曹奏四季日々 35
楽進side──
今年も残り十日を切った今。
白い雲の流れる空を仰ぐ私が居る場所は建業。
…別に左遷された、という様な訳では有りません。
仕事で来ているだけです。
先の“発芽病”に関する現状と経過観察等を含めた孫家からの報告を聞く為にです。
あの件に関しては私も現地で携わりましたから。
その流れも有って、担当者を任されています。
──とは言え、はっきりと言ってしまえば、曹魏は雷華様によって感染者は全て治療されています。
それに加えて、入国時に検査という体で洗浄。
国内には一切入って来ない様になっています。
その為、本音を言えば、完全に他人事です。
ただ、そうは言っても変異する可能性は有ります。
それ故に、こうして孫家の領内での発芽病の現状を把握しておく事には意味が有ります。
一早く察知し、対処する為には。
…まあ、現実としては特に何も無い訳ですが。
疫病の恐さを理解すればこそ。
何事も無いのが一番だと言えます。
個人的な──いえ、家庭的な事を言うのならば。
色々と大事な時期なので。
余計な騒動や事件は不要です。
「ハアッ、ハアッ…ま、待たせてしもぉた?」
「大丈夫だ、気にする程ではない」
「さ、さよかぁ………ふぅ~…ほな、行こか」
待ち合わせに指定した場所へ、予定していたよりも少し遅れていた真桜が走って遣ってきて。
真桜の息が整うのを待ってから、二人で歩き出す。
これから昼食も兼ねて、話をする為に。
ああ、これは仕事ではなく、私事。
仕事が終われば、私にも自由な時間は出来ます。
その時間を使って、友人と食事をする訳です。
その気になれば、何時でも時間は作れますが。
あまり悪目立ちする行動は避けるべきですから。
こういう時に限られてしまうのは仕方有りません。
御互いに暇という訳でも無いですからね。
真桜と並んで歩きながら、他愛も無い事を話す。
その傍ら、視線を周囲にも向ける。
別に偵察をしたり、探りを入れている、という様な事では有りません。
単純に街の様子を見ているだけです。
先の大戦後、凡そ半年。
良くも悪くも、市井に及んだ影響が表面化してくる時期でも有りますから。
ですから、仕事としてではない立場の時にこそ。
そういった様子には意識的に目を向けます。
直接は自分が関わらなくても。
知っておく、という事は無駄では有りませんから。
(それにしても……やはり、差は有る、か…)
建業は孫家の中心地だけあって賑わっている。
それは以前にも来て知っているし、定期的に仕事で遣って来る機会が有るから判ってもいる。
しかし、それでも。
曹魏の発展速度と比べてしまうと、かなり遅い。
まあ、それは、その考え自体が間違いなのですが。
曹魏と比べれば、様々な面で劣る事は当然。
雷華様が、という訳ではなく。
華琳様が御築きになった土台が有ればこそ。
今の曹魏の発展は可能なのですから。
勿論、その華琳様に土台造りを御指導されたのは、他でもない雷華様なのですが。
それを言ってしまうと、全ては雷華様によるもの。
そうなってしまいますから。
華琳様でさえ、立つ瀬が無くなってしまいます。
そんな事は雷華様も望まれませんので。
──話を戻して。
街の発展が遅いと思ってしまう事。
それは私自身が曹魏の民だから感じる事で。
此処で生活している人々にとっては、これが日常。
だから、態々比較して言う必要は有りません。
そうまでして、彼我の差を示したい訳ではないし、自分達の方が上なのだと見せ付けたい訳でもない。
そんな無意味な顕示欲は持ってはいませんから。
……まあ、雷華様の前でならば、多少は見栄を張るという事が有るのは否定はしませんが。
基本的には、それ以外での承認欲求は有りません。
勿論、「全く無い」とは言いませんが、自分だけの事であれば、大して意味も有りませんから。
曹魏や曹家に及ぶ場合には、という感じです。
そんな事は滅多に有りませんが。
ただ、こうして逆の場所から見ないと判りません。
曹魏に限らず、文化や技術の発展には、それが可能となるだけの土台がなければ不可能なのだと。
だからこそ、雷華様は急速な発展よりも、一歩ずつ確実な積み重ねを大事にされているのだと。
それを実感する事が出来ただけでも。
今日の、この時間が有意義なものだと言えます。
…真桜には言えませんが。
真桜の案内で入った御店。
よく来ているのでしょう。
店員の女性と気安い挨拶を交わしていたので。
真桜の、そういう所は今でも羨ましいです。
私には無いと言うか…正直、難しい事なので。
雷華様には「凪は凪だ、そのままでいいんだ」と。
そう仰有って頂きましたが。
真桜の様な気さくさは羨ましいです。
……ああ、そう言えば、同じ様な悩みを蓮華様とは話し合った事が有りましたね。
真面目な性格、というのは意外と似ていますから。
悩みも似てくるのでしょうね。
──っと、これは……もしかして?。
そう思いながら真桜を見ると口角を上げる。
「やっぱな、凪なら気にすると思うたんよ」
「これは、気にしない、というのが難しいな」
そう言いながら、真桜が注文をしてくれる。
私が選んだ品は“激辛麻婆麺”。
読み方が激辛ではないのは、激震に掛けているからなのかもしれません。
つまり、「そんじょ其処等の物とは違うぜ?」と。
不敵に笑いながら叩き付けられた挑戦状。
辛い物好きとしては無視は出来ません。
ええ、その勝負、受けて立ちましょう!。
「──にしても、凪の辛い物好きも変わらんなぁ…
ウチも辛いんは嫌いやないんやけどなぁ…
凪と同じ物は流石に食われへんわ…」
「美味しいのに…」
「あんな痛いは痺れるはな辛さの何処に美味いって言える部分が有るんか、今でも理解出来ん」
「むぅ……」
「ただなぁ…祐哉はんが言ぅには、天の国にも結構辛い物好きっちゅうんは居ったらしいしなぁ…」
「ああ、それなら私も子和様から聞いた
──と言うか、子和様は普通に私と同じ物を食べて美味しさを感じていらっしゃる」
「………は?、え?、それマジなん?」
「本当だ」
「……………半端無い御人やなぁ…」
それには同意するが、今の話の流れでなのか?。
──と思っても、口にはしません。
それを追及した所で何の意味も有りませんから。
それよりも気になったのは、小野寺殿も知っているという事です。
雷華様の御話では必ずしも三人の“天の御遣い”は同じ世界から来た訳ではないそうです。
つまり、雷華様の知る料理と、小野寺殿の知る料理とでは別物の可能性が有る訳です。
気にならない訳が有りません。
「真桜、どの様な料理を知っているのか小野寺殿に訊いておいて貰えないか?
出来れば、書き記して貰えると嬉しい」
「……ホンマ、好きやなぁ…
ええで、祐哉はんに頼んどいたる」
「今日は私が奢ろう」
「そんなら、もうちょい何か頼まんとな」
そう言って既に頼んだ物と自分の腹具合を考えつつ行けそうな物を選ぶ真桜。
“食べ切れないのに頼む”という事はしない。
「奢りだったら、気にしない」と思う者が多い中、それを忘れない真桜には曹魏に通じる所が有る。
雷華様は特に、料理や食材の食べ残しや無駄使いを嫌われますからね。
雷華様の御話では、天の世界でも食糧難というのは文明や技術が発展しても避けられない事だそうで。
しかし、豊かな時代に発展すると、人々は日常的な過ちに気付かない程、歪んだ贅沢が染み付くそうで社会的な根深い問題だと仰有っていました。
それなのに人類は自分達の生活を見直す事はせず、的外れな議論をしていた、と。
違う世界の私でさえ、「頭が可笑しいのでは?」と思ってしまったのは当然だと思います。
その日の一食、只の一口でさえ厳しい日々。
飢餓により失われてゆく幼い命の数々。
食糧を巡り繰り返される殺し合い。
そんな悲惨な世を知っているからこそ。
食事を、食材を大事にする。
その価値観が、天の世界では薄れてしまった。
けれど、それは私達の世界の未来の可能性でもある事もまた否定は出来ません。
だからこそ、私達は途絶える事の無い様に未来へと伝え繋いでいかなくてはなりません。
その為にも、不変の社会性として根付かせる事。
それを実現しなくてはなりません。
曹魏でも、まだ根付ききってはいませんから。
私達は勿論、私達の子供達、孫達と。
絶やす事無く、教えていかなければ。
そういう価値観を真桜は昔から持っていますから。
今は尚更に尊敬しています。
本人には絶対に言いませんが。
真桜が追加の注文を済ませ、料理を待つ間。
仕事とは関係の無い事──御互いの近況を話したり身近で有った事などを話題にする。
他愛の無い会話ですけど。
そんな事を気楽に話せる、この時間が平和なのだと私達は思わずには居られません。
それだけ大変な時代に生まれ育ち。
今は自分達の道を歩んでいるのだから。
「あー…そうやった、これを言っとかななぁ…」
「小野寺殿との関係に進展が?」
「ちゃうわ!
まあ、多分、知っとるとは思うんやけど…
劉備ん所から四人、亡命してきたんよ」
「ああ、何だ、その事か…」
「何で、そんなに残念そうやねん…
これでも結構重要な事やろ?」
「そうは言っても此方等には直接は関係が無いしな
此方等に亡命したいと言って来たのを追い返したら其方等に行った、とかなら話は違うだろうが…
そういった訳でもないからな」
「それはそうなんやろうけど…気にせぇへんの?」
「気にする理由が無いからな
…まあ、私を始め、孫家に縁者が居る者に関しては全く気にしていない訳ではないが…
それも個人的な事だ
曹魏としては「だから何?」という感じだな」
「………そう言われると、そうなんかなぁ…」
「その亡命した四人が何かしら問題を起こせば話は変わるが、そうはさせないのだろう?」
「それは勿論やなぁ~
まあ、これと言って問題は無さそうやけど」
「何も問題が無いなら、それが一番だ」
そう言って茶杯を手に取り、一息入れる。
そして──そのまま沈黙してしまう。
多分──いや、間違い無く。
私達は同じ事を考えているのだろう。
「……于禁、残っとるみたいやなぁ…」
「…他に行く所も無いからだろう」
「行く所、なぁ…」
「子和様の御話では、依存しているらしい」
「あー…それ、祐哉はんも似た事言っとなぁ…
結局、自分の意志は無かったんかぁ…」
「…見付けられなかった、或いは見失ったのなら…
まだ、違ったのかもしれないが…」
「それ以前の問題っちゅう事か…」
「…元々、この時代に命懸けで貫く程の覚悟の有る志を持っていた訳でもない
誰かに付き、誰かに続き、誰かに従う
一番楽な生き方をしてきた
その結果が、こうなっているだけだ」
「せやなぁ…」
そう言って、何と無く、私達は天井を見上げる。
真桜は兎も角、私は個人的にも合わなかった。
だが、憎んでいた訳でもないし、憎む理由も無い。
嫌う理由なら、数え切れない程有ったが。
だから、彼女の不幸せを望む訳ではない。
現状に対して「自業自得だ」とは思うけれども。
それが、自分に対して遣って来た事の報いによる事だとは思ってはいません。
その結果は、絶縁という形で成っています。
だから、私が彼女に手を差し伸べる事は無い。
客観的に見て、酷いと思われ様とも。
それが、彼女がしてきた事の結果なのだから。
ただ、それはそれ。
遠い日、二度と戻らぬ、遣り直せない日々。
其処には少なからず三人の思い出も有る。
そんな過去の私達は、今の私達を想像したのか。
それは無かった。
だから、人は思うのでしょう。
「何処で間違ったのか…」と。
歩みを振り返りながら。
──side out




