刻綴三國史 28
流琉に孫策達を任せ、一人で山林へと踏み入る。
ある意味、単独の方が遣り易い。
なので、そういう意味で言えば好都合ではある。
勿論、それを口に出す様な事は絶対にしないが。
それはさて置き、この辺りの情報だが。
旧・漢王朝領内の地形や動植物の分布・生息調査は俺が自分で行い纏め上げている。
当然ながら、この辺りの情報も頭に入っている。
それと現状とを照らし合わせてみる。
──が、地形という面では変化は見られない。
氣という超高性能な探知機を活用している訳だから普通の調査技術よりも遥かに精度が高く。
尚且つ、蓄積された知識を持った自分が遣る以上、安易な見落としや手抜き作業は遣っていない。
まあ、余程巧妙に人為的に手を加えられていたなら話は変わってくるのだが。
少なくとも、そんな真似は宅の者以外には不可能。
そんな事を遣る理由が宅に無い以上、有り得無い。
だから地形の面での変化は無しと出来る。
問題は、もう一つの方だ。
如何に精密な動植物の調査を行っていたとしても。
自然というのは常に変化しているものだ。
彼方の世界でも、今も尚、新種の動植物というのは発見され続けている。
これには未踏・未調査という理由だけではなく。
環境の変化により、動植物が適応進化する為。
その主な原因は人類による環境破壊や汚染だが。
そうではなくても気候変動等が理由で適応進化する個体というのは少なからず存在するもの。
それが生存競争というものなのだから。
そういう理由から自分の調査後に変化した可能性は十分に考えられる事だ。
──とは言え、短期間で起きる事でもない。
もし仮に、短期間で適応進化が起こるのなら。
人類など、疾うの昔に地上から淘汰されている。
自然界の適応進化よりも人類の文明の発展・発達が速度的に勝っているから人類は存在していられる。
そうでなければ自然界の方が上回るのだから。
「………“発芽病”の病原菌は見付からないな…」
氣を使い、記憶している病原菌の波長を探したが、該当する反応は勿論、類似した反応も無い。
当然ながら、感染し変異した反応もだ。
奥まで踏み込めば判らないが。
少なくとも、そんな場所から切り出してはいない。
人が踏み入る事が出来て、尚且つ、交通面で大して難無く往き来可能な場所。
その辺りまでしか一般的には踏み入りはしない。
だから第一目標地点は対象から外す。
三十分程度で戻って来たのを見て小野寺達は表情を強張らせるが、静かに首を横に振って見せる。
安堵の表情を見せる二人だが、それも当然の事。
如何に俺と流琉の連携技で時間的には短縮しようと現在地は臨湘の港からは近い場所だ。
だから、此処が震源地の一つだとしたなら。
潜在的な感染者──保菌者の数は一気に膨れ上がる可能性が否めないからだ。
その可能性が僅かとは言え低くなった。
施政者としての立場から言っても良い話だからな。
「体調の方は問題無いか?」
「はい、十分に休めましたので」
「そうか、それなら次に向かうとしよう」
孫策の返事を受け、小舟を岸から離し、乗り込む。
流琉も心得ているから、最初よりも速度は落とす。
大体、時速70km/h程度での航行。
…まあ、それでも十分に速いのだが。
ふと、昔、まだ華琳と再会する前の旅の途中の事。
氣で強化した栗花達で走らせた馬車で思春達からの大顰蹙を買った事を思い出した。
今では当時の様な反応の面影は微塵も無いが。
ああいった反応になるのは仕方が無いのだろう。
悲鳴を上げている皆の姿は可愛らしかったのに。
皆、今では逞しく成長したものだ。
そんなこんなな感じで移動と調査を繰り返し。
俺達は日没前に夜営の準備を開始する。
一々、臨湘まで戻るのは面倒だからな。
それに俺や流琉は野営には慣れている。
宅の鍛練でも遣るし、個人的な息抜きでも遣る。
…まあ、夫婦だけてすからね。
ちょっとした秘密も有ったりしますが。
それは兎も角として。
目の前の俎の上に乗っている粗く捌かれた魚を見て隣に立つ調理した本人を見る。
すると、スッ…と視線を外す始末。
小言は言いたくなかったが、言わせて貰おうか。
「御前は…南海覇王で魚を捌く奴があるか…
何の為に包丁が用意してあると思っている
大体、こんなに粗く捌いて、どうする気だ?
御前の頭には調理や料理の概念は無いのか?」
「だ、だって、これが一番慣れてるんだもん…」
「だもん、じゃない、この馬鹿娘
抑、御前達──孫家が置かれていた状況を考えれば万が一に備えて自分で最低限の料理が出来る様にはしておくべきだと思うが?」
「し、仕方無いでしょ、そんな事考えなかったし…
それに蓮華だって似た様なものでしょ?」
「宅の将師は勿論、軍属の兵士達は全員が基本的な料理技術を必修として身に付ける
当然、仲謀も普通に料理が出来るし、妻として家で俺や皆と一緒に普段から遣っている」
「う、嘘よ…」
「いえ、本当ですよ
特に仲謀さんは宅の将師の中でも古参組ですから、子和様からの指導期間も長いですから
自分で御店を開いても普通に御金が取れます」
「そ、そんな…」
俺の言葉よりも、流琉の言葉の方が刺さったのか。
孫策は力無く膝から崩れ落ちた。
いや、大袈裟な訳ではない。
実際、かなりショックでは有ったんだろう。
まあ、確かに蓮華も昔は酷かった。
流琉が加入した頃には簡単な料理なら普通に出来る程度には成っていたが。
それは思春達の存在が有った事が大きい。
はっきり言えば、恋敵が居るから。
だから、持ち前の負けず嫌いが遣る気を出させて。
その結果、自主的に学ぶ姿勢が身に付いたからな。
環境が違っていたなら、もう少し時間が掛かったと言っても間違いではないと思う。
飽く迄も、“たられば”の話に過ぎないが。
「小野寺、御前も妻の手料理は食べたいだろ?」
「──えっ!?、あ、いや、それは──っ…はい…」
だから焚き火の調整をしている小野寺に話を振る。
老若男女関係無く、好意を懐く相手に期待されれば張り切るのが人の心理というものだ。
其処で小野寺の口から一言言わせて孫策の遣る気を引き出そうとしたのだが。
小野寺め、「重要じゃない」とか日和掛けたな。
だから、一睨みして肯定させたが。
愛する女に縋られたら弱いのが男の心理だ。
ただ、甘やかすと本人の為に成らないからな?。
その辺りは間違えるなよ。
間違ったら、共倒れだからな。
「ほら、こう旦那が言っているんだ
教えて遣るから、少しは覚えろ
はっきり言って、今のままだと仲謀に笑われるぞ?
それでも構わないなら、俺達は何も言わないが」
「…ぅぅ~っ………御願いします、教えて下さい」
流石に姉としての自尊心は有るらしく。
渋々ながら、孫策は料理指導を請う。
──と言うか、そんなに嫌か?。
「面倒臭い」という理由を除けば。
料理が出来て困ったり、損をする事は少ない。
男の場合は、女性の自尊心を傷付ける事も有るが。
それでも世の中の料理店の料理人は男性が大半だ。
そして、彼等が結婚している以上、それが理由には為り難いというのも事実。
後は、女性側の自尊心の問題。
つまり、料理技術とは直接は関係無い。
だったら、出来る方が自分の利に成り易い。
歴史等の勉強よりも、確実に生きる術に成る。
そう考えると教育では早くから料理を教えるべきと言ってもいいだろう。
…よし、帰ったら華琳達に話して進めよう。
……いや、親子参加型の方が良いな。
下手に第三者が指導するよりも親から子へ。
そういう繋がりを育む環境や機会を作るべきだな。
──とか俺が考えている間に流琉が手際良く孫策にエプロンの付け方を教え終えた。
蓮華が居たら「…其処からですか…」と呆れている場面だっただろう。
ただ、その蓮華も昔は孫策と同じだった訳で。
姉妹して似た者同士だと言えるだろう。
末妹は力量等も含め、現時点では判らないが。
この様子では下手に期待するのは酷だろう。
姉二人を反面教師として物凄く家庭的……無いな。
俺が見た彼女の印象からしても、それは無い。
「えっと…宜しく御願いします」
「それじゃあ、簡単な焼き魚を作ってみようか」
「え?、“御刺身”じゃないの?」
「…御前、切るだけって思っているだろ?」
「ち、違うの?」
「違う、寧ろ、刺身に謝れ、刺身を舐めるな」
「ご、御免なさい…」
「いいか?、刺身は生魚を使う
魚を捌き、薄切りにする
調理行程としては、確かに簡単になる
だが、生魚を使う以上、調理する者の知識や技量が物を言う料理の一つでも有る
刺身という食文化は大陸には無いだろう?」
「はい、私も祐哉に聞くまでは知りませんでした」
「魚の生食は食中毒等を起こし易い
その為、生食は避けるのが普通だ
また、寄生虫等は調理方法によっては残る
加えて、魚料理は特に鮮度が重要だ
その為、宮廷厨師でも魚の生食は遣らない
それだけ魚の生食は危険だからだ
だから簡単で安全なのは内臓を取り、綺麗に洗い、それから竹串等に刺して焼く事だ
昔、文台殿から教わっただろう?」
「──ぁ、確かに…」
記憶の糸を手繰り、幼い日の一場面を呼び起こすと懐かしさも有ってか、孫策の表情は和らぐ。
──が、直ぐに「どうして、それを貴男が…」と。
気付かなくてもいい事に気付く。
だから、誤魔化す様に有無を言わさず話を続ける。
「魚の串焼きは火加減さえ間違わなければ素人でも普通に食べられる物になる
だが、魚を捌いて作る焼き魚は難易度が上がる
しかし、その分、魚の旨さを味わう事が出来る
それ程に焼きは料理の基本であり、奥深い
──という訳で、新しく魚を捌く所からだ」
「わ、判りました」
尚、先程の孫策の粗捌きの魚は流琉が叩いて生姜と混ぜて、つみれにしています。
食品・食材の無駄使いや粗末な扱いは赦しません。
ええ、そんな罰当たりな連中には本物の飢餓というものが何なのかを教えて上げましょう。
「──って、待て、何だ、その包丁の持ち方は」
「え?、こうじゃないの?」
「御前にとって刃が付いていれば武器なのか?
どう見ても、それは今から人を殺す握り方だ」
「ぅっ…」
チラッ、と見た小野寺にも「そうだね」と頷かれ、ガックリと孫策が肩を落とす。
流石に小野寺にも違うと言われれば凹むか。
まあ、少し凹んでから始める位が丁度良いだろう。
下手に調子に乗せると遣らかしそうだからな。
──で、その握り方だが。
要するに剣と同じ持ち方をしているだけ。
出刃包丁等の叩き切る系なら構わないのだが。
基本的に宅で使っているのは和食式の包丁。
小野寺からしたら中華包丁よりも馴染み深い筈。
だから、その握り方は違ってくる。
「やれやれ…先ずは包丁の握り方からだが──」
孫策の後ろに回り、抱き締める様にして教える。
恥ずかしがり文句を言い掛けるが頭突きで黙らせ、言外に「集中しろ、馬鹿義姉」と伝える。
各々の手を重ね、初動から教えていく。
嘗て、蓮華に教えていた頃を思い出す。
あの時には思春達という起爆剤が居た訳だが。
今回は小野寺しかいない。
まあ、俺にも遊ぶ理由は無いしな。
真面目に指導に集中しましょう。
「──という訳で、容赦無く感想を言って遣れ」
「い、頂きます…」
四苦八苦しながら作り上げた切り身の焼き魚。
それを緊張しながら小野寺が口へと運ぶ。
味付けは塩のみ。
つまり、失敗はし難い。
使っているのも大型の鱒だからな。
「──あ、美味い」
「ほ、本当にっ?!」
「うん、美味い、初めてにしたら凄いよ」
小野寺に誉められて嬉しそうな孫策。
その様子に流琉と見詰め合い。
「初々しいな」「孫策さん、可愛いですね」と。
蓮華が聞けば恥ずかしがるだろう話のネタを入手。
精進しなさい。




