曹奏四季日々 26
孫権side──
──十一月二十四日。
以前の雷華様との賭けの代償と発芽病の対価として姉様が侍女として奉仕する為に遣ってきた。
その為、此処暫くの間、色々と不安が拭えない。
…まあ、その分、雷華様に気遣って貰えるのだから役得と言えば役得なのだけれどね。
それはそれとして。
事前に準備して来てはいる筈だけれど。
はっきりと言って、曹家の侍女の基準能力は漢王朝時代の皇帝の側近の侍女よりも確実に上。
皇女である結が言うのだから間違い無いわ。
勿論、雷華様も姉様に其処までは望んではいない。
──と言うか、絶対に無理よ。
何しろ、華琳様でさえ「基本的な意識が違うわ」と上辺だけは真似られても本当の意味では出来無い。
そう断言されている程。
雰囲気的に出来そうな面子も「無理です」と断言。
つまり、それ程に曹家の侍女というのは専門職。
その道を極める達人だという事。
…曹家の場合、どの職でも、そういう人達ばかりで構成されているという事を改めて思い知ったわ。
まあ、雷華様も華琳様も、そういう事を評価するし尊び・敬う方達だから。
必然的に、職人気質な人達を集めるのよね。
特に雷華様に認められると…ねぇ…。
私も仕事で何度も見た事が有るのだけれど。
超が付く気難しくて頑固な職人さんが、私達の話は聞く耳持たないって感じだったのに。
雷華様と話したら、その次に会った時には滅茶苦茶嬉しそうに雷華様を迎えて、話をしている。
そういった場面をね。
華琳様が「雷華は真性の人誑しよ」と。
そう仰有るのが、これでもかと理解させられたわ。
……私達は…ほら、女としてだから。
いえ、武人や人としてもだけれど…。
──と、兎に角っ!。
雷華様は凄いという事よ!。
………いいえ、今は違う話がしたいのよ。
「いや、そんな事を言われてもなぁ…
まあ、孫策が遣らかさないか不安なのは判るけどさ
蓮華が心配しても仕方が無いだろ?」
「…貴女だって、馬岱が同じ様に侍女として来てる立場だったら、どう思うのよ?」
「それは…………………………いや、無理だな
出来る姿が全く想像出来無い…」
「聞いた限りだけど、姉様よりも、まだ彼女の方が侍女としては形になるでしょうね
それを考えれば…判るでしょ?」
「私が悪かった、うん、不安にもなるよな」
「………そういう風に納得されるのも不安だわ」
愚痴を聞いて貰っている立場だから、彼是と文句を言いたい訳ではないのだけれど。
翠が相手だと、気楽に言えるのよね。
雷華様達は「翠は人に対して裏表が無いからな」と仰有っているけれど。
本当に、そうなのよね。
私も裏表が有るつもりは無いのだけれど。
何と言うか…考えて話すと、そうなる。
でもね、それが悪い訳ではないのよ?。
寧ろ、配慮を欠いた発言をするよりは良いもの。
ただ、その考える部分には少なからず非公開が。
たったそれだけの事なのだけれど。
相手によっては、含みが有る様に受け取れる。
勿論、翠だって考えてから話す事は有るわ。
ついさっきも、そうだった様にね。
だけど、普段から良くも悪くも率直な発言をする。
その印象が有るし、そういう人柄だからこそ。
翠の様な人は、その言動に嫌味が少ない。
誰もが、全く感じない、という訳ではないから。
そういう意味では、姉様も翠と同じ感じね。
姉様の場合、直感任せの言動過ぎて問題だけれど。
私とは違って変な誤解や疑念・不安を与えない。
だから、少しだけ二人の事を羨ましくも思う。
尤も、そういう私は、私ではないのだけれどね。
昔の私だったら、嫉妬で暗い感情を胸の中で燃やし渦巻かせていたでしょう。
今、そう思えるのも雷華様に出逢えたからこそ。
「……何をしているんだ?」
「しぃーっ、静かにっ!
見付かっちゃうでしょっ!」
呆れた様に声を掛ける冥琳。
でも、今は顔を見て話す事は出来無い。
何しろ、姉様が何か遣らかさないか、見付からない様に、こっそりと見張っている所なのだから。
「…城内だが、客観的に見れば不審者だぞ?」
「そんな事は百も承知よ」
「………そうか、まあ、頑張ってくれ」
溜め息を吐き、そう言って立ち去る冥琳。
「何を言っても無駄だな」と言いたげな雰囲気。
ええ、判っているわ。
皆は兎も角、姉様には気付かれない距離を取って、通路の角や物陰、庭の茂みの中…等々。
気配を隠し、視線は直視しない様に外して。
…まさか、此処で尾行の基本が役立つなんてね。
常々、雷華様の仰有っている様に、何が何処で役に立つか、活きるのかは判らないものだわ。
──という事を考えながら、雷華様と姉様を追う。
ええ、今の姉様は雷華様付きの侍女だもの。
だから、その殆んどが雷華様と共に居る事に。
………ちょっと待って……何?、それは?。
よく考えたら罰じゃなくて御褒美じゃないっ!。
姉様っ!、狡いっ!!。
──って、違うわ……落ち着きさない、私。
賭けの代償は雷華様からの提案だもの。
姉様が言い出した訳ではないわ。
それに雷華様が姉様に手を出す事は無い。
………………有りませんよね?。
私は信じていますよ!、雷華様っ!。
「──で、私にどうしろと?」
「私も四六時中は張り付けないの!
だから、空いている時で良いから手伝ってっ!」
「手伝って遣りたくは有るのだが…無理だ
今は新旧の港の整備に航路関係の調整と忙しい身で空いている時も、休憩をしながらも関連する書類に目を通している様な状況だからな
はっきり言って、此方等が手を借りたい位だ」
「…御免なさい」
「気持ちは判るから構わないが…
抑、何を其処まで気にしている?
姉妹として心配するのは兎も角として、今の孫策は一勢力の長として此処に居る訳だが…
公的には侍女という立場だ
其処で孫策が何か問題を起こしても、侍女としての失敗以上には話は拗れはしないだろう
雷華様達も不必要に話を大きくはされない筈だ
──となると、蓮華が心配している事は何だ?」
「…………………」
思春を掴まえて協力して貰おうと御願いしていたら逆に指摘され──気付かされる。
私は一体何に対して不安を懐いていたのか、と。
いえ、本当にね、そんなに何を拘っていたのか。
改めて考えてみると……よく判らないわ。
「…妊娠すると情緒不安定になると聞く
勿論、誰しもがそうなるのではないのだろうが…
少なくとも、今の蓮華は蓮華らしくはないな
昔の姿を知っている身としては、別人に思える」
「……それって嫌味?」
「そう思うのなら、らしいな」
「はぁぁ~~~………………そうね、有難う」
「まあ、気楽に頑張ってくれ」
「ええ、そうするわ」
そう言って手を振りながら去って行く思春。
男女問わず、人気と人望が有るのも納得。
元々、人の上に立っていた訳だけど。
私とは違い、自分の力で信頼を得ていた。
その下地が有るから軍将としても優れているけど。
肩の力が抜ける様になってからの思春は凄い。
素直に格好いいと思うもの。
……まあ、雷華様の前では凄く可愛いのだけれど。
兎に角、そんな思春に冗談を言われるだなんてね。
ある意味、物凄く貴重な事よね。
しかも、皮肉も込められているなんて。
ちょっと自慢出来る話だわ。
…私の駄目駄目な話もしないといけないけれど。
そう考えると気軽には話せないわね。
思考と気持ちを整理する為、場所を移動。
姉様──と雷華様から離れ、一息吐く。
大きく深呼吸し、溜まっているものを吐き出す。
頭の中、胸の中、心の中を空っぽにする。
そのまま静かに空を見上げる。
つい、彼是と考えてしまいそうになるけれど。
其処は呼吸する事に意識を置く。
吸って、吐いて、だけではなく。
肺に、血管に、全身に。
隅々まで意識が行き渡っていく様に。
そうしていると、自然と自分が浮かび上がる。
余計な物を削ぎ落とした、私自身が此処に在る。
「…はぁ~………結局、嫉妬していたのね…」
余計な思考が晴れれば、見えてくる。
どんなに滑稽で、有り触れたものであろうとも。
それが真実なのだから。
別に嫉妬をした事が無い訳ではない。
寧ろ、雷華様に出逢う前までの私は嫉妬の塊。
それも良い意味ではなくて、悪い意味での方のね。
今だから他人事の様に言えるのだけれど。
よく、あの頃の私は嫉妬に狂わなかったわよね。
…まあ、其処まで振り切る事が出来無かっただけ。
意気地や勇気が無い、という事ではない。
そうなる事に、意気地や勇気は必要無い。
必要なのは自暴自棄になり、無責任になる事。
「自分は何も悪くない」と責任転嫁し、現実からは目を背けて向き合う事をしない。
自分の殻に閉じ籠り、自分の事だけしか考えない。
世界の不幸を一身に受け止めているかの様な。
そんな滑稽な自己中心的な悲劇思考に至る。
ある意味では、そうすれば楽になれる。
でも、私には出来無かった。
それは私が私である事さえも放棄するに等しい事。
だから、どんなに苦悩し辛くても踏み留まる。
…いいえ、しがみついていたのよね、きっと。
そんな私が変わったのは雷華様に出逢って。
ただ、その後も嫉妬する事は少なかったわ。
だけど、その嫉妬は自分を高める為の糧に成る。
羨むだけの、何にも成らない嫉妬とは違う。
だから、それからの嫉妬には私は向き合えた。
受け入れられ、時には心地好さですら覚える。
それは今も続いているし、続いて行くでしょう。
そんな私が懐いた今回の嫉妬は──初めての経験。
もしかしたら、他には誰も経験しない事なのかも。
ふと、そう思えてしまう。
これは姉様に対する嫉妬。
姉妹だからこその嫉妬。
でも、小蓮に対しては懐かない嫉妬。
それは懐かしく思える程に、幼い私自身の憧憬。
御母様に対する憧憬とは違う。
歳の近い、手の届く距離。
目の前に有る、見詰めていた背中。
そんな姉様が、雷華様の側に居る。
絶対に無い、と判ってはいるのに。
心の何処かで、頭の片隅で。
変な想像をしてしまったが故の身勝手な嫉妬。
……まあ、嫉妬って身勝手なものなのだけどね。
もしも、たらればを言えば切りが無い。
そう判ってはいても。
ついつい、考えてしまう事は仕方が無い。
人は無駄に色んな事を考える生き物なのだから。
ただ…そう、ただ、ちょっとした好奇心も有った。
「もしも、姉様が雷華様の隣に居たなら?」と。
「もしも、私達が一緒にそうなっていたら?」と。
そんな妄想をしてしまったから──こうなった。
こんな事、恥ずかしくて誰にも言えないわ。
………それはまあ?、雷華様にだったら言えるわ。
話したら、「だったら、現実を教えて遣る」と。
きっと…………………………………………ハッ!?。
あ、危ない所だったわ…。
いえ、現実に成るのだったら構わないのだけど。
寧ろ、大歓迎するわ。
でも、現実には無理な話なのよねぇ…。
……………アレ?、もしかして、私、欲求不満?。
………え?、嘘?、そういう事なの?。
「……………ええ、雷華様に相談しましょう」
是非とも、そうしましょう。
どうせ、一人で彼是考えていても仕方が無いもの。
それだったら、素直に雷華様に甘えましょう。
姉様が居る?、いいえ、彼女は単なる侍女よ。
私の尊敬する姉が侍女なんてしている訳が無いわ。
だから、他人の空似。
ほら、「世界には自分と似た人が三人は居る」とか言う話も有るでしょう。
そういう事なのよ、きっとね。
…都合の良い自己解釈?。
自己解釈というのは自分に都合の良いものよ。
寧ろ、そういう風に解釈するからなの。
さてと、そうと決まれば雷華様を探しましょう。
今日は城内に居る予定だったし…何処かしら?。
……ああ、見付け──側に桂花っ!?。
くっ、急がないと!。
──side out




