16 見上げた空は…
朱然side──
二日間に渡った極秘会議が終わってから早三日。
お母さん達も帰った事だし目出度し目出度し♪。
窓から見える空は晴れ渡り実に気持ち良さそうだ。
こんな日は街に出て新作の甘味探しと行こうかな。
うん、それが良い!。
「“現実逃避”してないでさっさと仕事をしろ」
背後から掛けられたのは、聞き慣れた呆れ声。
当然ながら声の主は冥琳。
でも、正直振り向きたくはなかったりする。
叶うのなら今すぐ現実から逃避して街に出たい。
「…子和様の手製の甘味が目の前から消えるぞ?」
「さあっ、張り切って仕事片付けちゃおうねっ!」
ぐりんっ!と身体を回して自分の椅子に着き仕事机に向かう。
「…はぁ〜…全く、お前という奴は…」
冥琳が何か愚痴ってるけど気にしない気にしない。
子和様自ら作られる甘味を食べ損ねるなんて…
考えただけで三日間は夜に泣き続けられるもん。
四日目には子和様は新しく作ってくれるけどね♪。
「ぶれない奴だな…」
「当然!」
「誉めてないわ、馬鹿者」
いつもよりも“御叱り”が少ない気がする。
……ああ、そっか〜♪。
何だかんだ言っても冥琳も楽しみなんだよね?
うんうん♪、判る判る。
「…何をニヤついている?
拾い食いでもしたか?
意地汚い奴だ…」
「ん〜別に〜?」
いつもの私ならば切り返し押し切られる所だろう。
駄菓子菓子!──じゃないだが、しかし!
今の私、絶好調ーっ!
冥琳らしい容赦無い罵倒も痛くも痒くも無い。
見える、見えるよ!
冥琳の心が手に取る様に。
「冥琳も“女の子”だもん仕方無いよね〜♪」
両肘を机に立て頬杖を着き満面の笑みを浮かべながら対面の机にて仕事に勤しむ冥琳を見詰める。
冥琳を“揶揄える”事などこの先何度有るか…
ううん、下手すると最初で最後かもしれない。
つまり、これは絶好の機会だという事になる。
“退く”理由は無い。
「…お前何か勘違いをしていないか?」
「勘違いって何を〜?
冥琳も“素直”に言ったら良いんじゃない?」
「…そうだな
なら、そうしようか…」
そう言って柔らかな笑顔で立ち上がり此方へ…って、あ、あれ?、何でか身体が震えて寒気が…
「確か、お前は子和様から言われていたな?
“良い眼をしてはいるが、見極めと引き際が下手だ”と…なあ?」
「あ、あは、はは…」
「逝って来い馬鹿者っ!!」
「ひぃぃっ!?、冥琳ごめっい、痛だだだだだだ──」
──side out
周瑜side──
子和様から教わった罰法の“愚利愚利”を珀花にして己の机に戻る。
…珀花?、机に突っ伏して泣いているが何か問題でも有るのか?
「うぅ〜…冥琳ヒドイ…」
「自業自得だ」
「だって〜…」
「口を動かす暇が有ったら手を動かせ
先に言って置くが私は一切手伝わんからな」
「はうぅ…」
一睨みして言うと、流石に諦めた様で筆を取る。
…というか、机の片側──私から見て左側になるが、堆く積まれた竹簡の束だが大して減っていない。
このままだと本当に甘味は無くなりそうだが…
(此奴の場合、“本気”で仕事をすれば片付ける事が出来るから質が悪い…)
胸中で溜め息を吐く。
如何せん、集中力の持続が出来ず、斑気なのが最大の難点だと言える。
実戦や鍛練なら大丈夫だが机仕事になると…な。
能力が有るだけに勿体無い限りだが子和様はじっくり慣れさせる様だ。
…その方が此奴には合うのかもしないな。
つい、口元が緩む。
「…?、どしたの?
…あっ♪、手伝っ──」
「──わんと言っただろ」
「…ケチ〜…」
私の視線に気付いて助けを期待するが一刀両断すると頬を膨らませて仕事へ戻り筆を動かす。
私も残る自分の仕事の為に手元の竹簡へと集中する。
暫くの間、竹簡の開け閉めする音と積む音だけが響き私は自分の分を終えた。
対面の珀花の机を見れば、私達“軍師”にも劣らない早さで片付けている。
何故、それが常に出来無いのかと思う。
「…ねえ、冥琳」
手元に集中したまま此方に話し掛けてくる珀花。
泣き言ではなさそうだな。
暇潰しに応じるか。
「何だ?」
「桂花、変わったよね?」
そう言われて思い出す。
会議初日の昼休憩の後から彼女の表情が柔らかく──というか、晴れ晴れとした様に変わったと感じた。
「ふむ…確かにな」
「絶対、子和様だよね?」
「まあ…そうだろうな」
こう言っては何だが…
私達は少なからず何かしら“問題”を抱えている。
華琳様でさえ“過去”には色々有ったそうだ。
そして須らく子和様により乗り越えたり、解決したりしてきている。
私の病も──生きる意志も子和様によって…だ。
桂花の問題は私達ですらも周知の“男嫌い”だ。
出逢った日の子和様からの指摘も有って大して問題も起きずに居た。
ただ、良くなったとは誰も言えなかっただろう。
理由としては私達にとって“問題”では無いから。
勿論、匪賊に対する嫌悪感などは共感出来るが。
「まあ、桂花は子和様には主として、人として特別な意識を抱いていた訳だから必然だと言えるが…」
「…え?、冥琳それ本気で言ってるの?」
不意に顔を上げた珀花だが物凄く驚いている。
何か変な事を言ったのかと思って振り返るが…
特に思い当たらないな。
「…はぁ…冥琳って意外と鈍感だったんだ…」
「むっ…聞き捨てならんな
私がどう鈍いと?」
「やれやれ…稀代の軍師と期待されていてもまだまだ“小娘”な訳だね」
何やら癇に障るな。
というか貴様も“小娘”に変わり無いだろうが。
「あのね、冥琳
桂花の様子が変わったのは良い事だよ?
で、子和様が関わってる
さて、その結果桂花の反応はどうなってる?」
癪では有るが、珀花の言う桂花の様子を思い出す。
表情もだが、男に対しての態度も劇的に軟化した。
刺々しさが鳴りを潜めて、女性本来の柔らかな物腰が見て取れる。
まあ、あの辛辣な物言いは健在だがな。
「子和様の指摘されていた人間関係が改善されたな」
「…はぁ…もう違うでしょ
桂花、最近子和様の前だと凄い大人しいよね?」
「…そう言われれば確かに…ああ、そういう意味か」
「やっと判った?」
確かに、鈍いと言われても仕方無いか。
だが、桂花が子和様に対し照れたり緊張している事は気付いていたぞ。
「要は桂花も子和様の事を“異性”として意識し始め惹かれているのだろう?
良い事じゃないか」
「いやいや、私達にとって競争相手が増えたんだよ?
少しは危機感持とうよ?」
呆れた様に言う珀花。
ふむ…成る程な。
珀花は新しい恋敵の登場で焦っているのか。
今更な奴だな。
「やれやれ…珀花、お前は子和様が簡単に落とせると思っているのか?」
「無理、難攻不落」
即答する珀花。
取り繕わない素直な回答に思わず苦笑する。
「だったら、他を意識する暇が有れば自分を磨く方が有意義だろう?
少なくとも他の者達の足を引っ張るよりは増しだ
まあ、そんな気は無いとは思うがな…」
「…何か私が馬鹿みたい」
「みたいじゃないがな」
「むぅ〜…」
拗ねた珀花に仕事をしろと言って窓の外を見る。
空は青く晴れている。
──side out
荀或side──
「…はぁ…」
自分の執務室の窓から空を見上げていると、無意識に溜め息が出る。
「…子和様…」
口から溢れる名前。
それだけで…
たったそれだけの事で…
胸の奥が熱くなる。
だが、同時に締め付けられ切なく、苦しい。
解っている。
これが、一般的に“恋”と呼ばれる感情だと。
しかし、長い間“男”へと抱いた嫌悪感が本能にまで染み込んでいる。
その為、どう子和様に対し接して良いのか判らない。
仕事の上では何とか平静を保っているけれど、他では正面に顔を見られない。
しかし、気付けば子和様の姿を探している。
直接顔が──目が合わない限りは大丈夫。
だから、見詰めてしまう。
「…子和様は特に変わった様子は無いし…」
その事には少しだけ理不尽だと思ってしまう。
私の方はこんなに心の中で葛藤しているのに。
…ちょっとだけムカつく。
「…でも、私はどうしたら良いのか判らない…」
相談しようにも事が事だ。
誰にも出来無い。
…いや、御母様とか城内の侍女達なんかは嬉々として食い付くだろうけど。
面白がられるのは癪だ。
「…はぁ…」
この数日間で何度溜め息を吐いたのだろうか。
他の皆も少なからず経験が有るのだろうか。
「…珀花と灯璃、あと翠は想像出来無いわね」
まあ、表面上ではそうでも実際は判らないけど。
…華琳様も嘗ては経験した事なのだろうか。
「…そう思うと少しだけ、気持ちが楽になるわね…」
いつか、私も華琳様の様に子和様の傍らに立てる事が出来る…のだろうか。
…簡単では無いでしょうが諦める理由にはならない。
「寧ろ…“軍師”としての性かしらね…」
挫ける所か、遣る気になるから不思議な物だ。
困難で有ると判ると心身の奥底から熱が沸く。
“闘志”と言っても間違いではない。
一度点いた“火”は静かにけれど決して消える事無く燃えている。
私の奥で確と。
「…焦っては駄目よ桂花
先ずは私自身の気持ちから整理していきましょう…」
急いては事を仕損じる。
状況と情報を把握し考え、常に“最悪”を想定する。
それが“軍師”という者。
最悪は“諦める”事だ。
だから、私が諦めない限り終わらない。
──side out
中庭にて初心者組を相手に指導を行う。
正確には行っていただ。
現在は休憩中で皆ぐったりしているけどな。
“大掃除”が実戦の本番になってしまうが流石に何の準備も無しでは拙い。
軍師組の子揚と奉孝は武の鍛練にのみ集中。
伯約は両方を並行して実戦重視に行っている。
事務系は後回し──とまで言わないがな。
基礎は既に十分だろう。
軍将組は令明だけは十分に間に合うな。
伯寧と士載は素人だが共に筋も良く理解も早い。
“脳筋”でないから覚えも良くて教え易いしな。
多少、厳しめにしているが誰一人として音を上げずに付いてくる。
実に喜ばしい事だ。
「順調そうね」
縁側に腰掛け休んでいると左上から声が掛けられる。
因みに、今更だが私邸側は一部が和式の造りだ。
これは昔俺が華琳に教えた日本建築の影響。
良いよな、和の心って。
「誰かさんと一緒で人一倍努力家で負けず嫌いばかりだからな
ついつい熱が入るよ」
「ふふっ、それなら将来が“楽しみ”ね」
さらっと“自画自賛”する華琳に小さく苦笑。
しかも事実だけに否定する事も出来無いし。
「桂花の事、気付いてない訳が無いわよね?
放置して良いのかしら?」
全く、ストレートだな。
少しは遠回しに言ったって良いだろうに。
まあ、俺が相手だからか。
「まあ、今は自分の感情を理解する方が大事だろうし急な変化に戸惑う文若には時間が要るからな」
「あら、てっきり、其処へ突け込むのかと思ったわ」
「心にも無い事を…
俺が“そんな”質かどうはお前が一番知ってるだろ?
まあ、“口説く”場合には躊躇無く遣るけどな」
自覚?、有りますよ。
実例が有るだけに否定する事も出来無いし。
言われる前に認めます。
「ふふっ…そうね
まあ、桂花に限らず貴男は“放置”だものね
将来皆が“どう”するのか楽しみだわ」
「…俺的には怖いけどな」
華琳の言葉に、薄ら寒さが背筋を襲う。
“問題”の先伸ばしだとは解っているさ。
「兎に角、“答え”を出すにしても時期が有る…」
「ええ、先ずは初手…
“國獲り”前の“崩し”を成さないとね…」
「ああ、そうだな…」
華琳と共に空を仰ぐ。
瞳に映る青は“何の色”となるのか。
答えは孰れ、解る。