刻綴三國史 37
賈駆side──
──十二月十六日。
曹魏へと──いいえ、曹純へと奉公をしに出ていた孫策が昨日、漸く戻ってきた。
別に待っていた訳ではないわよ。
ただ、主君が留守だろうと遣る事は多く。
そして、仕事が減るという事は無い。
寧ろ、後回しになり、溜まっている位。
だから、今日は何処にも行かせるつもりは無い。
朝一で捕獲し、逃がさず、それを片付けさせる。
──と思っていたら、自分から訊いてきた。
「熱は無いわよ?」
「………何か拾い食いでもしたでしょ?」
「それは流石に酷いわよ、詠!」
「文句を言う前に自分の胸に手を当ててみなさい」
「立派に育ってるわね~♪」
「当分休みは無くても大丈夫そうね」
「嘘です!、反省してます!、御免なさいっ!」
──という遣り取りで「ああ、やっぱり雪蓮ね」と確認して一安心。
まあ、「心を入れ替えて…」というけれど、本当に心が入れ代わったのではないかと思ってしまうのは常日頃の雪蓮自身の言動が故のもの。
私達に非が有るとは思わないわ。
尤も、少しは成長して戻ってきてくれたと思えば、これはこれで嬉しい誤算ね。
私達にとってみれば、雪蓮が遊ばず真面目に仕事に取り組んでくれて困るという事は無いもの。
「ぶぅ~…何か悪口考えてるでしょ?」
「悪口じゃなくて、少しは主君らしくなってくれて嬉しいって思っていただけよ」
「む~……反論出来無いけど~…」
……本当に変わったわね。
この短い期間で、問題児を教育出来る、か。
やはり、流石と言うべきなのでしょうね。
そして、改めて曹魏の底知れぬ強大さが判るわ。
如何に雪蓮が稀有で、実力も経験も有る才器でも。
こんな短期間で教育する事は難しい。
本人が強いし、それなりに実績も有るからこそ。
私達が注意したりしても、中々身に付かない。
曹純という圧倒的に格上が相手だからこそ。
雪蓮を教育出来たと言っても過言ではないわ。
祐哉は何だかんだで雪蓮には甘い所も有るから。
そういう意味でも曹純に、曹魏に感謝しなくては。
祐哉から「御世話に為りました」という旨で御礼を出そうと提案され、採用して良かったわ。
賄賂という訳ではないけれど。
こういった心配りは心証を良くするもの。
遣っておいて損をする事は無いでしょうから。
「まあ、これと言って問題が有ったっていう苦情は受けてはいないから大丈夫でしょうけど…
知っているが故に不安にもなるわよ」
そう言えば不満そうながらも、視線を逸らす。
…こういう所は変わっていないわね。
全てではないけれど。
彼方等での雪蓮の様子は知っている。
雪蓮の奉公中も曹魏との政治的な交流は有った為、その都度、担当していた皆が話を聞いていた。
私自身も例外ではなくね。
だから、何も無かった事は判ってはいるのよ。
ただ、それでも。
そう、それでもよ。
全く不安が無いという訳ではないもの。
雪蓮の事だからね。
まあ、真面目に仕事をしてくれれば良いわ。
何時まで続くかは判らないから過度な期待は禁物。
我が家に戻ってきたから気が抜けるでしょうしね。
雪蓮の質を考えると……先ず元に戻る筈。
このままでなくても、少しでも継続してくれれば。
私としては十分だと言えるもの。
だから、今は雪蓮の機嫌を損ねない様にする。
しつこく小言は言わず、仕事をする様に促す。
甘やかしはしないけれど、程好く誉めて乗せる。
調子に乗らない程度にね。
雪蓮の仕事振りは別にしても、その後の確認作業等色々と遣る事は有るので昼食は遅くなる。
雪蓮が頑張る以上、私も手を抜く訳にはいかない。
……手を抜いても罰は当たらない気がするけどね。
まあ、それはそれとして。
結果から言うと。
思っていた以上に雪蓮の手際も良く成っていた。
聞けば、「だって、曹純が凄いもの」と。
それを聞いて納得。
納得したのだけれど……落ち着いて考えてみて。
「………え?、仕事中も傍らに居たの?」と。
ちょっと予想していなかった状況に冷や汗が。
勿論、既に終わっているのだから問題は無い筈。
何かしら遣らかしていたならば、彼方等に居る間に制裁なり、罰なりを受けているでしょうしね。
後になって、という事は考え難い。
………うん、大丈夫。
そういった遣り方をしてくるとは思えないから。
「詠さん?、どうかしましたか?」
思わず考え込んでしまっていたから、その姿を見た明命が心配そうに声を掛けてきた。
「大丈夫よ、ちょっと考え事をしていただけ」と。
軽く流してしまおうとする。
──と、その時だった。
雪蓮の奉公中に月と会う機会が有ったのだけれど。
その際に月から言われた事を思い出す。
「詠ちゃんは何でも一人で遣ろうとして、私達には頼ろうとはしてくれなかったよね?」。
「勿論、それに甘えていた私にも責任は有るから、詠ちゃんを責めたりはしないし、出来無いけど」。
「でも、今は駄目な事だったんだって判る」。
「──だから、ちゃんと周りを頼ろうね?」と。
そう言われて、改めて考えさせられた事を。
「……詠さん?」
「ああ、うん、有難うね
それより、今、時間有るかしら?」
「はい、特に用事も有りませんので」
「それじゃあ、少し付き合って貰える?」
「はい!、喜んで!」
御飯を食べる仕草をして見せれば、笑顔で了承。
思わず此方等まで笑顔になってしまう。
これが祐哉の言う“癒し系”なのでしょうね。
のんびりとしている穏も癒し系だと思ったけれど、祐哉に言わせると、「穏は、ほわほわ天然系だけど意外と計算高いし強かだから違う」らしいわ。
小蓮は「“皆の妹”って感じ」だそうよ。
言われてみると、「ああ、確かに…」と思う。
思うけど…「詠は委員長だから」って……何?。
“委員長”という物を説明して貰ったけど…ええ、正直に言って、さっぱり判らなかったわ。
ああいえ、委員長という役職は判ったのよ。
ただ、他の人に対する例えとは違って、私の印象の何が委員長なのかが理解出来無い。
「委員長は委員長だからなぁ…」と言われても。
その委員長と形容される具体的な印象が判らない。
…まあ、そんなに気にする様な事ではないけど。
一度気になってしまうと気になるのが軍師の性。
機会が有れば、改めて祐哉に訊いてみましょう。
流石に曹純には訊けないでしょうから。
──という事を考えていた一方で。
頭の中には月の笑顔と声が浮かんでいた。
「詠ちゃん、皆と、ゆっくりと話したりしてる?、食事に誘うとかして時間を作らないと駄目だよ?、私達の仕事は信頼関係が大事なんだから」と。
小言とは思わないけど、月に注意された事を。
明命の反応からしても、嫌がられてはいない。
…そういう事なんでしょうね。
「詠ちゃん、仕事仕事で余裕が無くなってる時って声を掛けるのも悪い気がしてたから…」と。
今だから話せる事を教えてくれた。
因みに、これは別の日に会った恋にも言われた。
訊いたのは私からだったんだけど…。
その事実には軽く落ち込んでしまったのは余談ね。
…霞?、繋迦?、訊いていないわよ。
月と恋に言われたら、それ以上は無いもの。
私に自虐的な趣味嗜好は無いわ。
それは、本当に何気無い事なのかもしれない。
けれど、確かに意味が有ると実感する事が出来る。
明命と二人での食事は御互いに緊張も有った。
…いえ、誘ったのは私の方だから、私が悪い。
いや、違う、そうじゃない。
誰が悪いとか、そういう事は考えなくてもいい。
ただ現実として。
私自身が、意外と「仕事は抜きで…」となると話が弾まず、話題に悩んでしまう事が判った。
幸いにも、明命には“猫”という話題が有る。
その熱量には圧倒されてしまうのだけれど。
猫の話を振ってしまえば、後は明命の主導になる。
卑怯な方法だけれども。
沈黙と緊張で気不味いままになるよりは良い。
理解はし切れないけれど。
聞いていて面白くない訳でもないしね。
皆が言う「微笑ましい」感じだから。
取り敢えず、食事は何とか終了した。
──したけれど………私自身の問題は未解決。
──と言うか、今日、初めて知る事になった訳で。
我が事ながら、思いの外、恥ずかしくも有る。
「………こうして考えてみると、孫家って社交性が高い面子が多いわよね…」
何しろ、その筆頭が主君だもの。
小蓮に祭、穏・春蘭・季衣・真桜・蒲公英…。
うん、ぱっと思い付くだけでも皆、社交的。
いやまあ、私も社交性が無い訳ではないけど…。
その殆どが、“仕事として”な事も確か。
仕事抜きとなると………思い浮かばないわね。
「………仕事ばっかり、かぁ…」
私には、これと言った趣味も無い。
いや、全く何も無かったという訳ではないけど。
もう、随分と前に“不要”と切り捨てた。
勿論、それは自分の負う仕事への責任が有るからで後悔している、という事は無い。
少なくとも、そうしないと私には無理だった。
完璧に公私を分け切れる程、器用ではないから。
………ああ、そういう事なのね。
私は自分で思っていた以上に不器用なんだわ。
能力──才能が無いという訳ではない。
ただ、一つの事に集中しないと、力を発揮出来ず。
でも、周りが見えなくなる程、余裕が無くなったら空回りしたり、自滅してしまう。
そういった失敗をしていた筈なのに。
どうして、その事を忘れてしまっていたのか。
……いいえ、本当は判っているのよ。
失敗というのは、自分にとっては恥だから。
そう考えていたから、私は無意識に忘却していた。
だけど、曹魏では、失敗を恥じる事はしない。
寧ろ、失敗こそが成長の為の糧となる。
そう考え、それを実践しているからこそ。
月も、恋も、私を見て、ああ言ったのでしょうね。
言外の意思を言葉にするなら。
「もっと肩の力を抜いても大丈夫だよ?」と。
私の事を気遣ってくれていたのだと思う。
………気付いたら滅茶苦茶恥ずかしいけど!。
「────詠?」
「──っ!?」
不意に声を掛けられ、思わず身体が跳ねる。
ある意味では、今一番会いたくない相手で。
誰よりも、私に答えを示してくれるだろう存在。
しかし、それ故に羞恥心が勝る。
……いいえ、これは私の自尊心、或いは意地ね。
恥ずかしいから、弱味を見せたくはない。
そして、対等で居たいからこそ。
つい、強がってしまう。
………でも、本当は違うのかもしれない。
もっと頼っても。
もっと寄り掛かっても。
もっと、そうしても良いのかもしれない。
……………………素直に為れないだけで。
自分でも判ってるわよっ!。
「もしかして具合でも悪いのか?」
「……へ?、あっ、ちょっ──」
抗議も間に合わず、祐哉が顔を近付け──額同士をくっ付けてくる。
“天の国”では珍しい事ではないらしいのだけど。
こうして熱を計るらしいのだけれど。
そんな事をされたら熱も上がるでしょうがっ!。
もう少し気を配りなさいよっ!。
──と、胸中では吼えてはいるのだけれども。
実際には祐哉が近過ぎて動けずにいる。
………くっ…今朝は雪蓮に容易くしていのに。
どうして、こう祐哉が相手だと………。
それはまあ、理由は判っているのだけど…。
………ああもう!、何で今、出て来るのよ!。
「詠ちゃん、頑張って!、素直になろう!」と月。
「……詠、絶好機、仕留める」と恋。
仕留めるって何よっ!?。
「んー……ちょっと熱っぽいな…
雪蓮が帰ってきて、溜まってた仕事を片付けた分、詠も無理したんだろ?
ちゃんと休まないと駄目だって」
「わ、判ってるわよ……──って、何をっ!?」
「いいからいいから、黙って運ばれとけって」
「そういう問題じゃないのっ!」と。
胸中で叫び、声には出せない。
顔を背けるのが精一杯の抵抗で。
正当化する様に首へと腕を回す。
──side out




