曹奏四季日々 22
夏侯淵side──
──十一月一日。
例の雷華様の催しの第一組が戻ってから数日。
詳細に関しては伏せられている為、所謂、土産話も聞く事は出来無い状態。
しかし、その二泊三日が良い物であった事は明白。
最初は渋ったり懐疑的だった面子の態度が一転。
「また機会が有れば行きたい」と口を揃える程。
──とは言え、「一人目を産んでから」とも。
やはり、優先順位としては其方等が勝る様です。
尚、御土産の巨大な蛸は非常に美味しかったです。
養殖の難しい、天然物の美味さ、という物。
それは正しく贅沢でしょう。
「はぁ~……地味に時間を取られるのが辛いわ…」
そんな風に最近の事を振り返っている私の隣では、溜め息を吐いている桂花。
雰囲気は暗く沈み、その足取りは重い。
──が、別に何かしらの失敗をした訳ではないし、問題が起きているという訳でもない。
──と言うか、桂花が自分で歩いてはいない。
飽く迄も、桂花に合わせているだけです。
何故、そんなに桂花が気落ちしているのか。
その理由は先の雷華様の働き方の一件です。
雷華様に変えて頂く為には実証が必要不可欠。
その為、こうして各地への日帰り出張を減らす形で馬を使った移動をしている訳です。
方向に舵を切っている事も有り、先ずは私達自身が実践していかなくてはなりません。
そうでなければ、雷華様に対して何も言えません。
寧ろ、言い負かされます。
その為、以前ならば氣を使って移動している所で、馬を使って時間を掛けて移動している訳ですが…。
やはり、慣れてしまっている私達にも問題が。
桂花だけではなく殆んどの者が同じ気持ちです。
因みに、私達の愛馬は現在、揃って身重で。
今、跨がっているのは軍用の馬達です。
不特定多数の人が乗る為、そういった訓練をされて慣れているので心配は要りません。
…ただ、桂花では有りませんが、私達の方が愛馬に慣れ過ぎていて違和感が有る事は否めません。
「雷華様に進言する手前、中途半端は出来無いんだ
こればかりは時間が掛かっても仕方が無い」
「解ってるわよ…愚痴よ、愚痴」
そう言っている通り、本当に愚痴なのだろう。
何しろ、華琳様と軍師陣の総意による方針。
桂花が理解していない筈が無い。
しかし、その軍師陣でさえ、こうなのだ。
日帰りや日通いの多い軍将陣の不満は更に大きい。
必要な事だとは理解はしているが。
それはそれ、これはこれだ。
特に、移動に時間を掛けるという事は、雷華様との時間を削られるという事を意味する訳で。
実際の所、「取り敢えず、一人目を産んでから」と全員一致だった事は雷華様には言えません。
その耳に入る事も許容出来ませんからね。
ですから、現実的には先ずは“馬の移動で日帰りが可能な距離であれば”となっています。
──で、私達の今回の仕事先が、そうだった、と。
まあ、そういう事だったりします。
普段、私達は仕事で個々に動いている事が多い為、他の誰かと一緒というのは実は意外と珍しい事。
最初から一緒なら兎も角です。
出掛ける時も、行き先も別々だったのですが。
こうして、偶々一緒になった訳です。
そんな今の私達の状況を客観的に見ていると。
ふと、思い出される情景が有る。
「…そう言えば、あの時も、こんな感じだったな」
「………?」
そう呟いた私の方を見ながら…眉根を寄せる桂花。
「何時の事を言ってるのよ?」という視線。
「具体的に言いなさいよ」という心の声が聞こえる気がするのは、それだけの付き合いの長さか。
まあ、その様子からピンと来てはいないのだと判るから苦笑するしかない。
…いや、ある意味では、らしいのかもしれない。
前を向き、先を見詰め、歩みを進める。
それが軍師という者の最たる役目だと。
大袈裟だが、そう言う事も出来るのだから。
「私達が雷華様に助けられた時の事だ」
「あー………そうね、そう言われると確かにね…」
直ぐに思い出したのだろうが──素直ではない。
恥ずかしさを隠す為に、素っ気無い態度を見せるが私を相手に、そんな事をしてもなぁ…。
そういう態度は雷華様の前でしなければ無意味だ。
──等と思っていたら、桂花に睨まれた。
顔を赤くし、若干涙目で。
そんな風に恥ずかしがるなら最初から素直に言え。
──とは思っていても察せさせはしない。
これ以上は機嫌を損ねると面倒臭いからな。
適当に話題を振って意識を逸らしてしまおう。
「あの時──いや、あの頃の私達には今の自分達を想像する事は…先ず、出来無かっただろう?」
「野心という意味でなら有ったけど?」
「だったら、自分が身も心も一人の男に捧げ、その身の上で腰を踊らせる、という様は?」
「それは……………はぁ~…ええ、無理だったわ」
「意地悪っ!」と言いた気に睨んでくる桂花。
その気持ちを察する事は難しくはない。
雷華様に出逢わなければ、桂花の男嫌いは今も尚、僅かな改善すらされていなかったでしょう。
それは本当に根が深く。
桂花自身は勿論、家族や周りの者達ですら、本当の意味では桂花の負っていた心の傷には気付けず。
況してや、癒したり、克服したりも出来無かった。
それは雷華様だったからこそ出来た事です。
「尤も、それは今の私達にしても同じ事だろう
あの時、雷華様に助けられなければ──いや、特に何事も無く、通り過ぎていたとしたならば…
現在の私達の様になれていたのかは判らない」
「…そうね、たらればを言えば切りが無いけれど、立っている場所が違ったかもしれないわ
勿論、その時期が遅れても、御逢い出来ていれば、選ぶ道が違う事は無いでしょう」
「そうだな」
そう言い切れる桂花が少し羨ましくも有る。
勿論、私も同じ道を選ぶ事は断言出来るのだが。
私の場合、姉者という存在が居る。
雷華様の妻に姉妹が一緒に居る者は居ない。
そういう意味で言えば、私か姉者か。
何方等かしか雷華様の妻には成れないと言える。
だから、もしも。
その結ばれる縁絲が違っていたとするならば。
私達の場合、立場が逆だった可能性も有る。
勿論、私自身の意志で道を選ぶなら、話は別だが。
縁絲というものは、自らの意思だけでは、どうにも成らないという事を多分に含む。
それこそ、私達と雷華様の出逢いの様に。
苦境・窮地に有って、人生で最悪の瞬間を目の前に迎え掛けていた中での、運命的な出逢い。
あんなものは、意図して紡がれる訳ではない。
当然だが、所謂、「諦めなかったからこそ」という意志や姿勢が一因では有るのだが。
それは結局の所、結果論でしかない。
…いやまあ、縁絲や運命といったものは、結果論に過ぎないのかもしれないが。
それは個人的にも考えたくはない事。
そういう特別感や付加価値が有る方が嬉しい。
雷華様に出逢い、結ばれたからこそ、そう思う。
ちょっとした違いや、ちょっとした出来事。
それだけで満足感や幸福感が得られるのだから。
本当に…誰かを愛するという事は可笑しなものだ。
「…まあ、その“たられば”じゃないけど…
あの時、もしも雷華様が助けて下さらなかったら、私達は兎も角、彼女達は自分達の身に起きる現実に耐えられなかったでしょうね…」
「…そうかもしれないな」
そう言って表情を曇らせる桂花の想像した結末には私も否応無しに悲劇しか思い浮かべられない。
ただ、桂花と少しだけ違う事が有るとすれば。
恐らく、彼女達にとって最も辛いのは桂花の事。
もしも、そう為っていたら。
桂花の心は完全に壊れ、狂っていたかもしれない。
それを見て、責任を感じない彼女達ではない。
自分達の為に犠牲となった桂花を思えば。
安易に死を選ぶ事も出来ず、生きるしかない。
それが何れ程、過酷で辛く苦しい事なのか。
私では、想像は出来ても理解はし切れないだろう。
私と桂花、彼女達では違うのだから。
勿論、それは飽く迄も、たらればの話。
あの時、一緒に居た女官達は既に結婚し、出産。
そういった縁も有って彼女達の一人には私の子供の乳母を頼んでいたりするし、桂花の方も同様。
尤も、乳母と言っても従来の乳母とは違い、私達が仕事で動けない時の子供の世話を任せる程度。
基本的に私達は──雷華様や華琳様が自分達の手で世話をする事にしている為。
任せる事も一つの遣り方では有るのだが。
“親から子へ”という継承を重んじるならば。
こういった事が地味に大事になってくるからだ。
「──って、もしかして…此処って…」
「…?……っ、何と言うか…奇妙なものだな」
桂花の声に顔を向け、その視線を辿って見れば。
整備された街道から外れた鬱蒼とした森の一角。
それは何処にでも有る様な景色。
しかし、それが他の場所とは違うと直ぐに判る。
時を経て、変化しているにも関わらず。
一瞬で、寸分違わず、重なり合う。
つい先程、話題にしたばかりの場所。
私達が雷華様と出逢った場所だと気付いた。
「………その偶然も至りて必然と成る、か…」
「何?、貴女にしたら珍しく語るわね」
「以前、雷華様が仰有った言葉だ」
「それを先に言いなさいよっ!」
私を揶揄っているつもりだったのだろう。
桂花が顔を真っ赤にして叫ぶ。
もし、雷華様の言葉だと判っていたなら揶揄う様な事は言わなかっただろうからな。
まあ、それを判っていて、という訳ではない。
だから、そんなに睨まないでくれるか?。
誰にも言ったりはしないから。
誤魔化す意味で、馬を降り、森の中を歩く。
御世辞にも“綺麗な思い出”だとは言えない。
私達自身の未熟さや甘さを痛感させられた過去。
しかし、その経験が有ったからこそ。
今の私達が在る事は否めない。
先程の、たられば話の様にだ。
「…可笑しなものよね
あの時の事を思えば、二度と此処に来たいだなんて思いもしないでしょうに…
こうして、何と無く足が向いてるんだから」
「そうだな、忘れられない事なのは確かだが…
やはり、気持ちの良い出来事ではなかったからな」
だから、「何と無く」とは言ってはいるが。
特別な意味が有るから、こうして足が向く。
何しろ、思い出して話をしても、それはそれ。
過ぎ去る時の流れを見送る様に。
馬に跨がったまま、横目に眺めながらも止まらず、素通りしてしまっても構わないのだから。
だから、少なからず、思う事が有る。
そう、言葉にはせずとも、想いを共有出来る。
「懐かしいな、もう随分と昔の様な気がするが…」
そう、声がして、二人して振り向いた。
其処に居るのは──雷華様。
「何故、此方等に?」と思わず訊ね掛ける。
──が、御互いに相手の方を見て──意志疎通。
これを縁絲と言わずして何と言うのか。
「此処で、私達は貴男と御逢いしました」
「最初は女だと思われていたけどな」
「それに関しては言い訳も出来ませんね」
「まあ、二人に限った話じゃないからなぁ…」
今でこそ、滅多に無い事ですが。
当時は本当に日常茶飯事でしたからね。
勿論、それは雷華様が表には出ず、裏に居た為。
要は単純に認知度が低いから、です。
それを判っていらっしゃったから大体の事は苦笑で済ませていらっしゃいました。
まあ、時折、憂さ晴らしをされていましたが。
それは問題にもなりませんから。
──という話は置いておいて。
雷華様の方から察して振って下さった。
ですから、遠慮無く甘えさせて頂きましょう。
我慢出来る気もしませんから。
「それでは、しっかりと教えて頂けますか?」
そう言いながら雷華様の両側から抱き付けば。
返事の代わりに抱き寄せられ、唇を塞がれる。
馬達を待たせてしまいますが…小休止という事で。
ちょっとだけ、我慢して貰います。
御礼は後で帰ってからしますので。
私達に少しだけ時間を下さい。
──side out