曹奏四季日々 31
董卓side──
──十二月六日。
孫策さんが侍女として奉公する為に遣ってきてから予定期間の半分以上が過ぎました。
──とは言え、個人的な関係は特に変わらず。
ですが、それも仕方の無い事です。
特に用事の無い場合、極力孫策さんと必要以上には関わらない様にしていましたから。
一部を除いては。
孫策さんとの関係は以前のままです。
ただ、それも一段落した事で解禁に。
個人的に話しをしたいと思っていた面々は積極的に孫策さんと空いている時間に会っています。
勿論、特別な意図や深い意味が有ってではなく。
飽く迄も、個人の興味等によってです。
「此方に来て色々と驚かされる事は多いんだけど、やっぱり、それなりに関係が有る人に会うのが一番吃驚するし、意外に思うわ…
こうして貴女と話しているのも変な感じだしね~」
「ふふ、そうかもしれませんね」
予め孫策さんに声を掛けておき、仕事の休憩時間に一緒に御茶をする。
たったそれだけの事なのですが。
彼女の言う様に私も可笑しなものだと思います。
初めて彼女と顔を合わせたのは反董卓連合。
もしも、雷華様に助けて頂いていなければ。
こうして私達が一緒に御茶をする、という事なんて有り得なかったかもしれません。
当時、小野寺さんが雷華様に私達の事を救う為に、協力の御話を持ち掛けていたそうですが。
抑として、小野寺さん──孫策さん達には、独立で私達を助ける術は有りませんでしたから。
事実上、私達の命の恩人は雷華様に成ります。
尚、雷華様は小野寺さんからの協力要請が無くても私達の事は救って下さる予定だったそうです。
ただ、その場合にも全員は獲らなかっただろう、と仰有っていました。
違いが有るとすれば、華雄さんの有無位だと。
蓮華さんの存在も有るので、ある程度は孫策さんの麾下に戦力を回したい意図も有ったそうで。
現状と大差が無い形になっていた、との事です。
つまり、何方等にしろ、私は雷華様の御寵愛を頂く事が出来ていた訳です。
その事は、素直に嬉しく思います。
しかし、そうは言っても過去は変えられません。
今でこそ、当時の汚名は漱がれ、あの反董卓連合が仕組まれた物であった事は周知されていますが。
それでも、そうなる要因を呼び込んだのは私です。
…いいえ、私一人の責任というのは違いますね。
私だけではなく、私達の責任です。
その点は間違えない様にと言われています。
雷華様や華琳様は勿論、恋さんからもです。
…ちょっと…いいえ、かなり驚いたのは内緒です。
そんな事が有ったにも関わらず。
こうして今は心から笑っていられます。
それは本当に運が良い事で、幸せな事です。
“たられば”で言えば、私は日の下を堂々と歩ける立場にはなかったかもしれませんから。
…いいえ、生きている事ですら、奇跡でしょう。
私が言うのも可笑しな事ですが。
私は大義名分でしからね。
私の首級には、その価値が付けられていました。
それを考えれば生かされる可能性は無いに等しく。
どんな扱いであろうとも。
生きている可能性の方が考え難かったので。
当時の私からすれば、今は奇跡の様な状況です。
「皆さんは、どうしていますか?」
「元気にしてるわよ
前の生活に関しては詳しくは知らないけど、多分、そんなに違わないんじゃないかしら
軍将は軍将の、軍師は軍師の仕事をしてるしね
個人という面だと…華雄が一番変わったのかしら」
「字と真名の事ですね」
「まあ、流石に耳に入ってるわよね~」
「はい…ですが、孫尚香さんには感謝しています
それは私には出来無かった事ですから…」
その件の一連の御話を雷華様から御聞きした時にも思いましたが、思い付きませんでした。
何を言っても言い訳にしか為りませんが…。
それはとても単純な事の様ですが。
とても繊細で、軽々しく触れられない事です。
ただ、それは真名に関してで。
字の件は、私の意気地の無さが故、でしょう。
結局、私には出来ませんでしたから。
彼女の抱えていた痛みを察してはいても。
その心の奥にまでは踏み込めませんでした。
──いいえ、寄り添う事が出来ませんでした。
本の少し、私に勇気が、覚悟が有ったのなら。
もっと早く、彼女と向き合えていたのなら。
その心の痛みを。
本当に僅かだったとしても。
和らげてあげられたかもしれません。
そう思うと、自分の未熟さが赦せません。
「んー…それはそうかもしれないけど、そんなにも気にしなくて大丈夫じゃない?
私が言うのも何なんだけど…
小蓮自身、深くは考えてないから
まあ、だから出来たんだと思うのよ」
「………そう、でしょうか…」
「ええ、少なくとも私には無理だと思うわ
私でも其処は軽々しく触れられないと思うしね
それは多分、貴女や詠達にしても同じでしょうし、きっと曹操様達にしても同じだと思うわ
…曹純に関しては何も言えないけどね~」
そう苦笑しながら言う孫策さん。
確かに…雷華様であれば見抜かれる事でしょう。
そうなっていたら、彼女は雷華様に全てを捧げる。
その姿が容易に想像出来ます。
…本のちょっとだけ、見てみたい気もしますね。
「こういう言い方をするのも何なんだけどね…
貴女にしろ、私達にしろ、社会的な常識が有るから踏み込めない見えない壁が有ると思うのよ
そういった意味でもね、“天の御遣い”って存在が何故、この時代に現れたのかも判る気がするのよ」
「…私達には出来無い事を成す為に、ですか…」
「或いは、その壁を壊す為、って所かしらね
まあ、祐哉は兎も角、曹純を見てると特にね
…ああ、北郷は論外よ」
そう言う孫策さんの言葉には素直に頷けます。
その辺りは雷華様も似た事を仰有っていますから。
「“天の御遣い”は異なる価値観の塊だ」と。
だからこそ、私達には見えない物が見えるのだし、私達に異なる道や新しい可能性を示してくれる。
そういった道標が本来の役割だと。
雷華様は仰有っています。
なので、あの戦い等は奉仕残業だと。
この話は孫策さんには聞かせられませんが。
何と無くは、察しているのかもしれません。
何しろ、今は雷華様の侍女なのですから。
「それはそうと、貴女も妻の一人なのよね?」
「はい、そうです」
そう答えながら、自然と御腹を撫でます。
まだまだ目立ってはいませんが。
確かに宿る新しい生命が此処に在ります。
それも雷華様との子供ですから。
嬉しくない訳が有りません。
「──という事は曹操様は勿論として、蓮華の子供とも同じ父親って事になる訳よね?
その辺りは、どうするの?」
孫策さんの質問、その意図を直ぐに察します。
深い意味は無く、参考にでしょう。
彼女にしても、似た夫婦形態では有りますから。
「私達の場合、長男が各家の跡取りになります
当然ですが、曹家の家督争いには為りません
抑として、継承権は母方にのみ有るので」
「あ~…成る程、その手が有る訳ね
…でも、それって曹魏だから出来る事よね~」
「そうですね、それは否定出来無いと思います
簡単そうですが、簡単には出来無い事なので」
普通は、父親が同じなら継承権が生じます。
それは多くの家が男性優位な社会構造の為です。
如何に、直系の妻に婿入りしていても、その男性に側室との子供が出来れば継承権が有ります。
この辺りは血筋だけではなく、家を優先する為。
それ故に養子という方法も成立しますから。
ただ、それも必要な事では有ります。
その家の家族だけではなく、家臣や使用人達、更に統治する領地の有る家であれば領民が居ます。
その人達の将来を考えれば。
背負っている自覚が有れば。
血筋だけには拘っては居られませんから。
如何にして家を存続させるのか。
それが重要視される事になりますから。
「孫策さんは確定として…他にも小野寺さんと?」
「ええまあ、一応はね~
ほら、何だかんだ言っても結局は祐哉無しだと宅も纏まりはしないから
“天の御遣い”にする気は無いけど…
実際に祐哉が中心なのは否定出来無いもの」
「…という事は皆さんも?」
「今の所、華雄は判らないけどね
霞は意識はしてるわね
詠は──言うまでも無し、ね
まあ、まだ何方も何にも進展してないんだけど」
「それでは帰った時が楽しみですね」
「そう!、まさにそうなのよ!
霞の方は本人が祐哉を求めれば動くでしょうけど、詠はねぇ~…
私も気になってたんだけど、詠の初恋って誰?
まあ、今、詠の側に居ないんだから、既に死んでる可能性が高いとは思うんだけど…」
「…多分ですが、詠ちゃんの初恋は小野寺さんだと思いますよ」
「え?、そうなの?」
「将来の夢や結婚の話題等、少なからずした覚えは有りますけど、具体的では有りませんでしたから
それに私自身も子和様が初恋になります
だから、そうではないかな、と…」
「あー……言われてみると、そうかもしれないわね
私も何だかんだで祐哉が初恋になるんでしょうし」
「それも、こういった時代に生まれた事も一因では有るのだとは思いますけど…
立場上、自分でも将来の自分が恋愛で結婚するとは思ってはいなかったので
私は、結婚は義務や責任、という認識でした」
「そうよね~…それは私にしても同じだわ
祐哉と出逢った時も、最初は祐哉の血を入れる事で孫家に特別性を持たせようとしてたしね~
今の自分なんて想像してもいなかったわ」
「それは殆どの方が同じだと思います
ただ、出逢いは有っても、そうなるに至るまでには幾つもの岐路が有った訳ですから…
今の自分が幸せであるなら、間違いではない
少なくとも、私自身はそう思います」
「…やっぱり、貴女も曹純の奥さんね」
「昔とは別人みたいだもの」と。
そう口にはしないだけで。
孫策さんの眼差しが言っています。
それは私にとっては、とても嬉しい一言です。
最初は、悩んでいる事も有りました。
「こんなにも幸せで良いのかな?」と。
「そんな資格が有るの?」と。
ですが、自分に嘘は吐けませんでした。
雷華様の御寵愛を受けて歓喜している私は。
間違い無く、私なのですから。
何よりも、私の懐く後ろめたさ…罪悪感というのは雷華様や華琳様に言わせれば、自惚れや思い上がりみたいな物だそうです。
「お前は全知全能な存在か?」と。
そう問われた時、はっきりと判りましたから。
結局の所、私の罪悪感は自己満足でした。
そして、逃げ道だったのだと。
これでもかと、向き合わされましたからね。
勿論、今では過去の全てが私の成長の糧です。
「…そう言えば、陳宮の事は気にならないの?
あの娘って呂布に御執心なんでしょ?」
「…気にならない、と言えば嘘になりますね
ただ、彼女の場合、曹魏には合いませんから
この先、一緒に歩むという事は不可能でしょう
出来れば、その事に早く気付いて自分の道を歩いて行って欲しいですね」
「劉備みたいに成らない?」
「流石に彼処まで愚かではないと思います」
「あら、貴女も言うわね~
まあ、確かにそうなんだけどね~」
言葉とは裏腹に笑顔の孫策さん。
彼女も判っているのだと思います。
劉備は世の中の必要悪なのだと。
ある意味では、物語を成立させる為の配役で。
悪しき者が在るからこそ、善なる者が輝く。
所謂、対極の存在なのだと。
劉備と北郷、その存在価値は害悪としてのみ。
そうでなければ疾うに排除されている存在だと。
少し冷静に俯瞰する事が出来れば判ります。
曹魏に排除が出来無い訳が有りませんから。
だから、願わくば。
陳宮にも転機の有らん事を。
──side out