参
暫くした後、場の雰囲気が元に戻ったのを見計らって華琳が咳を一つ。
話を続ける事を暗示。
「…さて、雷華
先伸ばしにしていた件の事説明して貰うわよ?」
「ああ、判ってる」
どの道、今回の作戦の中で判明する事だ。
これ以上は隠す必要も無く予め説明して置いた方が、精神衛生上良いだろうし。
「話の流れで察しは付いているだろうが、挙げる功は“この件”絡みだ」
「“人拐い”でしたね?
思春が知っている事も含め考えれば…桂花達を助けた時の事からでしょうか?」
そう訊いてきたのは漢升。
流石に軍属経験者──否、二ヶ月前まで現職だったと言うべきか。
「そうだ、あの時の賊徒は未遂に終わったが、目的は人拐いだった
“商品”の買い手は汝南の商人の単硅…裏は取ったし証拠も押さえてある
興覇には俺が口止めして、関わらせなかったから事の全容までは知らない」
そう言うと小さく感嘆する声が皆から漏れる。
「その賊徒だが“此処”で仕事をしようとしたのは、魯国の相・陳逸の提案だ」
「…あの狸、やはり芯まで腐ってるわね…」
眉を顰めて忌々し気に呟く華琳の様子から“黒”だと見ていた事が窺える。
まあ、動く為の“確証”が無かったのだろう。
「陳氏と言えば、豫州でも歴史の有る名家…
件の陳逸も温厚な人物だと聞いていましたが…」
「人の“腹の裡”迄は目に見えない、という事ですね
噂や風評等は所詮、情報の一端に過ぎない…
改めて思い知らされます」
妙才と奉孝が呟いた言葉に皆が小さく頷く。
その陳逸だが、実は曹家に仕える文官の“陳羣”──字は長文、今年で二十三歳になる才媛──の親戚。
臣下の同族というだけだが少しだけ面倒でもある。
情けを掛ける気は無いが。
「…長文には?」
「既に話してある
同族の犯した事とあって、職を辞す覚悟で討伐隊への参戦を懇願して来たよ
まあ、気持ちは判るから、参戦を許可した
勿論、辞されても困るから後事を──魯を任せ、立て直す事を命じてな
それが、一族の“責任”を果たす事だからな…」
死んだ所で、それは責任を放棄して逃げるだけ。
生きて責任を果たす事こそ本当の償いだと俺は思う。
一族の、というのが考えが分かれる所だろうが。
「貴男らしいわね」
ふふっ…と笑う華琳。
華琳を含む皆の“温かい”視線が妙に居心地が悪くて仕方が無い。
柄じゃないんだよな。
少しだけ緩んだ場の空気を咳払いをして戻す。
「さて、取り敢えず質問が有るなら訊くが?」
そう言うと、真っ先に挙手したのは文若。
頷いて発言を促す。
「話の流れから“功績”の根幹が“人拐い”であると判りました
淮南と廬江も同様の背景が有る事も察しが付きます
ですが、御二人が魯でなく汝南に行く事は功を見逃す事になるのでは?」
「確かに商人を上げるより官吏を上げる方が功として見ても大きいな」
其処で態と言葉を切って、文若を見る。
“では──”と続けそうな声を飲み込み、堪えながら見詰め返してくる。
俺の性格を理解してきたか“まだ終わりではない”と察した様だ。
「あの時、お前達を襲った賊徒に“同業者は?”と、訊いた所“江南に多い”と返ってきたんだが…
妙だと思わないか?」
そう皆に訊くと約半数──八割方は軍将だが──首を傾げて考える。
華琳や母親組は既に察しが付いた様で余裕だ。
「……官吏の中に共犯者が他にも居る、ですね?」
文若の答えに笑みを浮かべ肯定の意を示す。
「仮に、潁川で“商品”を仕入れても、長江の南まで運ぶには子魚達の目を潜り抜ける必要が有る
だが、人身売買等を二人が見逃すと思うか?」
理解しきれていない面子に顔向けて問うが、皆静かに顔を横に振る。
「なら、どうするか…
徐州を介して、下流域から運び込むか?
それとも荊州からか?
否、答えは実に単純だ
“利益”を餌に豫州・揚州の官吏を抱き込めば良い
“それだけ”の事だ
そして、それが出来るのが今の世の中だ」
俺の言葉を正しく理解し、一様に怒りを浮かべる。
曹家の考え方に連なる以上赦せない事だろうな。
「事に関わっている官吏は淮南郡の都尉を兼ねている揚州刺史・王範…
次いで廬江郡都尉・高禅、尋陽県県令・張遉…
そして豫州州牧・劉寛だ」
「民を守る立場の筈の者が民を喰い物にする…
それが、この国の現状ね」
愚者への憤怒と己が非力に奥歯を噛み締める華琳。
その言葉に皆も同様の顔を浮かべている。
子揚は特に複雑だろう。
“病弱”だったとは言え、自身も皇族に違い無い。
“知らなかった”で済ます事は出来無い。
寧ろ“知らなかった”故に思う事は深いか。
何も知らずに生きてきた。
そして、知る現実。
それは彼女の想像していた物より残酷な現実だろう。
重い沈黙が支配する。
各々に様々な思考を巡らし胸中に思いを抱く。
「…子和様、“人拐い”を一掃する様な事は出来無いのでしょうか?」
思い詰めた表情で訊くのは他でも無い子揚。
他の皆も少なからず子揚の胸中を察しているだろう。
その縋る様な眼差しで。
「…少なくとも曹家の領で赦す事は無い」
そう答える俺の言葉の裏を皆は理解する。
“曹家の領内”の範疇から出る事は出来無い。
それが“国”という物だ。
「…曹家が漢王朝の全てを統治すれば、と考えるとは思うが…それは無理だ」
「…どうしてでしょうか?
不可能では無いと…」
「可能不可能で言うのなら可能な事だ
但し、曹家に、その意志が有れば、だ
少なくとも俺には無い」
そう言って華琳を見る。
まあ、答えは判るが。
「…結、貴女の──いえ、貴女達の気持ちは判るわ
でも、私も雷華と同じよ
漢王朝の全領土を統治するつもりは無いわ」
「…その理由を、御聞かせ頂けますか?」
子揚の真っ直ぐな眼差しに華琳が俺を見るので頷いて話す様に促す。
「私もね、嘗ては貴女達と同様に“正しき王”が国を治める事が最善だと思い…
“覇王”の道を志したわ」
華琳は懐かしそうに虚空を見上げて微笑む。
“無垢”というのは美しく尊く──“危うい”のだ。
「秦に始まり、前漢、新、そして現在の後漢然り…
全て“滅亡”至る…
何故だと思う?」
「……皇族や宦官・官吏の腐敗が主因だと…」
華琳の問いに少し不安気に答える子揚。
自信を持って良いぞ。
「ええ、私も同感よ」
華琳の言葉に安堵の表情を浮かべる子揚。
華琳も意地悪だな。
「でもね…“そう”させてしまうのは統一した為…
明確な“敵”が居る間は、皆の意識が纏まるわ
けれど、統一してしまえばどうなるかしら?
そう…“外”から“内”に意識が向く
そして始まるのは下らない“権力争い”よ」
吐き捨てる様な言葉に皆が小さく息を飲み、理解したと判ると華琳は一息吐く。
「…国が纏まりつつ繁栄を続けるには“外敵”が必要不可欠なのよ
“統一”という判り易い、自国を脅かす可能性を持つ国が近隣に有る事で意識を集束する為に…
それも“五胡”等の類いと違って漢の領土を分割する形で治める国がね
“平和”は築く事よりも、維持する事の方が至難…
判るわね?」
華琳の説明に多少悩む所は有りながらも皆が納得し、子揚が深々と頭を下げる。
「思慮の至らぬ侭の発言、申し訳有りませんでした」
「謝る必要は無いわよ
言ったでしょ?
私も“同じ”だったのよ」
謝罪する子揚に対し華琳は優しく微笑む。
間違いは正せば良い。
そう言う様に。
子揚も意を理解ししっかり頷き返して着席する。
序でなので、もう一つ説明して置こうかね。
「華琳が言った様に曹家の方針としては不可能だ
だが、仮に現状で闇商人や人拐いを潰したとして…
どうなると思う?」
そう言って皆を見ながら、目が合った士載に頭を少し傾げて見せ発言を促す。
「え、え〜と…
拐われる人が減る…のではないですか?」
「そうだな、減るな」
ホッ…とする士載。
その隣に座り士載を笑顔で誉める公明を見詰め、目が合ったのを確認して笑む。
「では、公明
闇商人や人拐い達が減るとどうなると思う?」
「…え?」
公明の対面に位置する席に座る仲達が油断していた事を咎める様に睨んでいる。
説教は後にしろよ。
「えぇー…その…ですね…へ、平和になる?」
静かに俯いた仲達。
その怒り具合が伝わってか公明が泣きそうだ。
「平和に、か…
それは領地の“安全性”が前提条件での事だ
実際にはその真逆…
犠牲者が増える」
「…ぇ…し、子和様?
どうして、ですか?」
「簡単な話だ
人拐いは“商品”としての価値が有るから拐う
そして、より高く売る為に丁寧に扱うから“無事”だ
だが、売れないなら?
答えは二つ、殺されるか…“弄ぶ”かだ」
俺が言いたい事を理解し、顔を顰める。
「それにな、今の漢王朝は“闇経済”でどうにか維持されている状態だ
そんな中で破綻させてみろ今より酷い惨状になる事は目に見えている」
「子和様、“闇経済”とは官吏の悪行の事ですか?」
冷静に訊いてきた公瑾。
理解してから考え様とする姿勢は好ましいな。
「“闇経済”は表立っては動かせない金銭の事だ
闇商人は勿論、暗殺等への報酬や賄賂とかな
それらが官吏から裏で動き表で使われる
使う連中は裏の者だろうが結果としては表の経済へと還元されている訳だ」
「成る程…
確かに破綻すれば漢王朝は崩壊し各地の経済の混乱は避けられませんね」
納得した公瑾が呟き小さく溜め息を吐いた。
午前中の会議を終えた後、会食を挟み暫しの自由。
各々に御茶を飲みながら、話したりしている。
俺は自室に戻って休憩中。
寝台に仰向けに寝転がって昼寝する。
会話に混じらないのか?
ガールズトークに飛び込む勇気は無いです。
何時“飛び火”するか気が気ではないし。
下手すると墓穴を掘る事に為りかねない。
コンコンッ…と部屋の戸をノックされて寝台から身を起こしながら氣を探れば、珍しい来客だ。
「開いてるよー」
「…失礼します」
戸を開けて入って来たのは“男嫌い”の文若。
な?、珍しいだろ。
入って戸を閉めた所までは普通だったが、立ち止まり戸惑う様にキョロキョロと室内に視線を彷徨わす。
ああ、男の部屋に自分から入る事なんて初めてか。
“仕事部屋”ではなくて、“私室”だしな。
気付かれない程度に小さく苦笑しながら自分の右隣を右手で叩いて寝台に招く。
…変な意味じゃないよ。
トテテ…と小走りに近寄り一礼して隣に腰を下ろす。
だが、俯いたまま黙り込み文若は膝の上で組んだ指を動かしている。
どう切り出そうかと考えて迷っている事が、手に取る様に判る。
じっと待って居ても良いがまだ会議も有る。
それに、文若自身もそれを判っている上で後にはせずこのタイミングで話をしに来たのだろう。
なら、訊いてやるのが男の器量だろう。
「どうした?
お前が私室を訪ねるなんて初めての事だな」
「そ、そうデスネ!」
緊張からか、声が裏返ってしまった事に気付いて顔を羞恥に染めて俯いてしまう文若。
右手で頭をポンポンッ…と軽く撫でて気を紛らわす。
撫でられながら深呼吸して平静を取り戻そうとする。
本人は一生懸命なんだが、端から見てると可愛らしく微笑ましい姿だ。
完全な第三者の立場ならば“頑張れっ!”と応援している所だろう。
暫くして、大きく息を吐く文若の様子から“覚悟”を決めたと覚る。
右手を頭から退けて身体を少しだけ文若の方へ向けて話をする体勢を作る。
「子和様、この様な時期に失礼して申し訳有りません
ですが、どうしても御話ししておきたい事が有ります
御聞き頂けますか?」
真っ直ぐに見詰める文若の眼差しに宿る意志と真剣な表情に此方も真摯な態度で向き合う。
「聞かせて貰おう」