曹奏四季日々 19
周瑜side──
──十月二十三日。
私達が妊娠し、産休に向けて準備する中。
「軍師である我々には不要なのでは?」と。
ついつい仕事をしながら思ってしまうのだが。
この考え方は狭い範囲での事なのだと判っている。
雷華様の妻で、曹魏の中核を担う我々だからこそ。
そういった事を率先して実行し、実例を作る。
それにより、世の中の女性達が妊娠して仕事を離れ家事や育児をする事だけが正しいのではないと。
再び仕事に復帰する選択肢を与えられる様に。
社会的な補助・理解を浸透させていける様に。
我々自身が、その先駆者として道を拓いて行く。
それも、二千年先の為に必要な事なのだから。
──と、判ってはいるのだが。
我々軍師という立場に居る者は、仕事優先の思考が根深く染み付いてしまっているのだと。
そう思う度に苦笑と溜め息が零れる。
こればかりは簡単には抜けず、直せず、変えられず苦労している事だと言わざるを得ない。
…まあ、仕事熱心な事は悪い事ではないのだが。
「大体が、公私の切り替えが下手な者が多い」とは雷華様の弁で有り、納得させられてしまう一言。
そういう者が全てではないにしても。
少なくとも、私には当て填まる事なのだから。
「そんな事も有ったな…」と思い出しながらも。
手元の書き仕事を止められはしない。
別に急ぎの仕事という訳ではないのだが。
片付けられる仕事は片付けてしまいたい。
そうすれば、何か有った時に動き易い。
──という様に、如何に仕事の効率を上げるか。
その仕事主義に慣れ過ぎているから困る。
寧ろ、こうしないと落ち着かないのだから。
そういう意味では、華琳様は随分と変わられた。
華琳様も以前は私と変わらない仕事主義だったが、今は妊娠され、半分は産休に入った状態だからか。
或いは、ある種の諦念からなのか。
最近は公私の区切りが良い意味で緩くなった。
そう思わずには居られない。
それを私も見倣い、そうして行きたいのだが。
やはり、中々簡単には出来無いものだと痛感。
寧ろ、華琳様も「これは無理ね…」と思ってしまう状態に至ったからなのかもしれない。
私が同じ様に言うのも烏滸がましいのだが。
華琳様も相当な仕事主義なのだから。
そう考えると、嫌でも変わる時が来るのだろう。
いや、本気で嫌な訳ではないのだがな。
寧ろ、自分自身ではどうしようもない感じだから、そうでもならないと無理なのだろうとは思う。
……まあ、昔は、こんな風に悩む日が来るなどとは考えてもみなかったのだから可笑しなものだ。
それが嫌な意味での悩みではないのだから。
余計に可笑しく思えてくる。
…これも惚気話だと言われれば、そうだろうな。
結局、私にしろ、華琳様にしろ、皆にしろ。
雷華様を愛し、雷華様に愛される今が在ればこそ。
懐く贅沢な悩みだと言えるのだから。
「……………はぁ~…」
──と、いい感じで浸っていれば。
足音を立てずに走るという。
無駄に器用な真似をする輩が部屋に近付いてくる。
無論、この辺りに有るのは私の執務室だけという事ではないのだが…。
そんな真似が出来る者は限られている。
そして其奴が用が有るだろう場所は、この辺りには私の執務室以外には先ず無いのだから。
嫌でも来るのが判ってしまう。
「冥~琳っ、御疲れ様~っ!」
「そう思うなら私の所に来るな」
「酷いっ、ちゃんと御土産も持って来たのにっ!」
そう言って見せてくるのは最近新作が発売されたと聞いて私が気にしていた店の袋。
中身も新作の菓子で間違い無いだろう。
それ位の事は御互いに手に取る様に判る程度には、長い付き合いだからな。
だから、文句を言いながらも慣れた様に備え付けの茶杯を取り、テキパキと準備をしていく。
そんな珀花の姿を見ながら、私も仕事を止める。
無視して、目の前で一人で食べられても腹が立つ。
──という建前を自分自身に言って、席を移動。
珀花の対面の椅子に腰を下ろす。
「──で?、今度は何を遣らかした?」
「私が来たら問題を起こした前提なのっ!?」
「九割が、そうだからな」
「そんな事──…………な、無い事もないかな~」
「あははは……」と白々しく笑って誤魔化す珀花。
説教しても無駄から愚痴って遣りたい所だが。
取り敢えず、珀花が淹れてくれた茶を飲む。
……物は勿論だが、此奴は無駄に上手くなったな。
いや、昔から甘味関係の事だけは異様に飲み込みや理解が良かったのだが。
雷華様と出逢ってからは本当に上手くなった。
料理の方は遣る気は普通なのにな。
そう思いながらも。
珀花の淹れた一杯が流す様に薄れさせる。
そして、手土産の新作の菓子が加われば…なぁ…。
こうして、「仕方の無い奴だ…」と赦してしまう。
……ある意味、珀花が身に付けた処世術だろう。
自分の欲求と経験が活かされ過ぎな気はするが。
まあ、御茶にも御菓子にも罪は無いからな。
………この新作、美味いな。
「それで私に何の用だ?」
「ねぇ、冥琳、明日って何か予定有る?」
「明日?」
翌日、私は珀花と一緒に故郷に足を運んでいる。
別に懐かしくなって、という訳ではない。
半分は仕事の様なものだ。
…残りの半分に気分転換が含まれてはいない、とは断言し切れないのが本音だが。
それを此奴の前で言おうものなら鬼の首級を上げたかの様に得意気になる事だろう。
……想像しただけで腹が立つ程に鬱陶しいな。
単なる私の想像の筈なのだが。
無駄に現実味が有るから質が悪いな。
「この辺りも随分変わったよね~
私達が旅に出た頃からしたら別の場所みたいだし」
「ああ、そうだな…
大掃除もして実質的に曹家の統治下になってから、民の暮らしは確実に安定した
勿論、多くの者の努力が有ってこそだが…」
そう言いながら視線を向けた先。
其処には私達が子供の頃から大して変わっていない時の流れに置き去りにされた様な景色が有る。
だが、それは現実的に言えば可笑しな話だ。
人々が安心して暮らせる様になるという事は。
その場所は繁栄し、発展して行くもの。
それが世の常であり、必然的な流れだからだ。
しかし、そうはならず。
私達──いや、多くの民が知る故郷の風景。
それが、今も失われずに在り続けている。
それが何れ程に難しく、困難な事なのか。
政治の中枢に身を置くからこそ、理解出来る。
こんな真似は遣ろうとしても簡単ではない事を。
「本当にね~、二人共凄過ぎて笑っちゃうもん」
そう言う珀花の気持ちも理解出来る。
流石に私は口にはしないがな。
確かに発展し、賑わっている。
だから、普通ならば開発により失われてしまう物は少なからず有るものだ。
だが、雷華様も華琳様も開発に辺り、地元の者達の大事な場所や思いが宿る物は大切にされる。
政治的な理由、或いは効率や経費等を理由にして、蔑ろにしてしまい勝ちな事こそを。
御二人は「それが真に価値が有るもの」とされ。
こうして、次代に受け渡す様に残されている。
政治に携わる者の一人として。
私は御二人に御仕えし、御支えし、共に歩める事。
それが歴史的に考えても如何に幸運で贅沢なのか。
恐らく、後世の者達は多くが嫉妬するだろう。
それ程に素晴らしい歴史の一端を私は目の当たりにしながら生きているのだから。
「…それで?、いい加減、此処に来た理由を話せ」
「ん~とね~、ほら~、曹魏の領土って言ってても此処等辺って私達の実家が預かってるでしょ?」
「ああ、地元という事も有るしな」
旧・揚州の北部域だった場所は、元々地元の名士で影響力の強い周家と朱家が引き続き治めている。
蓮華の母親である孫堅様にも所縁の有る地だが。
将来的な孫策達との関係を考えると新しく蓮華の興す孫家が治めると話が拗れる。
──と言うか、余計な火種を生むだけだ。
だから、蓮華の興す孫家は中央に置く。
そう、蓮華自身も納得し、了承している。
それ程に気を付けなくてはならない事だからだ。
それと…少し話は違うのだが。
私や珀花、それに実家が地元の有力者である場合は中央と地方と二家分の跡取りが必要になるが。
その辺りは雷華様と私達の頑張り次第だ。
──と言うか、雷華様に関しては何の問題も無い。
私達の方が、どうなるか、だろう。
先ずは一人目を産んでみない事には判らないので、あまり先の事は今は考えない様にしている。
…ただまあ、出来れば男女二人ずつは欲しい所だ。
産むだけなら雷華様も居るから心配は要らないが、育てるとなると話は違ってくるからな。
孤児院の子供達に接するのとは違ってくるだろう。
その辺りも含め、二人目は二~三年先が妥当か。
まあ、それより早い内に望む者も居るだろうが。
その辺りは雷華様と私達一人一人が相談の上でだ。
尤も、これは一般的な話ではないのだがな。
普通は、意識的に子供を作る事は難しい。
私達の場合は、雷華様が夫であり、氣を扱える為、そういう事が可能性だというだけだからな。
これは決して一般的な話ではない。
………いや、話が大分逸れてしまったな。
これでは珀花の事を言えないな。
「だから私達が動かないと駄目かな~って」
「……だから、何がだ?」
「チラッと聞いたんだけど~…
何かね~、雷華様を崇める団体が居るんだって~」
「……それは別に放って置いてもいいだろう?」
「私も最初はそう思ったんだけどね~…
よくよく聞いたら、少額だけど御金を貰ってるって話が出てきたから…流石にね~…」
「成る程な…そういう事か…」
珀花の話を聞いて、思わず顔を手で覆った。
頭が痛くなってしまったからだ。
今では懐かしい昔話でしかないが。
漢王朝時代に大陸を騒乱の渦に巻き込んだ黄巾党。
我々にとっては、華琳様が天下獲りに動き出すのに丁度良い切っ掛けであり、足掛かりだった。
しかし、その根は初期の想定──想像よりも深く、雷華様が裏でコツコツと潰されていた、という話は後々に協力していた母達から聞いた事。
そんな歴史に残る災厄の代名詞とも言える黄巾党の名を騙って悪事を働く輩が暫くは絶えなかったし、その悪名を逆手にとった詐欺も横行した。
特に後者は、人々の不安に突け込み、少額で安心と安全を約束されるなら、と。
彼方等此方等で似た手口が広まった。
その根絶も雷華様が為さっていたのだが。
まさか、雷華様を利用しようとするとはな…。
ある意味、知らないという事は、恐ろしさも感じる事が無い、という事か。
この話を雷華様御自身よりも思春や凪、愛紗辺りが知れば……ああ、一騒動起きるだろうな。
キレ過ぎて、遣り過ぎるだろうから。
それを想像すれば──頭痛の一つも起きる。
そして何故、珀花が私に何も言わなかったのか。
事前に聞いていたら、私の言動に不自然さが出る。
演技が下手だとか、嘘や隠し事が苦手だとか。
そういった理由ではなく。
雷華様は勿論、他の皆にも知られない様にする。
そういう意識が、無意識に違和感を生じさせる。
その意味では、珀花は出難い。
普段から誤魔化し慣れている事も有ってか。
無駄に、こういう事には長けているからな。
その点に関しては珀花の好判断だったと言える。
「むっ…冥琳?、今、何か辺な事考えたよね?」
「思春や愛紗辺りが知ったら、と思っただけだ」
「…本当に、それだけ?」
「他に何を考える?」
「むぅ~………」
やれやれ、本当に無駄に勘が鋭い奴だ。
雷華様も認める勘の良さを持つ孫策と勝負すれば、一体何方等が勝るのか。
ふと、そんな事を考えてしまう。
まあ、こうして雑念を交える事で誤魔化す訳だが。
………成る程な、此奴の所為で私にも誤魔化し方が身に付いている様だな。
これは嘆くべきか、呆れるべきか、笑うべきか。
悩んでいても仕方が無い、か。
さっさと事を片付けるとしよう。
多少、八つ当たりや憂さ晴らしになるだろうがな。
──side out




