刻綴三國史 41
諸葛亮side──
身体の重さ──気怠さを感じながら、目蓋を開く。
ぼんやりとした視界が次第に、はっきりとする。
記憶の中の最後に見た景色は薄暗かったですけど。
今は少しばかり、明るくなった様に感じます。
夜から朝、或いは昼に変わったのかもしれません。
同時に部屋の様子も変わっています。
頭を動かしてみると、扉が一つ。
窓の無い、小さな部屋。
家具等も無く、板張りの床。
パッと見は、山小屋か物置小屋の様な印象。
けれど、見覚えは有りません。
──という事は移動したのかもしれません。
(…え~と、確か………ああ、そうでした
鈴々ちゃんが遣って来たと思ったら、麻袋を頭から被せられて………殴られた…のかな?)
自分の事なのに曖昧なのは鈴々ちゃんの力量が高いからに他有りません。
痛みを感じた訳では有りませんから。
だから、その辺りは状況からの推測になります。
──で、私は一撃を貰って、気絶させられた。
それは間違い無いと思います。
その証拠に特に何処かが痛むというが無いので。
怪我はしていないし、多分、打撲跡や瘤も出来てはいないでしょう。
その程度、鈴々ちゃんになら容易い事ですから。
痛くはされなかった事には素直に感謝します。
もう少し記憶の糸を手繰ってみて……思い出す。
確か、二人が部屋を出て行ってから暫くして。
雨が降ってきていた筈です。
直に確認した訳では有りませんけど。
地面に耳を着けて音を拾っていた感じからすると、外は雨になっていたと思います。
その事を含めて、今の状況を考えると。
雨と宵闇に紛れて移動した可能性が高いでしょう。
意識が有ったとしても移動中は視界を塞がれる為、結局は何処なのかは不明だとは思います。
その辺りの油断は無いでしょうから。
ですから、全ては推測になります。
二人の目的が孫策さんの下に行く事だとすれば。
かなり領境に近付いている筈です。
問題は二人の事よりも私自身の現在地ですね。
少なくとも拐われてから最初に居た場所からは別の場所に移されています。
しかし、私を拐った理由が二人が逃げ切る為の時間稼ぎをする事が目的だったのだとすれば。
私は領境からは遠い場所に放置されている筈。
私の捜索、或いは救出を最優先に考えたならば。
二人は私の所在を教える事を条件に見逃す様に追跡しているだろう、星さんに取り引きを持ち掛ける。
その可能性が高い筈です。
そして、星さんなら──きっと応じてしまいます。
裏切り者の二人の処断よりも私の命を優先する。
自惚れではなくて。
星さんが今も此方等に居る理由は唯一つ。
私を思って、ですから。
……そんな星さんの思いを利用しているのだと。
自分でも自分の卑怯さが醜くて嫌になります。
判っている筈なのに。
向き合う事をせずに、目を背け続ける自分が。
「──起きていたのですか」
そう声を掛けられ、我に返ります。
──が、仰向けになっていた私の視界は滲んでいて見えている筈の音々音ちゃんの姿が歪む。
その理由が涙だと気付くのに数瞬。
音々音ちゃんに拭われて気付きました。
──が、音々音は何も言いません。
その理由は私自身が判っています。
何を言われても耳を傾ける事はしない。
そう、今の桃香様と同じ様に。
だから、誰も何も言わなくなった。
言っても無意味だと判っているから。
「食事を用意してやったのです
ですが、大声を出せば即座に殺すです
縛られているなら、音々音でも楽勝なのです
判ったですか?」
そう、端的に説明した音々音ちゃんに頷き返す。
現在地が、状況が、判らない以上、従います。
正直、空腹なのが物凄く辛いので。
取り敢えず、食事が出来るのなら大人しくします。
音々音は意思を確認して退室。
大人しく待ちます。
ただ、意外だったのは音々音ちゃんが居た事。
恐らくですが、鈴々ちゃんも一緒でしょう。
しかし、そうだとすると現在地は領境よりかは遠いという事になるのでしょうか?。
………考えてみても情報不足で判りません。
御腹も空いていて、頭も働きませんしね。
考えるのは食事をしてからにしましょう。
一旦部屋を出た音々音が戻ってくると。
両手で持った御盆からの匂いで御腹が鳴りました。
恥ずかしいですけど、嘘は吐けません。
吐いても無意味な嘘には何の価値も有りませんから吐く理由すら思い付きません。
「質問は一切無しなのです」と言った音々音ちゃんに対して頷き返すと、口を縛る布が解かれた。
……あ、手足は縛ったままなんですね。
判りました、あーん、すればいいんですね。
はい、あーん。
………ふぅ………御馳走様でした。
「一切喋るな」と言われている訳では有りませんが念の為に無言で感謝を示します。
“空腹は最高の調味料”と言いますけど。
あの言葉は正しいのだと知りました。
それで………え~と、また口に布をすれば?。
手足を縛られているので視線で訊ねます。
質問なので声には出せませんしね。
「大声を出さないのなら、そのままなのです
普通に話しても構わないのです」
「判りました」
そう答えると、音々音ちゃんは空になった食器等を持って部屋を出て行きました。
……ああっ!?、話し掛ければ良かったですっ!。
ぅぅ~……失敗しました~…。
…まあ、音々音ちゃんも軍師です。
簡単には情報は貰えないでしょうけど。
鈴々ちゃんなら………ん~…どうでしょうね~。
ああ見えて、鈴々ちゃんは私達が思っているよりも考えている所が有りますからね。
侮っていると痛い目を見る事になると思います。
…現に、こうして捕まっている訳ですからね。
はい、全く笑えませんよね。
──と、気落ちしていると扉が叩かれます。
訪礼です。
……え?、どうして?。
それを遣る人って、今は少ない筈です。
それ自体は悪い事ではないのですが…。
その由来に関しては色々と有りますので。
だから、鈴々ちゃん達も遣ってはいない。
それなのに……一体誰が?。
いいえ、そうでは有りません。
それを遣る、三人目が居るという証拠。
──となると、更に二人に協力者が?。
或いは………この騒動自体が何かしらの作戦?。
私には知らされていない、という事は……文官内に不審な動きをしている者が居るのでしょうか?。
……………考えてみても判りませんね。
──あ、また訪礼が。
………どうしましょうか?。
「………え~と…ど、どうぞ?」
そう声を出すと、ゆっくりと扉が開かれる。
そして──視界に入った姿を見て、言葉を失う。
「ふむ、元気そうで安心したぞ、朱里」
「せ、星さん?…どうして……」
「それは、どういう意味でだ?」
「…どうして、此処に?」
「単純明快、私が二人と協力しているからだ」
「──っ!!」
そう言われて、歯を食い縛る。
──だけど、星さんを見た瞬間に理解もしていた。
理解していて──都合の良い夜考えていただけ。
私にとって考えたくはない可能性から。
向き合わない様にして。
「まあ、事の始まりは利害の一致だ
そして、私達の目的は孫策の下に行く事だ」
「……それなら、どうして私を?
星さんが協力者の時点で時間稼ぎは不要の筈です
適当に放置しておけばいいだけでは?」
「それはな、朱里
お主を連れて行くからだ」
「──っ、星さん!、私は──」
「──劉備を止めたくはないのか?」
「────っっ!!??」
予想外の一言に声を飲み込んでしまいました。
まさか、星さんの口から、そう言われるなんて…。
「朱里よ、私とて一度は彼女の理想に夢を見たのだ
お主の葛藤や苦悩、全てとは言わぬが…判る
そして、今のままでは不可能な事もだ」
「そ、それは………………」
「朱里よ、劉備を正したければ、先ずは頼る相手を劉備から奪う事が先決…
拠り所である、お主が劉備から離れるべきだ」
「──っ!」
はっきりと言われて──驚きはしない。
そう、そうするしかない事は判っています。
他の誰でもない。
私が、傍にいるからだと。
私が、桃香様を突き進ませてしまっていると。
判ってはいるんです!。
…でも………それでもっ!。
「──狂気が、お主の信じる劉備の姿なのか?」
「……っ……………」
「今現在、劉備の望むままに統治出来ているのは、お主が尽力しているからだ
しかし、それでは劉備の目は覚めぬ
他でもない、劉備自身に気付かせる必要が有る
他の誰よりも、お主が必要であり、自分の考え方が間違っているのだと
その為には、お主という拠り所を一度失わなくては劉備は理解などしない」
「ですが、その所為で更に悪くなれば…」
「これ以上、落ちて何が困ると言うのだ
最早、劉備は民を民としては見てはおらぬ
劉備にとっては、お主でさえ便利な道具
そういう認識でしかない事は判っていよう?」
「……………それでも、私は……」
「…朱里よ、お主の命一つで止められるのか?
それとも、お主も自分以外の命は道具か?」
「違っ────っ!?」
反論しようと顔を上げた瞬間。
星さんの視線が、槍の一閃の様に私を貫く。
「何が違うのだ?」と。
そう問う様な鋭く、真っ直ぐな眼差し。
思わず顔を背けそうになってしまう。
──でも、今だけは、それは絶対に出来無い。
それを遣ってしまえば、私は同じになる。
(………あはは……私、まだ違うつもりなんだ…)
星さんの言葉を否定は出来無い。
そう思っているからこそ、正したいと思っている。
──筈なのに、その為の犠牲を考えていない。
…いいえ、見ない様にしているだけ。
つまり、今の私は桃香様と同じ。
現実を見ず、自分に都合の良い事だけを求める。
狂っているのだと。
………何処が軍師なのでしょうかっ……。
「朱里よ、今の劉備に絶対に与えてはならないのは自分の望みを叶えられる可能性だ
逆に与えるべきなのは絶望だ」
「………その為に私に孫策さんの下に行けと?」
「そうだ、曹魏には行けぬだろう?」
「………………はい…」
「お主が曹操の下に降れば劉備は自暴自棄になり、自滅してくれるかもしれぬ
それが短期的な最良の解決策かもしれないが…
それは曹操が飲んでくれればだ
到底、現実的な事ではない
だが、孫策の下に行く事ならば可能性は有る」
「…孫策さんが私達を受け入れるでしょうか?」
「朱里よ、判っているのだろう?
我等には取って置きの情報が有る
それを此処で使わず、何処で使うと言うのだ」
「……結果として、更に弱体化する訳ですね…」
桃香様の目を覚ます為には、力を削ぐしかない。
それは判っています。
判ってはいますが……その先に桃香様が生きる事が出来る理由は有るのでしょうか?。
曹操さんへの執着も力が有ればこそのもの。
根拠──拠り所を失えば──
「悩むな、朱里
今の劉備は害悪でしかない
人々の為、民の為、滅びるならば、それが最善
だが、もしも…劉備が悔い改める事が出来たなら…
その時こそ、劉備は正しく人々の為に立つだろう
…まあ、自らの罪と過ちを償う為にだがな」
「………そう、ですね…」
私が止められるなら、既に止められています。
つまり、もう私では止められない、という事。
それでも、私が去る事で切っ掛けとなるのなら。
「………判りました、私も一緒に行きます」
「有難う、朱里」
「私の方こそ…有難う御座います、星さん」
貴女が居てくれるから。
だから、私は頑張っていられます。
どんなに感謝してもし切れません。
直ぐには割り切れませんが。
可能性を信じて頑張りましょう。
──side out




