曹奏四季日々 21
曹操side──
──十月二十七日。
雷華の催している夫婦水入らずの小旅行。
けれど、何が「特に意図は無い」よ。
大有りだったじゃないのっ!。
…まあ、雷華の意図している事というのは、大抵が自分で気付かないと意味が無い事ばかり。
そういう意味では、ああ言うしかないのも当然。
ただ、それを隠す巧みな話術と思考・意識の誘導が腹が立つ位に上手いのも確か。
状況が違えば皆で搾り取ってあげるのだけれど…。
如何に人が居ない場所でも、この人数で我を忘れて貪ろうとは流石に思わないわ。
……当の雷華は大丈夫でしょうけれどね。
腹は立ったけれど、第一組として参加している皆が一日目の日暮れまでに気付けたのも雷華の手腕。
然り気無く、役割分担を振った張本人だもの。
全部、想定の範疇でしょう。
昨夜の私達の総抗議も含めて、ね。
「貴男の気分転換にはなっているのかしら?」
「こうして、のんびりと釣糸を垂らしている時間が癒しにならない様なら遣らないと思うが?」
「…それもそうね」
一夜が明け、現在、私達が居る場所は入り江からは少し離れた海岸沿いの岩場。
普通なら歩く事も難しい場所でも私達には容易い。
妊婦である私は雷華に抱き抱えられての移動。
…別に役得だとは思っていないわよ?。
雷華が私達の身を案じてしてくれている事だから。
決して、私から「危ないでしょ?」と言ったりして催促した訳ではないわ。
それに、こういう事は珍しくはないもの。
だから、一々胸を高鳴らせたり、恥ずかしがったりしたりはしないわよ。
……だけど、ちょっと見ていないだけでも違う顔に見えるから可笑しなものよね。
毎日の様に顔を合わせ、寝起きを共にしていても。
そういう風に思う事が度々有るのだから。
我ながら、「何れだけ夢中なのよ…」と思う。
他人事の様に呆れて終われば、それまでだけれど。
生憎と、まだまだ現在進行形だから大変なのよね。
まあ、死ぬまで──いいえ、死んでも終わりなんて来ないかもしれないけれど。
──なんて事を考えながら、現実へと戻る。
岩場に並んで腰を下ろし、森で取ってきた嵐により倒れて枯れていた竹を使った即席の釣竿。
糸は“岩葦”という植物の葉を裂いて縒った物。
針は昨夜の夕食になった鹿の骨を削った物。
そんな物だけれど、機能としては十分。
そう考えると、如何に人間は利便性や効率を追究し技術を進歩・発展させてきたのかが判る。
同時に、それが滑稽な程に過剰だともね。
皮肉な話だけれど、こういう風に実際に自分自身で経験してみないと判らないものね。
そういう意味では、誰かさんの狙い通りでしょう。
「──っと、これも良い感じの大きさだな」
そう言いながら、慣れた手付きで釣れた魚を外し、倒木を刳り貫いて作った簡易の水桶に入れる雷華。
既に二つ目が一杯になる程の釣果。
一方、私の水桶には………小さいのが三匹。
何?、この差は何なの?。
百歩譲って、雷華が慣れている分、上手いにしても明らかに、この差は可笑しいわよね?。
同じ道具、同じ餌を使っているし、氣は未使用。
それなのに──ドウシテナノカシラ?。
「そんなに殺気立ってたら、食い付かないって」
「…むぅ……」
「そんな事無いわよ!」と言い返したい。
言い返したいけれど……実際に釣れてはいない。
だから、そう言われると一理有る様に思える。
勿論、其処までの殺気は出してはいないけれど。
ちょっとした感情の揺らぎ。
その僅かな気配が伝わるのかもしれない。
最初は確かに釣れていたのだから。
「昔…それこそ華琳と再会する前の話だけどな
当時、冥琳と珀花が一緒に旅をしていたというのは聞いて知っているんだろ?」
「ええ、冥琳の病を治療する為よね」
「ああ、それを俺が治して一緒に旅をする訳だが、冥琳は釣れず、珀花は爆釣、という状況でな…
普段の二人からしたら真逆の釣果が出る訳だ」
「まあ、珀花の場合、直ぐに飽きそうだしね…」
雷華の話を聞けば、容易に情景が思い浮かぶ。
きっと、今の私と当時の冥琳の胸中は同じね。
相当、苛々していた事でしょう。
どんなに冷静に振る舞ってはいようとも。
その根幹には負けず嫌いな性分が有るもの。
加えて、珀花は無駄に挑発が上手いもの。
私でも、何度か苛ってした事が有る位だから。
昔から知っている冥琳にしたら、相当でしょう。
「それで、俺が冥琳を後ろから抱く様な格好をして釣っていると珀花の意識が乱れ始める
そうすると途端に食い付かなくなり、逆に気持ちに余裕が出来た冥琳に当たりが出始める
勿論、そういった事だけが要因だとは限らないが、意外な程、判り易く結果が出たりもする」
「成る程ね…それで、その時の冥琳の反応は?」
「最初は慌ててたし、顔を赤くしてたけどな
釣果が出始めたら、其方に意識が傾いていったよ」
「本当、意地悪な男ね」
二人の──いいえ、一緒に居る思春達も含めて。
その想いを知っている上で、そういう事をする。
そう遣って本気の度合いを探り、試し、測り。
結果、雷華以外には見向きもしなくなるのよ。
だから、雷華の自業自得。
そんな事をしたのだから、責任は取らないとね。
そういう口には出さずとも、察したのでしょう。
「だから、こうなってるんだろ?」と苦笑する。
私に対する一途な想いは今でも在るけれど。
同じ位に、皆の事も想っている。
そう言い切れるのも、現在だからこそよね。
──なんて思っていたら、竿に当たりが来た。
釣り上げた四匹目は今までの物の倍の大きさ。
「な?、言った通りだろ?」と。
意地悪な男の子の様な笑顔を見せる雷華。
その姿に思わず胸が高鳴ったのは内緒。
こういった事が多々有るから、質が悪い。
絶対に慣れたりはしないのだから。
「………何なのかしら、アレは?」
雷華と二人きり──ではなかったのだけれど。
普段とは違う一時を過ごし、十分な釣果を手に持ち野営地である入り江に戻ってきたら。
我が目を疑いたくなる様な光景に思わず愚痴る。
体高5mは有るでしょう大きな蛸が暴れていて。
それと翠達が戦っている。
目に見える、水面から出ている分で、その巨体。
水中を加味すれば、全高は三倍は有るかしら。
「んー…蛸ではあるな、見た目からしても」
「それは判るわよ、どう見ても烏賊ではないもの
そういう意味じゃなくて、あの大きさよ
確か…大王烏賊、だったかしら?
それの蛸版、という事?」
「吸盤が有るだけに?」
「そういうのは相方が居る時に遣りなさい」
そんな風に軽口を叩き合う間も、私達の目の前では巨大蛸が入り江の端っこで好戦的な面子と戦闘中。
今回は装備──愛器も全て持参禁止。
雷華だけは“影”の中に持っているでしょうけど。
基本的に、着て来た衣服以外は何もかも現地調達。
当然ながら、戦っている面々が手にしている武器も竹槍や倒木、それから岩ね。
まあ、岩を割って作った簡易の刃物も有るけれど。
流石に壊れてしまうと料理に影響するから観戦組が使用には反対したのでしょうね。
現に泉里の手元に有るのだから。
「それで?、どういう状況なのかしら?」
「翠が素潜りをして魚や貝や海藻を採っていたら、沖の方から遣ってきた様です」
「翠の尻尾を餌と間違えたのかしらね」
「華琳、それは流石に俺でも笑えない」
見れば泉里達も表情を固くしている。
…慣れない真似は迂闊に遣らない方が良いわね。
つい先程まで釣りをしていたし、その途中、雷華の提案も有り、擬似餌を作って使っていた。
それが無意識下で想像に影響したのでしょう。
何しろ、自然と縄を腰に巻いた翠が海中を泳いで、海底に潜んでいる筈の大きな獲物を誘き寄せる姿が思い浮かんでしまっていたのだから。
まあ、それはそれとして。
件の相手は確かに見た目は蛸。
八本足で…吸盤が不揃いだからオスね。
……どうしてなのかしらね。
あの手の生き物がオスだと判ると妙に卑猥に思えて嫌悪感を懐いてしまうのは。
結局、調理して食べればオスだろうとメスだろうと同じ様に美味しい筈なのだけれど…ねぇ。
こほんっ…気を取り直して。
巨大蛸との戦闘は優勢といった所。
自主的に氣を使ってはいないにしても苦戦中ね。
やはり、私達も何処かで愛器頼みな事は否めない、という事なのかもしれないわね。
そういう意味では、偶発的な事とは言え、こうして気付く切っ掛けになった事は好材料ね。
………本当に偶然よね?。
「貴男は参加しなくてもいいの?
いつもだったら、真っ先に動く状況でしょう?」
「今は旅行中だから流石になぁ…
まあ、死体でも解剖は出来るし、本格的な生態調査を遣るんだったら、日を改めてだな
あんなのが浅瀬や沿岸部に群れて棲息しているとは考えられないからな」
「それもそうね…あんなのが何匹も居たら大変だわ
漁師達は危険に晒されているし、港町や沿岸部でも被害が馬鹿にならないでしょうから」
「軟体だけにな」
私に対抗してなのか、単純に乗っただけなのか。
それは定かではないけれど。
誰も雷華の一言には反応しない。
だって、反応したら面倒臭いもの。
少し拗ねている位の方が可愛げが有るしね。
それは兎も角として。
仕留めるのは確定にしても…無駄に大きいわね。
如何に人数が居るとは言っても余るわ。
第一組は食べる量は普通か、細めが多い。
好き嫌いは雷華が赦さないから問題無いけれど。
昼──は既に調達済みだから、夜と翌朝。
………どう考えても食べ切れないわね。
──と言うか、今の状況だと出来る料理は限られて飽きてしまう方が先でしょうね。
一部だけ食べて、残りは雷華の“影”行きね。
「あれだけ大きいと干物にしても良いだろうな」
「干物に?」
「余計な水分が抜けて旨味が凝縮されれば良い酒の肴になると思う
普通は一匹丸々干しても、かなり縮むけど…」
「あの大きさなら、足一本でも十分でしょうね」
「寧ろ、その足が美味いからな
一本は帰ってから酢漬けにするのも有りだろう」
「…山の方に山芋か自然薯は有ったかしら?」
「はい、採取して来ています」
「それなら、たこ焼きは出来そう?」
「此処でだと、塩になるけど?」
「取れたてだからの贅沢だから良いわよ
流石に刺身は醤油が無いとね…」
「塩でなら薄切りにして焼き蛸でも美味しいな」
そんな風に私達が話をしている間に。
観戦組は揃って調理する為の準備を始める。
何だかんだで、昨日の昼食も夕食も美味しくて。
普段とは違う、新鮮さと素材の旨味を味わう。
その贅沢さを知ってしまったから。
こうして具体的な話が出ると食欲が刺激される。
そして、それは戦っている翠達にも言える事。
戯れている様な動きが一転。
明らかに狩人の動きに。
でもね、翠?。
「ウォオオッ!!、飯いぃーーーっ!!」とか、雷華の見ている前で叫ぶのは気にした方が良いわよ?。
「やれやれ…まだまだ色気より食い気な訳ね…」
そう呟きながら嘆息。
──が、ふと思う。
雷華という夫が居て、日々愛し合い、高め合う。
そんな私達にとって、他者──他の異性を意識する必要性が無いのだから。
ある意味では翠の姿は必然なのかもしれない、と。
勿論、雷華の前では女として在りたい。
しかし、それは極端な話、求め合う時には男と女。
だから、それはそれ、これはこれと考えるなら。
女として在りたい時、というのは限られる訳で。
割り切ってしまえば、一つの理想形かもしれない。
尤も、それは流石に私には難しいわね。
立場上も含め、其処までは割り切れないわ。
──と言うか、子供達の目を考えたら無理。
妻として、女としては勿論、母として。
雷華に恥を描かせる真似は出来無いもの。
まあ、翠にしても雷華への甘えが有ってよね。
──side out




