刻綴三國史 31
流琉に小野寺と孫策を任せ、単身で調査を続ける。
こういう言い方をするのは憚られるが、小野寺達が居ないから動き易い。
元々、普段から単独行動が多かったしな。
この方がしっくりくる。
まあ、そうは思っても皆には言えない事だが。
華琳が理解しているから問題は無い。
南嶺山脈に来るのは二~三回目という訳ではない。
地図などなくても頭の中に情報は有る。
だから迷ったりはしない。
目標の南嶺大玄蟻の大凡の分布域も判っている。
──とは言え、新しい巣が出来ている可能性だとか引っ越している可能性も無い訳ではない。
災害の少ない南嶺山脈である為、引っ越す様な事は滅多に無いのだが。
全く要因が無いという訳ではない。
その為、既存の生息域は勿論、其処から拡大される可能性の有る領域の調査は必須。
だから、それを考慮して最初の場所も選んだ。
どの道、当たりでも外れでも全てを調査する。
それは必要不可欠な事だったからな。
流琉にも事前に話してあったので予定通り。
その為、色々と準備は出来ている。
「…此処でも一匹も保菌してはいなかったか」
流琉達と分かれてから、約三時間。
十七ヶ所目の南嶺大玄蟻の巣の調査を終え、蟻達を巣へと戻して入り口に蓋をする。
きちんと閉めておかないと蟻達が困るからな。
そして、頭の中の地図、其処の現在地に赤い×印を追加する。
此処までの調査結果だが。
地図の南嶺山脈上に平仮名の“つ”を描く様にして増えている赤い×印。
だが、それは今の所は良い結果だと言える。
調査した十七ヶ所、その全て非感染なのだから。
孫策達には話していなかったのだが。
正直な話、東側に拡大していたら厄介だった。
そして、俺の滞在期間は更に延長される事になる。
その場合は一旦戻る必要が有るだろう。
其処まで拡大していると孫策達の手には負えない。
対処可能になるのを悠長に待ってはいられない。
好ましくはないが、宅が片付けるべきだからな。
──で、そんな件の南嶺大玄蟻の分布だが。
以前、確認した最東端に有った巣。
其処から更に東に新しく出来ていた巣は無かった。
何故、新しい巣が出来ていなかったのか。
それは人には判り難いが、微妙な環境の違いの為。
同じ雪山で、標高も大差無いのだが。
風の強さと風向きが異なる。
人間の子供と南嶺大玄蟻では当然大きいのは前者。
子供にとっては心地好い程度の風だったとしても、南嶺大玄蟻には強風だったりする。
森林の中で生活する蟻とは違い、南嶺大玄蟻の生息範囲は雪山で、吹き晒しの場所が多い。
蟻の中では大きな方の南嶺大玄蟻でも、風の影響は生活する上では無視出来無い重要な要素。
だから出来る限り、そういった場所は避ける。
それを知っていたから可能性は低いと思っていた。
ただ、それでも絶対という事では無い。
生存する為に新しい場所に移動する事は有る。
その上で新しい環境に適応し、進化する。
そう遣って数多の生命は現在へと至っている。
それを考えれば、人間の勝手な決め付けで可能性を切り捨てるというのは愚の骨頂でしかない。
だからこそ、どんなに手間と時間が掛かろうとも、現地調査による情報収集だけは欠かせない。
少なくとも俺達は欠かす事はしない。
それを省いた結果、最悪の事態が引き起こされる。
その可能性が完全に無いという訳ではない以上は、常に最悪を想定し、行動しなければならない。
それが施政者であり、民を、国を背負う者の責務。
如何なる理由であろうと、蔑ろにしてはならない。
「…ん?、ああ、“南嶺雪烏”か」
次の場所に移動しようとした時だった。
氣の探知網に引っ掛かった反応が有った。
精度を最優先にしている為、範囲は狭まっているが俺の場合は、それでも半径は1kmを軽く超えるが。
それでも、最外縁部になると精度は多少落ちる。
その為、判別するのに僅かに時間を要した。
引っ掛かった南嶺雪烏というのは、名が表す通りに真っ白な羽毛を持っている烏。
所謂、白烏という事になる。
南嶺山脈の固有種で、雪山から離れると一週間程で羽毛は真っ黒になるという変わった性質が有る。
そして、再び雪山に戻ると一週間程で真っ白に。
基本的に自分から雪山を離れるという事は少なく、離れていても二~三日程度。
人が意図的に連れて行かない限りは、その変わった性質を知る機会は先ず無いと言える。
それは兎も角として、調査対象は南嶺大玄蟻だけ、という訳ではない。
孫策達の手前、最優先に考えているのが南嶺大玄蟻というだけで、生息する生物の全てが調査対象。
発芽病の病原菌は南嶺山脈の生態系の中で生まれ、外部に出た事は間違い無いのだから。
あらゆる可能性を考慮しなくてはならない。
その為、見付けた生物は一通り検査している。
それも含めて、保菌している動植物が居ない事実は個人的な見解としても良い傾向だと言える。
「…しかし、こうも当たりが無いのも不気味だな」
釣りなら、当たりが無い事も珍しくはない。
季節・気温・水温・天候・餌に活動時間、等々。
色々な要因が有り、その重なりで変化する。
だから、釣れない日が有っても可笑しくはない。
しかし、如何に広大な範囲だろうと外部に出たなら病原菌の感染率は高くなるのが必然的。
それなのに、こうも保菌していないとなると。
どうしても人為的な気がしてしまうだろう。
勿論、その可能性は限り無く無いに等しいが。
それは相手を限定して考えれば、の話。
何より、そういった知識を有する──有した存在が居た可能性を考えれば、不安は拭えない。
尤も、そんな知識を持った者が居るなら疾うの昔に俺達の前に立ち塞がっていただろう。
だから、其処は心配はしていない。
ただ、何も説明出来無いのが現状なのは確か。
それ故に頭が痛いのも否めない。
まあ、だからと言って何も判らないし、変わる事も無いのだから悩むだけ馬鹿馬鹿しくもあるが。
考えない、という選択肢だけは選べない。
それは問題を解決する事を放棄のと同じ。
考えて、悩んで、調べて、試して、繰り返して。
少しでも問題解決へ進む。
それ以外には道は無いのだから。
日が傾き、夕暮れが始まる前に流琉達に合流。
日が暮れ始めてから合流したのでは色々と拙い。
夜営する場所は予め決めてあったにしても。
その場所が絶対に問題無く使えるとは限らない。
何故なら此処は街中ではなく、大自然の中。
何が起こるのか、完璧には判らないのだから。
だからこそ、こうして備える必要が有る。
ただ、その事を理解出来無いのが人類。
時に「自然ですらも支配出来る筈だ」等と考える事自体が烏滸がましい事なのだと。
得てして言っている者は気付いていないもの。
人間もまた、自然の一部でしかないのだと。
大きな災害等の度に思い知らされながらも。
何故か、人類というのは半世紀と経たずに傲る。
如何に技術や学術が発展しようとも。
知る事は出来ても、本当の意味で理解は出来無い。
それを、どうしてなのか理解出来無い。
賢いのか、愚かなのか。
他の生物から見れば、奇妙な事だろう。
何しろ、人間自身にも理解出来無いのだから。
そういった訳で万が一の事態にも備える。
それが無駄に終わる事が、最も望ましいのだから。
恒例となった孫策への料理指導と夕食を済ませると雪を固めて造った簡易シェルターの中、火鉢擬きの暖房器具を囲み、集まって話し合う。
「士載、其方の調査結果は?」
「調べた南嶺大玄蟻の巣は何れも発芽病の病原菌は保菌していませんでした
また、途中、調べた他の動植物も同じです
此方等が調べた場所の記録になります」
そう言って流琉が手渡してきた地図を受け取る。
二人を連れて、という条件付きだったが、それでも流琉が調査した箇所は全部で十一ヶ所。
想定していたよりは多いので十分だと言える。
孫策達も頑張って付いて来たみたいだからな。
その辺りは労い、褒めておく。
手加減しているとは言え、宅の将師に付いて行けるというのは十分に凄い事なのだから。
まあ、最初に登った道程に比べれば起伏は有っても殆んど横移動だからな。
その違いも有るのだろうが、一々言いはしない。
そんな流琉達の調査結果と俺自身の調査結果。
その二つを合わせると、以前、俺が確認をしていた南嶺大玄蟻の生息域の東側七割弱が塗り潰せる。
「少なくとも全体の三分の一は感染していないな」
「──っ!、良かったぁ~…」
「………」
俺の一言に安堵し、破顔する孫策。
だが、小野寺は気を抜かず、神妙な面持ち。
まだまだ足りない事の方が多いのは否めないが。
それでも、こうして確かな成長を見る事も出来る。
「…あの、曹純様…この南嶺大玄蟻というのは南嶺山脈の東西では何方等側に多いのでしょうか?」
「そうだな…今日、一番最初に調べた場所、彼処を基準として考えたなら、東側になる
最後に確認された分布域の約六割は東側だ」
「それじゃあ、もし保菌している巣が見付かっても南嶺大玄蟻全てを駆除する必要は無いんですね?」
「ああ、だから自然環境への影響も小さくて済む」
「これで少し安心出来るわね、祐哉──祐哉?」
楽観的な反応をしている孫策だが、その反応自体は決して可笑しな事ではない。
宅の将師なら兎も角、他所でなら似たり寄ったり。
だから、それを責めたりする事は御門違い。
ただ、小野寺は気付いた。
気付く事が出来るだけの下地が小野寺には有る。
人類が二千年以上の時を積み重ねて発展させてきた知識と技術、その一端が。
小野寺は孫策を見て自分の考えを話し始める。
「雪蓮、南嶺大玄蟻の巣は各々が離れてるよね?」
「ぇ、ええ、そうね、ちょっと不思議な感じだけど縄張り争いが起きなくて良いわよね」
「いや、其処は今は関係無いんだけど…
巣が離れてるって事は御互いの接触も少ない筈…
そうなると、南嶺大玄蟻同士の感染は同じ巣の中に限られてくるのは判る?」
「へ?………あー、成る程ね
そうよね、そうなるわよね」
「だから東側に広がっていないのは良い結果だし、当然と言えば当然だって言える
でも、そうなると保菌している方が問題になる」
「…?…どういう事?」
「山を降るのは僅かな期間だけど、その間に多くの湘杉に感染させるには何匹位が必要だと思う?」
「………………と、兎に角、沢山?」
「少なくとも、二つ三つの巣じゃないと思う
個体数自体が多くないなら、保菌は全体の半数以上居る方が妥当だと言えると思う」
「…ぇ?…ちょ、ちょっと待って、それって…」
「初期の想定以外にも感染経路が有る
そう考えておいた方がいいと思う」
「………」
「小野寺の言った通りだ
現時点では可能性の域を出ない事だが、想定した心構えはしておけ
いざという時、躊躇う間が左右する事も有る」
「…判りました」
小野寺に、俺に言われて素直に聞き入れる孫策。
少しずつだが、この旅の間にも確実に成長している事が彼女の反応から窺える。
蓮華が居れば逆に見せないかもしれないがな。
姉としての意地や尊厳が有るだろうから。
「明日は今日より早く動く
勿論、天候次第では有るが、今は時間が惜しい
可能な限り無駄を省いていく」
「それでは後で、移動をしてから朝食を摂れる様に準備して置きます」
「頼む、状況によっては昼食は飛ばす事になる
その辺りも考慮しておいてくれ」
「はい」
「それから──小野寺、孫策
今回の調査は飽く迄も孫家が主体という形だ
だから、御前達を置いて行動する事は出来無い」
「判っています」
「ただ、御前達の手には負えない状況──悠長には遣っていられない事態となれば、全権を貰う
その事だけは理解して置いてくれ」
「はい、全ては民の為です、宜しく御願いします」
そう言って頭を下げる孫策。
それに倣い、続く小野寺。
こういう時の理解と決断の早さには感心する。
それを普段から出来ていればな。




