刻綴三國史 42
趙雲side──
朱里との話を終え、拘束を解く。
見計らった様に鈴々が入ってきて話し始める。
当然だが、これは偶然ではない。
信じてはいるが、油断はしない。
朱里を見張る為に鈴々を付ける為のもの。
まあ、鈴々には「普通に話をするだけでいい」とは伝えてあるので大丈夫だろう。
仮に朱里が探りを入れても私が話した以上の情報を鈴々は持ってはいないのだからな。
「──上手く丸め込んだのです」
「説得したと言って貰いたい所だな」
「同じ様なものなのです」
部屋を出て通路を曲がった陰。
壁に背を預けて待っていた音々音が居た。
別に批難されたりしている訳ではないのだが。
普段なら、こういった皮肉も誉め言葉なのだが。
今だけは思わず苦笑してしまう。
…まあ、言外に同情の念も感じられる訳で。
結局の所、私も音々音も鈴々も、そして朱里も。
特定の誰かに対して強く固執している点では同じ。
………劉備とは一緒にされたくはないがな。
そのまま歩く私に合わせ、音々音が続く。
「判っているとは思うのですが、孫策側との交渉に朱里や音々音は参加出来無いのです」
「ああ、判っているとも
お主達は飽く迄も私の賛同者という立場だ
制限は受けるが、責任は私に来る
その方が御互いに遣り易いからな」
朱里は言わずもがな、劉備の筆頭軍師だ。
その言動の全てに疑いを持たれても当然。
暗殺の類いは不可能だとしても、自ら虎に喰われ、腹の中で火種に変わる。
その位の事を命懸けで遣る可能性は否めない。
それ程に劉備に心酔し、拘っている、と。
そういう認識をされているのだからな。
音々音の方は本人も自覚している通り。
呂布に対する執着から劉備でさえも利用する。
その狂気とも思える思考は危険視されて当然。
…まあ、大戦後は自省した訳だが。
それも一緒に居る立場だから理解が出来る事。
その辺りを知らない者の警戒心は解けない。
だから、孫策側との交渉は私が遣らなくては。
…幸いにも、と言うべきなのか。
彼方等の数名とは一応は信頼関係を築けている。
勿論、私が劉備の使者として赴いたなら警戒される事は間違い無いのだが。
今回に限っては、その心配は無いと思っている。
当然だが、まだ話が纏まった訳ではないからな。
楽観視は出来無い。
因みに、鈴々の名前が交渉者に挙がらなかったのは当然と言えば当然だろう。
誰しも向き不向き、得手不得手は有るもの。
鈴々に交渉という仕事は合わない。
…まあ、戦場でなら、判らないがな。
「こうして顔を合わせるのも久し振りね、趙雲」
「はっ、御無沙汰しております、孫策殿」
朱里を説得した日の昼過ぎ。
私は領境の砦を越え、その中で孫策と向き合う。
“善は急げ”という訳ではないのだか。
最大の難関であった朱里の説得が終われば、朱里の気が変わらない内に交渉を纏めなければならない。
はっきりと言えば、朱里の退路を断つ。
そうしなければ、朱里は劉備に囚われたまま。
本当の意味で、離れる事には為らない。
朱里には悪いが、戻るつもりも戻すつもりも無い。
孫家に仕える事が出来れば──いや、民としてでも構いはしない。
劉備から離れる事さえ出来れば。
朱里も客観的に見て、気付くだろう。
今は後悔や未練から視野も意識も狭まっているが、本人の軍師としての才能や性質が失われてしまったという訳ではないのだから。
その為には時間が必要で有り。
その時間を作る為には距離を置く必要が有る。
これは、それらを実現する為の交渉なのだから。
それにしても、事前に文を出していたとは言っても即座に会えるとは思ってはいなかった。
劉備からの追っ手の可能性が出る事を考えるなら、此方等に着くまでは牢の中に居るつもりだったが。
良い意味で、予想外となった。
それと……以前よりも風格と寛容さが増した様にも見受けられる。
存在感──鋭さは相変わらずだが。
以前とは違い、鞘に納まっている様な印象だ。
……これは、あの天の御遣い殿の功か?。
だとすれば、素晴らしい事だ。
北郷には到底、真似は出来ぬな。
「さて、率直に訊くわ
こうして私に会いたいと言ってきた理由は何?」
「孫策殿への投降──天の言い方でなら亡命というものになります」
敢えて、そう言った理由は一つ。
この場に、件の小野寺殿も同席している為だ。
勿論、黄蓋に夏侯惇、陸遜・鳳統・賈駆と主だった面子も同席しているのだが。
その辺りは承知の上。
孫策殿と一対一だとは考えてはいない。
まあ、害意は無いし、彼方等も形式的な用心。
私が孫策殿に危害を加えるとは思ってはいない筈。
そんな真似をする理由が私には無いからな。
そうでなくても、私は手は出せない状況だ。
今更だが、私は武器は預けているし、朱里達が人質同然で隔離されてもいる。
だから無駄な抵抗はしないし、するつもりも無い。
言葉通り、私達は白旗を上げているのだから。
「亡命、ねぇ……それって、どういう事なの?」
「簡単に言えば、元居た場所の政治経済とかに色々問題が有ったりして嫌になったり、身の危険が有るという理由から安全な国に移り住むって感じかな」
「そんな事、勝手にすれば良いんじゃないの?」
「天の国には“国籍”って制度が有るからね
個人の自由で、好きに移り住む事は出来無いんだ」
「国籍……ああ、曹魏で導入してた…
成る程ね、そういう仕組みなら話は判るわ
でも、まだ宅は遣ってないわよ?」
「其処は政治的な意味での亡命かな
有力者や離反者が死刑や処罰から自分や家族の事を守る意味で、他国に渡る事も有るから
彼女達の場合なら劉備から逃れる為、って所かな
だから、勝手に此方に逃げ込む訳には行かない
捕まって引き渡されたら終わりだからね
そう為らない様に、許可を得て、庇護下に入る
これは、その為の交渉──で良いんだよね?」
「はい、仰有る通りです」
予想通り、小野寺殿は此方等の意図を汲んでくれ、孫策殿に判り易く説明してくれた。
小野寺殿の言葉だからこそ、他の者達も納得する。
私が説明するよりも無駄な遣り取りを省く形で。
この辺りは音々音と相談した結果だが。
やはり、正面なら優秀な軍師だと改めて思う。
呂布が絡まなければな。
そして、それとは別に再認識した事が有る。
今の二人の遣り取りを見ていて判った。
二人は──いや、天の御遣いと、対となる主君。
その関係は切っても切り離せないものであり。
同時に、その有り様に強く関係しているのだと。
半身が我欲・私欲に溺れれば同じ様に欲深くなり。
半身が王道を歩めば、それを支える様に清廉に。
けれども、時として相反する姿を映す鏡の如く。
両者は互いを必要とし、互いに影響し合う。
考えてみれば天の御遣いである北郷と出逢った事で劉備は自分自身の理想の実現に向けて歩み出した。
勿論、それは劉備だけではないのだろう。
ただ、北郷は私欲──特に性欲が強く、色に弱い。
だからと言って劉備が淫乱という訳ではないが。
北郷の欲が高まれば、劉備の欲も高まり。
欲を抑えず、欲に正直過ぎた結果が──現状だ。
劉備を正す為には、北郷を正さなくてはならない。
それに気付けなかったが故に、道を踏み外した。
……恐らくは、もう遣り直しは利かないのだろう。
あの二人は自らの業と共に罪を背負ったのだから。
「成る程ね~……でも、そう簡単に受け入れられる立場や状況じゃないって事は判ってるのよね?」
「はい、それは勿論です」
「まあ、貴女は無害でしょう
張飛も……まあ、問題らしい問題も無いわ
有るとすれば、残りの二人の方よね…
その辺りは、どうなのかしら?」
「先ず、陳宮ですが…御存知の通り、その原動力は呂布の奪還というものです
しかし、先の大戦後、劉備の下では不可能と判断、加えて現実的ではないと認識しました
その為、現在は呂布に会う事が目的です
曹魏に受け入れて貰えるとは考えてはいません」
「だから、宅で働いて功を上げ、機会を、ね…
旧知の貴女から見て、どう思う?」
「…時間と距離が、思考を客観的にさせ、現実的な実現可能な選択をした、という事かと」
「経験者の言葉だけに説得力が有るわね
──で、一番の問題の諸葛亮の方は?」
「…まだ劉備に対する未練──理想の主君としての姿を求める気持ちが残っている事は否定出来ません
ですが、今のままの劉備に何を言おうと無意味だと理解はしております
それ故に、距離を置き、劉備が少しでも耳を傾ける姿勢を見せる様になるのを願う、という事で説得し一応は納得しています」
「一応は、ねぇ…
暴走しないって言い切れはしないのよね?
それで受け入れろって言うのは難しいわよ?」
「勿論、判っております
もしも、諸葛亮だけでなく、陳宮や張飛が暴走する予兆が見えれば、即座に処断して下さい
同時に、私の首も差し出しましょう
また、他の方の手を汚す事を厭われるのであれば、私が必ず責任を持って成しましょう」
「……それが諸葛亮でも?」
「はい、外道に堕ちる前に私の手で」
そう言い切って、孫策殿と視線で差し合う。
戦場の武とは違う、交渉という畑違いの戦い。
適当に誤魔化し、上手く誘導する口車ではない。
言葉を以て、覚悟を示す。
経験をして、初めて理解が出来る。
軍師という立場に有る者達の凄さというものが。
…正直、胃の中の物を吐き出してしまいそうだ。
それ程に、重圧が凄まじく。
時間の感覚が、明らかに可笑しくなった様に思う。
客観的に見たなら、数瞬の事なのかもしれないが。
数刻にも及ぶ事の様に感じてしまうのだから。
「………良いでしょう
趙雲、貴女の覚悟を信じ、貴女達を受け入れるわ」
「────っ!!、有難う御座います」
「取り敢えず…そうね、貴女は私の直属という事で
その貴女の下に三人を付けるわ
それで様子を見て、改めて待遇を考えるわ」
「宜しく御願い致します」
「ええ、此方等こそ、期待しているわ
それはそれとして──目の前の問題は劉備の方ね
素直に貴女達を諦めるとは思わないけど…」
「それは大丈夫かと」
「…と言うと?」
「先の大戦の際に結んだ条約です
その中に劉備には劉表一派に関して孫策殿に対する協力・情報提供を断れない条項が有ります
それが有る為、我等が亡命したと知っても追及して引き渡せと要求する事は出来無いでしょう」
「……それはつまり、劉表達は…」
「はい、劉備が匿っています」
「……それは何時からなの?」
「その条約を結んだ時には既に」
「そう………遣ってくれるじゃないの、劉備ぃ…」
そう言って笑う孫策殿を見て、冷や汗が流れる。
自分で言って置きながらだが、「失敗したか?」と思わず後悔をしてしまう。
それ程に強い殺気を放つ孫策殿。
そして、それは同時に私達にも向けられている。
何故なら、私達の亡命という形で、この情報を使う事が難しくなってしまった為だ。
勿論、私達が役立たずや裏切った場合には、身柄を引き渡して交換も有り得るが…。
少なくとも、何も落ち度が無ければ大丈夫だろう。
私達が死ねば、交換には使えず。
私達を引き渡せば、内情を知られる。
私達を追い返せば、劉表達を逃がす可能性が出る。
その為、私達を手元に置く方が無難となる。
ただまあ、取り敢えずは交渉は成功した。
これからの事は孫策殿に仕えながら考えればいい。
劉表達にしても逃げ場は限られている。
此方等には勿論、曹魏にも行けない。
連中では南蛮を抜けるのも困難だろうしな。
──side out




