曹奏四季日々 28
孫策side──
──十一月三十日。
曹純の専属の侍女として奉仕し初めてから一週間。
長い様で短く、短い様で長く。
けれど、一日一日、一事一事、一つ一つ。
学ぶ事、気付く事、気付かされる事が本当に多く。
自分の未熟さと、そして、成長出来る可能性を。
これでもかと実感させられている。
…出来れば、武の方でも実感したいのだけれど。
それを言ったら蓮華からも怒られるから言わない。
言わないだけで、そういう欲求が有る事は確か。
こればっかりは性分だから仕方が無い事だと思う。
「…話には聞いていたけれど……酷いわね」
そう言う曹操の冷ややかな眼差しから。
自分の事だけれども現実を直視は出来ずに。
思わず、顔を背けてしまう。
…仕方が無いと思うわ。
誰にだって、得手不得手、向き不向きは有るもの。
だから、人は御互いに補い合い、助け合うのよ。
「それは都合の良い言い訳よ
何より、出来無い事と遣らない事は別物…
それが判らないとは言わせないわよ?」
「ぅぐっ………御指導、宜しく御願い致します」
「私は貴女を甘やかす気は無いから覚悟しなさい」
…詠が足下にも及ばない位の恐さなんですけど?。
私、生きて帰れるわよね?。
──と言うか、曹純様、早く帰ってきてっ!。
──と私が悲鳴を上げる前日の事。
一日の御勤めが終わり、御風呂でさっぱりした後、部屋で寛ごうとした所で、曹純に呼ばれた。
以前の私だったら、此処で余計な事を言ったりして不評を越えて、身を破滅させていたでしょう。
でも、此処に来て私は学んだのよ。
“口は災いの元”って正しいんだって。
蓮華から「冗談でも子和様が姉様を閨に呼ぶだとか考えたり、言ったりしないで下さいね?」と言われ笑っていたら「殺しますよ?」と睨まれた。
あの時の蓮華の殺気は母様を越えていたわね。
しかも、「殺されますよ?」ではない。
蓮華が、私を。
そう、はっきりと口にした、警告。
それを無視する程、私も馬鹿じゃないわ。
ええ、絶対に言わないし、考えもしないわ。
だって、命が幾つ有っても足りないもの。
まあ、それはそれとして。
そういう事が有ったから、呼ばれた理由を考える。
………特に大きな失敗はしていないわよね?。
それはまあ?、侍女としては未熟だから、見栄でも失敗していない訳じゃないけど…。
曹純の場合、指摘するのが上手いのよね。
指導の仕方が、と言うか……こう、間がね。
直ぐに指摘はしないけど、此方が考えられる程度の間を置いて、気付く切っ掛けもくれる。
だから、大半は自分で失敗に気付く事が出来る。
それでも無理な所は丁寧に指摘し、教えてくれる。
祐哉が「先生みたいな感じだ」って言ってた理由が実際に体験してみると判るわ。
何て言うか……誘導が上手い?。
………何か違うけど…まあ、そんな感じなのよ。
だから、こんな時間に、という事は考え難い。
そうなると……普通に明日の予定、とか?。
まあ、取り敢えず、行ってみましょう。
──という感じで向かった曹純の執務室。
──で、其処に居たのが明命。
…一瞬だけ、嫌な予想が脳裏を過ったわ。
勿論、明命の事を信じてはいるけど。
それと同じ位、曹純に惹かれる事にも納得出来る。
だから、その状況に不安を覚えたのは当然の事。
私じゃなくても、同じ様に考えたと思うわ。
まあ、実際には全然違ったんだけどね。
ただ、呼ばれた理由は明命だったわ。
何でも、蓮華に街を案内して貰った際に知った事で曹純の護衛に付きたい、という話。
とても明命らしい理由だったわ。
私は構わないから許可を出し、曹純も了承。
明命が喜び──翌日、確認が行われたわ。
私が、何故か、猫にだけ避けられる、という事の。
だって、今の私は曹純の専属の侍女だもの。
基本的には何処へでも同行するのが普通。
勿論、御風呂や厠は別だけどね。
だから、その明命の護衛の件で、私が同行をしても問題が無いのか、を確認した訳よ。
──で、その結果、私は今日一日だけ曹操専属に。
要は曹操に預けられている訳よ。
蓮華に、じゃない辺りは、一応は姉妹という関係が変に影響しない様に、という意味で。
そして、曹純と同格なのは曹操だけだから。
下手に他の誰かに、って訳にはいかないのよ。
それでも、滅多と無い明命の懇願だしね。
私としても、叶えてあげたいもの。
だから、特に異論は無かったわ。
ええ、実際に直面するまではね。
ほら、曹操って今、身重じゃない。
だから、曹純に比べたら圧倒的に行動範囲が狭い。
それを考えたら、楽勝でしょう!。
──なんて思っていた自分を拳で殴りたいわ。
曹純に比べたら楽?。
そんな訳無いじゃないのっ!。
だって、あの曹操なんだからっ!。
…本当にね、自分の浅慮さが身に染みるわ。
そして、あの夫にして、この妻有り、よね。
それは蓮華が成長するわ。
「ほら、口を動かすより手を動かしなさい」
声に成るか成らないか、という独り言を捉えられ、思わず背筋が凍り付きそうになった。
恐る恐る振り返り、「聞こえてたの?」と訊きたい気持ちも有るけど……押し殺す。
そして、言われた通り、素直に手を動かす。
私だって馬鹿じゃないわ。
此処で下手に訊いたりすれば逆効果だって判るわ。
それに気付く事が出来る程度には学んだもの。
ええ、此処では無意味な言い訳程叱られるのよ。
言い訳をするのなら、理路整然と説明が出来て。
そうではないのなら、非は間違い無く自分になる。
勿論、小さい子供とかは別なんだけどね。
其処に私が含まれる訳が無いもの。
だから、それを遣ったら叱られるの。
ええ、それはもう…………っ、いえ、集中集中。
正直、思い出したくもないわ。
「ほら、其処よ、力任せに掻き混ぜない
一定の速さで、優しく、でも遅過ぎずに、よ」
まるで、集中し、思考の闇から逃げようとしたのを見透かされかの様に指摘され、身体が跳ねる。
勿論、言われた通りに意識して修正する。
ただ、頭の片隅では別の私が頭を抱えている。
つい、「…私って、こんなに臆病だったっけ?」と考えてしまいそうになる程に、ビクついている。
正直、そんな事は母様を相手にしていた時でさえも無かった経験だったりする。
だから、複雑では有るのだけれど。
ちょっとだけ、この新鮮さを楽しんでいる。
そんな自分が居る事も否めない。
そんなこんなで、今の私は曹操に扱かれている。
…侍女の仕事?、私の方が訊きたいわよ!。
でも、訊ける訳が無いじゃない。
今の私に選択権は与えられてはいないのだから。
──で、何をしているのか、と言うと。
曹操による料理指導です。
…発芽病の調査の際に基本は教わったわよ?。
でも、その後、料理する機会なんて僅かだったし、元々遣ってないから、日常的には遣らないのよ。
だから、どうしても忘れると言うか…。
身体に染み付く程には至らない訳で。
まあ、その……忘れちゃったのよね~…てへっ。
「──ァ痛アッ!?」
「馬鹿な事を考えてないで、ちゃんと見なさい
混ぜ過ぎたら、此処までの意味が無くなるわよ」
「ぅぅっ…判りました」
身重で動き難いとは言っても、やっぱり曹操よね。
何処から出したのか判らないけど、“ハリセン”で思いっきり頭を叩かれたわ。
…この、人に物を教える時にハリセンを使うのって天の国じゃ普通なのかしら?。
確かにまあ、痛いけど痛過ぎないし、拳骨をされるよりかは増しなんだけど…。
何て言うか……ちょっとだけ、御馬鹿扱いされてる気分になるのは私だけなのかしらね?。
──アッ!、はいっ!、集中しますっ!。
背後から曹操がハリセンを手で叩いて音を鳴らして注意してきたので雑念を捨てる。
今は料理に全集中よ!。
「……ん~…十七点!」
「低っ!?、もうちょっと気を利かせてよっ!」
「そうは言うけど、これでも高めに付けてるよ?」
「………え?、マジで?」
「うん、マジで
──と言うか、この評価も宅の基準でだからね~
そういう意味だと、一般的には十分に高い方だよ」
「一般的には」と聞いて納得。
──してしまう辺り、私も変わってるのよね。
まあ、悪い事じゃないからいいんだけど。
私の料理を食べて評価してくれているのは朱然。
宅の小蓮や穏、蒲公英みたいな感じで。
かなり砕けていて話し易い。
南部出身だから話題も色々と合うのも大きいわね。
…まあ、彼女も曹純の妻だから気は抜けないけど。
そういう罠を仕掛けてくる感じじゃないと思うわ。
何て言うか…私にも近い感じがするから。
そんな朱然が料理の評価をしている理由だけど。
「実力が未知数の姉様の料理を孟徳様に食べさせる訳には行きませんから」と蓮華達に言われた為。
…うん、それはまあ、そうだとは思うわ。
それが正しい判断だし、他意は無いのも判るわ。
曹操は身重だし、大事な御世継ぎな訳だしね。
万が一にも、何かが有ってからじゃ遅いもの。
勿論、曹純が助けるとは思うんだけどね。
助かったとしても、その事実は無くならない。
それはつまり、私だけの話には留まらず、孫家にも影響は及ぶし、蓮華も立場を危うくし兼ねない。
そういった事を考えると。
曹操が自分で味見をする、というのは無いわよね。
勿論、その辺りは曹操も理解しているから、特には何も言わずに朱然に任せて退室。
今頃は別室で普段通りに食事中でしょう。
そして、私自身も御昼休み。
だから、朱然との会話も砕けていても許される。
侍女としてだったら、流石に駄目だもの。
勿論、信頼を含めた主従関係が有れば別だけど。
今の私には、其処までの関係性は無いもの。
寧ろ、蓮華ですら線を引いている位だからね。
それを私が無遠慮に越えたら駄目なのよ。
──といった事情が有っての、こういう状況。
まあ、気楽に出来るから私としては歓迎するわ。
「因みに、一般的な基準だと何れ位なの?」
「ん~……まあ、八十四点位かな?」
「……え?、何それ…その差が凄過ぎない?」
「まあ、宅は子和様も孟徳様も料理好きだしね~
将師は勿論、軍属の兵士にも調理実習は必須だから出来無い人を探す方が無理難題だもん」
「………其処まで遣る必要が有るの?」
「軍事行動中は自分達で用意が基本でしょ?
だから、誰が当番でも美味しい料理が出来る部隊と不味くて食欲の湧かない料理の出る部隊
何方が士気や健康状態が良いと思う?」
「…成る程ね、そういう事ね」
「そういう事だね~
まあ、そうじゃなくても料理が出来る事で、自分の生活に不利益になる事の方が少ないでしょ?」
「少ないっていうか無いんじゃないの?」
「女性の場合はね~
子和様の御話だと「料理が上手いのは良い事だけど拘りが強過ぎる男性は結婚し難くなる」んだって」
「え?、何で?、良い旦那さんじゃない?」
「ずっと男性が料理してくれるんだったらね
その男性が御店を持っていたり、何処で働いている料理人だと、家の料理は結婚した女性の方がする可能性が高くなるでしょ?
その時、彼是言われたら嫌になると思わない?」
「……あー…それは確かにそうかもしれないわね」
「勿論、その辺りは個人の性格の問題なんだけどね
だから、飽く迄も宅の指導は基礎的な事だけ
でも、それが出来るだけでも大違いだから」
「よく考えられてるわね~…
あれ?、でも、そうなると曹純自身の場合は?」
「私達は子和様に勝ちたい者ばっかりだからね~
だから、子和様から学ぶ事に抵抗は無いし、実力で劣っている事に一々凹んだりはしないから」
「…だから、高みに至れる訳ね」
含みや意図は無く、当然の事だと話す朱然。
彼女を見ていれば、自然と理解する事が出来る。
曹操にしろ、蓮華にしろ、彼女にしろ。
曹純の妻達は揃いも揃って負けず嫌い。
それが和を成せば強い訳だと。
──side out




