人気は無い。
まあ、単に今は城内の方が忙しく人手を回している為だったりするが。
戸を開けて室内に入る。
中に有るのは時代錯誤且つ文化圏を無視した物。
“マネキン”に着せられた純白のウェディングドレスが其処に在る。
「…感慨深いな…」
ゆっくりと歩み寄り衣装を静かに見詰める。
様々な理由──主因として素材の事や入手経緯等から他者に任せられない為──によって俺自身が仕上げをしているのだが…
実は、かなり嬉しい。
俺が仕立てたドレスや靴を俺との結婚式で華琳が着て行う事を想像すると…な。
色々と胸に去来する。
“向こう”で素材を厳選し頭の中で色々なデザインを考えたりもした。
実際、“影”の中の生地は他の色や材質の物も有り、かなりのパターンで対応が出来る様に揃えた。
デザインの参考になる様に古今東西問わず集めに集め資料はかなりの量。
ただ、それを華琳と二人で見ながら“あーだこーだ”言いながら煮詰めた。
因みに、ドレスの隣には、俺が着るタキシード。
此方は華琳の手製。
“曹操”は多趣味だったと言う説も有るが裁縫の腕はどうだったのか。
まあ、最低限の補修位なら出来たかもしれない。
戦乱の時代でも“見栄”は有るから“見映え”に拘る可能性は少なくないし。
「“祭りは準備をする間が一番楽しい物”──確か、そうだったかしら?」
掛けられた声。
振り向かずとも誰かなんて言う必要も無い。
望み続けて、願い続けて、求め続けて、想い続ける、最愛の存在。
「まあ、そうだな
但し、“祭り”は、だ」
「ええ…そうね」
静かに左隣に歩み寄ると、左腕を取って右腕を絡ませ身体を預けてくる。
ただ、視線はお互いに前の婚礼衣装を見詰めている。
「…長かったな
楽しい事も、苦しい事も、色んな事が有った…」
「でも、それは過去だけに限らない、でしょ?
私達の“未来”はまだまだこれからだもの…
良い事も、悪い事も…
その全てを含めて生きて、歩き続ける
結局の所“人の生”なんて誰にも解らないわ
ただ、道を振り返った時、“ああ、そうか…”としか漠然と感じられない物だと私は思うのよ」
「そうかもな…」
言いながらも視線は交えずただ“同じ未来”を見詰め想いを馳せる。
衣装合わせは作製の過程上俺と華琳だけしか関わって居らず、此処にも二人以外来る事は先ず無い。
だから、少しだけならば、“弱音”も吐ける。
「…ちょっと、だけどな
俺にも不安な事が有る」
「貴男には珍しいわね」
「俺だって人並みの不安を抱きもするさ」
華琳の切り返しに苦笑。
勿論、本気でそんな風には思ってはいない事は承知。
これも一種の“掛け合い”みたいな物だ。
「…本当に今更なんだが、“此方”に色々持ち込んで大丈夫なのかなってさ…
“知識”と言う点でなら、例え“歴史”で有ろうとも些細な事だと思う
飽く迄も“それ自体”には世界を“歪ませる”事とか出来無いしな」
「所詮、知識は知識…
でも“物質”となれば話は違ってくる、と?」
「ああ…それの存在自体が世界には“異物”になる
まあ、その観点で言うなら俺自身もだけどな」
「…貴男が“此方”に来た経緯が不明な故、ね…」
疑問ではなく確信を持って言い切られると華琳も大分“此方”に染まって来てる気がするな。
…ああ、此処で言う此方は“術者”の意だが。
「結局、手掛かりは何一つ得られなかった訳?」
「全く無い訳じゃあないが理由としては“弱い”…
いや、正確に言うのなら、“俺”でなくても良い事と言えるから、だな
勿論、華琳との“絆”──あの時の“楔”が有るからとも考えられるけど…」
「糠喜びは、ね…
まあ、変に取り繕われたり隠されるよりは良いわ」
“信頼の証、でしょ?”と言外に込めた意志が触れた腕を通して伝わる。
“勿論だ”と意志を伝えて返すのを忘れない。
「“彼方”での“歴史”は参考程度だろうが…
それでも“流れ”としては無視出来無い」
「乱世…群雄割拠の到来は“此方”でも確かだわ
後は其処に至る“経緯”が“どう”か、ね…」
「頭の痛い問題だな」
「全くだわ」
互いにそう言うが実際にはちょっと“楽しむ”部分も少なからず有る。
だから、言う程に気に病む事はない。
華琳は己の可能性を試し、俺は未知の可能性を探る。
こういう時代でなければ、出来無い事だろう。
多くの命を“チップ”に、挑む訳だから。
「…“孫策”は王として、私達と並び立てる器?」
「実際に見た訳じゃあないから憶測になるが…
“現状”では問題無いな」
「そう…楽しみだわ」
“英傑”の本能か。
フッ…と不敵に微笑む様が手に取る様に判った。
強気な気配をしていたが、不意に一転。
左腕をギュッ…と抱き締め弱々しくなる華琳。
「…ねぇ、“もう一人”の“王”の器は?
貴男の事だから探る程度はしているのよね?」
そう訊ねるのは“劉備”の事に他ならない。
まあ、“悪役”にされれば気にもするか。
「いや、今は接触しない様気を付けてる
だから、隠密衆に探させる事もしていない
“偶々”出逢ったのなら、仕方無いけどな」
そう答えながら右肩を竦め小さく苦笑する。
だが、本人には非接触でも“家臣”の一部は曹家へと臣従している訳だ。
下手すると“劉備”は途中退場になるかもしれない。
“歴史”的に見たのならば孰れ曹家の“外敵”として最も相応しい存在なだけに是非頑張って貰いたいのが本音では有るが。
視線を感じて華琳へと顔を向けて見詰め合う。
瞳の奥で不安が揺れる。
「…貴男は“歴史”の事は極力話さないわね
“無要な影響”を与えない為なのは判るつもりよ
“誰”と“どう”なるかは私達次第だしね…
ただね、その中で貴男だけ“重荷”を背負っている、背負い込んでいる様に私は感じてしまうの…」
言葉を切る華琳。
続く言葉は何となく判る。
俺でも“そう”言うだろうとは思うから。
だから、先に言おう。
“男”としての見栄は捨て対等で在る為に。
「華琳、俺の命を預ける
一緒に背負い、永久に共に歩いてくれるか?」
「──っ、…はぁ…
本当、貴男はズルいわね」
“見せ場”を盗られた様に少し拗ねて見せるが内心で喜んでいるのは解る。
俺なら“そう”だから。
「一日早いけど…」
言い掛けて止める華琳。
今更マリッジブルーとかは勘弁してくれよ?
無いとは思うけど。
「あの日、初めて出逢い、私は貴男に恋をした…
その時から、ずっと答えは唯一つしかないわ
私は貴男と永久に共に在り歩み続けて行く…
貴男の命は私が預かるわ
私の命は貴男に預ける」
不意打ちの“決め台詞”に思わず意識を奪われると、“して遣ったり”と揶揄う様に笑う華琳。
本当、負けず嫌いだな。
少しだけ苦笑を浮かべると互いに見詰め合い理解して穏やかに微笑み合う。
『我が命尽き果てる時まで永久に共に在り寄り添う』
如何なる存在にも断つ事は出来無い。
この“想い”は。
曹操side──
夜の帳は既に降り、寝衣に着替え寝台の上に仰向けで身体を投げ出す。
全ての準備が整い、確認も終わった。
後は明日に備えて休む。
“独身”最後の夜。
ふと、頭に浮かんだ言葉の妙な語感に思わず苦笑。
「…十年、長かったわね」
そう呟いて瞼を閉じる。
“いつ”かなんて私達にも誰にも判らなかった。
ただ、信じる。
それしか出来なかったが、“待つ”間に私は出来得る様々な事をした。
“不安”を紛らわす意味も少なからず有った。
けれど、何もせず待つだけなんて私には無理。
性に合わない。
待つより此方から行く方が私らしい。
尤も、それが出来無いから待つしかなかったけれど。
雷華の方は半分の五年。
まあ、その分“立場上”で背負う物が違う。
一緒に背負える物も有るが大半は無理だろう。
“存在”故の事だから。
ゆっくりと瞼を開き自然と右隣へと顔を向ける。
今日は誰も居ない。
「…当たり前だと慣れる
それが一番怖いわね…」
満たされるが故に知る。
空虚と切望を。
再会した日の夜を始めに、許昌に帰って来ても一緒に寝る事は多かった。
というか、別々に寝る方が少なかったわね。
何方らかの──いえ、殆ど私の私室で、だけど。
“伴侶”としての寝室も、邸内には有る。
ただ、其処は“けじめ”を着けてから、と雷華の言う事を尊重して未使用。
ふと、考える。
ずっと“私の私室”の方で寝ていたが、端から見ると私が“甘えている”様にも見えないだろうか。
(…ええ、気のせいだった事にして置きましょう)
顔が熱いのも、そう。
気のせいよ。
別の事を考えて頭を冷やす為に“何か”を探す。
自然と思い浮かんだのは、衣装合わせの時の事。
雷華にしては珍しく弱気を垣間見せた。
だが、今になって思えば、雷華の“気遣い”だったのだと思える。
その事に気付いてしまうと恥ずかしくて仕方無い。
しかし、同時に私が大事に思われている事も実感出来嬉しくも有るから複雑だ。
あれは、自分から先に言う事により、此方の意識──警戒心を緩め、私が不安を言い易くする為だ。
(…本当、私の性格とかを私以上に理解してるわね)
そう思うと擽ったい。
自分で勝手に考えておいて身悶えしてるとか…
馬鹿なのかしらね。
でも、“恋は盲目”と言う位なのだから。
“馬鹿”になるのも悪くはないかもしれない。
──side out
深まる宵闇に輝く月。
自室の窓を開けて見上げ、右手に持つ酒の入った盃を口に運んで傾ける。
喉を刺激する熱さと口内に広がる味と香り。
偶には一人手酌も良い。
「“三國志”、か…」
舞台・登場人物・設定…
そう見てみれば、何処かに在りそうな“if”の世界でも可笑しくない。
所謂パラレルワールド。
しかし、それは俺が生まれ育った世界から見た場合の“if”になる。
この世界から見た場合には“彼方”が“if”だ。
だから、“在る”と決めた世界を生きる“現実”だと考える様にしている。
(“劉備”には接触しない様にはしているが…
それ以外の者には“楔”を打ち込ませて貰う
何も“外敵”が強国で有る必要は無いからな…)
“外敵”に必要なのは国の根幹となる思想の違い。
確かに武力や国力も脅威になるのは事実だ。
しかし、同盟や条約を結ぶ可能性が有る。
それでは駄目だ。
“馴れ合い”は国の未来に“火種”を残す。
故に国の思想が真っ向から対立する方が良い。
「まあ…孫家は縁戚関係になるから“共存”する事が可能なんだけどな…」
三国の関係が俺の思い描く通りになれば──千年。
国を維持出来る。
勿論、大災害や“遠方”の大国とかの侵略は別として考えて、だが。
そう都合良く事が運ぶなど滅多に有る訳が無い。
尤も、だから面白い。
予定調和の筋書き通りには行かない“生きた物語”を自分達は綴っている。
事の評価や批評なんて物は後世の歴史学者や研究者に任せれば良い事だ。
気にしても仕方が無い。
「大切なのは“後悔”する事も含め全てを受け入れる覚悟を持って生きる事…」
月に向かって盃を翳して、“だったよな?”と答えの返らない問い掛けを胸中で呟いてみる。
自分にとって“親”と呼ぶ事の出来る人を思い。
「…いつか俺も“親”に、託す側になるのか…」
飽く迄も個人的な見解では“託された事”は片付け、“託された志”は皆を介し次代へ伝えている。
「俺は“何”を託すのか…
今はまだ解らないな…」
苦笑を浮かべ盃を煽る。
今はただ、目の前の事だ。
俺は託す程“上等”な者に程遠い。
ずっと一人で待たせていた愛する女を幸せにする。
先ずは、それからだ。




