刻綴三國史 26
孫策side──
──九月二十五日。
港で船の調査をしてから二日が過ぎた。
私達が聞き取り調査をして、曹純が情報を精査し、そう遣って絞り込んだ航路を辿りながら移動。
それを朝から晩まで繰り返しながら、二日。
ええ、正直ね、「もうヤダーッ!、退屈っ!」って思いっ切り叫びながら、投げ出したくなるわ。
私の性格的にも、こういう地味でコツコツするのは本当に性に合わないし、苛々して仕方が無い。
これが普段の机仕事だったら隙を見て逃走確実ね。
──そして、詠に見付かって御説教、と。
まあ、祐哉の言う“御約束な展開”って奴ね。
でも、今は流石に私でも投げ出せない。
曹純が居るからって訳じゃないわ。
──ああいえ、やっぱり、それも有るんだけど。
どんなに地道で地味で同じ事の繰り返しでも。
これが民を救う為の最善手で、確実な方法。
だから、私の個人的な好き嫌いで投げ出せない。
投げ出せる訳が無いわ。
少なくとも、背負うと決めた以上は。
次代に繋ぎ、託すまでは。
しっかりと背負って歩まないとね。
「………桂陽郡、か…」
──なんて事を考えている間にも、今日も港と船で私達が収集した情報を精査していた曹純が呟く。
遣り始めた当初だったら私達も驚いたと思うわ。
でも、今は結構冷静に受け止められる。
それはまあ…アレね。
曹純の有能さに諦念にも似た免疫の為。
うん、本当にね、一々驚いてたら身が持たないわ。
ついつい、「…ねえ、貴男って本当に人間?」とか訊きそうになっちゃう位にね。
それはそうと、漸く、曹純の口から出た地名。
旧・荊州の桂陽郡。
其処が“発芽病”の発生地である可能性が高い。
初めて、事態の具体的な進展を感じる情報。
ただ、以前の私達とは違う。
以前なら、その情報だけで達成感や高揚感を得て、無邪気に無意味に喜んでいた筈。
だけど今は、私達は落ち着いている。
その理由は曹純と行動を共にしているから。
数日とは言え、一つの目的の下、曹純の指揮下にて私達自身が使われる事で学んでいる。
一日一日、一刻一刻、一瞬一瞬。
私達は確かに成長している。
それを実感すると、改めて納得してしまうし。
曹操の伴侶への要求が半端無い事が解る。
だってほら、曹純は曹操の理想の人物で。
祐哉や私の理想の人物って事なんだもん。
祐哉が言ってた通り、「どんだけだよ…」よね。
──とか考えていると典韋が曹純を見て呟く。
「桂陽郡ですか…随分と深いですね…」
「だが、それだけに中々異変には気付き難い
恐らく現地の感染者数は一気に跳ね上がるだろう」
「──っ…それは……犠牲者の数も、ですか?」
「「──っ…」」
祐哉の質問に私と詠は反射的に息を飲んだ。
それは瞬間的に想像してしまったから。
曹純が居たから最初の七人は助かった。
曹純達が居てくれる御陰で中央の混乱は小さく。
感染者の数に対して、今の所は、死亡者が無い。
それは文字通り奇跡的な数字だと言える事。
ただ、それらの数字は全て事の一端に過ぎない。
まだまだ曹純達も私達も把握し切れてはいないのが現状であり、現実なんだから。
決して楽観視して良い状況ではない。
その事実を、祐哉の一言が改めて突き付ける。
「それは否定も肯定も難しい所だな…
ただ、件の七人の発症から今日で四日だ
それなのに此処まで辿って来た割りには被害らしい話が全く上がって来ていないのは可笑しい
「異常だ」とまでは言わないが、違和感は拭えない
──とは言え、人為的な様にも感じないがな」
「…そうですか」
祐哉の質問に答えた曹純の言葉が重いわ。
ただ、私達の不安を察してくれたんでしょうね。
発芽病が意図的に拡散されている可能性は低い事を然り気無く付け加えてくれた。
その言葉が気休めだと判ってはいても。
曹純に言われると安心出来るから不思議な物よね。
まあ、それだけの実力が有るし、信頼が出来るからなのは言うまでもないんだけどね。
「子和様、桂陽郡が震源地として…
その割りには発症者の話が出ていない、という事は桂陽郡の人達には抗体の可能性が?」
「そう考える方が自然な落とし所だろうな
勿論、実際に現地に入り調査・検証してみるまでははっきりとした事は言えないが…」
「…何方か御喚びしますか?」
「いや、人手という意味でなら全て孫家で賄う
不慣れで多少時間が掛かろうが、必要な事だ
少しでも経験を積ませるべきだからな
その方針で構わないな?」
「はい、そうして頂けると後々に繋がりますので」
曹純の確認に私は迷わず返し、皆と頭を下げる。
──って感じだけど、それは茶番劇も同然ね。
だって、御互いに理解した上での遣り取りだもん。
典韋の振りも、全て判っていての事。
ただ、再確認・再認識という意味で、敢えて言う。
言外に「言って解るなら言う」と。
曹純達の言動が物語っているもの。
…まあ、「言っても解らない奴には言わない」って裏の意味も有るには有るんだけど。
それは一応、私達には適用されていない。
……うん、大丈夫、ちゃんと判ってるわ。
私自身、一応で、ギリギリなんだって。
だけど、そう考えると先日の祐哉の提案は重要だし的確な適材適所だって言えるわよね。
軍師陣に兼任させると負担が一気に増大。
特に詠や雛里・亞莎みたいな真面目な面子だったら自分が倒れるまで頑張るでしょうしね。
それは他への影響を容易に想像出来る事だわ。
だから、祐哉が担うというのは最善手。
勿論、祐哉が暇な訳じゃないけど。
現在、祐哉が遣ってる仕事なら他の誰かに、或いは複数名に分担して引き継いでも大丈夫。
必要なら祐哉に相談・確認すればいいもの。
其処まで考えての提案。
曹純には敵わないでしょうけど。
祐哉だって、覚悟と想いは負けてないわよ!。
──なんていう惚気を胸中で叫んでいたら、曹純に生暖かな眼差しを向けられ、思わず顔を逸らす。
…うん、滅茶苦茶恥ずかしんですけどっ?!。
「明日は一気に臨湘県の港まで行く
其処から賈駆には別行動して情報収集をしながら、一週間程の間、船の往来を規制・管理して貰う」
「臨湘県の港で、ですか?」
「桂陽郡が濃厚とは言え、零陵郡の可能性も残る
ただ、湘水を下って拡散している事は間違い無い
加えて西側の支流が関与している可能性が薄い以上支流の分岐点よりは下流域になる
分岐点から臨湘県辺りまでの間…
それと、桂陽郡から合流する上流域だ
そういう意味でも臨湘県が最初の防波堤になる
其処が弱ければ…判るな?」
「──っ…はい、全身全霊で臨みます」
「遣る気と気合いが有る事は良いが、事は長期戦だ
肩の力を抜きながら、だ
軍将と違い軍師の代役は中々居ないし務まらない
我が儘な当主を無理使いして潰しても政治は回るが軍師が一人欠けると機能を失う
だからこそ特に軍師は自らの体調管理も仕事の内だ
その事を忘れるな」
「──っ…は、はい…」
そう曹純に言われて色々と思い当たる節が有るから詠の顔が恥ずかしさで赤くなっている。
自覚が有るから顔を俯かせる辺りが可愛いわね。
私達の前だと滅多に見せない反応だけに新鮮。
まあ、そんな事を言えば怒るから言わないけど。
ただね、こんな風に地位や立場じゃなくて、実力で上の相手から直接言われないと詠みたいな性格だと従わないのよね、頑固者だから。
そういう意味でも私達は曹純に感謝ね。
でもね?、それはそれよ。
何?、その明らかに一部を狙い撃ちする様な例は。
否定も反論も出来無いから余計に悔しいけど!。
──という愚痴を胸中で叫んでいると詠が咳払い。
一瞬、「気付かれたっ!?」って焦ってしまう。
実際には詠には気付かれてはいない。
ええ、左隣に居る祐哉に曹純達に見えない様にして御尻を抓られはしたけれど。
愛する妻の大事な御尻を抓る?、ねえ?。
──ア、ハイ、御免ナサイ、集中シマス。
「…それは兎も角、私が抜ける分、他の者を一人は呼び寄せたいと思うのですが…」
「その必要は無い」
「ですが、それでは──」
「勘違いするな、それは万が一の為の備えだ」
「…と仰有いますと?」
「俺と士載、各々が一人ずつ抱えるか、何方等かが二人を纏めて抱えるか
いざという時、その判断が必要になる
だから、連れて行くなら二人までだ
小野寺は知識面で、孫策は戦力面で、だ
尤も、想定する状況では退避一択だがな」
「…判りました」
「それに抜けても支障が無いのも二人だろう?」
「………そうですね、はい」
曹純の言葉に私達を見て、「…確かに」と明らかな納得顔を見せた詠。
「ちょっ!?、詠っ?!」と思わず言いたくなる。
──が、冷静に考えてみると、「…あ、そうね」と自分でも納得出来てしまうから言えない。
言ったら言ったで、それ以上に傷付きそうだし。
だって、どう考えても私達以外、皆敵だもん。
孤立無援の状況って、こういう感じなのね。
それはそうと、曹純の想定している状況がねぇ…。
曹純達が「退避一択」って言い切るって…。
まあ、甘くも軽くも楽観視も駄目なんだけど。
何処までをを想定しているのか。
それすら、想像が出来無いのよね~…。
尤も、その辺りの為の祐哉なんでしょうから。
私が彼是考えて質問するよりは良いわよね。
ある程度の知識が有るから話も早いんだから。
一々説明していたら時間が勿体無いもの。
そういう意味でなら、私にも理解出来るわ。
戦場での判断は理屈じゃなくて、瞬時のもの。
勿論、そういうのも大事なんだけど。
それじゃあ、遅過ぎる場合というのは多々有る。
だから私も説明は後回しって事も多いもの。
…詠達に言わせれば「出鱈目」や「軍師泣かせ」な事なんでしょうけどね。
そういうものなんだから仕方が無いわよ。
「それから、文謙に此方等に来る様に文を出す
下りだから、今日の天候なら月明かりでも問題無く着けるとは思うが…」
「特別料金で一番腕の良い者を行かせます」
「頼む、単独だから明朝には合流出来る
その後は賈駆と共に臨湘県で拡大防止に当たる
発症者に備えながら、診察して回り、保菌者の数や行動等の情報収集をして貰う」
「それなら宅の方からも人手を出しますが?」
曹純達に頼るしかない以上、可能な雑務は此方等で引き受け、負担を軽くするべきよね。
そう考えて曹純に提案したんだけど…。
静かに首を横に振られちゃったわ。
…今の私の提案って可笑しいのかしら?。
「他の場合には有難いし、その方が良いだろうな
しかし、今回は疫病が相手だ
臨湘県の港が防波堤だが、万が一に備えるのなら、後々必要な時に問題無く動ける人員は残すべきだ
下手に人員を投入して感染者を増やすのは愚策…
それなら、既に感染しているが発症していない者を現地で集めて当てる方が良い
人の移動が多くなれば感染拡大の可能性が上がる
また、逆に臨湘に保菌者が入る事で感染者が増える事態に至る可能性も考えられるからな
人員の移動は必要最小限に留める
これも疫病対策では大事な基本だ」
「成る程…勉強に為ります」
そう言うと曹純が私を見て笑顔を浮かべる。
何て言うか………子供を見詰める親?みたいな。
優しい、でも、ちょっと擽ったい感じのね。
訊きたくはないけど、我慢するのはモヤモヤしそうだから思い切って訊いてみる。
「……え~と…何か、可笑しかったでしょうか?」
「小野寺は判ると思うが、“教育”を履き違えると如何に素晴らしい教えも身に付かないものだ
勉強は、押し付けられて遣るものではない
自らが求めなければ、決して血肉には成らない」
「…そうですね、今に為って大切さを痛感します」
「“後悔は先に立たず”、だが、後悔は糧になる
要は何から学び、何を得るのかが大事だ」
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